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揺るがない瞳



ちょうど二人でマンションから出るタイミングだった。扉の外で待っていた凛が名前を呼び駆け寄ってくる。

「凛⁉︎ 何でここに──」

美都が驚いて声を上げる。凛の家は学校を挟んで反対の方角だ。普段は学校近くの交差点で待ち合わせしているため、いるはずのない彼女が突然現れたことに目を丸くした。

「だって! 昨日あんなことがあったから心配で……」

釈明するように控えめにそう説明した。彼女は昨日、美都が鍵の所有者だと判明した時にその場で聞いていた人物の一人だ。話を聞いた直後は何のことだかわからず動揺していた姿が見て取れたが、状況を理解してからは一気にその顔を蒼くしていた。常日頃から美都のことを気にかけているだけあり、流石に昨日の彼女の反応に心配になったようだ。

「学校に行って……大丈夫なの?」

「うん。ありがとね凛」

いつも通りの笑顔で心配そうな表情を浮かべる凛に応答する。美都の返しにさすがの凛も驚いたようだ。本当にいつもと変わらない反応だったから。凛の反応もわからなくはない、と四季は思った。世界の命運を左右する鍵の所有者。加えてその鍵があろうことか《闇の鍵》であった。極め付きは、美都を襲ったのは同級生の衣奈であったこと。凛の方がよほど動揺していた。まさかクラスメイトが自分を、そして親友を襲った犯人だとは考えもしなかっただろう。その事実に眩暈さえ起こしそうな顔色をしていた。

「でもちょうど良かった。凛とも色々話したいって思ってたから」

言いながらひとまず三人とも学校へと歩を進める。もちろん美都が真ん中に立ち左右に四季と凛がいるような配置だ。凛は先程の美都の言葉に首を傾げていた。

「さっきの話か?」

「うん。ちょっと要点をまとめておきたくて」

四季がそう話すのは今朝の出来事だ。朝食を終えた後美都から話があるとの申し出でそれを聞いていた。さすがに時間の猶予があまりなかった為、凛と合流するまでの間もずっと話し合っていたのだが、その話に彼女にも加わってもらおうと言うことだろう。尚も不思議そうに美都を見つめている。

「あのね、四季が守護者になったのは今年に入ってからなの。だからそれまでは宿り魔の襲撃がなかったってことでしょう?」

「瑛久さんたちはここ数年は戦ってなかったって言ってたしな」

「うん。だからここで不思議なのは、いつ衣奈ちゃんに宿り魔が憑いたかなんだよね」

あくまで凛に説明を施しながら、補足するように途中で四季が口を挟む。顎に手を当てて、美都が疑問を零した。続けて彼女が考えていたことを話す。

「一体誰が、何のために衣奈ちゃんを選んだのか。そしてそれは本当に衣奈ちゃんの意志だったのか」

眉間にしわを寄せて話をする美都を見ながら凛は目を見開いた。彼女が1日でここまでの考えに至ったことに驚いた。否、1日にも満たない。たったの一晩だ。それも到底受け入れ難い事実を知った後、彼女はどんな思いでこの考えに至ったのだろう。

それまで静かに話を聞いていたところ、不意に彼女から問いかけられる。

「ねぇ、凛は──去年までの衣奈ちゃんってどんな子だったか知ってる?」

わたしは全然覚えてなくて、と恐縮して美都が言う。彼女がそう言うのも無理はない。そもそも同じクラスにならなければ接点の無い相手であった。出身小学校の違う生徒は、クラスや部活が同じにならない限り、深く話すことはない。美都の問いに必死に記憶を手繰ってみたものの、やはりと言うか衣奈の印象はほぼ無いに等しい。そのことを美都に伝えながら、なんとか思い出した印象をポツリポツリ口にする。

「美都と話すようになるまでは変わりなかったと思うけれど……元々目立つようなタイプじゃなかったし、静かで真面目な子よ」

「やっぱりそうだよね……同じ小学校の子に聞けばもう少しわかるのかな」

難しい表情を浮かべ、美都がそう呟く。まるで探偵のような目つきで言う彼女に素朴な疑問をぶつけた。

「どうしてそんなにあの子のことを気にするの? だって敵なんでしょう? 知ったところで何か役に立つの?」

むしろ衣奈のことを調べれば情が湧いてしまうのではないかと思ったのだ。そもそもにして美都は優しい。その優しさのせいで衣奈に手が出せなかったのだと考えていた。そしてこの考えは恐らく間違ってはいない。だから不安なのだ。彼女のことを知ってどうするのかと。

すると美都は目を細めて考えていることを静かに口にした。

「──役に立つよ。衣奈ちゃんを止める手がかりになる」

「⁉︎ 無理よ! だってあの子美都を騙してたのよ⁉︎ 話し合いなんか出来るわけないわ!」

間髪入れず凛が反論する。どうしても衣奈のことを許すことが出来ない。美都のことを友人だと言ってこれまで付き合ってきたはずだ。なのにそれをあっさりと裏切った。否、あっさりではない。これこそ計画的だったのだ。友人だと思っていた少女に背かれた美都の心を思うと、胸が詰まる。もうそんな思いを彼女にしてもらいたくなかった。

「それでもやっぱり一度話さなきゃ。これまでの衣奈ちゃんとの会話が、全部嘘だとは思えないの」

「だからって……!」

「それにやっぱり剣は向けられない。衣奈ちゃんは人間だもん」

「美都!」

思わず強い声で呼び止めた。いつもより俄かに大きい親友の声に、さすがの美都も目を瞬かせる。これまで自分の思考に耽っていたため凛の表情に気付いていなかった。苦しそうに顔を歪ませてこちらを見ている。

「私はっ……これ以上美都に傷ついて欲しくない! あなたは優しいからあの子を攻撃できないのもわかる……だけどあの子はまた平気で美都を傷つけるのよ⁉︎ そんなの──……!」

だんだんと感情が昂ぶったのか、遂に凛は涙声で俯いた。

「そんなの──私が耐えられない……っ!」

「凛……」

アスファルトに水滴が落ちる。その様を見てゆっくりと美都が彼女の元へ歩いた。

凛はいつもそうだ。自分のことを誰よりも心配してくれ、感情を使ってくれる。彼女の碧い瞳が揺れるのはいつだって自分のことに対してだ。

美都は眉を下げながら凛の手を取った。

「心配させてごめんね。でも──大丈夫だよ」

「……っ、なにが──大丈夫なの……?」

嗚咽を漏らしながら美都の言葉に疑問を返す。傷つくことを良しとして大丈夫だと言うのなら、そんなこと言って欲しくなかったのだ。

すると、泣きじゃくる凛の頬に手を当てて美都が優しく笑みを零した。そして凛の疑問に返答する。

「ちゃんと守りたいものが見えてるから」

目の前の少女にしてもそうだ。周りからの想い。大切な人の想い。それがちゃんと見えた。

確かに初音の正体が衣奈だと知ったとき、驚いて信じることが出来なかった。それでも傷付いたかと問われれば「否」だと思う。だから今こんなに冷静なのかも知れない。自分でも薄情だなとさえ感じるほどに。

衣奈は友人だ。出会った時から、今も。自分が彼女の正体に気付けなかったのは、やはりどこかで彼女と線を引いていたからだろう。不意に羽鳥とした会話を思い出す。「他人に寄り添うことが得意だから人一倍傷付くのではないか」と評価されていた。しかし案の定そんなことはなかった。これは自分自身の問題だ。悪いことではないはずだと、そう思っている。

「──ちゃんと、こうやって温もりを知ってるから」

近くに確かな温もりがある。それだけで十分だった。自分には十分過ぎるほどだ。周りからの愛情。以前愛理が言っていたことが今になってようやくわかった。

わかった今だからこそ、出来る戦い方がある。そう思ったのだ。

「それに、どのみち衣奈ちゃんに憑いてる宿り魔を祓わなきゃいけないしね。だから今はそのための情報が欲しいの」

力はある。退魔するための力。そして守るための力。問題はその力の使い方だ。彼女を傷つけずに済む方法。それをずっと考えている。

対して凛は、その紫紺の瞳を揺らすことなくただ真っ直ぐに物事を捉えている親友の姿に驚きを隠せずにいた。元から強いとは思っていた。それでももうこんなに前を向けるなんて、と。当事者である美都がもう顔を上げているのだ。だとしたら自分もこれ以上泣き言を言うべきではない。そう嗚咽を飲み込み、凛は頬を拭った。

「私も……出来ることをするわ」

とは言え自分に出来ることは程少ない。美都のように戦う力があるわけではないのだ。それならば今彼女が望んでいること──衣奈のことについて情報を集めることだろう。息を整えていると手前からハンカチが差し出された。

「はい。平気?」

「えぇ……ありがとう」

「こちらこそ。ありがとね、凛」

にこりと微笑む美都の姿を見て、改めてしっかりしなければと姿勢を正した。彼女は強い。その強さにいつも憧れている。

二人のやり取りを静観していた四季も感じるところがあったようだ。彼女たちの間には割り込めない雰囲気がある。それは小さい頃から共に過ごしてきた絆のようなものがしっかりと出来ているためか。だがどことなく不安定さも感じるのだ。しかしそれが何故なのか殊言い表すのが難しい。ひとまずは今気にすることではないか、と自分に言い聞かせることにした。

凛を促し止めていた足を再び動かし始める。学校へ向かう間、三人はそれぞれ意見を交わし合った。衣奈に宿り魔が憑いた時期、そしてそれ以前の彼女の性格、彼女が鍵に固執する理由など様々なことを巡り状況を整理していく。そこで美都はそう言えばと思い出したことがあった。

(衣奈ちゃん、好きな人がいるって言ってたけど……そのことも何か関係しているのかな)

敢えて口に出さなかったのは、衣奈のプライバシーに関わるからだ。恐らく自分以外の誰にも話していないはずだ。あんな無邪気に話していたことが嘘だとは到底思えない。だとしたら彼女とその相手の関係性も気になるところだ。

昇降口に近づくに連れ、生徒の数も増えてきた。しかしなぜだかいつもより騒がしい気がする。不思議に思いながら靴箱まで歩くと一層騒つく声が聞こえた。

「──!」

生徒たちが口々に噂している理由はすぐに判明した。見慣れない人物がホールの壁にもたれ掛かっているからだ。「あんな子いたっけ」と言う同級生の戸惑う声をよそに、美都と四季だけはすぐにわかった。彼女らの姿を見つけると、その人物は笑みを零しゆっくりと歩いてくる。

「……衣奈ちゃん」

「おはよう、美都ちゃん」

名をなぞるとこちらにニコリと微笑みかけてくる少女。いつもの三つ編み姿ではない。胸まである髪を縛ることはせず、眼鏡を外している。昨日スポット内で見た彼女の姿だ。同級生が不思議に思うのも無理は無い。背後にいた凛も驚いて目を見開いていた。

美都を庇うようにして四季が衣奈の前に立つ。白昼堂々まさか仕掛けては来ないだろうとは思うが念の為だ。彼女の挙動がわからない以上、警戒する必要がある。狙いは美都なのだから。

「昨日は突然ごめんね。あの後大丈夫だった?」

白々しくそう問いかける衣奈に、四季は今にも飛びかかりそうな程彼女を睨みつけていた。だがここで冷静さを欠いてはいけない。美都は庇ってくれている背中を軽く撫で、振り返った彼に小さく首を横に振った。

「……心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ」

「──……そう」

あくまで周りで様子を窺っている同級生たちに疑問を生まないやり取りを交わす。笑顔で衣奈の問いかけに答えると、彼女はつまらなそうに目を細めた。

やはり不思議だなと感じる。目の前に立つ少女について。二重人格という可能性を疑ったこともあった。だが正体がわかれば衣奈も初音も同一の人物にちゃんと見えるのだ。だからこそ知りたいことがあった。

「衣奈ちゃんこそ、わたしに何か用があったんじゃなかったの?」

窺うように今度は彼女に問いを投げる。周りの目がある中で自分に話しかけてきた。それも初音としての姿で。もう隠す必要がないからなのかその意図は汲み取れていない。

「もちろんだよ。美都ちゃんならわかってると思ったんだけどな」

衣奈の目的はもちろん鍵だろう。そんなことは分かっている。だが少しだけ違和感があった。

なぜ頭の良い衣奈が、人の目も省みずこんな目立つ場所で事を起こそうとするのか。少なくとも初音は、こんな無茶をするような人間ではなかったはずだ。ならばなぜ、と彼女の目を見つめる。すると微かにその瞳に苛立ちの色を覗かせた。

「……!」

おかしい。彼女のいつもの余裕さが無い。否、必死に取り繕っているのか。この違和感はそれだと瞬時に悟った。

鍵の所有者が自分だと判明している。そしてその所有者が目の前にいる。彼女にとっては何の痼りも無いはずだ。それなのに。

「……何か──焦ってる……?」

思わず口からポツリと零れ出る。そして美都のその言葉に衣奈は一瞬目を見開く。計らずとも当ててしまったのだ。衣奈は見透かされたことに更に苛立ちを隠せなくなっていた。

「あなたが、ただ大人しく鍵を渡してくれればいいだけの話よ」

他人の目を憚らずその単語を口にする彼女にただ驚いた。昨日の今日で何をそんなに焦る必要があるというのだろう。ただその疑問が頭をふと過ぎった。

しかし、とすぐに唇を結ぶ。相手の感情に合わせてはいけない。彼女の目的は分かっている。その上で、この状態ならば交渉の余地があるかもしれないと冷静に考えた。

「──鍵が欲しいのは衣奈ちゃんじゃないんでしょ? どうしてそんなに衣奈ちゃんが頑張るの?」

「あなたには関係ないわ」

「関係あるよ。わたしがそれを持っている限り」

以前の衣奈は、決して美都に対して「あなた」という余所余所しい二人称は使わなかった。意識か無意識か。今までソツなくこなしていた衣奈からは考えられない。確実に何かがあったのだと判断出来る。

「知ったところであなたがあの人に会うことはないわ」

「あの人って誰? 衣奈ちゃんが前に言っていた人のこと?」

「だったら何だって言うの?」

矢継ぎ早に美都と衣奈が双方の言うことに言葉を重ねた。ここでまた納得する。初音が覚悟を捧げた人物──それは衣奈の想い人だということに。ならばその人物こそ、こうして衣奈を駒にしているのだろう。だから衣奈はこんなに必死なのか。

「──鍵が、欲しいんだよね?」

彼女にとって当たり前のことを呟く。ここからだ、と美都は喉を引き絞った。四季も何かに気づいたように、ハッと息を止める。

そもそも二人のその会話のスピードは四季も驚く程だった。スピードだけではない。美都の姿勢に関してもだ。

四季は今朝美都からとある話を聞いていた。衣奈に憑いている宿り魔を祓うにはどうしたら良いのか。ひとまず彼女は衣奈と話がしたいと言っていた。そのためには。

『奇襲を避けたいの』

そう呟いていた姿を思い出す。昨日のように奇襲を受ければ話し合いどころではなくなる。だからそれだけは絶対に避けたいと言っていた。ならばどうすれば良いか。簡単だ。

「なら、今日の放課後また話し合おう」

こちらから場をセッティングすれば良い。そうすれば相手が下手に動くこともない。そう考えたのだ。

「──話し合いは無駄だって言わなかった?」

この返答も当然だ。第一おかしく思うだろう。奇襲をかけた方が割合的には成功率が高い。だからわざわざ最初の提案に乗る必要はないのだ。しかし美都はしっかりとそれを見越していた。

「だったら今この場で決着をつけるの? もうすぐ授業始まっちゃうのに?」

これまで見てきた衣奈は至って真面目な性格として印象づいている。授業ももちろんだが塾にも通っている程、勉学には励んでいるはずだ。そして初音に関してもそうだった。彼女は決して授業時間中に事を起こしたことはなかった。その観点から美都は賭けに出たのだ。

案の定、衣奈は眉を顰めて唇を結んでいる。最低限の常識を持ち合わせてはいるらしい。そして美都の提案を援護するように、ホールの階段から声が飛んできた。

「ほら、そこにいる生徒たち。そろそろ予鈴鳴るよ」

そう言うのは担任の羽鳥だった。彼女の言葉通り、間も無く予鈴が鳴る時刻だ。衣奈は口惜しそうに更に表情を険しくさせている。

「衣奈ちゃん……わたしはやっぱりあなたと話したい」

「私から話すことは何もないわ。でもまぁ放課後……楽しみにしてるから」

「──わかった」

話すことは拒絶されたが、衣奈は一旦美都の提案を受け入れたようだ。受け入れざるを得なかったと言うべきか。ひとまずは放課後までの猶予が出来た。それに安堵する。

ちょうど時を教えるようにして予鈴が鳴り響いた。その仰々しい音に従うように、衣奈は自らの教室へと踵を返す。その姿を見届けた後、四季がゆっくりと振り返った。

「大丈夫か?」

「うん、ありがと。でも──なんか様子が変だったよね?」

「確かに昨日の余裕さはなかったな」

やはり四季も同様に感じていたようだ。完全に優位な立場にいるはずなのに、いつもの軽快さが感じられなかった。そこに疑問を感じる。

これまでの初音はいちいち自分の言うことに対して動揺はしなかった。それなのに衣奈は一瞬瞳を揺らしたのだ。焦っていると指摘したことが恐らく的を射たのだろう。しかし理由がわからない以上詮索のしようがない。

「美都……どうするの?」

上履きに履き替え、近くまで来ていた凛が問いかける。放課後までの時間、どうするか。

「休み時間を使って、衣奈ちゃんに関する情報を集めてみる」

「私も手伝うわ」

「ありがとう。でも凛は注意してね。同じクラスなんだし」

「大丈夫よ。あの子前から美都を介してじゃなきゃ私と話さなかったし」

その台詞を聞いてそうだったのか、とハッとした。衣奈の限られたコミュニティ。なぜ彼女があそこまで人との関わりを絶ったのか。そしてそれはいつから。まずはそこが知りたい。

「月代、向陽。それと、夕月か」

しばらくホールにいる生徒の様子を伺っていた羽鳥がこちらに声をかける。予鈴はとっくに鳴っている。早く教室へ行けと促しているのだろう。返事をして彼女とともに歩き出した。

4組の教室前で凛と別れる。改めて注意するよう去り際に念押しをした。

すると前を歩く羽鳥が再び自分の名を呼んだ。なんだろうと小走りで彼女の横へ並ぶ。

「なんかあったの?」

「えっと……ちょっと意見の食い違いというか」

あははと誤魔化すように苦い笑みを零す。真っ向から説明したところで理解はしてもらい難い。こう答えるのが無難だろうと思ったが羽鳥は首を傾げている。

「珍しいね、月代が他の子とぶつかるなんて。間に入らなくて平気?」

「大丈夫です。たぶん彼女も、対わたしじゃないと意味ないと思うので」

「? まぁなんかこじれたら言いなね。それと、高階先生が心配してたよ」

「高階先生が?」

一体なぜだろうときょとんと目を瞬かせる。昨日『月光』の話をした時のことだろうかと記憶を遡るが思い当たる節はなかった。

「いつもと雰囲気が違ったからって。授業の時ちゃんと説明しときな」

そう言われ再び目を丸くした。自分としては至って普通の会話をしていたはずなのだ。あの短い会話の中で些細な変化に気づいたということだろうか。感性が鋭いのだなと感嘆する。羽鳥の助言通り、授業が終わったら説明しなければと考えていると彼女が続けて言葉を紡ぐ。

「そう言えば、今日星名が休みらしいんだけどなんか聞いてる?」

「え? 水唯がですか?」

「その様子じゃ知らないか。連絡あったのも直前だったし」

確かにここ数日、彼の顔色は良くなかった。今日欠席するということは聞いていないが納得は出来る。もしかしたら体調を崩しているのかもしれない。だとしたら一人暮らしの彼にとって相当生活に支障をきたすのではないだろうかと考えられる。

「心配ですね……帰ったらちょっと様子見てみます」

「ありがと。ま、無理のない範囲でね」

ちょうど教室の戸を潜った際、本鈴が鳴り響いた。HRが始まる合図だ。そそくさと自分の席を目指し着席すると、早速羽鳥から号令がかかる。

水唯のことは心配だがその前にやることがある。放課後までに集めるべき情報。それが再び衣奈と対峙するときの鍵となる。

美都はグッと手を握りしめた。どのみち今日、また事態は変化することになる。その時に万全の体制で臨む。

絶対に彼女を傷つけない方法を、考えるのだ。



(……っ、何なのよ──!)

奥歯をギリっと噛みしめる。彼女の反応が腹立たしくて。

衣奈は美都の元から立ち去ると顔を歪めた。

あの揺るぎのない瞳は何だ。世界の命運を左右する《闇の鍵》が己の中にあると理解したはずだ。なのになぜあんなに真っ直ぐ立っていられる?

動揺して然るべきだと思ったのに。それなのにどうして自分の方がたじろがなくてはならないのか。それに。

『何か……焦ってる?』

あの少女の訝しむような声が脳内で繰り返される。核心を突かれてつい冷静さを欠いてしまった。無垢なあの瞳がさらに自分を苛立たせた。少年の背中に庇われるようなか弱い存在。自分とは大違いだ。だから腹立たしいのかもしれない。

「絶対に────」

鍵を持って帰る。あの娘の中に宿る《闇の鍵》を。そうすればあの人はまた私を見てくれるはずだ。

失うわけにはいかない。自分の居場所を。

ただ一つだけの、自分の存在意義を。




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