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4カード

作者: エバンス

○プロローグ


 酒と食べ物と体臭が入り混じった鼻の奥に刺さる独特な臭いを感じ、ショウジは自分がまだ半分も酔っていないことに気が付いた。

 店内はほのかに薄暗い他、障子や畳、行燈などで無理に和の囲気を醸し出しているが、大衆居酒屋らしく安っぽさが否めない。ウイルスが猛威を振るっているというのに、店は繁盛している様子で、他の座敷席にはそれなりに人が入っていた。 

「人との出会いに不要不急もクソもあるか?みんなも、恋人を見つけて一緒にステイホームしたいって思ってんのちゃうの?」

 5人×5人テーブルの中央で銀行員の男が大袈裟な主張を披露しているが、それぞれが話しに夢中で笑い声にかき消される。

 乾いた喉を濡らそうと、ジョッキを持ち上げた時、隣の女性に制された。

「ショウジさあん、それは私のビール。取り違えたらあかんよ。さっきから、ぼうっとしちゃってどうしたん?まさか、かなり酔ってんの?」 

「いや、酔ってはないよ。えっと、何ちゃんだっけ?」

 私はカナコよう、なんで憶えてないんよお、と彼女は酒で赤らめた頬を膨らまして不貞腐れている。顔と名前を一致させるのがどうも苦手で、なんせ街コンともなると余計に不得意だ。

 街コン運営会社の友人に、このご時勢で参加者が少ないからと参加をせがまれたのが一週間前。世間の目を気にしつつも、めっきり減った飲み会の場であり、恋人候補を探すには良い機会だったので進んで参加を決めた。実際、参加者が定員割れしなかったところをみると、友人が長らく彼女のいない自分に気を遣ってくれたのかなとも思う。仕事が建て込んでしまい、一次会には参加できなかったが、友人の顔もあったので、既に始まっていた二次会に渋々参加していた。 「宴も酣ですが、こんな時間ですし、そろそろお開きにしましょうか。」

 自分の主張を拾ってもらえないからか、銀行員の男は勝手に仕舞いの音頭をとり始めた。話が盛り上がっていたそれぞれのグループからはブーイングがあがったが、男は気にもくれない様子だった。

 テーブルには汚れたお手ふきやら、箸やら、ジョッキが散乱していて、皿にはこの店自慢のから揚げが寂しそうに残されている。

 ショウジは今度こそ間違えないよう気を付けながら、自分のジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。 

「あれ、そういえば、さっきからユイちゃん見いへんね?」

 カナコに言われて辺りを見ると、たしかに一席だけ長らく空いていた。

「ユイちゃんさっき、めっちゃ日本酒飲んでたから、潰れてるかも。ウチ、お金集めて払わなあかんから、ショウジさん、代わりに様子見てきてくれへん?」

 女性トイレの中に居たらどうしようもないのにと思いつつも、もしかしたらこれはチャンスボールをくれたのかもしれないと無理に想像して、席を立った。

 自席を離れ、廊下に出る。とりあえずトイレの方へ向うと、トイレの前にへたり込み、顔をもたげた女性が見えた。近くに寄ってみても、女性はピクリともしない。どうしたものか、と頭を悩ましたが、まずは声を掛けてみた。

「ユイちゃん、大丈夫?気分悪い?」

「うん。大丈夫、大丈夫です。うっ・・・。」

「無理しないで。もうお開きだけど、そのまま座っていても大丈夫だから。今、お水貰ってくるからね」

 近くを通りがかった男性店員に水を頼むと、心配したのか直ぐに持ってきてくれた。

「はい、お水。お酒、かなり飲んじゃったの?」

「ごめんなさい・・・。私、日本酒が好きで、特に青森の田酒って銘柄が一番すきなんです。うん、一番好き。軽い飲み口なんだけど、すっきりしてて、でもコクもあって、すごく美味しいんですよ、うん。あ、でも宮城の浦霞も捨てがたいなあ。」

 話す元気はありそうだが、意思疎通ができず、呂律が回っていないところを見ると、かなり泥酔しているようだ。

「そうなんだね。でも、無理に話さなくてもいいからね。」

「・・・、はい。なんか迷惑かけちゃってすいません。久々に吞んだからってのもあるのかな。今日は最初からハイペースで、うん・・・。普段はちゃんと節制してるんですけど、なんか、箍がはずれちゃったのかな、うん。」

 自分の心配を他所に女性はこうべを垂らしたまま口が止まらない。女性の介抱に手間取っていると、廊下の奥からカナコが小走りで駆け寄ってきた。

「ユイちゃん、大丈夫?やっぱり、すごく潰れちゃってるねえ。ほら、もうここ出なきゃあかんから、とりあえず外出よか。ショウジさん、ありがとうね。」

 カナコとユイも今日が初対面なのだから、感謝される程の義理はまだないはずだと思ったが、大人の付き合いともなるとこんな感じかとも思った。

 ユイは壁をつたってなんとか立ち上がり、千鳥足で廊下を歩き始めた。ショウジはカナコに会費の四千円を払い、ユイに続いて店の外に出た。

 店に充満していた臭いとの違いも相まって、夜分のひんやりとした風が心地よく、鼻の奥に染みわたった。

 ユイは案の定、段差に腰を下ろし、真下のアスファルトを凝視する格好となっている。他の参加者たちの姿もあったが、酔い潰れている女性に目もくれず、それぞれが会話に興じていた。

 カナコと共にユイに近寄ると、ぶつぶつと独りごちていた。

「ユイちゃん、うん、わかったから今日はもう帰ろね。家はこの辺ってさっき言ってたよね?タクシー拾ってあげるからそれで帰りや?」

 カナコは手馴れた様子で、ユイの背中をさすりながら、断続的に流れてくる車の群れに目を向けていた。すると、タイミングよく空車を灯したタクシーが通りかかり、目の前に滑り込んできてくれた。

 カナコはユイから聞いた自宅の住所を運転手に告げ、ユイの肩を抱きながら車内に優しく座り込ませた。ショウジも同じようにしてユイの鞄を空いた座席の上に乗せる。鞄の軽さを手に感じつつ、本来ならカナコの代わりをやるべきだと思ったが、そこまですると、わざとらしい気もして憚られた。 

「じゃあ、運転手さん、お願いします。ユイちゃん、気を付けて帰ってね。また一緒に吞もうね。」

 カナコはユイに軽く別れの挨拶をし、タクシーから身を離す。ユイの、返事にならなない返事が小さく聞こえたところで、タクシーに運ばれていってしまった。

 タクシーが枯葉のように飛んでいってしまい、その場に静寂が訪れた。気付くと他の参加者たちは駅の方へと歩き始めている。 

「あの子、大丈夫だったかな?かなり朦朧とした感じだったけど。」

「あれぐらいなら、大丈夫やって。ウチ、もっとやばいことなったことあるから。」

『もっとやばいこと』が気になったが、敢えて話を広げる気にもならなかった。自分の感覚で他人の容態を判断することは、かなり危険だとも思った。しかし、カナコの経験則と態度を見るに不思議と安心感があった。

「ショウジさん、あの子の連絡先、教えてもらったん?」

「あんな状況じゃ、聞くに聞けないよ。二次会も途中参加で話す機会が無かったから、打ち解けた感じでもないし。よく考えたら、あの子の顔すらしっかり見れてないよ。」

「へぇ、そうなん?ウチ、あの子の連絡先、分かるけど知りたい?なんなら、ショウジさんが良ければ、あの子とデートさせてあげられるかもよ?あの感じやと、きっと今日の記憶は飛んでるし、ショウジさんが真摯に介抱してくれたことにすれば、お礼にご飯でもってなると思うんよね。」

 カナコからの提案があまりにも刺激的で思わず笑ってしまう。

「でも、そんなに上手いこといくかな?案外、憶えているかもしれないよ?そりゃ、デートでも出来たら嬉しいけど、――」

「よし、じゃあ決まり。後はウチに任せて。ユイちゃんに連絡するように言っておくから、楽しみにしといて。」

 自身の意見は流されて、半ば強引に提案が採択される。不本意ながらも、カナコの提案に反対する気は無かった。

 「ショウジさんはウチよりユイちゃんの方がタイプやろうし、なんとなく上手くいきそうやから。応援してるね。ほら連絡先教えて?」

 言われた通りスマホを上着のポケットから出し、連絡先を伝える。好みの女性を決め付けられた割に、嫌な気分にならないのは不思議と的を射ていたからだった。たしかに、カナコのような、お節介焼きの姉御肌より、物静かでおとなしい女性の方が好みかもしれないと、内心を確認し直す。

 周りにはいつの間にか人の気配が無くなっていた。他の参加者たちが解散したのか、三次会に向ったのかは知る由もなかった。カナコとその場で話しているのを見て、敢えて声をかけなかったのかもしれない。大人の付き合いとはまさにそういうものだろうと再び思う。

 駅まで送るよ、とショウジは申し出て最寄り駅まで歩みを始める。カナコは吞み足りないようだったが、明日も仕事があると断り、駅の改札まで歩いてきたところで別れた。改札を通り抜け、振り返ったカナコは手を振る代わりに、親指をぐっと立てたポーズをとった。

 カナコを見送った後、酔い覚ましに家まで歩くことにした。飲み屋街を抜け、人気の無い夜道を進む。ビルやマンションが整然と立ち並び、まるで迷路に足を踏み入れた感覚になったが、歩道の脇に植えられた街路樹から金木犀の香りがし、秋の夜長に居ることを思い出させた。

 カナコからの刺激的な提案は正攻法ではなく、むしろトランプのジョーカー的なカードだったが、そもそも街コンに参加すること自体も本当の意味で正攻法とは言い切れなかった。自分が望んだ展開ではなかったが、思いがけず棚からぼた餅を見つけた気分になり、ドラマのようなストーリーを期待してしまう自分が恥ずかしかった。

家までは残り五分程のところまできた。公園の脇を通っていると、木陰の茂みから微かに鈴虫の鳴く声が聞こえる。

 カナコのもくろみの目的は全くもって不明だが、あの調子だと上手く取り持ってくれるだろう。もし、誘いが来たら、迷うことなく乗ってみようと思う。

 ユイの姿を思い出そうとした時、何故か記憶を引っ張り出せない自分がいた。ああ、俺、今日はやっぱり酔っていたんだな、と呟いても返事を返してくれるのは秋の訪れを喜ぶ無邪気な鈴虫たちだけだった。



○♠︎


 コロナ禍というのに、昼下がりの梅田駅には人で溢れていた。依然、感染者は出ているものの、第二波のピークは過ぎ、世間の人々は週末をいいことに、日々の鬱憤を晴らしているようだ。

 大阪でも感染者が急増した時期、まるで人々が揃ってミナミへ移住したと思うくらい、人影が無い異様な梅田を経験した。今までは人の多さに鬱陶しさを感じていたが、戻ってきた人波を見られて、ショウジはどこか嬉しかった。

 マスクをしているとどうもむず痒く、マスクの上から鼻を掻いてしまう。梅田に来るのは久々だが、待ち合わせ場所までは改札を出てまっすぐなので間違えることもないだろう。緊張と高揚感で歩くスピードが自然と速まってしまうが、スムースな曲を聴いて気分を落ち着かせることにした。

 集合場所の大型ビジョンの前には他にも待ち合わせをしているのであろう人々がまばらに待ち構えているのが見えた。エスカレーターの脇に鎮座しているそれは、待ち合わせ場所にしては十分なくらい存在感を放っている。

 大型ビジョンの真下に到着し、振り返って今来た方向に身体を向けた。横目で辺りを見回すと、スマートフォンを操作する女子高生や楽しそうに話す女性の集団、ベージュのスーツとハットを着こなす老人が居た。

 ユイの姿を探してみるが、それらしき人物はまだ到着していないようだ。入社祝いに自分で買った腕時計に目をやると、集合時間の十五分前だった。

 十月に入り、だいぶ暑さも和らいできたが、半地下のこの場所は風が抜けず、なにしろ頭の上で煌々と光るLEDがハロゲンランプの様に身体を熱している気がして、汗ばんでしまう。

 スマートフォンを眺め、適当にその日のニュースやSNSを見て、時間を潰していると、あのう、と声を掛けられ、驚いたショウジはぱっと顔を上げる。

 すると、そこには二十代前半らしき大人しそうな女性が一人立っていた。白いワイシャツに紺のロングスカートを合わせた服装は、昔映画で見た海外の修道女を思い出させた。髪は黒髪で鎖骨あたりまですらっと伸びており、指梳けが良さそうだった。マスクをしていたので、顔全体ははっきり分からなかったが、目元の薄化粧から清楚さを垣間見ることが出来た。

「もしかして、ユイちゃん?」

「あ、そうです、ユイです。よかった、合ってて。遠目から探してたら若い男の人が一人しか居なくて、頑張って声掛けてみよって思ったんですけど、間違ってなくて良かったです。ショウジさん、ですよね?」

 彼女は前髪を目深にかぶせたまま、恥ずかしそうにこちらを見ていた。 

「そうそう、ショウジです、って言っても見憶えないよね?」

「うん、ぼんやりとしか憶えてなくて・・・。この前は迷惑かけてしまってごめんなさい。」

 一瞬、何にごめんなさいと言われたのか頭を巡らしたが、先日の飲み会のことだと直ぐに思い出した。

「いえいえ、全然大丈夫だよ。それより、どこに行こうか?とりあえず、その辺ぶらぶらする?」

 ショウジの提案に彼女は目尻にわずかに笑みをこぼし、うん、と小さく頷いた。話していてもなかなか目を合わせてもらえず、緊張している面持ちだったが、それはショウジも同じで、お互い様だった。

 ショウジは駅前の大型商業施設に向おうと歩き出した。

 大阪最後の一等地と言われる『うめきた』に地上三十八階の高層ビルが二棟並んでそびえ立っている。中にはショッピングモールやレストラン更にはホテルや劇場、オフィス、マンション等が入っており、大阪梅田を象徴するランドマークの内の一つだ。

 集合場所から再びエスカレーターで2階に上がり、連絡通路を歩いた。ユイはショウジの横に一定の間隔を保って歩いており、まるで犬かネコを散歩している気分になる。相変わらず前だけをまっすぐ見つめ、時折こちらの顔を覗いたかと思って見ると、すぐに正面に向き直される。ショウジに対して、口数は少ないが、興味が無いからではなく、緊張しているか、話すのが得意じゃないかのどちらかであるかは、なんとなく察しが付いた。

 歩くこと五分で、ビルの入り口が見えてきた。巨大なエントランスに、まるでベルトコンベヤに流される部品かのように多くの人が吸い込まれたり、吸い出されたりしていた。

「すごい人ですね。なんか、ここに入っていく人、みんな楽しそうだなあ。」 

「久々に梅田に出てきた人も多いだろうからね。今日ここで買い物したいから、少し付き合って。あと、有名ブランドとか雑貨店もあるから、興味あるお店があったら遠慮なく言ってくれればいいからね。」

 ちょうど、ショウジの同僚が今月結婚したので、その結婚祝い品を物色する目的があった。

 ユイはそれを聞いても、今時の子の様に目を輝かせることも無く、淡々と真横の位置をキープしている。一歩一歩の挙動から緊張が滲み出していたが、まだ落ち着いて話せる状況ではなく仕方が無く思え、むしろショウジはその雰囲気がかわいらしく感じ始めていた。

 ビルの中に入ると、空調から排出される無機質な香りが、仲秋の風とともに鼻に抜ける。入り口部は6階まで吹き抜けとなっており、買い物客の雑踏と声で階下からでもビル全体が賑わっているのが伺える。

 ショウジとユイは次に次に現れる店に立ち寄ってはウインドウショッピングを楽しんだ。途中、有名食器店に立ち寄り、ペアグラスを購入した。ユイは隣にショウジが居ることにも徐々に慣れ始めた様子で、少しずつ素の彼女を提供してくれていた。

 二人は控えめなデートを2時間程楽しんだところで、ユイが思い出した様に提案をしてきた。

「ショウジさん、歩くの疲れてきてないですか?このあたりでお茶しません?」

「そうだね、俺もそろそろ休憩したいと思っていたところ。カフェでも行こうか。」

 正直、ショウジは言われるほど未だ疲れていなかったが、ユイからの提案が嬉しくもあり、快く引き受けた。

 二階に戻り、チェーン店のカフェの目前まで来たところで、カフェに向って伸びる長蛇の列を目にした。

 わあ、すごい列、と困った表情でユイが嘆く。三時過ぎのおやつ時ということもあり、考えを同じくした人々が糖分と水分を求め、カフェに詰め寄っていた。

「この感じじゃ、かなり待たされるね。そうだ、おすすめの場所があるからそこに行ってみてもいい?たぶん空いてると思うから。」

 ごった返す人込みの中、ショウジはユイが付いてきているのを確認しながらエレベーターへと向った。

エレベーターを待っている間、ユイはどこに行くの、と聞くことも無く、虚空を見つめている。何を頭に巡らせているかショウジは気になったが、特に聞き出すことはしなかった。

 エレベーターから人が出ていくのを待って、ショウジはそれに乗り込み、9階のボタンを押す。密にならない様、人数制限の配慮がされており、また車内には軽快なピアノジャズがBGMとして流れていた。

 束の間、騒々しさから切り離された空間に身を置いた時、ショウジはユイの存在をより強く意識したが、浮き足立っている自身を戒めた。

 エレベーターのアナウンスが九階到着のアナウンスを告げ、扉がゆっくりと開く。

 このビルの九階は商業施設とオフィス部分の境目となっており、ちょうど商業施設の屋上に庭園が設けられていた。

「こんな都会のビルの屋上に庭園があったなんて知らなかったなあ。」

「ここはあまり知られてないみたいで、いつ来てもがらがらなんだよね。同じ階にコンビニがあるから、そこで飲み物買おうか。カフェのおいしいコーヒーじゃないけど、ごめんね。」

 「いえ、むしろ静かにゆっくりお話できるので、こちらの方がよかったです。」

『むしろ』というのはただユイが静かな場所を好んだのか、ショウジとゆっくり話し込みたかったのか、ショウジは聞きたい気持ちを既の所でぐっと押し込む。

 二人はコンビニエンスストアに立ち寄り、カップ入りのホットコーヒーと茶菓子のチョコレートを買った。

 買った物を片手に、庭園の中を抜けて、外に向けて配置されている長イスに二人並んで座った。ビル風に晒された木目調のイスから冷たさを感じる。

 二人以外に人気は無く、時折、地上を走る車や電車の走行音、園内に植えられたモミの木の葉が風で揺れる音が聞こえるだけだった。十月の冷涼な空気とほのかな土の香りが都会の真ん中に居ることを忘れさせる。

 目前は透明なガラス張りとなっていて、梅田の街並みを見渡すことが出来、遠方には六甲山が連なっているのが見えた。

 日は傾き始め、夕刻の入り口へと進んでいる。遠くの空は淡い柑子色が水色と混ざり合い、グラデーションが綺麗に映えていた。

 ショウジはここにきて、緊張のせいか、胸が高鳴り始めた。二人きりになったことで、都会の喧騒も取り払われ、互いの隙間を埋めるのに最適な演台だったからだ。

 手元にコーヒーの温かみを感じながら、一口飲む。芳醇でビターなコーヒーの味が口全体に広がり、ショウジ自身を安心させた。

 ユイの方をちらりと見ると、ぼんやり遠くへと視線を流しているようだった。おぼろげに空が放つ紅色が彼女の顔を照らし、ショウジはしばらく見惚れていたのだった。



○♡


 遠目で彼を見つけた時、背後で煌びやかに光る大型ビジョンのLEDが彼だけを鮮明に輝かせていると思った。

 ユイが、あのう、と声を掛けると、彼は驚いた表情でこちらを見上げた。その彼はデニムジャケットに白のインナーTシャツを着込み、タイトな黒のチノパンを着こなしていた。髪はアッシュが効いた濃いブラウンで、毛先にかかった軽いパーマが洋風の顔に似合っていた。

 彼はマスクを顎まで下げ、ショウジです、と名乗る。お互い礼儀よく挨拶し、ユイは欠かさず謝罪も付け加えた。

 無事に声を掛けることに成功し、安堵する。だが、それ以上に、彼が並みの男性よりも端正な佇まいをしているせいで、受け答えが支離滅裂になってしまった。初見の男性の容姿に心を奪われそうになり、目もまともに合わせられない自分が余計に恥ずかしく、どぎまぎしてしまう。

 簡単な会話を済まし、ショウジは行く当てがあるのか、ユイに付いて来るようにだけ告げ、歩き始めた。

半地下の集合場所からエスカレーターで二階に上がり、外の連絡通路に出る。外の空気に触れ、例年の十月にしては肌寒く感じ、ユイは羽織を持ってこなかったことを後悔した。

 ショウジの隣に並んで歩いていると、彼が高身長のせいか、同じ歩数なのに置いて行かれそうになる。遅れまいとユイが必死に歩く早さを上げているのを見て、ショウジは歩幅を合わせてくれた。

 行き交う人々の中でも特に目が行ってしまうのは同世代のカップルだ。ユイは通り過ぎるカップルに自分たち二人を勝手に重ねるが、自分自身に呆れてしまう。

 目のやり場に困っていると、連絡橋上から道路いっぱいに連なった自動車が流れていくのが見える。コロナ禍の中、普段の賑わいを取り戻した梅田には新鮮味を感じずにはいられなかったし、人や自動車、電車が織り成す喧騒はユイにとって何故か心地良かった。

 そうこうする内に大型商業施ビルの入り口に辿り着いた。エントランスに近づくにつれて、買い物客たちの賑やかな声が混ざり合い、駅中の吹き抜けにこだましている。

 ショウジはここに買い物の用事があると言って、早速エントランスに向う。並んで歩いていて感じるのは彼なりの気遣いで、ほんの小さな言動や所作がユイには嬉しかった。

 二人がエントランスを潜り抜けると、先ほどのこだまが更に大きくなったように感じた。豪華な装飾が施された店々が並び、ユイは見ているだけでも心が躍り、吸い込まれそうになる。蟻の巣のように張り巡らされたフロアで、人々は意気揚々と目当ての店に向って闊歩していた。

 二人はエスカレーターを乗り継ぎ、6階へ向った。

 ショウジが入ったお店は誰でも一度は聞いたことがある、ガラス用品を扱う高級ブランド店だった。

 店頭にディスプレイされたガラス食器はまるで宝石の様に光を溜め、発光しているかのようだった。続けて目に入った値札に書かれた金額があまりにも高額でユイはマスクの下で驚いた表情を作ってしまう。

 お互い別々に、陳列された商品を眺めていると、ショウジの自分を呼ぶ声に遅れて気が付いた。慌てて手に持っていたガラスで作られた蝶のオブジェを棚に戻し、ショウジの元に向う。

「ユイちゃん、ワイングラスを買おうと思うんだけど、どっちのデザインが良いと思う?」

 ショウジは二つの異なるデザインのワイングラスを左右それぞれの手に持ち、ユイに示してきた。

「うーん、どっちもいいデザインと思うけど・・・。どんな種類のワインをよく飲むかに因って変わってこない?ほら、赤ワインならこっちの大きく膨らんでる方が香りがより豊かになるし、こっちの細い方は口が小さいからシャンパンの炭酸が抜けにくくて適してるって聞いたことがあるよ。」

「なるほど、確かにそこを考えていなかったな。うん、ならこっちの細い方にしようかな。ユイちゃんすごいね。俺より全然詳しくて、なんかかっこいいな。」

 ショウジは店員を呼び、商品の購入を伝えると、会計口の方へ案内されていった。

 いきなりショウジに褒められたが、ユイは素直には喜べなかった。ワイングラスの話はバイト先の男性客から聞かされたウンチクの受け売りだったし、『かっこいい』という言葉にピンと来なかったからだ。やはりそこは『可愛い』と彼の口から聞きたかったが、それを引き出すには時期尚早だと我慢した。

 ユイが店の外で待っていると見送る店員と共にショウジが出てきた。手にしている真紅の包装紙がデニムジャケットの濃紺と良くマッチしていた。

「おまたせ。これで俺の今日の用事は終わっちゃったんだけど、他に見たいお店とかある?」

「ううん、今欲しい物もあまりないし、特に無いかな。」

 「まあまあ、遠慮しないで。そしたら欲しくなるようなもの見つけに行こうよ。用事に付き合ってもらったからさ、今度はユイちゃんが俺を連れまわす番だよ。」    

 ショウジの言葉によって、自分の胸がドキリと脈を打たれたのが聞こえた気がした。ユイは照れを隠すため、意味も無くマスクを耳に掛けなおす。

 二人はそれから各階を散策し、各々が興味を持ったお店に入り、束の間のデートを楽しんだ。ショウジはユイに対して、気を遣いながらも上手くエスコートしてくれた。

 服や雑貨を物色しながら、新鮮な会話のキャッチボールをする。ユイは粗相が無い様、一つ一つの言葉の選択を吟味しながら、ショウジへとボールを投げ返す。ショウジはユイのそれを優しく包み込んでくれていた。

 一通り買い物を楽しんだ後、二人は二階にあるカフェで休息を取る事にした。あいにく、カフェには空席待ちの行列が連なっており、諦めることにしたが、ショウジが良い休憩処に心当たりがあると言って、連れて行ってくれるようだ。

 湧いてくる人の波に押しつぶされない様、上手く避けながらショウジの後を付いていく。

 密を避けるため人数制限が掛けられたエレベーターに乗り込み、ショウジの後ろ姿を眺める格好となる。半歩近づけば身体が触れ合ってしまう程の距離に初めて身を置いた時、ショウジの身体からは香水のフローラルな香りがした。もっと嗅いでいたいユイの気持ちとは裏腹に、意外と早くエレベーターは九階到着のアナウンスを告げ、ドアが開かれる。

 エレベーターホールを抜けると、目の前には緑が広がっていた。このフロアに店舗は入っておらず、代わりにビル街には似つかわしくない庭園風景がそこにはあった。モミやカエデ等の中低木が存在感を放っており、プランターに植えられた草花や芝生がアクセントとなっていた。

 二人は同階にあるコンビニで買い物を済まし、庭園の外側に置いてあるベンチに横並びで腰掛けた。

 時折吹くビル風が肌に染みいるようで少し寒さを感じる。ユイは買った缶コーヒーを握り、暖を取った。封を開け、昇るコーヒーの香りは二人の心を温めたが、直ぐに吹き荒ぶ風に流されてしまう。

 隣の長イスには同世代のカップルだろうか、男女二人組みが目下の市街地を見つめながら、おしゃべりに興じていた。盛りあっているのか、話の内容がこちらまで聞こえてくる程だった。

「ここならゆっくりおしゃべりできるね。ユイちゃん、寒くない?よかったら羽織貸すけど?」

「ううん、これぐらいなら平気。ありがとう。」

「ならよかった。そうそう、気になっていたんだけど、ユイちゃんはワインに詳しいの?」

 ユイは質問を受けてから、少し考え、先ほどのガラスショップでのことだと思い出した。

「特別詳しいわけじゃないんだけど、バイト先がバーだから日頃からワインをよく扱うの。それぞれ、どのワイングラスが適しているかは店長から教えてもらったんだ。」

 もちろん、客の受け売りの話だとはユイは言わない。

「なるほど、それで知っていたんだね。それじゃあ、お酒も結構飲めちゃう感じ?」

「ううん、私、アルコールは全然駄目なの。すぐ気分悪くなっちゃうから、普段から飲まないようにしてて。バーだからよくお客さんに勧められるんだけど、いつも断ってるんだ。」

「へえ、そうだったんだ。てっきり、酒豪なのかと・・・。ん?そういえば、ユイちゃんって、幼稚園の先生してるって前教えてくれなかったっけ?」

「え、えっと、きっとそれ私じゃないよ?たぶん違う人と勘違いしてるんじゃない?」

 咄嗟に出てきた二枚舌に自分でも驚いた。ワイングラスの話を隠したことに比べると罪悪感は無かった。飲んでいたコーヒーの味が急にしなくなる。

 ショウジはそうだったかなぁ、と首を傾げていた。

 先程まで大半を青で占めていた天井の空は遠くの山々から照り返す陽の光によって赤らめ始めている。

 ユイはショウジがつけていた香水の香りを今一度思い出し、目前に現れた秋の空に投影させていた。これほどまでに彼との仲を詰めることができ、マスクの下でにんまりと笑いながら。

 


○♡


 愛原唯衣は吹き抜けになった2階から、エスカレーターの両脇にそれぞれ設置されている大型ビジョンを眺めていた。既に待ち合わせ場所付近に到着しているのにも関わらず、そこに降りていこうとしなかったのは、集合場所で待つ彼の姿に幻滅してしまったからだった。

 一週間前、マッチングアプリで知り合った大手商社に勤める庄司剣太と会う約束をし、期待を膨らせて今日を迎えたものの、唯衣を待ち焦がれる彼の風貌は唯衣が想像していたものとかけ離れていた。

 だぼだぼのデニムパンツにこちらもサイズ感があってない白色のニットを身に纏っており、中肉中背で冴えない容姿がマスク越しからでも分かってしまう。

 唯衣は職業だけを見て会う約束を取り付けてしまったことに今更後悔し、適当に理由をつけてドタキャンしようかと考え始める。

 こんなことなら先日庄司が企画した合コンに行って早々にフェードアウトしておくべきだったとも思う。

 彼に連絡を入れようとしたその時、エスカレーターを挟んで反対側の大型ビジョンの方に偶然目をやると、明らかに他の男性と異なる雰囲気を醸し出している若い男性がいるのを見つけてしまった。

(あの男の人に声を掛けてみようよ。)

心の半分を占める、自分の中の悪魔がそう囁き、唯衣はその衝動を抑えることができない。

(大丈夫だって。声掛けてみて噛み合わなかったら、謝って去ればいいし、仲良くなった後だったら少々の妄言も、あなたの猫撫で声でなんとかなるよ。)

 唯衣が決断するまで時間はかからなかった。頭の中で会話のシミュレーションをしつつ小走りでエスカレーターを駆け下りた。


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