リューファスの幸せ1
番外編:リューファス編
私は父親と共に乗った粗末な乗合馬車の中で考えていた。
自分のこと。これからのこと。……サマンサのこと。
サマンサのことはずっと好きだった。婚約者になる前からだ。家の都合で結ばれた婚約とはいえ、心の底から嬉しかった。
今も……想いは少しも薄れていない。
それでも一緒にはいられない。決心が鈍ることはなかった。
『邪魔をするなサマンサ!!エリアナ・リンスタードとともにデイジーを害する悪女め!お前なぞ大魔女に喰らわれてしまえばよかったのに!!!』
……あの言葉を吐き捨てた瞬間に、彼女との別離は決定したのだ。
操られていたというのはもはや関係ない。免罪符にもならない。自分は全てを覚えていたし、口から零れ落ちた言葉はなかったことにはできない。
――じゃあ、覚えていなかったならばよかったのだろうか?
操られている時のことを一切覚えていなかったら。あの言葉を自分が吐き出したことを忘れてしまえていたら。
そんなもしもを考えて、それでもやっぱり駄目だと自分の甘い考えを否定する。『操られている時にはその人の本質が出る』、それはなんと言い得て妙だろうか。もしもなんて考えるだけ無駄であるし、何よりも――……。
「これで、正解だ。これでよかった」
何よりも、『サマンサが消えてしまえばよかったのに』と思ったあの気持ちは、紛れもない自分の本心でもあったのだから――。
馬車を降りる。父親はもう少し馬車に揺られた先が目的地だ。別れはごく簡単に済ませた。別に、父親とは何も今生の別れというわけでもない。それでも今日から本当に1人きり。愛する人も、家族も、これまでの自分も何もかもをなくして。
ふと視線を向けた先に、一緒に降りた老人が大きな荷物を抱えているのが見えた。
「ご老人。荷物は私が持ちましょう」
親切のつもりでそう声を掛けると、鼻で笑われる。
「『私』だあ?兄ちゃん、図体はでかいのに随分ご丁寧なこったなあ。ここはな、あらくれもんの町だ。なよなよしてっとここじゃあやっていけねえぞ!それから俺を年寄り扱いするな!」
老人は荷物も放さずこちらをひと睨みするとさっさと歩いて行った。
そうか、と思った。ここは過酷な環境で有名な辺境の地。領主の住む中心地からは少し離れていて、粗暴な連中が多く暮らしていると聞く。ここは、王都ではないのだ。自分はここで生きていくのだ。
適当に歩いて、最初に出会った男に声を掛ける。
「俺は今日からこの町の衛兵になるんだが、まずどこに行けばいい?」
新しい人生が始まった。
――――――――――――――
リューファスの本質を構築したのは、間違いなく幼い頃の「孤独」である。親から引き継いだものもあるかもしれないが、全ての子供が親に似るわけではないことを考えると、血筋は要因の中でも小さなものだろう。
母親が自分をその目に映していないとはっきり自覚したのはいつだっただろうか?……もっとも、本能的には恐らくずっと分かっていたのだろうけど。
忙しく、家にあまりいない父。愛に飢えた自分の目の前で、自分と同い年の他の子供に惜しみない愛情を注ぐ母。たまに抱きしめてもらっても、心に温度を感じることはない。抱きしめられることは本来当たり前のことなのだと、彼に思い知らせる存在が側にいるのだから。愛のない生活でもそれが自分1人ならばまだ良かったかもしれないのに。
歪むなという方が無理な話だった。それが彼の1つめの不幸。
そうして、彼は世の中の全てを恨む子供になる。
誰にもそうであると気付かれなかったことが2つめの不幸だ。
彼は賢い人間だった。
リューファスは愛がほしいと泣くことも、愛がもらえないと怒ることもなかった。「自分は愛されない」ということを、ただ事実として受け入れ認識していただけ。
3つめの不幸は……サマンサと出会い、愛してしまったこと。最愛の彼女に、真っ当に愛されてしまったこと。
それは同時に、人生で何にも代えられない程の溺れるような幸福でもあったけれど。
彼の本質を一言で言うと、『愛を受け入れられない』ということだ。
愛を受け入れるだけの入れ物を持たないまま生きてきてしまった。ないものを大人になって作り出すのは随分と難しい。愛されることは至上の喜びであるのに、愛で心が満たされることはなく、いつだって不安で、苦しくてたまらなかった。
溢れんばかりに与えられる愛情に、喜び以上に恐怖した。
「いつか急に取り上げられてしまうのではないか」
幸せなはずなのに、どんどん胸の奥が黒く染まっていく。
『自分を愛している今のまま、サマンサの時が止まってしまえばいいのに――』
そこに行きついたのは、当然のことのようにも思えた。
だからこそ、あの瞬間思ったのだ。チャンスが来てしまったから。実際に言葉を吐いた、操られている自分の思いとは全く別の意味ではあったけれど。
「ああ、今この瞬間、できることなら死んでくれ」
そうすれば、彼女の愛は永遠に自分に向けられたまま。
――彼にとって4つめに不幸だったのは、彼が本来優しい人間だったこと。
彼が望む永遠の愛を手に入れることもできたのに、黒い欲望を抑えて真っ当な幸せの中で愛を受け取る未来だってあり得たのに、彼は迷うことなく最愛の人との別れを選んだのだから。自分の幸せを望む以上に、サマンサに、幸せになってほしかったのだ。それを「必ず」と約束できない自分の元にいるべきではない。可能性では駄目なのだ。彼女は幸せになるべき人だから。
彼女は愛に溢れた、太陽のような人だから――……。
『歪んだ自分が、本当の意味で幸せになれることはないだろう』
サマンサとの別離を経て、彼は本来の優しく穏やかな自分をやっと取り戻していた。あれほど渇望した愛と幸せを諦め、穏やかな平和を選んだのだ。十分に満足していた。
幸せには色々な形があるのだと、今の彼はまだ知らない。
続きます。不憫ですみません。
次回からはリューファスが彼なりの幸せを見つけていきます……!




