嫌な予感【テオドール視点】
エリアナ嬢が大魔女を打ち倒し数日。
諸々の後始末に追われ、眠り続ける彼女を見舞う暇も労う時間もない。
ただ、妹を溺愛するランスロットも邸に帰れていない状況なので、文句は言えないだろう。
取り急ぎ、各所の混乱を収め、出来るだけ早くエリアナ嬢の聖女披露目の式を行うことが当面の目標だ。聖女が現れた、すでに全ては終わり、悪しき魔の脅威は去った。そう公に周知するだけでどれだけの問題が落ち着くことか。
そんな風にして数日明け方まで仕事に追われ、仮眠程度の睡眠でなんとか最低限の体力を回復する。
そんな日を続けたある朝、いつものように目を覚ますと、信じられないほど状況は一変していた。
「は……?すまない、もう1度言ってくれるか」
「ジェイド第二王子殿下、並びにデイジー・ナエラス男爵令嬢を今朝方釈放いたしました」
大臣に告げられた言葉に頭が追い付いていかない。
「なぜ?ジェイドはなんらかの力に侵されている可能性があるから、安全が保証されるまでは軟禁されることになっていたはずだ!デイジー・ナエラスに至っては危険人物である可能性が高いとして貴族牢にいれたのだろう!なぜこのタイミングで2人を出した!」
しかし、大臣は不思議そうな顔で首を傾げた。
「殿下?何をおっしゃっているのですか?デイジー様が危険人物であるわけがないではありませんか。仮にも聖女様に向かってそのようなことを言うのはいかに殿下と言えども褒められたものではありません」
……こいつは、何を言っているんだ?
「そうそう、忙しいのは分かりますが、ジェイド殿下とデイジー様への褒章の準備にもかからねばなりませんね」
「褒章だと……?」
大臣は、困ったように眉根を寄せる。
「しっかりしてください殿下。あなたの弟君が聖女様と共に大魔女を討ったのですぞ。あなたが1番に2人を讃えてあげなくては。睡眠がとれなくて疲れがたまっておられるのでは?無理にでも少しゆっくり眠る時間を作られた方がいい」
その後も大臣は意味の分からないことを延々と話し続けていた。
話している僅かな時間の中で、釈放どころか2人が捕らえられていた事実まで彼の頭の中からは消え去っていた。
昼過ぎ、ランスロットが憔悴した様子で顔を出した。
「テオドール、何がどうなっている?」
それを聞きたいのは、私も同じだった。
なんとかジェイドとデイジー・ナエラスを監視下に置こうと動いたが、ものの見事に私とランスロット以外は偽りの真実を信じ込んでいるようだった。
ランスロットによると、リンスタード侯爵もまともなままのようだが、彼1人で何ができるだろうか。
案の定、デイジー・ナエラスが聖女であることに異を唱えて、危うく彼が牢に入れられるところだった。
「申し訳ない、テオドール殿下……」
なんとか身柄を保護したリンスタード侯爵はすっかり憔悴した様子で項垂れた。
偽りの真実を信じている者たちの中では、エリアナ嬢はとんだ悪女ということになっているらしい。そのうち、リンスタード侯爵やランスロットもエリアナ嬢に同調し、聖女様を害そうとする悪人ということになっていった。
せめてなんとか2人を邸に帰そうとしたが、デイジー・ナエラスの信望者のようになってしまった大臣達が目を光らせている。2人は彼らの中ではもはや罪人のようになっている。
仕方なく、私の執務室のすぐ側の部屋に2人を匿うように留まらせた。
私は王宮の者たちがおかしくなってしまってからは直接ジェイド達を糾弾していないため、なんとか自由に動けている。
それもいつまで続くか……その日は王宮内で情報収集をして1日が終わってしまった。
エリアナ嬢に手紙を出そうにも、まるで検閲のように手紙の内容まで文官に検められているのを見つけ、断念するしかない。
彼女や侯爵邸に滞在している彼女の友人達は、まだこの異常に気付いていないはずだ。
どうするべきか……。
焦り、頭を悩ませていた次の日の朝、ふと、リタフールの神殿から持ち帰った日記が目に入った。
『リリー』と名乗っていた、貴族の女性。
期待して開いた日記は、なんの変哲もない内容ばかり。
おまけにこの女性がリリーとして活動した分の日記でしかないらしく、その正体さえ読み取れはしなかった。
ため息をつきながら、日記を手に取る。
その時、溜まった疲れがたたったのかふと日記を持つ手の力が抜け、床に取り落としてしまう。
カコン。
……なんだ、今の音は?
日記が落ちた音にしては不自然に乾いた音に、すぐさまそれを拾い上げ、丁寧に調べる。
――分厚い表紙の中に、ほんの少しの隙間があるようだ。
すぐにナイフでその表紙を切り開き、中を確かめる。
そこには封筒に入れられた、手紙のような手記が入っていた。
その内容を見て、血の気が引いた。
そして、ようやく『リリー』が誰であるか分かった。
これは彼女の罪の告白であり、懺悔だ。
そして、この内容が全て事実だとすると、まさか――……。
辿り着いた可能性に、思わず眩暈がした。
よろめき、執務机に咄嗟に手をつく。
そこに置いてあった小さな箱に手が触れてかたりと倒れ、少しだけ箱があいた。
気が付いたら持っていたその箱。確かに自分が購入したことは間違いない。
けれど、どうしてこんなものを買ったのかどんなに記憶を辿っても思い出せなかった。
最初はリボンまで掛けられていた。中身が何だったか心当たりがなくて、包みは自分でほどいてしまった。
大事なことを忘れている気がする。そうエリアナ嬢に言ったのは私だ。
辿り着いた可能性に、もう1つの可能性が重なる。
行き当たった真実に愕然とする。信じられない思いだった。
事実が信じられなかったのではない。
――どうして、どうして忘れていられたのか。
手にしていた手記も投げ出し、執務室から飛び出し全力で走った。
おかしくなった大臣達のことなど気にしている暇はなかった。
急がなければ、とてつもなく嫌な予感がする。
私がいなくなった執務室の机には、箱から顔を覗かせた金細工のネックレス。
そのネックレスにぶら下がる琥珀石が、窓から差し込む日の光を反射して静かに煌めいていた。




