神殿
殿下やカイゼルの訪問から2日が経った。
「エリアナ、今日はロビンを連れて神殿だろう?」
「ええお兄様。最近忙しくて日が空いてしまったわ」
今日は護衛のロビンと一緒に神殿に行く、祈りを捧げる日だ。
最近は色々なことが起こりすぎて、私は疲れていた。
カイゼルの話は衝撃だった。彼は私に会いに来る前にそれとなく周囲に探りを入れていたらしく、今のところ巻き戻る前の記憶があるのは私とカイゼルだけのようだとのこと。
リューファスやエドウィンはもちろん、ジェイド殿下も何も覚えていないらしい。
それはそうだと思う。記憶があれば2度と私は優しい殿下に会えなかっただろう。
カイゼルが記憶を持ったまま巻き戻ったこと、巻き戻る前に正気に戻ったことは、やはり私の魔力に理由があるのではないかということだった。今も同じ質の魔力を私から感じるらしい。
そんなこと言われても私にはよくわからない。
とりあえず、1人で抱えきれる自信もなかった私は、カイゼルを信じることにした。
ただし、心を預けるつもりはない。いざとなったとき、裏切られても気力を失わぬよう、心構えはいつでもしておかなければ。
私からは、例の夢の話をした。
思い出をなぞるようなシーンをいくつか辿った後、必ずテオドール殿下が現れて、意味深な言葉を告げる夢。実はあれからも度々似たような夢を見ている。
「聖女とは何か」「考えなければいけない」「聖女の力を知る必要がある」「本物を知るんだ」
その時々によって内容は異なるが、たいていは同じようなことを告げてくる殿下。
……どこかでテオドール殿下に会う機会を作らなければならないとカイゼルと話した。
デイジーのことも調べなければ。やるべきことは多い。
ただ、あの不幸と苦しみが誰かの手によって作られたものだというなら、私は全てを明らかにしたい。それに、2度目は大丈夫だという保証もなかった。
「気を付けていくんだよ。今度は時間を合わせて私もエリアナと一緒に行きたいね」
優しく声をかけてくれるお兄様に意識を戻す。私と同じ蜂蜜色の髪に紫の瞳のお兄様。
ふわりと微笑んで頭をなでてくれた。いつもそうしてくれるのだ。優しい手。
もう2度とお兄様を傷つけるようなことにはさせない。
……巻き戻る前、私が牢に入れられた後、兄も私とは別の牢に入っていたらしい。
私のせいでこの優しい人も処刑される運命だったのだ。想像するだけで気が狂いそうだ。絶対に許せない。
神殿に着き、ロビンにエスコートされ馬車を降りる。
神殿自体は各地にあるが、この王都の神殿はその中央部、大神殿だ。
1度目の時、デイジーを聖女に認定したのもここだった。
礼拝堂に入るときは護衛には離れてもらう。ここに来るときはロビンか、そうでなければ他の護衛騎士を1人伴うだけだ。
神への祈りは身軽の方がいい。
いつものように心を込めて祈りを捧げる。
――愛の女神アネロ様。私の身に今、何が起こっているのですか……?
******
「エリアナ様」
祈りを終え、馬車に戻ろうとしたところで声をかけられた。
振り向くと、笑みをたたえて立っていたのは神官見習いのミハエルだった。
「まあミハエル。久しぶりですね。最近なかなか祈りに来られなくてごめんなさい」
「とんでもないです。エリアナ様のように高位貴族でありながらここまで熱心に祈りに通ってくださる方はなかなかおりませんよ。……もう少しで一緒に学園に通えること、とても嬉しく思います」
ミハエルは神官見習いだが、男爵家の子息でもある。兄がいるので後継ぎの必要はない上、元々家が信心深く、ミハエルの神殿入りも反対されなかったらしい。神官として優れた資質を持っているらしく、将来の大神官候補だと言われていた。
小さな頃から大神殿に通っていて、彼とももう長い付き合いになる。
あの断罪の時、ミハエルはずっと何かを呟いていた。
聖女として神殿に通うことも多かっただろうデイジー。ミハエルもきっと接することが多かったのではないだろうか?あの時彼が何を思っていたのかは今となっては分からないが、せめて最後は私を哀れんで祈りを捧げてくれていたのだと思いたい。
「私も楽しみです。あなたとは神殿以外で会う機会がほとんどないものね。学園で、神官以外の顔を見られるのを楽しみにしていますよ」
いたずらめいてそう言うと、ミハエルは少し恥ずかしそうに苦笑した。
ミハエルには癒しの力がある。神官になるのにぴったりの力だ。
癒しの力は光の魔力。神殿に勤める者はレベルの差はあれど多くがその魔力を有している。デイジーは聖女の名にふさわしく、群を抜いてその質も量も秀でていたと聞いた。
しかし、積極的にその情報を集めなかったこともあり、実は私はその実態を詳しくは知らない。ただ、最初から光の魔力を持っていたわけでなく、あるとき突然覚醒したのだと聞いていた。
……今度カイゼルに聞いてみよう。
ミハエルはにこやかに私に礼をし、仕事に戻っていく。
気を抜けばすぐにデイジーやジェイド殿下のことに思いをはせてしまう自分が嫌になる。
******
神殿の扉を出て、その佇まいを見る。
美しい建物だ。アネロ様の加護を受けた地に相応しい。
ここで、デイジーは聖女になった。
カイゼルの話を思い出す。
……デイジーは本当に、何か特別な力でもって皆の心を操ったのだろうか?
もしその正体が聖女の力だとして、そのようなことが可能なのだろうか?
「あはははは!」
ふと笑い声が耳に入りそちらに目を向ける。
神殿の広い入口に続く道を囲むように存在する垣根の方に近づき、向こう側を覗き込むと、併設された孤児院がある。
そこの子供たちが楽しそうに遊んでいた。
親がおらず、裕福な暮らしができるわけでもない。それでも子供たちはこうして心からの笑い声をあげている。得られる限りの幸せを大事にしているように見える。
皆が精いっぱいに自分の人生を生きているからだ。
もしもデイジーが人ならざる力で現実の何かを歪めているとして。
それはこの笑顔を脅かすものではないと言い切れるだろうか?
人の心を歪めることは自由を奪うことと同じだ。
歪められた先が不幸ではなくても、絶対にそんなものは幸せなどとは言えない。
力の正体が何かは分からないけれど、その可能性がある以上、突き止める必要がある。
それが悪しき力なのか、聖なる力なのか、意図してのことなのかさえ今は分からない。
けれどやり直したからには、絶対に好きなようにはさせない。
ジェイド殿下のことだって……。
強く心に思う。
孤児院の子供たちの笑い声に私は決意した。2度目の時間には、きっと意味がある。
私は迎えに来たロビンの手を取り、神殿を後にした。