ほんの少しの進展
「エリアナ、ついにあの恋愛小説の作者が分かった」
お兄様にそう告げられたのは、サマーパーティーを数日後に控えたある日だった。
久しぶりの進展に、私とお兄様はすぐにテオドール殿下の執務室に集まり、今後の相談をすることにした。
「エリアナ嬢、よく来てくれたね。ランスロットも。入ってくれ」
何度も訪れたテオドール殿下の執務室。もうすっかり入り慣れてしまった。
いつものように、テーブルを挟んで対面に置かれた2人がけのソファに座る。私はお兄様の隣、その向かいに殿下だ。
「ランスロットに聞いたと思うけど、例の小説の作者がやっと分かったんだ」
テオドール殿下の言葉を聞きながら、正直、随分時間がかかったなと思ってしまう。名前はペンネーム、年齢も素性も何も分からなかったとはいえ、王族である殿下が調べたのだ。すぐに分かる物かと思っていた。
私の心を読んだかのように殿下は続けた。
「こんなに時間がかかったのは、作者が国内にいなかったことに理由がある」
「他国の者だったんですか?」
お兄様が驚いて声を上げる。
「いや、元々はこの国出身だ。嫁いで隣国へ渡ったらしい。あの小説自体書いたのは出版より数年前で、出版元にも匿名で送られてきたと聞いた」
それでなかなか素性が判明しなかったということか。
「送った人物が誰かは分からないんですか?」
「まだ分かっていない」
どうやら今回の情報も、ドミニクがかなり頑張ってくれて得たものらしい。ドミニクの家の商家はかなり手広く商売をしており、色々な国ともつながりを持っている。他国の情報ならば、彼ほど適任な人物もいなかっただろう。
ドミニクはすっかり、テオドール殿下お抱えの情報屋のようになっていた。
「エリアナ嬢とランスロットは、夏季休暇は予定があるのかい?」
「え?」
「私は休暇中に公務として隣国へ赴こうと思う。機会を作り、作者に接触する。出来れば2人にも同行してもらいたいと思っているが、どうだろうか?」
私とお兄様は互いに顔を見合わせて、そして頷いた。
「もちろん、同行させていただきます」
私が公務に同行するならば、通常であれば相手はジェイド殿下だ。しかし、殿下はきっと休暇中もデイジーが側にいることになるだろう。だからテオドール殿下の公務に付き従うことになってもそこまで違和感はない。そんな風に考えて、必死で頭からジェイド殿下のことを振り払う。今は駄目だ。考えてはダメ。
テオドール殿下は婚約者がいない。そのため、その代理として弟王子の婚約者である私が同行するのは、まあ多くはないがない話ではない。
……そういえば、テオドール殿下はどうしていまだ婚約者がいらっしゃらないんだろうか?第二王子であるジェイド殿下が幼い頃から私と婚約しているのに。他国との政略結婚の必要は今後もしばらくは必要ないだろうと聞いている。
我が国は、複数王位継承者がいる場合、最低でも王子のどちらかが成人するまで立太子はされない。とはいえ、よほど問題がなければ恐らく第一王子であるテオドール殿下が王太子になるはずだ。その後ろ盾として婚約していたとしてもおかしくはないのに。
第一王子が婚約していて、情勢を見るために第二王子が婚約者を据えないのならばまだ分かるがこの場合は逆だ。
何か理由があるのだろうか?
「では、夏季休暇中はずっと隣国で過ごすことになると思うから、そのつもりで準備しておいてくれ。カイゼルにも私から声を掛けておく」
移動時間、公務、そして目的の作者との接触。休息日を入れても日程はギリギリだ。休暇中はジェイド殿下と会わずに済むだろう。そこまで考えてはっとした。
会わずに済むって。
……私は自分が思っているより、ジェイド殿下の側にたえずデイジーがいる今の状況に参っているのかもしれない。これでは、一種の現実逃避だ。
「エリアナ嬢……すまない」
「何のことでしょうか?」
「いや、気にしないでくれ」
帰り際、テオドール殿下にそう声を掛けられた。
本当は何のことだか分かっている。
殿下の優しさが心に沁みて泣きそうだった。
労わるようなお兄様に連れられて、王宮を後にした。
そしてその途中、また足を止めてしまった。
「エリアナ」
強張ったようなお兄様の声にも咄嗟に反応できない。
通りがかった王宮の庭園に人影が見えていた。
狙ったかのようにいつも見てしまうのは、私がたえず気にしているからだろうか?
距離があるので何を話しているかまでは聞こえなかったが、楽しそうな声が響いている。
やはり反射的に視線を向けてしまった。
庭園を散歩しているのだろうか?
ジェイド殿下の腕にデイジーがしなだれかかっているのが見えた。
今日は……今日は、どんな顔でデイジーを受け止めているのだろうか。
「エリアナ、行こう」
お兄様に手を引かれてその場を後にする。
少しぼーっとしてしまっていたらしい。心配しないでと言う気持ちを込めて、こちらを見るお兄様に笑いかけた。言葉に出すほどの気力は出なかった。うまく笑えただろうか。
最後に2人の姿から目を逸らす瞬間、ジェイド殿下がこちらを振り向いた気がしたけれど、それは私の気のせいだっただろうか。
今の私は、こんな些細なことをずっと気にしていることしか、できることはないのだ。
******
その夜、計ったようなタイミングでジェイド殿下からドレスが届いた。
学園のサマーパーティーのためのドレスだ。
夏の夜によく似合う、爽やかな水色の涼し気なドレス。
添えられた手紙を読み、息をついてそっと閉じる。
そうして私は安心するのだ。大丈夫、まだ大丈夫。
――――
愛するエリアナへ
なかなか君と会う時間が取れなくて申し訳ない。
私の隣で笑う、愛しい君の笑顔が恋しいよ。
サマーパーティーの夜、久しぶりに君を側に感じられるのを楽しみにしている。
当日は迎えに行くから、このドレスを着て待っていて。
ジェイド
――――
いつまでもこのままではいられない。
小説の作者に会って、少しでも何か糸口が見つけられますように。
縋る様にそう願いながら、私は眠りについた。




