お兄様に打ち明ける
テオドール殿下との話が一通り終わった頃、重苦しい空気を切り裂くかのように勢いよく執務室の扉が開いた。
「エリアナ!」
驚いて振り向く。入ってきたのはお兄様だった。
「ランスロット、ノックぐらいしたらどうだい?」
「エリアナ、大丈夫か?テオドールにいじめられていない?」
「おいおい」
呆れ顔のテオドール殿下も完全に無視して、お兄様は私の顔を心配そうに覗き込む。
さっきまでの暗い気持ちが吹き飛ぶようで、一気に安心感に包まれた。
「ふふふ、お兄様、私は虐められていないわ。……ちょっとだけしか」
「何!?おい!テオドール!」
「エリアナ嬢……勘弁してくれ」
悪戯心でそう言うと、お兄様は血相を変え殿下に詰め寄り、殿下はなんてことを言うんだと言わんばかりにこちらをじとりと見る。
「冗談よお兄様、心配してくれてありがとう」
笑いながらそう言って、お兄様の腕にぎゅっと抱き着く。
やれやれと言った風なテオドール殿下をしり目に、お兄様は急に真剣な顔になった。
「……エリアナ、最近お前がずっと何かに悩んでいるのは分かっているよ。私には話せない?私は可愛いエリーにとってそんなに頼りない兄かな?」
「……お兄様」
不覚にもうるっと来た。まさか、お兄様がそんな風に思っているなんて。
そんな私たちの様子に、テオドール殿下がそっと私の肩に手を置く。
「エリアナ嬢、君が思っているより、ランスロットはずっと強い男だよ。抱えきれないものを一緒に持ってくれるくらいには」
もちろん私もね、そう言いながら殿下は優しく微笑んだ。
お兄様もじっと私を見つめている。ただ、それは問い詰めるようなものではない。
ああ、私はなんて幸せ者なんだろうか。
私は弱い人間だ。
1度目、抵抗する術もなく大事なものを奪われるばかりだった。
お兄様はずっと私を案じ、味方でいてくれたけれど、そんなお兄様も巻き込み処刑にまで追い込んでしまうところだった。
……巻き戻らなければ、どうなっていただろうか。
ついそう考えてしまい、ぶるっと身震いする。
そんな私の様子にも、お兄様もテオドール殿下も何も言わずに私の言葉を待ってくれている。
お兄様が私の様子がおかしいと気付いていることは、実はなんとなく分かっていた。
邸で会う度、学園で偶然すれ違う度、心配そうにしてくれていた。
お兄様の優しさに甘えてしまいたいのに、そうすることでまた巻き込んでしまうのではと怖かった。
だけど、決めたのだ。1度目のようには絶対にさせないと。
私の大事なものは絶対に守ってみせると。
もちろん、お兄様のことだって。
それならば、何を怖がることがあるのだろう?お兄様ほど信頼できる人は他にいないのに。
私は、1人ではないのだ。
「お兄様、少し長くなるし、信じられないかもしれないけれど、私の話を聞いてくれる……?」
「もちろん、エリアナの話ならいくらでも。幸いここには邪魔者は誰も入ってこないしね」
テオドール殿下はその言葉に少し苦笑いしていたけれど、好きなだけここで話せばいいと言ってくださった。
私はお兄様に全てを話した。
お兄様は時折痛ましい顔をしながら、それでも何も言わずに私の話を最後まで聞いてくれた。
そして、もう1つ言わねばならないことがある。
「これは殿下にもまだお話ししていなかったのですが……どうやら私が聖女のようです」
聖女の証についての話だけを伏せ、神殿での出来事も2人に伝える。私が聖女であるらしいことについてはお兄様のみならず、さすがのテオドール殿下もかなり驚いた顔をしていた。
「なるほど……エリアナ嬢が聖女であるならば、確かにその男爵令嬢とやらはきな臭いな」
殿下は、机に置いた日記を指でトン、と叩きながらそう呟いた。
神殿がデイジーをすでに聖女であると誤解を招くような特別扱いをしているということは、テオドール殿下の耳にももちろん入っていた。神殿がこれまで一貫してクリーンな存在であったことを思えばそれだけでももちろん異常だが、問題はそれだけにとどまらないらしい。
「正直、両陛下も少し様子がおかしいと感じる」
あまりのことに思わず押し黙ってしまう。お兄様も顔を歪め、ぐっと手を握りこんだ。
「両陛下の様子がおかしいとは?」
お兄様の問いに殿下は首を横に振る。
「はっきりと何か異変が起こっているわけではない。ただ、神殿の暴走とも思える行為になんの疑問も抱いていないようなんだ。私が知らされていないだけで陛下には彼女が聖女であると確信でもあるのかと様子を窺っていたが、その可能性がないなら今の状態は明らかにおかしい」
神殿も、両陛下にさえも異変が起こっている?
1度目を思えば今は随分穏やかに過ごせているから、正直なところあまり実感が湧かずにいた部分があった。けれど、思っている以上に事態はすでに深刻なのかもしれない。
「とにかく、ランスロットの協力も得られることになったんだ。まずは何が起こっているのか、何がそうさせているのか突き止めなければ異変を正す術も見つけられはしないだろう」
「そうですね……」
「私はこの日記に書かれていることをもう少し調べるから、エリアナ嬢はまずは聖女としての力を伸ばすことを優先してくれ」
「え?」
「もしも今起こっていることが過去に起こったことと同じ力の引き起こしたものならば……おそらく、本物の聖女の力が必要になるのではないかと思う」
人為的に選定されたものとは言え、3代に渡り本物の聖女の代わりを担える程の力だったわけである。どうやってその力を生み出したのか、今はまだ全く分からないが、聖女に匹敵する、人の心をも操ってしまう力。
ならば確かに、対抗できるとなると本物の聖女の力しかないのかもしれない。
「わかりました。まずは力を伸ばすことを第一に考えます」
「エリアナ、心配しなくとも私もついているからね。私も殿下と共にその力について調べよう。……カイゼルは、信用できそうか?」
お兄様は、1度目にカイゼルが私を断罪する側にいたことを気にしているのだ。
私も彼を信じると最初に決めたものの、恐怖が全くなくなったわけではない。
それでも。
「カイゼルは大丈夫だと思うわ。どうしてと言われてしまうと困るけれど……」
私の言葉に応えたのはテオドール殿下だった。
「エリアナ嬢が信じると決めたなら、私も彼を信じよう。もしもその結果何があっても君のことは私が守るよ。だから君は君の信じるようにやってみてくれ」
咄嗟に返事を返すことができなかった。
殿下の真剣な目が物語っている。これは、最大級の信頼だ。
その信頼は、私が聖女だと分かったからかもしれない。それでも、お兄様をはじめ味方がいなかったわけではないとはいえ、1度目に敵だらけの中誰にも信用されず、誰のことも信用できなかった私には痛いほどの喜びだった。
「テオドール、少し近くないか?エリアナ、もちろん私もお前を守るよ!」
お兄様が慌てて私と殿下の間に割って入る。
そのあまりの勢いに、思わず殿下と目を見合わせて笑ってしまった。
温かい気持ちのまま、笑いあいながらテオドール殿下の執務室を後にした。
殿下もそのまま少し出かけるというので、お兄様と私と3人で。
深刻な事態であることは確かだけれど、絶望する暇はない。笑って、強く、抗うんだ。
これからすべきことに一層身が引き締まる思いになるとともに、心強い味方の存在に安心感を覚えていた。大丈夫。何があっても今度こそ私は戦える。そんな風に思える。
だから、そんな私たちの姿を、遠くからジェイド殿下が複雑な表情で見つめていたことには、全く気が付いていなかった。




