聖女とは、何か
本日2話目
「初めまして、僕はマクガーランド王国第二王子、ジェイドです」
にこやかに首を傾げこちらを見つける王子様。
輝く金色を、子供ながらに美しいと感じたのを覚えている。
「お初に目にかかります第二王子殿下。リンスタード侯爵家が娘、エリアナ・リンスタードと申します」
王子様は自分より丁寧な挨拶で返した幼い少女に少しだけ驚いた顔をして、続いて顔を少し赤く染めさっきよりも強く笑みを浮かべた。
「君はもう立派な淑女だね。僕のことはジェイドと呼んでほしい」
「ジェイド様…」
「うん。その方がいいな。僕と君は今日から婚約者となるのだから」
その言葉を聞いた小さな自分が嬉しそうに笑う。
どうやらこれは、今私が見ている夢らしい。ジェイド殿下と初めて婚約者として顔を合わせた時の夢だ。
この数日前に開かれたジェイド殿下の婚約者を探す王妃様主催の茶会。
他国との政略結婚が必要ないと判断され、家柄やある程度の本人の資質などを考慮された同じ年頃の貴族令嬢が集められ、「この中からならどの子を選んでもいい」と王妃様に言われていたジェイド様。幸運にも、選んでくださったのは私だった。
王子妃になりたいなどという大それた願望を持っていたわけではないものの、やはり絵に描いたような本物の王子様に望まれるのは嬉しかった。
ジェイド殿下はいつだって私に優しく接してくださったし、自ら望んだだけあって私に好意を持ち、とても大事にしてくださっていたように思う。
小さな私とジェイド殿下が王宮の庭で仲良く並んで遊んでいる。
王妃様が管理されているバラ園を手をつないで歩き、私が「綺麗…」と思わず感嘆の声を漏らした赤いバラを帰りに小さなブーケにして持たせてくれたのを思い出す。
喜び、幸せに笑み崩れた私の頬に、そっとジェイド殿下が唇を寄せた。
顔を真っ赤にした私を甘い表情で見つめるジェイド殿下と、微笑まし気に見守る周囲の大人たち。
小さな頃からずっと、こんな風に一緒に過ごしてきて、誰が好きにならずにいられるだろうか?
少なくとも、私は好きにならずにいられなかった。
夢のシーンが変わる。
「エリアナ、私のエリー。こっちをむいて」
「ジェイド様…」
小さな頃からその美しさを違えない王妃様のバラ園の中で、ジェイド様が私の頬と腰に手を添えて甘く微笑みかけている。
これは学園に入る少し前だろうか。
「あと3年待って君が学園を卒業すれば、やっとエリーと結婚できるね。早く君と一緒に暮らしたい」
「ジェイド様ったら…」
「本当だよ。エリー、私はもう君がいないと生きていけない。君を婚約者に望んだ幼い頃の自分を褒めてやりたいよ」
「あっ…」
ジェイド殿下は腰に回した腕に力を入れて私を強く抱きしめると、そのまま私の頬をするりと撫で、唇に触れるだけのキスを贈ってくれた。
「愛しているよエリー。ずっと私の側にいて」
「もちろんですわ…私もあなたをお慕いしております」
甘く見つめあって愛を交わす私たち。護衛と侍女は気を利かせてバラ園の外で待機している。2人の世界だ。この頃の私は、殿下の愛を疑ったことすらなかった。
殿下を心から愛していた。本当に、幸せだった。
だが、夢ですら幸せなままではいさせてくれないらしい。
後ろを振り向く。
さっきまで私とジェイド殿下がいたバラ園に、デイジーが立っている。
デイジーが笑顔で振り向くと、そこにジェイド殿下が現れた。
2人はかつての私と殿下以上に幸せそうに微笑みあい、身を寄せて何かを囁きあっている。
声までは聞こえない。現実でもそうだった。
嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だっ。
現実では私はここで耐えきれずに立ち去った。
けれど非情なことに、今はこの光景から目が逸らせない。
これはただの夢?それとも現実でも起こったこと?
ジェイド殿下はそっとデイジーを抱き寄せ、優しく唇を寄せる。
たまらず私の目からは涙がこぼれた。
上手く息ができない程、胸が苦しい。
どうして?あんなに愛していると言ってくれていたのに。
早く結婚したいと言ってくれていたのに。
私を選んでよかったと、自分は幸せ者だと言ってくれたのに。
あそこは、私の居場所だったはずなのに。
私には、あなただけだったのに……。
思い出の中で私に向けてくださった笑顔が、ひび割れたガラスのように粉々に砕けていく。
いつの間にか私の周りに集まっていた護衛や侍女が私を哀れむような目で見ていた。
王妃様が失望したように私から視線を外しその目を伏せる。
お母様は涙を流し、お父様はお母さまを慰めている。
お兄様はまるで私が悪いのだとでもいうようにこちらを厳しい目で見つめ、その向こうにはカイゼル、リューファス様、エドウィン様が立ちはだかっている。
私を囲むように立つ皆の向こうで、いまだに抱きしめあったままのジェイド殿下とデイジーがこちらを見て楽しそうに笑った。
「お前との婚約は破棄する。お前のことなどもう愛してなどいない。いや、愛していたと思っていたことさえ気の迷いだったようだ」
笑いながらジェイド殿下が吐き捨てる。
ああ、あなたは思い出を大事に胸に抱くことさえさせてはくれないのですね……。
絶望に打ち震えたその瞬間、気が付けばその場には誰もいなくなっていた。
ふと、向こうから誰かが歩いてくるのが見える。
辺りは暗く、静寂だ。
顔の見えない誰かの足音だけが響いている。
足音は、私のすぐそばまで来て止まった。
「聖女とは、何か」
誰かが呟いた瞬間、モヤが晴れたようにその表情があらわになった。
「聖女とは何か。考えるんだ」
「何を言って…?」
「考えて、エリアナ。君は考えなくてはいけない」
真剣な瞳に射抜かれて何も言えなくなる。
私に訴えかけるのは、顔を合わせたことすら数えるほどしかない、テオドール第一王子殿下だった。
「考えるんだ、エリアナ。そして、私に会いに来て……」
何を考えるというの…?
そう尋ねようと口を開きかけた瞬間――。
「エリアナお嬢様!!!!!!」
はっと目を開けると、私を覗き込むリッカの焦った瞳と目が合った。
リッカは安堵したように息を吐く。
「大丈夫ですか、お嬢様……ずっと苦しそうにうなされておりました」
「私……」
「お嬢様は気を失ってから熱を出し、ずっと寝込んでいらしたのですよ。お身体はどうですか?」
「そうね、体は辛くないわ……」
それはよかったと頷いたリッカは、お医者様とお父様、お母様を呼んでくると言って部屋から出ていった。
ふと自分の手を見つめる。指先が冷えて微かに震えていた。
どこまでが夢で、どこまでが現実かが分からない。
学園に通ったはずの3年間も、婚約破棄も、全てが悪い夢だったのか?
混乱する頭に、そんなわけがないと、胸の痛みが告げている。
「聖女とは、何か…」
疲れ果てた心の中に、夢の中で聞いたテオドール第一王子殿下の言葉が響いていた。