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婚約破棄、そして

 

 突然だった。エスコートを断られた時点で嫌な予感はしていた。

 3年間通った学園の卒業パーティーでそれは起こった。


「エリアナ・リンスタード侯爵令嬢!お前との婚約を破棄する!デイジーに対するお前の残虐非道な行為は全て把握している!己の愚かな行いを後悔するがいい!」


 呆然とするってこういう感覚なんだわ。

 私はその瞬間、現実逃避のようにそんなことを考えていた。


 目の前で憎悪を隠しもせず、厳しい視線を私に向けるジェイド・マクガーランド第二王子殿下。

 彼は私の婚約者だ。いえ、もう婚約者だった、と言うべきなのだろうか。

 これは最近見慣れた表情。今更驚きもない。

 殿下に代わりエスコートしてくださったランスロットお兄様の、私を支える手に力がこもったのが分かった。


 負けてはならないと、俯いてしまわぬよう顔を上げる。


「残虐非道な行為、とは?」


「しらばっくれるのか?聖女であるデイジーの貴族としての身分が低いからと、随分と虐げてきたようじゃないか」


 ジェイド殿下の側には側近のカイゼル、リューファス様、エドウィン様が控えていた。

 殿下の言葉を合図に、神経質そうなエドウィン様が前に進み出て、「残虐非道な行為」とやらを一つずつ上げ連ねていく。ただし、私には全く身に覚えのないことばかりだ。

 騎士らしい体つきのリューファス様は苦々しい顔でこちらを睨みつけている。

 カイゼルだけは少しだけ不安そうに見えた。



「まあ、ついに殿下はご決断なさったのね」

「まさかこんな場で破棄を申し渡すとは思わなかったがな」

「ほら見て、エリアナ様はこんな時でも表情を変えられないわ」

「さすが、悪役令嬢と言われているだけあって酷いものだな」



 殿下の突然の暴挙に驚き戸惑う声とともに、そんな囁きもあちこちで聞こえる。

 悪役令嬢?冗談じゃないわ。本当に好き勝手に言ってくれている。


 それは私につけられた不名誉なあだ名である。

 発端は長く大流行している恋愛小説。

 その小説は身分の低い男爵令嬢が聖女の力を覚醒し、その国の王子妃にまで上り詰める所謂シンデレラストーリー。そしてその小説が流行り始めるとともに、主人公の男爵令嬢に嫉妬し虐め抜く王子の婚約者が悪役令嬢と称され話題になったのだ。


 私は、まるでその悪役令嬢のようなのだとか。

 嫉妬で虐め?そんなことするものですか。見くびらないでいただきたいわ。


 ちらりと、ジェイド殿下の後ろに隠れるように寄り添う人物を見やる。

 デイジー・ナエラス男爵令嬢。柔らかな茶髪に桃色の瞳の愛らしい容姿。エメラルドのネックレスとイヤリング、淡い緑のドレスには金糸で鮮やかな刺繍が施されている。金髪に翡翠色の瞳を持つジェイド殿下の色を全身に纏っているのだ。寵愛がその身にあるのは言うまでもない。彼女は最近神殿に聖女認定されたと話題の人物である。そう、例の小説の主人公のように。


 この国は愛の女神アネロ様を信仰している。アネロ様は一途な愛と誠実を好むと言われていて、そのためこの国は高位貴族や王族であっても一夫一妻制だ。

 それなのに、そんな国の婚約者のいる王子と、女神の使者とされる聖女がこの有様なのである。


 彼女は今ジェイド殿下の腕に絡みつき、全身で怯えを表すように小柄な体を震わせていた。


「エリアナ様!罪を認めて謝罪してください!でなければ……あなたは処刑されてしまうわっ!」


 デイジーは愛らしいと評判の顔に涙を浮かべて訴えてくる。

 処刑。なんの罪で私を裁くつもりなのかしら。

 予想以上の事態に焦るべきなのかもしれないけれど、逆に心はどんどん冷えていく。

 少し離れた場所に立ち尽くす、同じ学園の生徒であり神官見習いのミハエルは祈るように両手を胸の前で組み、ぶつぶつと何かを呟き続けている。

 あまりの虚しさに思わず少し笑ってしまうと、視界に映るジェイド殿下が少し驚いたような顔をした。

 ただし彼は、愛する少女のその顔が、自分の陰に隠れた瞬間歪んだ嘲笑を湛えたことには気づかない。


 彼女のその表情を見た瞬間、苦しいほどの感情が私の体を駆け巡った。


 殿下の愛を失った辛さ?裏切られた虚しさ?それとも醜い嫉妬かしら?

 いいえ、これはそんなものではない。


 メラッ……



 湧き上がったのは、静かに揺らめく炎の様な感情。

 暗く怪しく輝く、赤いそれよりもずっと熱い、青い炎のような。


 それは―――悲しみと怒りだった。

 こんなに強くて静かな感情が自分の中に眠っているなんて思いもしなかった。

 これまで積み重なった悲しみも全て溢れ出して、強い怒りの炎が私の心を燃やしていく。



 愛していたのに。

 愛していると言ってくれていたはずなのに。

 いつから私を見る目が変わっていってしまったのだろう。


 殿下の冷たい目が、私がこれまで大切に育ててきた愛を、信頼を、無意味なものに変えていく。



「もういい!衛兵よ、この女を牢へ連れていけ!!」


 罪状を認めず、謝罪する気配のない私に痺れを切らした殿下が大声を上げる。


「まさか!っエリアナ!こんなっ、こんなことが許されるわけがない!!」


 兵に引き離されたお兄様の悲痛な声が響く。

 乱暴に腕を掴まれ連行されながら、さすがに込み上げてくるものがあった。とうとう我慢できず、涙が零れていく。

 私に手を伸ばそうとしたお兄様も兵に組み敷かれていくのが見えた。



 どうして?私が何をしたというの?



 涙に濡れた視界の中で、相変わらずこちらを睨みつける殿下と目が合った。

 あんなに一緒にいたのに、どうしてこうなってしまったのか分からない。


 その光景を最後に、暗い暗い闇の中に吸い込まれていくように私は意識を失った。

 頭の奥底で、ずっと誰かが私の名前を叫んでいるような気がした。



 *********




「どうしてなの!!!!!」


「はい!申し訳ございません!!!!」



 え?


 がばりと飛び起きた私の目の前には平伏する頭。

 混乱していて夢見心地のようにぼーっとするけれど、よく見ると侍女のリッカである。どうやら私が寝ていたのは牢ではなく、自室の寝台の上だった。


 どうしてリッカが?私はあの後どうやって邸に帰ってきたのかしら?

 あの後はどうなったの?お兄様はどうしたのか…。

 少なくとも、処刑は行われていないようだ。私は何もしていないのだから当たり前だけれど。


「ごめんなさい、リッカに言ったのではないのよ。寝起きで混乱していたみたい」


 とりあえず、縮こまり頭を下げ続ける姿に申し訳なく思い優しくそう告げると、ほっとしたように顔を上げるリッカ。

 あら?なんだか…違和感が…。


「お嬢様…随分うなされておいででした」


 なんだかリッカが…少し若い?


「……私、随分眠っていた?」


「はい、入学式まで随分と忙しくされていたのでお疲れだったのでしょう」


 こちらを労わる様に微笑みかけてくれるリッカ。

 ちょっと待って、入学式?

 だって、学園の卒業式で、私は謂れのない罪で断罪されて、婚約破棄を突き付けられて…。

 ばくばくと大きな音を立て始めた心臓を誤魔化すようにシーツをぎゅっと手繰り寄せる。



 まさか、時が…巻き戻っている?


「――お嬢様!?」


 混乱の中導き出された答えに、私はもう一度ベッドに沈むことになったのだった。




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