4:被害者
1
西條ヒナタはコーキの同級生である。
ヒナタは明るく、朗らかで、社交的な性格をしており、その上容姿の整った、良い意味でK大学には珍しい美しい女性だった。
コーキがヒナタと知り合ったのは、彼が2回生の時、友人と一緒に自主ゼミを始めたのがきっかけだった。
自主ゼミというのは要するに、学生たちが集まって論文を読んだり、教科書を輪読することで、それなりに勉強もしようと思っている学生はほとんど例外なく何らかの自主ゼミに参加していた。
最初は友人と二人で始めたのだが、二人だけで教科書を輪読するのはとてもきついという事実にコーキたちはすぐに気が付いた。
自主ゼミには教員は参加しない。そのため教科書を読んでいて分からない部分があってもすぐに専門家に質問することは出来ないので、自主ゼミの発表者は普段のゼミ以上に担当する範囲を読み込み、調べ、計算し、分からない箇所を徹底的につぶすことが求められる。そして二人で自主ゼミを回すということは、二回に一度は自分の担当回がくるのである。他の授業や実験、バイトもあるわけで、とてもじゃないが二人で回すのは不可能だった。
その時に、助っ人として紹介されたが西條ヒナタ、その人だった。
コーキはもう一度アパートから出てきた女性に目を向けた。
「ん? どうしたの?」
コーキは思わず目を細めた。
ヒナタは屈託のない笑顔でコーキを見ていた。
ヒナタと出会ったのは全くの偶然である。けれど、これはまたとないチャンスかもしれない。そのチャンスを逃す手はない。
「西條さん、話がしたいのですけど、ちょっと時間ありますか?」
コーキの誘いを美人な同級生は二つ返事で了承した。
「ちょうど暇だから、哲学の道まで散歩にでも行こうかと思ってたんだ。遊びに行くんなら付き合うよ~」
哲学の道はまだ桜が残っているだろう。そして桜以上に人がたくさんいるのは間違いない。
古都の春はどこもかしこも観光客であふれている。
ヒナタはそんな観光客であふれた鴨川沿いから、一つ寺町通り側に入った小さな喫茶店に案内してくれた。
最近、よく喫茶店に入る。
若干お財布が心配である。
なんで喫茶店のコーヒーやケーキは妙に高いんだろう。
「それにしても水上君、こんな可愛い妹さんがいたなんて、意外と隅に置けないねえ」
コーキの正面に座ったヒナタは揶揄う様に言った。
「でもなんで黙っていたの? せっかくなら紹介してくれても良かったのに!」
「なんでって、ゼミで輪読している時にいきなり自分の家族について紹介しだしたら、その方がおかしいじゃないですか。それからみのりは妹じゃありません」
「え、でもさっき『兄さん』って呼ばれてたよ?」
ヒナタは怪訝な表情を浮かべてコーキとヒナタを見比べた。
みのりが口を開く。
「初めまして、西條先輩。七倉みのりと言います。水上コーキの従妹です」
「従妹……あー、従妹かあ。なるほどね~。わたしはいないから分からないけど、そういうのもあるんだ」
ヒナタは納得したように二回首を縦に振った。
「初めまして、わたしは西條ヒナタ、水上君と同じ理学部の三回生だよ! よろしくね!」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
言いながらみのりはヒナタに右手を差し出す。
二人は自然に机越しの握手を交わした。
店員さんが飲み物を持ってくる。
コーキとみのりはコーヒー、ひなたはハーブティーだった。
2
「それで、話ってなに?」
カップを両手で包み込んだヒナタはコーキに尋ねた。
コーキは唇を湿らせた。
さて、どこから話そうか。
もちろんすべてを話すことは出来なかった。
いきなり予言だとか殺人とか荒唐無稽な話をされても、普通は信じてくれないだろう。
だからコーキは、まずは事実から確かめていくことにした。
「いえ、つかぬのことを聞くのですけれど、西城さんはあのアパートに住んでいるのですか?」
「あのアパート?」
「ヴィラ近衛っていう、さっき西條さんが出てきたアパートです」
「うん、そうだよ」
ヒナタはあっさりと頷いた。
「でもなんでそんなことを聞くの?」
ヒナタは不思議そうにコーキを見る。
ヒナタの疑問はもっともだった。
けれど、ここで止まるわけにはいかなかった。
「変な質問を続けてしまって申し訳ないんですけど、202号室に誰が住んでいるか知っていますか?」
「……」
ヒナタはじっとコーキを見る。
コーキは若干の後悔を覚えた。
やはり、いきなりするにはおかしな質問だっただろうか。
それはそうかもしれない。
コーキだって、知り合いからいきなり下宿について根ほり葉ほり聞かれたら多少は身構える。ましてヒナタは女性である。こちらに不純な動機はないとしても、警戒されるのも仕方がなかった。
コーキはせめて出来るだけ誠実な表情を浮かべようと顔を引き締めた。
「ふっ」
突然ヒナタが噴き出した。
「……?」
コーキには意味が分からなかった。
「だって、水上君、変な顔」
いいながらヒナタはコーキの顔を指さした。
コーキは助けを求めるように隣に座った従妹を見た。
「……兄さん、自然にしているのが一番いいので、変にキメ顔を作ろうとしないでください」
「そんなつもりはないんだけど」
「とにんかく、いつも通り何も考えてない昼行灯みたいな顔をしていてください」
なかなかひどいことを言う従妹である。
コーキは若干傷ついたような表情を浮かべた。
「そんな傷ついた子犬のような目で見ないでよ。ごめんごめん」
真顔に戻ったヒナタはコーキに謝り、脱線した話題を戻した。
「それで、なんでそんなこと聞くの? 何か理由があるの?」
コーキはすぐには答えられなかった。
本当のことは話せない。けれど、嘘をつくのも誠実さに欠けるように感じた。
一瞬の逡巡の後、コーキは口を開いた。
「理由はあります。けれど、それを西條さんに伝えるのことは出来ません」
「ふーん」
ヒナタはどう受け取るだろう。コーキは次の言葉を待った。
「……まあ、いいでしょう」
コーキはヒナタの顔を見た。
ヒナタは全てを受け入れる聖母のような慈愛に満ちた目でコーキを見ていた。
ヒナタが口を開く。
「水上君がどうしてわたしの住所を知っているのかは不問に付しましょう」
「ありがとうございま……」
コーキは一瞬頭を下げかけた。しかし、即座に顔を上げた。
今、ヒナタは何と言った?
「西條さん、僕の杞憂ならいいのですが、今、どうして僕が西條さんの住所を知っているかについては不問に付す、みたいなことを言いませんでしたか?」
「え、ああ、うん。そこまで復唱できるならわざわざ確認しなくてもいいと思うけど、確かにそう言ったよ」
若干コーキの勢いに気おされながらも、ヒナタは頷く。
コーキはもちろんヒナタの住所なんて知らない。今、コーキが知っているのは彼女がヴィラ近衛に住んでいるという事だけであり、彼女の住む部屋まではわからない。知っている番号は202号室――不吉な予言がされている部屋だけである。つまり、彼女が言っているところの意味は――
「もしかして、西條さんなのですか……202号室の住人は……?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃん。ていうか水上君も知っていたんじゃないの?」
「知りませんでした……」
コーキは力なく首を横に振った。
「あれ、だったらどうして202号室の住人について知りたがったの??」
ヒナタが不思議そうに首をひねる。
けれどコーキには答えることは出来なかった。それだけの余裕がなかった。
京都に住む百万人の中で不幸を予言された三人の内二人が知り合いだなんて偶然、ありうるのだろうか。
「兄さん……」
みのりの声が聞こえる。
どうやら心配してくれているのだと分かる。
コーキは顔を上げた。
ヒナタはきょとんとした顔で二人を見ていた。
コーキはこれが運がいい事なのか、悪い事なのか考えた。
予言が正しいならば、ヒナタは二週間後に殺される被害者なのだ。