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心理的瑕疵アリ〼  作者: すぐら
二月
2/9

2:予言

 

 1

 

 大学近くの不動産屋は手馴れた様子でてきぱきとみのりの要望を聞き、いくつかの物件をピックアップした。

 みのりは数時間かけてアパートを見て回った。

 コーキから口を出すことなんてほとんどなかった。

 彼女が候補として選んだ物件は、どれもそれほど大学から離れておらず、寂れた場所というわけでもなく、セキュリティもしっかりしており、単純に家屋としてみても、コーキのアパートの数段上の物ばかりだった。

 最終的に、みのりが候補として残したのは、大学に面した通りにある女性専用のアパートと、もう一つ、大学から自転車で大きな通りを十分ほど行った場所にある、新しくできたばかりの1LKのアパートの二件だった。

 

「兄さん、どっちがいいと思います」

「僕は大学から近いのが一番いいと思うけど」

「でもリビングがあるんですよ? つまり実質二部屋です。家賃も手ごろだし、うーん」

 

 獣のように唸るみのりを前にして、コーキと応対してくれていた若い男性店員が互いに苦笑いを浮かべた。まだ会って数時間ほどだが、彼はみのりとコーキに親近感を抱いてくれたようだった。

 

「お悩みでしたら、一日くらい押さえておくこともできますよ」

 

 だしぬけに男が言った。

 

「いいんですか?」

 

 みのりが大げさに問いかけた。店員は人のよさそうな笑みを浮かべて頷いた。

 

「それなら――」

 

 二人は翌日もう一度訪ねると約束して小さなオフィスを後にした。

 

 2

 

「でも悩みますね」

 

 大学近くの軽食屋でパスタを食べながらみのりは本当に困ったように眉根をハの字にした。

 お昼前にケーキセットを食べたのによく食べる。

 そんなに食べたら太るんじゃないかと余計な心配をしてしまう。

 

「兄さん」

「なに?」

「今、何か大変危険なことを考えませんでしたか?」

「いや……特に心当たりはないけど」

「そうですか、それならいいんですけど。ところで困りましたね」

 

 まるでエスパーである。

 もっとも本当にみのりに超能力があるわけないので、単純にこちらの思考パターンを把握されているだけなのだろう。

 あるいは自分が単純すぎるのか。

 もう少しユニークな人間になりたいものである。

 

「うーん、それにしても困りました。どちらか一方に何か明確な欠点とかあればいいのですけど」

 

 みのりはまだ腕を抱えて悩んでいる。

 

「欠点があればいいって、ない方がいいんじゃないの?」

「兄さんは嫌いになる理由が明確な方が好きになったりすることないですか?」

 

 コーキには一瞬みのりが何を言っているのか分からなかった。

 みのりが説明を付け加えた。

 

「特に理由はないのだけれど何となく嫌いだなと感じる人物と、この人のこういう点が嫌いだ、と明確に表現できる人物では。後者の方が好ましいと感じることはありませんか?」

 

 たぶんそんな風に感じるのはかなり特殊な人間なんじゃないかと思った。

 コーキの微妙そうな顔をみのりは「そうですか」とさらりと流す。

 

「でも、どうしましょう。兄さんはどちらがいいと思いますか?」

「僕はさっきも言ったけれど、通学時間を優先すると思うけど」

「つまり女性用マンションの方ですか?」

 

 コーキは頷く。

 大学生の朝は早い。一限目は8時40分から始まる。高校と同じじゃないかと思うならば、それはあまりに浅はかである。一人暮らしの学生の時間に対する感覚はイベントホライズン近傍で静止する時計に匹敵する。大学生にとっての8時40分は、一般人にとっての6時台に匹敵すると言っても過言ではないだろう。

 だから、朝その貴重な時間を少しでも増やせるならば、それに越したことはないと思う。

 

「でもリビング! むぅ~……」

 

 みのりは頭を抱えた。

 まあこれから短くても一年以上は住むことになる部屋である。

 思う存分悩んだらいいと思う。

 この時期ならすぐに埋まるということもないだろう。

 入試の後すぐに下宿を探したみのりはやっぱり正しいのかもしれない。

 

「ていうか、この1LKの方、何かおかしくありませんか?」

 

 しばらくの間うんうんと唸っていたみのりだったが、不意に顔を上げそんなことを言い出した。

 

「おかしい?」

 

 コーキは意味が分からず聞き返す。

 

「この広さでこの家賃は普通あり得ないと思うんです」

 

 コーキはもう一度物件情報を眺めた。

 大学から自転車で10分ほど、市電の駅の近くにあるアパートである。

 近いと言ってもすぐそばと言うほどではないし、うるさくて夜も寝られない、なんて心配もないだろう。

 広さは1LK、南向き、築15年の鉄筋3階建て。

 新築とは言えないが、決して古いわけではない。

 あたりには市バスの停留所があり、スーパーやショッピングモールなど買い物をする場所も豊富である。ついでに言えば京都で最も有名なラーメン街から歩いて5分ほど、そういうのが好きならそれも魅力の一つとして挙げられるかもしれない。

 それなのに家賃は共益費込みで月5万円。

 

「確かにこんなに安い物件には思えない」

 

 これは破格である。

 何か理由があるのではないか、そんな風に思わないでもない。

 

「理由、ですか?」

 

 みのりが尋ねた。

 

「例えば?」

「さあ……分からないけど、想像で言うなら、家賃を取らない分他の部分で節約しているとか」

「他の部分?」

「維持費とか、建て替え費用とか」

「でも、そんなに汚くは見えませんでした」

 

 コーキはみのりの言葉に頷いた。

 確かに先ほど見たアパートはそれほど汚くは見えなかった。

 

「そうだけど、僕たちは建物すべての案内されたわけじゃないからね。実は裏に回ったらすごく汚いのかもしれない」

「それは、まあそうですけど」

「あるいはもっと単純に、何かいわくつきの物件だとか」

「いわくつき……事故物件ということですか?」

 

 コーキは頷いた。

 コーキもあまり詳しくはないのだが、自殺や火事があった物件は事故物件と呼ばれ、一般に家賃が普通の物件より家賃が一割から二割ほど安くなるらしい。

 5万円の二割り増しなら月に6万である。

 自分の住んでいる部屋の家賃や知り合いの話を総合すると、このあたりの学生アパートの平均的な家賃は月4万くらいだと思う。

 6万ならかなり高い部類に入るだろう。

 それならあの設備もそれほどおかしくはないかもしれない。

 

「なるほど」とみのりは一瞬納得しかけたが、それからすぐに首を傾げた。

 

「あれ? 確か、事故物件って契約前に伝えておかないといけないんじゃありませんでしたっけ?」

 

 みのりの指摘にコーキは首を縦に振った。

 事故や事件があった物件は貸す前にその事実を契約者に伝える義務がある。その事実を隠した場合、何らかのトラブルで訴訟に発展した際に、貸主側や仲介業者は法律上の多大な不利を被ることになるのだ。

 

「詳しいですね」

 

 コーキの説明にみのりは感心したように鼻を鳴らした。

 

「ネットで調べただけだけどね……一応、アパート探しの助言を頼まれていたわけだし」

 

 コーキは素直に白状した。

 

「ちなみに事故物件っていう言い方はあんまり正しくなくて、業界用語では心理的瑕疵がある物件というらしいよ」

「心理的な瑕疵ですか?」

「うん、物理的には何の問題もないけれど、心理的には傷がある物件って意味だと思う」

「なんだか面白い表現ですね。まるで建物そのものに心的外傷があるみたいです」

 

 みのりはコロコロと笑い声をあげた。

 

「でも、だから普通はそういう事を隠すような業者はいないと思うけどね」

 

 コーキは話を戻す。

 

「うーん」

 

 みのりはまだ完全には納得していないようだった。

 ふと思いつく。

 コーキはおもむろにポケットからスマホを取り出し、ウェブブラウザを立ち上げた。

 

「兄さん、可愛い従妹と悩んでいる時にスマホですか?」

 

 みのりは批難がましい目でコーキを見る。

 

「違うよ、そうじゃなくて探し物」

「何を探しているんですか?」

 

 みのりの顔がひょいと横からのぞき込んだ。ほのかなシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。コーキはみのりに向かって画面を傾けた。

 

「事故物件登録サイトでちょっと調べてみようと思って」

 

 言いながらコーキはすでに検索窓にその名前を入力し終わっていた。

 検索エンジンが一番上に表示したサイトに接続する。

 ほとんどラグも感じさせず日本地図が描かれたトップページが開かれた。

 日本地図にはあちこちに火のマークが描かれて、その下に数字が書かれている。

 

「えっと、これってどうやって見るんですか?」

 

 みのりが問う。

 コーキにとっても、初めて見るサイトだったのでよくわからない。

 

 ページの一番上の欄にはまずサイトについての注意書きが書かれていた。

 曰く、


『このウェブサービスは事故物件の情報について会員登録した方が自由に登録・編集できるサービスです。本サイトに関するご要望は……』

 

「つまり Wiki みたいなものなんですね。こんなサイトがあったなんて」

 

 感心と呆れの入り混じったみのりの言葉を聞きながら、とりあえず日本地図を拡大する。

 関西だけの地図にすると火のマークは各県の上へと別れ、その下に書かれた数字も小さくなった。

 火の数字は大阪が一番多く、次いで京都、兵庫と続いている。

 おそらくその数字が、各県で登録された事故物件の数なのだろう。

 コーキは一気に大学近くまで地図を拡大した。

 大学周りにはぽつぽつと火のマークが散らばっていた。

 その一つをタップすると、ポップアップウィンドウが開いた。

 ポップアップウィンドウには次のようなものが書かれていた。

 

 ******************

 * 平成28年5月25日     *

 * 京都府京都市左京区○○町△△ *

 * 死体発見           *

 ******************

 

「つまり、これがその物件で起こった事故ってことですか?」

「たぶん」

「こんなサイトあるんですね……あ、兄さんはこれにさっきの物件が登録してあるかを調べるということですね?」

 

 みのりはやっと合点がいったという様に頷いた。

 

 コーキは地図をスクロールした。

 大学から自転車で十分ほどにある、一条寺の学生街にはいくつかの火事マークがついていた。

 

「見たところ、それらしいマークはなさそうですね」

 

 みのりの言葉にうなずく。

 確かに先ほど見た物件そのものにはマークはついていないようだった。念のために付近の火事マークをタップする。火事、自殺、孤独死、さまざまな家の悲劇が登録されている。

 なんだか不思議な感じがした。

 こんなにもたくさんの事件がこの町で起こっている。それなのに、自分はその一つとして知らなかった。もちろんそれは誰だって同じなのだけれど、だからこそより一層不思議に思えた。

 付近の火事マークをざっと調べ、渡された資料の名前がないことを確認する。

 

「うん、やっぱりさっきの物件は大丈夫そうだ」

「どうやらそうみたいですね……ね、兄さんのアパートはどこですか?」

「え? ああ、僕は大学のすぐそばだけれど」

 

 コーキは地図をスライドし大学の周りを拡大する。

 コーキは大学沿いの白川マンションという学生アパートに住んでいる。

 当たり前だがコーキのアパートには火事マークはついていない。

 

「ちぇ、がっかりです」

 

 みのりは残念そうに眉毛を曲げた。

 怖いことをいう従妹だな、とコーキは思った。

 みのりは付近の火事マークを適当にタップした。どうやら事故物件に興味を持ったらしい。

 その一つをタップしたとき、みのりは「あれ?」と声を上げた。

 

「どうかした?」

 

 コーキが問う。

 

「これ、見てください」

 

 そう言ってみのりは画面をコーキに向けた。そこにはまた一つ、コーキの知らない悲劇が表示されている。

 

 ****************************

 * 平成32年2月27日               *

 * 京都府京都市左京区○○町×× Xマンション201 *

 * 死体発見                     *

 ****************************

 

 それはこのウェブサイト上ではありふれた悲劇だった。

 

「これ、おかしいですよ」

「何が?」

 

 みのりが言っていることが分からずコーキはみのりに問い返す。

 

「だって兄さん、日付」

「日付?」

 

 平成32年2月28日。

 

「あ」

 

 やっとみのりが言っている意味が伝わった。

 平成32年2月28日。

 それは、今日のことだった。

 つまり、今日起こる事件がすでに登録されているということになる。

 

「確かに、これは少し変かもしれない」

 

 コーキはみのりに同意した。

 

 このウェブサイトは一般のユーザーが情報を登録できるようになっている。

 ということは恐らく、このサイトに載っている事故物件の情報は、おそらく事故があった物件付近に住む住人や、ニュースや新聞で事件を見た第三者が登録しているのだろう。

 だとしたら、今日起こった事件の事故物件がすでに登録されているというのは少し変だ。

 いくら何でも早すぎる。

 もちろん、世の中には信じられないくらいの暇人というのがたくさんいるので、絶対にありえないとは言い切れない。

 が、しかし――

 

「ねえ兄さん」

「何?」

「この物件、見に行きませんか?」

 

 コーキは驚いてみのりを見た。

 そんな野次馬根性みたいなもの、みのりには似合わないと思った。

 しかし、違った。

 みのりはひどく不安そうな顔をしてコーキを見返した。

 

「なんだか嫌な予感がします」

 

 それは冗談でも何でもなく、本当に何かを心配している顔だった。

 

 別に、行く理由なんて何もない。

 こんなのただの悪戯だとしか思えない。

 けれど、ことさらに行くことを拒む理由も持っていなかった。

 コーキたちはアパートを訪ねてみることにした。 

 

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