第一層 ⑦
小さな密室にラスボスを目の前にして大量のモンスターに囲まれたシンニュウシャ。普通の冒険者ならここで意気消沈して両手を上げて降参するだろう。
しかし今俺の目の前にいる彼は違った。何せ異世界最強のドラゴンである俺を目の前にしながら決死の突撃をしてくるほどの命知らずなのだ。
こんな状況でも彼はさらさら諦めるつもりはなさそうということは、俺は事前から予想していた。
そしてこうなれば、シンニュウシャは今大きな選択を迫られていることだろう。
――このままダンジョンマスターへ斬り込むべきか…
――それともモンスターの軍勢を迎え撃つべきか…
しかしその答えはおのずと一つしかない。
なぜならもし「モンスターの迎撃」を選択したならば、彼はその背中を異世界最強のドラゴンに対して向けなければならなくなってしまうからだ。
「うらあああ!! 貴様を倒して、道を拓く!!」
やはり予想通り俺に向けて突進してきた。
俺も大きく翼を広げて彼を迎え撃つ構えをする。
「ガオオオオ!!!」
俺は雄たけびをあげて気合いを入れた。
もちろんシンニュウシャが怯むことはない。それどころかさらにアドレナリンが分泌されて、わずかに残った恐怖心や戸惑いを遥か彼方に吹き飛ばしたことだろう。その証拠に彼の目はさらに燃えている。
俺とシンニュウシャの距離はあと五歩。
鈍足のゴブ男やスラきちはそこから遅れること三歩といったところか。もちろん彼らがシンニュウシャの背中に追いつくその前に、シンニュウシャは俺に剣を振りおろしてくるだろう。
だがそれでいい。
なぜなら俺の体は鋼鉄の黒い鱗に覆われており、シンニュウシャの攻撃を受けてもダメージはほとんどないのだから…
ただし固い鉄剣で殴られるその痛みが俺の痛覚をダイレクトに刺激することになる。
つまり、ものすごく痛い。
しかしその痛みに数回だけ俺が耐えしのげば、ゴブ男とスラきちが彼の背中を容赦なく襲いかかることになる。つまりその瞬間、俺たちの勝利は決まるのである。
これぞ『肉を切らせて骨を断つの計』!
痛いのは嫌だ!
だが耐えねばならぬ痛みがあるなら今がその時だ!
そう俺は決意を固めると、腹に力を込めてその時を待ちかまえていた。
しかしそんな俺の覚悟が伝わったのだろうか。
今まで黙って戦況を見つめていたカルロッテが甲高い声を俺の頭の中へ響かせてきた。
――タケト! 何をぼーっとしてるのじゃ!
しかし俺はその声に答えず歯をくいしばる。
以前はその攻撃を一撃くらっただけでギブアップした。今回は最低でも三発は耐えねばならないだろう。
それでも俺は耐えてみせる!
あと三歩――
よくよく考えてみれば、まさか自分が痛い思いまでして誰かの為に体を張るなんて思いもよらなかった。
そもそも誰かの為に必死になったことなんて、過去にただの一度もなかったことだ。そんな俺が今ここまで覚悟を固めているのはなぜなのだろう…
自分でも自分が分からない。
それでもはっきりしている事が一つだけあるんだ。
俺は今、誰かに頼られている。
そしてその期待に応えてやりたいと願う自分がいる。
たったそれだけで目玉が飛び出してしまうような痛みに耐え抜く理由になるのだろうか…
あと二歩――
いよいよその時が迫ってきた。シンニュウシャは「うぉぉぉ!!」という雄たけびとともに剣を高く振りかぶる。俺はぎりっと歯ぎしりをした。
…その時だった…
――モンスターどもぉ!! タケトを助けるのじゃぁ!!――
なんとカルロッテの声がなんとダンジョン中に響いてきたのだ。
もちろん彼女がその場にいるわけではない。
しかしその声は確かに『生の声』となって、ダンジョンの中にいる全員の耳に届いたのだった。
「なんだ!?」
ピタリとシンニュウシャの足が止まる。
その次の瞬間であった。
――ガキィィィン!!
と、高い金属音が響き渡った。
それはなんとゴブ男の一撃だった。
先ほどまでシンニュウシャの三歩ほど背後にいたはずのだが手にした刃を振り下ろしたのである。
一瞬のうちにその間合いをつめて…
それをなんとか受け止めたシンニュウシャ。しかしゴブ男の強烈な一撃に「ぐはぁ!!」と派手に吹き飛ばされていった。
「ば、ばかな…」
すぐに体を起こしたシンニュウシャは口から出た血を拭いながら顔を青くしている。
一体全体何が起こったのか…
突然のことに全く状況がつかめないのは、シンニュウシャも俺も同じであった。
そしてゴブ男とスラきちの方に視線を向けた俺の目は大きく見開かれてしまったのだった。
その驚くべき光景とは…
ゴブ男が明らかな変貌を遂げていたのだ…
しかも全員…
筋骨隆々のたくましい肉体はまるで彫刻のようで、その背もシンニュウシャのそれを遥かに上回っている。
そして、ゴブ男だけではない。スラきちもまたその姿を大きく変えていた…
金色の体はまるでダイヤモンドのように光沢を放ち、見た目からして凄まじく硬質であることが分かった。
俺は急いで水晶を覗き込み、彼らの状態を確認した。
すると…
『スーパーゴブリン・真(レベル65)』
『ゴールドスライム・極(レベル64)』
となっているではないか!!
「ぎゃおおおお!!?」
ど、ど、ど、どういうことだ!?
一体何が起こったのだ!?
こんなのありえないだろ!
しかしありえるとするならば、カルロッテのあの叫び声。あれがきっかけとなってゴブ男とスラきちが超強化されたとしか思えん。
まさかこれが女神の力というやつか…
ところがよくよく考えてみれば、冴えない社畜を異世界最強のドラゴンに変えてしまうくらいの力を自分で体感したではないか…
まじか… 女神の力、恐るべし…
しかしその直後、俺はとある事に気付いた。
――最初からこの力を使っていれば、どんなダンジョンを作ろうがいとも簡単にシンニュウシャなど撃退出来たじゃないか…
なぜ最初からそれを使わない!?
そんな疑問が浮かぶと、ふつふつと怒りが湧いてきた。
『誰かの為に…』なんてちょっとセンチになっていた自分が恥ずかしい。
この十二日間の血のにじむような努力が虚しい。
ご都合主義過ぎるだろ、この超展開は!
おのれぇ~! あの落ちこぼれちびっこめ~!
怒りのバロメーターがぐんぐんと上がっていくと、自分でも気付かぬうちに口の中に灼熱の火の玉が収縮していく。今それを口から吐き出せば山どころか大陸ごと吹き飛ばせそうだ。
と、その時。
「くっそ! こんなのずるすぎるではないか!」
と、ようやく立ち上がったシンニュウシャが自分の十倍以上のレベルのモンスターたちに向けてほえた。
うん、俺もその意見には賛同する。
しかしそれは負け犬の遠吠えのようなもので、スーパーゴブ男とゴールドスラきちが意に介するはずもない。
じりじりとシンニュウシャとのモンスターたちの距離が縮まっていく。
すると「ちくしょう! 今は勇気ある撤退だ!!」と、シンニュウシャは吐き捨てるように大声をあげた。そして扉に向けて一目散に駆け出した。
バハムートの俺を前にしても怯まなかった彼なのにスーパーゴブ男とゴールドスラきちの集団にはびびったらしい。ますます俺の必要性が薄れている気がする。
そうこう考えているうちにシンニュウシャは扉を「バンッ!」と荒々しく開けると、
「覚えてろよ! いつか強くなったらこの雪辱を果たしてやるからな!」
と、分かりやすい捨て台詞とともにこの部屋を去っていったのだった…
しかし彼は致命的なミスを犯したのを気付いていなかったのである。
彼が去っていったのは…
ダンジョンの入り口の方へとつながっている扉ではなくモンスターたちが控えていた部屋へとつながる扉…
つまりそこは袋小路…
そして無情にも彼の背中を追ってスーパーゴブ男とゴールドスラきちたちはその部屋へとなだれ込んでいった。
人間誰しも失敗の一つや二つするものさ。
俺は哀れなシンニュウシャにそっと手を合わせた。
そしてそのわずか数分後…
――ぎゃあああああ!!!――
という彼の叫び声によって全てが決着したのだった――
納得はいかない、納得はいかないが結果としては…
『第一層』
ク リ ア !!