第二層 ⑩
ーーミャアーー
それはまさにシンニュウシャが俺の待つ部屋へとつながる扉に手をかけようとしたその時のことだった。
一匹の猫の鳴き声が辺りに響いてきたのである。
「まさかっ!?」
俺の脳裏に嫌な予感がよぎる。
そして急いで水晶でその猫の存在を確認した。
オレンジ色の綺麗な毛並みにしなやかな身のこなし…
それはまぎれもなく…
ーーミャアじゃねえか!!ーー
あいつ!
こんなところで何してやがる!?
そして俺は天井を見上げて声をあげた。
「おいっ! カルロッテ! 聞いてるんだろ! なら教えてくれ! なんであいつがここにいるんだ!?」
すると幼女のノンビリとした声が頭に直接響いてきた。
ーーなんでもタケトの勇姿を間近で見たいそうじゃ
「待て待て! 万が一ダンジョン内で何かあったらどうするんだよ!?」
ーー大丈夫じゃ! 何かありそうならその時点で『リタイア』すればいいではないか!
「おいっ! そう簡単に言うなよ! あと7日しかないんだぞ!」
ーー何を言っておるのじゃ? あと7日もあるではないか? そんなことより目を離してよいのか? シンニュウシャがミャアの目の前までやってきたぞ
そんなこともこんなこともよくないに決まっているだろ!
もしミャアの身に何かあってみろ…
ダンジョンどころか俺たち全員木っ端微塵にされるぞ…
戦神に…
俺は急いで水晶の方へと注意を戻す。
するとそこにはミャアの目の前に立つシンニュウシャの姿が飛び込んできた。
「こんなところで何しているんだい? この先には世にも恐ろしいモンスターがいるんだ。早くここから離れた方がいいよ」
そうそう、その通りだ。
いいぞ! イケメンシンニュウシャくん!
さあ、おバカな猫ちゃん、早くお帰り!
俺はここぞとばかりにシンニュウシャを応援する。
すると…
やはりおバカはおバカであった…
ーーフーッ! フーッ! シャーッ!
なんと毛を逆立ててシンニュウシャを挑発しているではないか!
「おいっ! 一体どうなってるんだよ!?」
俺は思わず声をあげる。
すると再び頭の中にノンビリとした幼女の声。
ーーふむ… どうやらタケトのことを『世にも恐ろしいモンスター』と言われて反論しておるようじゃ
待て待て待てぇぇ!
そこ反論ポイントじゃないでしょ!?
いいんだよ、俺は世にも恐ろしいモンスターで!
だってラスボスだよ!? 俺は!
そんな俺の焦りなどお構いなしに、目を吊り上げて怒り心頭のミャア。
今にもシンニュウシャに飛びかかろうとしている。
もし…
もしここでシンニュウシャを襲って、それを防ごうとした彼が手にしている剣で彼女を一突きしたら…
ーー来るっ! 絶対に来るぅぅ!!ーー
戦神が…
まずいっ!
それだけは絶対に阻止せねばならん!
「カルロッテ! ミャアの頭の中に伝えてくれ! 早くダンジョンから出ろと!」
ーーふむ… 何やらただごとではないのだな? よし、ではやってしんぜよう! 特別じゃぞ!
なんかすごくムカつくんですけど。
しかし今はそんなことを言っている場合ではない。
もうこうなれば頼れるのは落ちこぼれの女神見習いしかいないのだ!
しかし…
ーーミャァァァッ! フーッ!
なんかますます興奮し始めてます。
おバカな猫様が…
「どうした!? 何があったんだ!?」
俺はカルロッテにたずねる。
すると彼女の声が響いてきた。
ーーふむ、ここは一歩も譲れぬ、猫の魂を見せちゃる! と申しておるのじゃ
見せなくていいから!
そこは絶対に魂とか見せるポイントじゃないから!
「早く帰れぇぇぇぇ!!」
俺は人間の姿のまま叫んだ。
部屋の外にも聞こえるように…
するとその声に反応したのはシンニュウシャの方であった。
彼はハッとした表情になる。
「まさか…君もあの心優しきバハムーさんと同じように、僕にサヤの元へ急いで帰れと言っているのかい?」
その言葉に今度はミャアがハッとした。
そして甘えるような声で
ーーにゃああん
と鳴いた。
なんだ?
この変わり様は…
ーーどうやらタケトのことを『心優しい』と言われて照れているようじゃ
なぜお前がそこで照れる。
しかしそんな俺の疑問など誰も気にすることもなく話は進んでいった。
「でも…僕にはやらなくちゃいけない使命があるんだ。このダンジョンに巣食う悪の化身を倒して、世界に平和をもたらすという使命が…」
ーーガウッ!! グルルゥゥ!!
あのぉ…動物変わっちゃってますけど。
それ猫じゃなくて犬の威嚇なんですけど。
「なぜだい? なぜ君はそんなに僕に対して怒っているんだい? 君もあの聖人のようなバハムーさんと同じことを僕に求めるのかい?」
――うにゃあ~
「でもいけない! ここの史上最悪なモンスターを倒さねば、サヤにどんな顔をすればいいのか!」
――ギャオオオオ!!
シンニュウシャとミャアの全くかみ合わない不毛なやり取りが延々と続いている。
もういい加減飽きてきた。
そこで俺は最後の手段にうって出た。
それをカルロッテに伝える。
すると能天気な彼女ですらその言葉に戦慄したのだった。
――タ、タケト… 分かっておるのか!? 相手はミャアなのじゃぞ! あのミャアなのじゃぞ!
分かっている。
そんなこと百も承知さ。
しかし男には引けない時だってあるんだよ。
それがかっこいいってやつさ…
俺は静かにうなずく。
カルロッテはそれを俺の揺るがぬ決意と見たのか、早速言葉を発した。
ダンジョン内にいる俺やミャアに聞こえるように…
――ミャア! 今すぐダンジョンから出るのじゃ!
――ニャア!(いやにゃ!)
予想通りのミャアの拒否反応。
しかし…
カルロッテは続けた。
俺の最終手段を伝える為に…
――今すぐダンジョンから出れば、タケトは一つ約束してくれるとのことじゃ!
――にゃ?(なにをにゃ?)
――何でも一つ言うことを聞いてくれると!――
――にゃ、にゃ、にゃおーん!? (にゃ、にゃ、にゃんですとぉ!?)
ミャアの表情が驚愕に変わる。
しかし次の瞬間…
彼女はニタリと笑った――
そして今までの『猫の魂』などどこぞに吹き飛ばし、
一目散にダンジョンの入り口へと駆け出していったのだった。
そしてこの瞬間…
俺は何か大切なものを失った――
きっと今までに味わったことのないほどの屈辱が待ち受けているに違いない。
それでもいいんだ。
だって生きてさえいれば、きっといいことがあるのだから…
遠い目をしてミャアのしなやかなフォームの走り姿を見つめる俺。
…と、その時だった。
――タケト! シンニュウシャがミャアを追いかけておるぞ!
と、カルロッテの甲高い声が頭の中に響いてきたのである。
「な、なんだとぉぉぉ!!」
俺は急いで水晶の視点をミャアからシンニュウシャの方へと切り替えた。
するとカルロッテの言う通り、なんと彼はミャアの背中を追いかけてダンジョンを戻っていくではないか!
なぜだ!?
彼は何を考えているのだ!?
まさかこの期におよんでミャアの息の根を止めるなんて暴挙に出ないよな!
そんなことになったら俺の捨てたプライドはどうなっちゃうんだよ!
しかしそんな俺の心配はどうやら杞憂だったようだ。
彼は息を切らしながらご丁寧に自分の行動の解説をしてくれたのだった。
「も、もしかしたら僕が見落としていたモンスターが潜んでいるかもしれない! ぼ、僕が守ってあげるから安心して!」
なんと、心優しい青年なんだろう。
色々と心が痛むのは、俺がけがれた存在だからだろうか。
しかしそんなシンニュウシャのことなど見向きもせずに、
一心不乱に己の欲望の為だけにダンジョンを駆け抜けていくミャア。
どちらかと言うとミャアの姿を見ている方が気持ちが楽なのは、やはり俺がそっち側の人間だからだろうか…
そして…
ついにミャアとシンニュウシャはダンジョンの入り口まで戻ってきた。
ぜえぜえと息を切らしているシンニュウシャに対して、ミャアは何事もなかったかのような顔をしている。
するとシンニュウシャがミャアに対して、人指し指を立てて言った。
「ひ、一つ… 一つだけいいかな?」
ミャアは猫の姿のままその言葉にシンニュウシャの方へと振り返る。
それを合図にシンニュウシャは彼女にたずねたのだった。
「君はどうしてこんな危険なところにやって来たの? まさか僕にサヤのことを伝える為に?」
その質問に対して、じっとシンニュウシャの顔を見つめるミャア。
そして次の瞬間の光景を見て、俺とカルロッテの二人は絶句した。
「おいっ! あのバカ!!」
――な、なんじゃと!?
なんと…
ミャアが突然白い煙に包まれたかと思うと、
次の瞬間には人間のメイド姿に戻ったのである…
これには流石のシンニュウシャも唖然として口を半開きにしている。
そして彼女はそんな彼に向けて、熱のこもった口調で言ったのだった。
「大事な人が今まさに戦っている。その側にいて見守りたいと思うのは当然のことにゃ!」
「大事な人が…戦っている…」
「そうにゃ! それを知っていて自分のしたいことだけに心を傾けるのは『逃げ』にゃ!」
「逃げ…」
「そうにゃ! それは臆病者のすることにゃ! たとえ大事な人が負けそうになっても側で応援し続けることが出来るのが、本当の強さにゃ!!」
そう言い残すとミャアはそのままダンジョンを出ていったのだった。
なんだか熱弁していたが、結局のところ自分がしたいことをしただけの詭弁に過ぎないことは分かっている。
彼女も問い詰められたから必死に抵抗しただけのことだろう。
俺はようやく一難去ったことにほっと肩を落とした。
そしていよいよ迫るシンニュウシャとの決戦について頭を巡らせようとした。
しかし…
ここであり得ない言葉が飛び出したのである。
シンニュウシャの口から…
「そうか! ありがとう猫さん、そしてバハムーさん! 危うく僕は見落とすところだった! 大事な妹が戦っている。そんな時に側にいない兄なんて…兄として失格だということに!」
えっ…!?
何!? この展開…!
そして…
「ダンジョンに巣食う魔物たちよ! 僕はここで一旦引くが、いつかまた舞い戻ってくる! それまでの間、さらばだ!」
と言い残して…
ダンジョンから出ていった…
「な、な、な、なんだとぉぉぉぉ!!」
――やった! やったのじゃ! タケト!! クリアしたのじゃ!
――にゃあ! やったにゃあ!
そんなバカな…
俺は納得せんぞ! こんな勝ち方!
納得は出来ない…
しかし…
第二層 防衛…
成 功 !




