第二層 ⑥
十四日目――
それはまだ夜が明けるよりずっと前のこと。
――ニャァ…
という猫の鳴き声に俺は薄目を開けた。いや、むしろこれは夢の中のような気もする。
なぜなら体も頭もともに眠りを欲している頃合いで、俺はそれらを動かすことがかなわないからだ。
意識が虚ろの中、俺は立ち上がることもなく、鳴き声のした方に目を向けた。
――ニャァ…
もう一度その猫は鳴く。
その声が妙に寂しげで、俺は無意識のうちに声をかけていた。
「一人でさびしいのか? だったらこっちへ来いよ。藁も敷いてあるし… 外にいるよりは心地いいぞ」
その言葉が通じたのだろうか。
綺麗な毛並みのその猫は俺の真横まで近寄ってくる。遠慮がちなその様子を見て、俺はそっと猫の体を引き寄せた。
すると猫は、俺に体をこすりつけるようにしてその場でくるりと丸まった。
俺は甘えてくるその姿が愛らしくて思わず言葉を漏らす。
「お前、可愛いな」
そしてそのふわふわした毛を優しくなでた。
それが気持ち良かったのか、猫はその可愛らしい顔を俺に向けて目を細めている。
寝ぼけていたということもあるからだろうか…
俺はその顔にゆっくりと顔を近づけると…
優しくその額にキスをした。
――ニャア
静かな夜の中に猫の声が響く。どことなく嬉しそうに聞こえるのは気のせいだろうか。
そしてそれが子守唄のように俺の耳に届くと、再び深い眠りについたのだった――
………
……
朝――
こんなにゆっくりと寝る事が出来たのはどれくらいぶりだろうか。
毎日夜が明けるか明けないかという早朝に目が覚めていた俺だが、この日は朝日がすっかり顔を出してもぐっすりと眠り続けていた。
なぜだろう… こんなに寝るのが気持ちいいなんて、こんな気分は本当に久しぶりであった。
しかしその目覚めは最悪だった。
なぜなら…
「キャアアアアア!!」
というカルロッテのけたたましい叫び声によって目を覚まされたからだ。
俺はガバっと飛び起きると彼女の方と向き合って「どうした!?」と慌てた調子でたずねた。
すると彼女は顔を真っ赤にして「あわわわ…」と言いながら俺の背中の方を指差しているではないか。
まさか今俺の背中に大蛇でもいるのか…!?
俺はただごとではないと確信し、ゆっくりと振返ることにした。
そして…
彼女の指差すものを目にした瞬間…
「のわぁぁぁぁぁ!!」
と、俺も飛びのいてしまったのであった。
そんな俺たちが目にしたものとは…
ミャアの肌もあらわな姿だった――
もちろん小さな下着は身につけている。
しかしその胸と腰を隠す狭い面積の布切れ以外の一切を身につけておらず、白い肌と綺麗な毛並みが大胆にむき出しになっていたのだ。
大きな胸の谷間…
それに綺麗なくびれ…
さらには形のよい腰つきまで…
彼女の全てがあますことなくさらけ出されている。
思わず顔が沸騰したように熱くなる。
そして俺は…
ガン見した。目を大きく見開いて…
なぜなら俺は健全なるオスだからだ!
俺は断じて間違ってなどいない!
しかし、その瞬間…
ギュゥゥゥ!!
と、俺の尻がとてつもない力でつねられたのだ。
「うぎゃあああ!!」
目玉が飛び出るほどの激痛が俺のけがれのないお尻を襲う。
言うまでもなくその痛みをもたらしているのはカルロッテであった。
その小さな体からなぜここまで握力が出せるのか、全く検討がつかないが、とにかく恐ろしい強さだ。
これが女神の力ってやつか…
そして彼女はまさに鬼の形相で俺を睨みつけている。
しかし俺はその視線に負けじと唾を飛ばした。
「痛い! 痛い! おいっ! 俺の可愛いお尻の形が崩れたらどうしてくれるんだよ!」
「うるさいっ! タケトがいやらしい目で見つめているのが悪いのじゃ!」
「仕方ないだろ! 俺だって男なんだから! 悔しかったらお前ももっと大きくなるんだな!」
「な、な、な、なんじゃとぉぉ!! おのれぇぇ! このムッツリ童貞が調子に乗りおってぇ!」
「いたたたた!! やめろって! これ以上やられたらお尻がもげちゃうだろぉ!」
そして俺たちの大声でさすがのミャアも目を覚ましたようだ。
それでも俺たちほど騒ぎたてることもなく、眠い目をこすりながら彼女は穏やかな口調で言った。
「おはようにゃ。はにゃ? 二人ともどうしたのかにゃ? 顔が真っ赤にゃ? 熱でもあるのかにゃ?」
「とにかく早く何か着るのじゃ! 目のあてどころに困るではないか!」
「はいっ! ゴシュジン様!」
元気よく返事をしたミャアは、「ボンッ!」とまた白い煙を立てると次の瞬間には昨日と同じメイド服に包まれた。
それとともにようやく俺の尻が解放される。
チクショウ! もし桃が左右対称じゃなかったらどうしてくれるんだ!
そんな風に思いカルロッテを睨みつけると、彼女もまた俺を睨み返して「フンッ!」と顔をそらした。
こうして新しい一日が始まった。
でもこの時の俺は知る由もなかったんだ。
この日の朝はこれまでで『最悪な朝』となり、俺の尻に大きなアザが出来たくらいは、全くたいしたことはないなんてーー
………
……
朝食前――
ようやくその場が落ち着いた頃を見計らって、カルロッテは高らかと宣言したのだった。
――これから審判を始めるのじゃ!――
と…
俺は全く意味が分からず「はぁ!? なんだよ? 審判の時間って?」と顔をしかめる。
しかし同じく全く意味の分かっていないだろうミャアは「わーい! なんか楽しそうにゃ!」と喜びながら飛び跳ねている。
この温度差のある二人を見比べていたカルロッテは、俺のことを指差して冷たく言い放った。
「タケトがわらわのメイドに対して罪を犯していないか、それを問う審判じゃ!」
「はぁぁ!? 訳分かんねえよ! 俺が猫のメスに手を出したのかって言いたいのか!?」
「では全くやましいことはしていないと、この女神に誓えるのじゃな!?」
「はぁぁ!? 誓うも何も、俺は何もしてねえし! それにお前は女神じゃねえだろ! 見習いだろ! み・な・ら・い!」
するとカルロッテはびしっと俺の方に手のひらを見せる。
「もうよい。タケトの主張はよく分かった。では、それが真実かこれより審議を始める! その上で、この女神カルロッテが審判をくだそう!」
「なんだよ!? 審判って!」
「もしタケトが罪人という審判がくだったその時は…」
「その時は…」
無意味に溜めを作るカルロッテ。しかしその真剣な表情に、思わず俺はゴクリと唾を飲みこんだ。
そして彼女は大きな声で言い放ったのだった。
「その時は朝食抜きじゃ!!」
と。
「ぐぬぬぅ… では俺が無実ならどうなるんだよ!」
「その時は何もなしじゃ。全員がハッピーということでよいではないか」
「おいっ! そんなの不公平だろ! 俺が無実だったらお前が朝食抜きとかじゃないのかよ!」
「タケトは自分が無実なら、わらわにひもじい思いをして欲しい、そう言いたいのか?」
まるで哀れなものを見るような目で俺を見つめるカルロッテ。その瞳に俺はなんとも言えない罪悪感を覚えると、言葉が出なくなってしまった。
そんな俺の手をミャアが両手で握ってきた。
もちろんその手は猫の手なわけだが、肉球が冷んやりとして気持ちいい。
そして彼女は俺の顔に自分の顔をグイッと近づけて言った。
「大丈夫にゃ。ミャアはタケトを信じているにゃ」
ニコッと笑う彼女の顔に、俺はドキンと胸が高鳴る。
おいおい!何をときめいているのだ!俺!
相手は『猫』なんだぞ!
人間ではないのだぞ!
またしても土俵際ギリギリで理性がとどまると、俺は彼女の手を振りほどいてカルロッテに向き合った。
「分かったよ! ここまで疑われて逃げてたんじゃ男じゃねえ! いいだろう! その女神の審判とやらを受けて立ってやろうじゃねえか!」
「うむ、よろしい。では、早速始める」
さあ、かかってきやがれ!
何を聞かれても俺は無実!
それを証明してみせる!
そして…
俺は勝つっ!!!
そう意気込んだ俺はカルロッテからの質問を待ち構えた。
しかし…
彼女はそんな俺のことなど見向きもせず、なんとミャアの方へと顔をを向けたのである。
「では、ミャアに問う。昨晩何があったのか、包み隠さず答えよ!」
「はいっ! ゴシュジン様!」
こうして女神の審判の時間が始まったのだった。
………
……
それはさながら『裁判』のようなものだった。
しかし明らかにおかしいのは、裁判長が検事役もやっているところ。
この時点で、被告である俺は不利だろ!
しかし俺は負けない!
なぜならなんの罪も犯していないのだから!
そしてカルロッテは尊大な態度でミャアに詰問を始めた。
「証言者ミャア! まず問おう! ミャアは昨晩どこへ行っておったのじゃ? 一人で出ていったであろう」
「ダンジョンの方へ行ってたにゃ。もしかしたらベッドが落ちてるかもしれないと思ったにゃ。でもなかったから帰ってきたにゃ」
「そしてわらわたちが寝ている部屋にやってきた…と。その時ミャアは大きな部屋の方で寝ようとは思わなかったのか? わざわざ狭い部屋で三人で寝ようと思うのは不自然極まりないのじゃが」
この質問に俺の頭の中に電気が走った!
ここだっ!!
「異議ありっ!!」
「なんじゃ? 鬱陶しいのう」
冷たいカルロッテの視線をもろともせず、俺はここぞとばかり続けた。
「カルロッテも知っての通り、他の部屋は全て堅い床。そんなところで寝られるわけはない! つまりミャアがこの部屋で寝ていたのはごく自然なことだ! そして寝ぼけた彼女がたまたま俺の隣で横になっていたに違いない!」
「なるほど…」
顎に手をあてて考え込むカルロッテ。
おっ! 早くも俺の疑いは晴れそうだ!
ここはあと一押し…いわゆるダメ押しを…
…と、考えた瞬間であった。
「異議ありにゃっ!」
と、ミャアが右手をピンと挙げて発言を求めたのだ!
おーーーい!!
お前は俺の味方じゃなかったのか!?
何を余計なことをしてくれようとしているのか!
しかし抗議しようとした俺のことなど気にせず、カルロッテはミャアに「なんじゃ? 言うてみよ」と発言を許したのだ。
そして…ここから俺の審議は大きくその流れを傾かせた…マイナスの方へーー
「ミャアは別に堅い床の上でも大丈夫にゃ。だから『おやすみ』を言おうとここにきたにゃ。そしたらタケトに呼び止められたのにゃ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て! その言い方は…」「タケトは黙っておれ! 続けよ、ミャア。その時お主は何か着ておったのか?」
「いや、裸だったにゃ」
「ただし猫の姿でな! それをちゃんと言えよぉ!」
「ミャアは今でも猫にゃ! 立派な猫のメスにゃ」
「いやいやいや! そういうことじゃなくてな…」「もうよい! タケトは黙っておれ!」
「ぐっ…」
こうなるともう引き下がらざるを得ない。
するとますます俺に逆風が吹き始めたのだ。
ミャアの発言により…
「ミャアはタケトに呼ばれて戸惑っていると、タケトは強引にミャアのことを抱き寄せたにゃ」
「つ、つ、続けよ」
「そしてミャアの耳元でそっと囁いたにゃ。『お前、可愛いな』って」
もうこの時には俺の『有罪』は確定しているはず。
カルロッテの顔は爆発寸前まで真っ赤に染まっているではないか…
幼女の彼女にしてみれば刺激が強すぎるのだろう。
しかし彼女はミャアに「…でその後は?」と続きを求めた。
「その後、タケトはミャアの全身を優しくなでてくれたにゃ。すごく気持ちよかったにゃ」
「はあはあ…んでその後、どうなったのじゃ?」
おいおい、すごい誤解を与えてますよー。
それに幼女が興奮し始めてます。
色々とまずいんじゃないか。
そしてミャアはもじもじしながら、恥ずかしそうに決定的な言葉を発したのだった。
「キスしてきたにゃ」
ーードバァァァァァ!
ミャアの発言とともにカルロッテはド派手に鼻血を撒き散らすとそのまま仰向けに倒れてしまった。
「おいっ! 大丈夫か!?」
俺は思わず彼女に手を差し伸べた。
しかし彼女は真っ赤な顔のまま俺の手を払いのけると、大声で言ったのだった。
ーー有罪じゃぁぁぁ!!ーー
こうして俺の朝食抜き…いや、むしろ三食抜きが決まったのだった。
しかし…『最悪な朝』はまだ始まったばかりだったのである。
これからさらに衝撃的なことを知ることになろうとは…この時の俺には思いもよらなかったのだった。
さて…とは言えこの時の俺は飯抜きの仕打ちにがくりと肩を落としていた訳だが、そんな俺にミャアが真横まで寄ってくると耳元でささやいた。
「タケトは温かくて気持ちよかったにゃ。ミャアはタケトとまた一緒に寝たいにゃ。ゴシュジン様にナイショで」
と…
俺はこの時確信した。
この猫は小悪魔であるとーー




