第二層 ③
「うわあ、すごいや!」
シンニュウシャは目の前の光景に、そう感嘆の声を上げた。それも無理はないだろう。薄暗かった1階と比べて、まるで真昼のように明るいリビングのような部屋。床には歩くだけで心地よい絨毯が敷かれ、部屋の真ん中にある大きなテーブルの上には、暖かいお茶が待っているのだから。
あれほど警戒を怠らなかったシンニュウシャであったが、すっかり肩の力を抜いてゆっくりと歩いていく。そして寝室にバスルームも覗いた彼だが、さすがにそれらでくつろぐのは気が引けたようだ。
まあ、普通の神経の持ち主なら、本来の目的を忘れてこんなところでのんびりとしようなんて思わないよな。
しかしあの豪勢な家具の数々は一体どこから持ち出してきたのか…ミャアにちゃんと問い質さないといかんな。
そんな事を考えている間にシンニュウシャは、早くも多くの宝箱が置かれた部屋へと入っていった。
ちなみに宝箱の中には何でも入れることが出来るのだが、それらに入れる為の専用アイテムとして傷ついた体を少しだけ癒すことの出来る『薬草』はいくらでも提供されている。
ひとまず他に入れるものもないので、俺はその部屋にある全ての宝箱に薬草を入れておいた。
そしてシンニュウシャはご丁寧に全ての宝箱に剣を刺して、中にモンスターがいないか確認してから薬草を取り出していったのだった。
おいおい、慎重すぎるだろ…
俺ならバコバコと開けていきながら「ちっ!薬草しかはいってないじゃねえか!」とブーたれているに違いない。
しかし彼は薬草を手にする度に嬉しそうにそれらを袋の中につめていく。そして部屋を出る時に爽やかな口調で言ったのだった。
「おかけでサヤの薬がいっぱい貰えた!どこの誰がここに薬草をいっぱい入れてくれたのか分からないけど、感謝しなくちゃ!」
べ、別に助けた訳じゃないんだから!
たまたま宝箱に薬草以外いれることが出来なかっただけなんだから!
か、勘違いしないでよね!
そして彼は最後に大きな十字架のかかっている部屋へと入っていった。
そこで彼は両膝をつくと、祈りを捧げたのである。
「妹のサヤの病気が治りますように…そして、飼い猫のタマが長生きしますように…神様お願いします」
この部屋には小窓がとりつけられており、その先には俺のいる部屋なのだ。俺はわずかに開けられたその窓から初めてシンニュウシャの横顔を肉眼に捉えた。
水晶からでは全く分からなかったが、かなりのイケメンじゃないか…
なんだか既に色んな意味で負けているような気になる。
そして、目を瞑って、一生懸命に祈りを捧げているその姿は、彼がゴーレムであることを忘れさせてしまうほどの崇高な輝きが感じられた。
それは彼の純粋に家族を思う気持ちが発する光なのだろう。
ぐぬぬ…
なんと涙ぐましい妹想いの青年だろう。
この好青年め!
しかもイケメン。
さらにはモンスターたちに囲まれても一撃必殺の大技を繰り出せるとは…
そんな彼を撃破しようとしているだからまさに悪魔の化身だな、俺。
まあこっちにも、異世界モテモテライフという人生がかかっているのだから、どんなにヒール役になろうとも容赦などするつもりはさらさらない。
そんな俺の野心に満ち溢れた心に水を差すような言葉が耳に入ってきた。
「幼い者を大切にする綺麗な心の持ち主じゃのう… 誰かとは大違いじゃ」
「猫に優しい人に悪い人はいないにゃ… 誰かとは全然違うにゃ」
あいつら俺に聞こえていることを絶対に知っていて発言しているよな!
ええ、どうせ俺は幼女にも猫女にも興味がない、汚くて意地悪い男ですよ!
あ~あ、何だか無性にイライラしてきた。
もうぶっ放しちゃおうかな…
『フレア・ブレス』を。
そんな風に俺の気持ちが荒んできたところに、シンニュウシャの好青年がいよいよ俺の待つ部屋へと恐る恐る入ってきたのである。
「な、なんという大きなドラゴンなんだ…」
俺の姿を見て顔を白くするシンニュウシャ。
俺は胸にたまったイライラをそのまま咆哮に変えて解き放った。
――ギャオオオオオ!!――
「うわあああ!!」
耳をつんざくような轟音に思わずシンニュウシャは後ずさり耳を塞いでいる。
その様子に俺は、とある疑問を抱く。
もしかしたらこのままビビって帰ってくれるんじゃないか!?
と…
――ギャオオオオオ!!――
俺はもう一度爆音を部屋に響かせた。音だけならダンジョンを破壊することはないはずだ。その証に空気はビリビリと震えているが、部屋の壁からは怪しいきしみなどは聞こえない。
そしてシンニュウシャは余程恐怖を感じたのか、耳をふさいだままうつむいて膝を震わせて動けなくなってしまった。
ガハハ! いかに心優しいイケメンであっても強者を目の前にしてビビってたんじゃあ形無しだなぁ!
さあ、ではそろそろ退場していただきますか。
臆病者を相手してやるほど、異世界最強ドラゴンはお人よしではないのだ!
――ギャオオオオオ!!――
俺は腹の底から雄叫びを上げた。
普通の人間なら巨大な漆黒のドラゴンに睨みつけられながら威嚇されただけで失神してしまうだろう。
いかに強い使命感を抱いたイケメンシンニュウシャとは言え、尻尾巻いて逃げ帰っても誰も悪くは言わないさ!
さあ!帰っちまえぇぇ!!
しかし…
俺は目の前の光景に目を丸くしてしまった。
なんとシンニュウシャが剣を高々と掲げて「うらぁぁぁ!!」と雄叫びを返しているではないか!
そして俺の咆哮が終わるとともに彼はキリッと俺を睨みつけて高らかと宣言したのだった。
「僕は負けない!! 妹のサヤと約束したんだ! どんな困難にも立ち向かってみせると!さあ、ドラゴンよ!わが一撃を食らうがいい!」
ぐぬぬぅ!!
所詮俺の咆哮はイケメンシンニュウシャを奮い立たせる為の演出だったというのか!
しかもその宣言までイケメンとは!
これでは完全に俺は悪役ピエロではないかぁ!
俺が歯ぎしりをしている間にもイケメンシンニュウシャはその剣を低く構えながら「いくぞっ!!」というご丁寧なかけ声とともに突っ込んできた。
しかぁぁぁし!!
この瞬間こそ俺が真に待ち望んだ瞬間であった!
ーーギャオオオオ!!ーー
俺は再び咆哮をこだませる。しかし今度のそれは決してシンニュウシャを怯ませることを目的にしたものではなかった。
それは…
カルロッテへのサインだったのだ!
さあ、カルロッテよ!
見せてやれ!
超ご都合主義の展開というやつを!
…………………
……シーン……
…………………
しかし何も起きないではないか!
おい!何をしているんだ!?
わが相棒よ!
まさかこのイケメンシンニュウシャに惚れてしまったんじゃねえだろうな!
すると彼女の焦った声が頭の中に響いてきたのだった。
「あれ? おかしいのじゃ? あの時のような力が湧いてこないのじゃ!」
おいおいおいおい!!
そりゃないぜ!
こうしている間にもイケメンシンニュウシャは大きく剣を振りかぶって、必殺の一撃を俺に浴びせようとしているのだぞ!
「ゴシュジン様! 先生に聞いてみるにゃ!」
「おお! そうであった! ミャア、ナイスじゃ!」
ちょっと待て!
そんな暇ある訳ないでしょうが!
俺食らっちゃうよぉ!
すっごく痛いの食らっちゃうよぉぉぉ!
「うらぁぁぁ!くらえぇぇ!!」
そしてついに…
ーーズバァァッ!!
イケメンシンニュウシャの一撃が俺の腹を斬りつけた!
ーーいってぇぇぇぇえ!ーー
もちろんダメージは皆無。
しかし、痛すぎる!
たったの一撃で意識が切れそうになるほどだ!
「ゴシュジン様…カルロッテ様のスキルが使えない理由を教えてにゃ!先生!」
ーーガシッ!「うぎゃあ!」
「カルロッテのスキルが使えなかった理由の検索結果を読み上げます」
ーードカッ!「ぎええ!」
「カルロッテのスキル『女神の祝福』はスキルポイントを120ポイント消費しますが、彼女の現在のスキルポイントは10ポイントしかございません」
ーーゲシッ!「ぐはっ!」
「昨日120ポイント消費し、本日は10ポイントしか回復していない為になります。次に使えるようになるのは11日後です」
ーーバキッ!「ぎゃっ!」
「おお! さすがは先生じゃ! すべてはっきりしたぞ!」
「よかったにゃあ!」
ーーズバッ!!「うぎゃぁぁ!」
全然よくない!良い訳がないだろぉぉ!
俺は今一方的にやられてるんだよぉぉぉ!
「ということだからタケト! 今回は諦めるのじゃ!」
なんだとぉぉぉぉ!
一昨日はあれほど『諦めるな!己を信じるのじゃ!』とか熱弁してたわりには、自分のこととなると諦めが早すぎじゃねえのか!
しかしそうも言っていられない。
こっちはこっちでもはや限界であった。
イケメンシンニュウシャの方も俺が悲鳴を上げている割にはダメージが通っていないことを不審に思い始めているようだ。
そして彼はいよいよあの大技『ブレイド・スラッシュ』の構えを見せているではないか!
「ここまで僕の攻撃が効かないなら、もうこれしかない!サヤよ!お兄ちゃんに力を貸しておくれ!」
やばい、やばい、やばい!
あれを食らったらダメージがないままに気絶してしまう!
それはゲームならありえない大失態。
この世界でも必ずやお笑いものになるだろう。
『先生』にも「この世界で唯一、ノーダメージで気絶したという珍記録を持つ情けない男」と記憶されてしまうに違いない!
ダメだ!絶対にあれを食らってはダメだ!
そうなるともうアレしかない。
自ら失敗の烙印を押すことになってしまうが、もうアレしかないのだ。
まあ、このありえないダンジョンもリセットされるし結果オーライだな。
俺はそう気持ちを切り替えた。
そして口の中に灼熱の赤い玉を収縮し始めたのであった。
異世界最強の一撃…『フレア・ブレス』を放つ為にーー




