昨日の淵ぞ、今日は瀬になる【前編】
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世の中は 何か常なる 飛鳥川
昨日の淵ぞ 今日は瀬になる
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『古今和歌集』巻十八・九三三 詠み人知らず
ジリリーン ジリリーン
電子音の古めかしい電話の呼び出し音が、午前の穏やかな空間に鳴り響いた。
週末とは言っても、就学も就職もしていない自宅仕事の為斗子にとって、曜日はあまり意味がない。それでも仕事以外の電話がかかってくるのは、やはり週末が多い。
祖父母が居た頃に買い換えたFAX付きの電話であるが、初期設定の味気なく軽い音を祖父の功が好まず、結局は収録されていた黒電話の音に落ち着いた。祖父母が居なくなってからも、なんとなく変えていない。
庭に面した居間で学習書を読んでいた為斗子は、イチシが差し出した子機の小さな画面を見つめた。
「誰から? あ……高畠さん。何だろう?」
表示された名前は、祖父の最後の弟子だった人だった。祖父は邦楽の師範としてこの地域で幾人もの弟子をとっていた。「お稽古事」の範疇に収まってしまうような、手習い程度のお弟子さんが大半ではあったが、中には本格的に師事して「職格者」――自身が師匠となり他人に教えることができる立場に進む人もいる。
高畠さんは、そうした「本格的な弟子」として祖父の社中に居た最後の弟子で、祖父が存命中に教師試験に受かって無事に独立された方だった。今は、隣市で教室を開いており、また祖父が社中をたたむ際には何人かのお弟子さんを引き継いでもくれている。
当然、長い付き合いではあるのだが、為斗子の性格も気質もよく知る彼女は、ことさらに関係を深めようとはしてこないでいてくれた。季節の便りを寄越したり、祖父の回忌にお参りに来たり、といった程度の関係で、為斗子の方も彼女の社中の発表会に何度か足を運んでいる程度だ。
『守屋さんのお宅でしょうか? 私、高畠と申しますが――』
電話の相手そのものには何の心配もないが、要件が分からず小首をかしげたまま、為斗子は通話ボタンを押す。上品ではあるが、やや焦れたような懐かしい声が聞こえた。
「はい、守屋の為斗子です。高畠先生、ご無沙汰しております」
為斗子の声を聞くと、電話口の相手は安堵感あふれる口調で、さっそくありふれた挨拶を交わす。
電話越しの相手であっても、つい挨拶などを交わす際には誰もいない空間に頭を下げたりしてしまう為斗子を、イチシは微笑ましいものを見る柔らかな瞳で見つめていた。
「――えっ? 来週の日曜……ですか?」
やがて高畠さんの話は本題に移り、その内容に為斗子は戸惑いの声を上げた。その声にイチシの形の良い眉が反応する。少しだけ目を眇めて見遣る彼に、為斗子は慌てて片手を振って『何でもない』というジェスチャーを返した。そして通話をスピーカーにしてイチシにも聞かせる。
『ええ、本当に急なことで、無茶を言っているのは重々承知なんですけれど。他に頼れる方がいらっしゃらないのよ。お願いします、為斗子さん。助けていただけませんか?』
本心からの苦慮が感じられる高畠さんの哀願に、為斗子は無意識に頭を縦に振っていた。そして相手が電話であることを思い出して、慌てて了承の返事を口に出す。
「本当に自信はありませんし、かえってご迷惑になるかも知れませんが……高畠先生には大変お世話になっていますし。私で出来ることでしたら」
『そう言って下さるの? ああ、よかった……本当にありがとう。もう、一昨日からどうしていいのか、困って、泣きそうなくらいで』
何とかあてがついた安堵感のためだろう。高畠さんの声はどこか鼻の奥にかかるような涙声にも聞こえた。
「とりあえず、細かな内容を教えていただけますか?」
『えっ、ええ、そうね。――書くものの支度、よろしいかしら?』
あらゆる表現で謝辞を述べようとする高畠さんを遮るように、為斗子は話を本題に引き戻した。――高畠さんは、普段は素っ気なさもあるキャリアウーマンだが義理人情に厚い人で、こんな状況になると本当に感動で泣き出しかねない。親しい間柄とは言えないが、十年以上の付き合いのある相手のこと、さすがに押さえどころは為斗子も把握している。
為斗子の冷静な声に我に返ったのか、高畠さんは普段のキリッとした口調に戻って為斗子の準備を待った。メモを取るための準備をしようとする為斗子に、すかさずイチシがノートとペンを渡してくる。その柔らかな笑みに安堵しつつ、為斗子は再び電話の相手に意識を集中させた。
「――曲は『飛騨』の『歩荷』と『杉玉』だけですね? 『立円』は無し。私が十七絃で、高畠先生が第二箏、それで一箏の方が今度皆傳を取られる方ですか……分かりました。それで尺八は……? やはり葉山先生ですね。それでしたら私も安心です」
高畠さんが恐縮しながら伝える内容を、復唱しながらメモをとる。復唱するのはイチシを安心させるためだ。話の流れで要件は掴めているだろうが、『問題はない』のだと、彼にははっきりと知らせる必要がある。
そんな為斗子の内心を知ってか知らずか、イチシは電話の邪魔になら無い程度に為斗子に触れてくる。後ろから髪をすくい取って、指に巻き付ける。軽く編む。耳やうなじに触れる、柔らかな手の感触がくすぐったい。左手に子機を、右手にペンを持つ状況では、為斗子の手に触れられないので、イチシの悪戯は髪に集中していた。
振り向いて咎める視線を向けると、悪びれないどころか満足気に笑みを浮かべる様は、まるで猫のようだ。無音のまま唇だけで『めっ』と告げると、イチシはチェシャ猫のような笑顔で離れていった。
高畠さんが頼んで来たことは、来週日曜に行う演奏イベントへの助っ人だった。本来、尺八以外は彼女の社中の人間だけで行うはずだったが、そのうちの一人が手首を骨折してしまったのだという。
『そうなのよ。曲は先方の指定なので今更変更も出来ないし、葉山先生にも申し訳ないでしょう? かといって、あの曲で十七絃抜きという訳にはいかないし。うちの社中だと、あの曲の十七絃を人前で演奏できるレベルの子は他にいないのよ。為斗子さんは、守屋先生の温習会で私と一緒に弾かれたでしょう? なので、もう為斗子さんにお願いするしかないと思ったの。本当に申し訳ないのだけれど、お引き受けいただけて、もう感謝の言葉しか出ないわ。本当に、本当にありがとう』
「高畠先生、分かりましたから。もう勘弁して下さい」
再び為斗子への謝罪と感謝の言葉を、あらゆる語彙で伝えようとする彼女を宥めるように、苦笑交じりの声をかける。感動屋のスイッチが入りやすい高畠さんは、学校の先生でもある。勤務先でもこんな調子なのだろうかと、為斗子は思わず生徒に同情した。
「――では、下合わせは今度の祝日ですね。それで、こちらの十七絃は糸締めに出していないので、そちらのをお借りしてよろしいですか? ええ、はい。大丈夫です。では、今度の祝日にお伺いします。それでは失礼します」
為斗子は、電話口の相手に何度か頭を下げて挨拶してから電話を切った。ふうっと一息つく為斗子の背越しに、イチシが子機を奪っていく。振り向いた先で、彼はいつもと変わらない穏やかな笑顔のまま、為斗子を背中から抱きしめた。
「――イチシ、弾くことになっちゃった」
「そうみたいだね。為斗子が合奏なんて、随分久しぶり。功が死んでからは、私としか合わせてないからね……大丈夫?」
「うん……何とかなると思う。一週間あるし、言うほど難しくないし――最後に合わせた曲だから」
高畠さんに指定された曲は、いわゆる現代曲だ。この半世紀ばかりの間に、西洋音楽やポップスの影響を受けながら作曲されてきた箏曲。
『春の海』などのいわゆる“新日本音楽”も西洋音楽の影響を多分に受けているが、現代曲は西洋クラシック音楽ともさほど違わない。オーケストレーションを取り入れたものが多く、重低音を奏でる十七絃を加えた多重奏作品も多い。尺八などの管楽器も加え、場合によってはヴァイオリンなどの西洋弦楽器との重奏となることも珍しくない。
重奏作品の特性を活かし、華やかなものや複雑なメロディラインを持つものが多いため、演奏会などでは聞き映えがする。邦楽の“地味さ”や“古めかしさ”のイメージを払拭したい演者や、学校などの部活動ではよく演奏される曲群だ。
その代わり、為斗子のように趣味として一人で活動をする場合は、なかなか縁がない。江戸期の段物や手事物、明治以前の古曲ならば、箏と三絃の三曲か箏の本手と替手の二重奏が多く、どちらか片方でもそれなりに聞き映えがするが、現代曲は別パートがあってこそで、一人で弾いても楽しくない。
祖父が社中を開き、お稽古事のお弟子さんたちがいた頃は、為斗子も彼らに混ざって現代曲をいくつも弾きこなして来た。だが最近は、手すさびに主旋律がはっきりした曲を弾くか、おさらいに弾く位だ。それを知っているイチシとしては、為斗子が心配なのだろう。
「そうだね、為斗子が最後に社中で弾いた曲の一つだったね。懐かしい?」
「うん。好きな曲だし。だから引き受けたの。十七絃を弾くのも、ずいぶん久しぶり。ちゃんと練習しなきゃ」
高畠さんにお願いされた曲は『飛騨』――正式には『飛騨によせる三つのバラード』という現代曲で、箏が三パート、加えて十七絃と尺八の計五パートからなる重奏曲だ。
曲名の通り三部の組曲構成で、第一部の『歩荷』は、ゆったりとしながらも大地を踏みしめる力強い足取りを感じさせるメロディが美しい。第三部の『杉玉』は、造り酒屋の軒下を飾るその姿の通り、新酒出しや祭りのハレの日の哀歓を描き出すリズミカルな曲調で、五拍子のテンポが邦楽らしさを感じさせないほど迫力がある。
押し手による変音はもとより、曲途中での音換え(変調)が複数あり、メロディは複雑だ。また、“流し爪”とも呼ばれるグリッサンドやトレモロの繊細な音、爪をはめていない右薬指や左手指で弾くピチカートの柔らかい音など、多彩な技法が用いられる曲でもある。
どちらも各パートの独奏部分や掛け合いが多く、フォルテやピアノといった強弱の指定も多い。上手く合わせないと、テンポが迷子になったり、ずれたりしやすい曲でもある。
高畠さんと尺八の葉山先生とは、祖父が最後に行った演奏会でこの曲を合わせたことがあるのでそれほど心配はないと思いたい。だがリハーサルにあたる下合わせが一日だけとなると、為斗子があちらのテンポに合わせなくてはならないだろう。
幸い為斗子が担当する十七絃のパートは、一部を除き「伴奏」的なものが多い。二曲合わせても十数分、流れさえ見失わなければそれほど困らないだろう。……そう思いたい、為斗子だった。
「ちょっと心配だけど……でも楽しみ。高畠さんにも葉山先生にも呆れられないようにしなきゃね。さっそく練習して思い出さなきゃ」
「私は? 一緒に弾こうか?」
「ううん……イチシと合わせたら、そのクセがついちゃうから……。ごめんね、イチシ。一人で弾く」
「そう――頑張って。邪魔はしないよ。――でも終わったら、私とも弾いてね」
ちょっと拗ねたようなイチシの声に、為斗子は演奏会が終わったあとの“イチシのわがまま攻撃”を思いやって、嘆息する。今度は何をねだられることだろう。
練習のために客間に移動する為斗子を、イチシは愛おしげに見送ってくれる。
予定された演奏会の翌日は、もう立冬だ。居間を出た為斗子は、縁側のひんやりとした空気に少し身を震わせた。庭に咲く秋明菊の残り少ない白色が、弱い日差しの中で強い風に揺れていた。木枯らし一号となるだろうその風が、カタカタと縁側のガラス戸を鳴らす。
変わらないようでいて、季節は確実に変わってゆく。変わらないことなど無い、この世の流れ。儚くも移りゆき、今を詠うその流れは留まらない。それでも――。
「――石橋の、遠き心は――」
為斗子がぽつりと呟いた万葉の歌は、強くガラス戸を揺らした一陣の風に舞い上がる。その声を、イチシは大切に掬い上げた……。
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明日香川 明日も渡らむ 石橋の
遠き心は 思ほえぬかも
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『萬葉集』巻十一・二七〇一 詠み人知らず
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■箏曲その他:補遺その1■
【社中】
:地歌箏曲に限らず、同門の師弟集団を指す。
「○○社中」のように、師の名を冠することが多い。
【十七絃】
:宮城道雄が1920年頃に考案した箏の一種。
絃が十三本の“箏””と異なり、名の通り十七本の絃を持つ。
絃も太く、重低音。西洋弦楽器の“コントラバス”や“ベースギター”に相当。
:構造は箏と同じだが、一回り大きい。箏爪も厚めのものを用いる。
[箏]:長さ六尺(180cm)、幅約25cm、重さ5~6kg
*六尺三寸(190cm)もある(本間とよぶサイズ)
[十七絃]:長さ七尺(210cm)、幅約35cm、重さ約8kg
【尺八との合奏】
:三曲の箏と三絃(+胡弓)は兼任奏者がほとんどだが、尺八は別の奏者が基本。
社中同士で交流を持ち、演奏会などで協力して合奏する。
【地歌箏曲の免状】
:流派によって異なるが、生田流宮城系統(宮城社)の例(目安の曲は箏曲練習曲)
[初傳]…最初のお免状。目安としては『六段』が弾きこなせる辺り。
[中傳]…二番目。目安は『砧』や『みだれ』。
[奥傳]…三番目。目安は『古今組』の季節全曲や『比良』。
[皆傳]…四番目。目安は『さらし風手事』や『水の変態』。
~~ここまでが“習い事”の段階、以下は“教えることができる”資格~
[助教]…他人に教えることができる最低基準。師範が認めればOK。
[教師]…社中を開く最低基準。宮城社の場合、実技試験を受ける必要あり。
[師範]…いわゆる「お師匠さん」クラス。胡弓が出来る人、多し。
[大師範]…師範の中でも長年の功績がある方。最高位。
※宮城社では、箏と三絃の両方で皆傳を取らないと教師試験を受けられません。教師試験は年一回しかなく、何度も落ちる人は珍しくありません。また試験結果は順位付けされ、“生涯”付いて回ります。(教師の免状番号に記され、同格の人たちと演奏する時の表示順序や並び位置は、この番号で決まります……)
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『飛騨によせる三つのバラード』 長沢勝俊作曲(1977年)
:第一部『歩荷』 第二部『立円』 第三部『杉玉』
…格好良い曲です。CDにもなっていますので、気になる方はぜひ聞いてみて下さい。
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