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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第二話【満てずして、隈なきものは】 ~ 十三夜/菊花開
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満てずして、隈なきものは【其ノ参】




 その彼に――醒ヶ井の奥さんの弟だという垂井(たるい)さんに再び出会ったのは、数日後だった。買い物の帰り道、住宅街の細い道の途中。先日と同じようにきっちりとスーツを着こなした彼は、人好きのする笑顔を浮かべて為斗子に声をかけてきた。


「先日は失礼しました、守屋さん。ちょうどお宅に伺おうとしていたところだったのです。こんなところでお会いできるなんて、運命的ですね」


 整った顔立ちといってもいい容貌の彼が、柔らかに笑みを浮かべると雰囲気が甘くなる。挨拶を交わし、彼は『重いでしょう』と、為斗子が手に提げた買い物袋を奪うように取ると、代わりに紙袋を渡してきた。


「先日、不躾に訪問したお詫びです。栗きんとん、日持ちしませんから早めに食べて下さい」


 そういって渡された菓子箱は、突き返すことを許さない風情で為斗子の手に収まった。醒ヶ井の奥さんが同席しないならば、再び家に呼ぶ理由もない。彼は為斗子の家に向けて歩みを再開しようとしていたが、為斗子はあえてその場での立ち話を選んだ。

 垣根の金木犀が強く香る。足下にオレンジ色の小さな花が舞い落ちて、道を彩っていた。


「こんな気を使って下さらなくても……でも、ありがとうございます」

「いえいえ。姉が失礼したのは事実です。まあ、他の意図が全くないわけじゃないですけれどね」


 にこやかな表情のまま、垂井は為斗子の瞳をのぞき込むように視線を合わせてくる。会うのは二度目だというのに、営業職のなせる技なのだろうか。恐ろしいほどに距離感を詰めてくるのが早い。


「先日の話なんですが……確かに姉の縁を頼る気はありませんが、私自身を認めて任せていただけないかと。ぜひちゃんとお話をさせていただきたくて」


 垂井は一歩距離を縮めて、為斗子に押しつけた紙袋を指さした。


「そちらに簡単な業務内容の紹介と、プランニング例を入れておきました。少しでも縁を感じていただけるなら、一度目を通していただけませんか? 不躾なことは了解しています。でも、独立したての営業には、遠慮は禁物なんですよ」


 最後はおどけたように肩をすくめて軽く締めたが、押しの強さは醒ヶ井の奥さんとの血縁を感じさせるものがあった。内心ちょっと苦笑しながら、為斗子は当たり障りのない表情で、とりあえずの礼だけを返す。


「それと、営業に関係なく、せっかくの縁ですから。これを機会にお近づきになれればと」

「……どういう意味ですか?」


 少し甘さを増し感じさせる声色で告げられた言葉に、為斗子は素のままの問いを返す。その為斗子のキョトンとした表情に、垂井は多少の照れを乗せた笑顔で膝を落として為斗子に視線を合わせる。


「守屋さん……為斗子さんは、私の好みにとてもはまる(・・・)のですよ。姉にもからかわれましたが、私は“一目惚れ”というものを信じる性質(たち)なんです。ちょっと年上すぎると思うかもしれませんが、いかがでしょうか?」


 思いもかけず直球で告げられた好意に、為斗子は手にした紙袋を思わず取り落とした。


「え……っ?」

「一方的ですみませんが、姉から為斗子さんのことは聞いていました。先日お会いしてみて、さらに気持ちが増しました。まずは知人、友人からで構いません。私と交際していただけると嬉しいのですが」


 少しはにかむような口元で、垂井は為斗子の心を翻弄する言葉を次々と紡ぐ。何気ない動作で為斗子が落とした紙袋を拾い上げ、自分の手を重ねるようにして再び為斗子に握らせた。男性らしい大きく節だった手の感触に、為斗子はビクリと身を震わせる。


「……す、すみません。私……」

「為斗子さんが、あまり交友関係を作られないことは、これも姉から聞いています。無理強いはしませんが、たまにお話するだけの関係でもダメでしょうか」


 簡単には退かないところも醒ヶ井の奥さんに似ている、と為斗子は内心で困惑する。まだ相手のことなど何も知らない状況で、何を決めることもできない。生理的に嫌う相手とも思えないが、為斗子は彼が少し怖い。苦手なタイプなのだと直感する。

 為斗子は人と接することが苦手で、傍目(はため)には気が弱そうに見える。だが、心根はそれほど弱くない。好悪もはっきりしている方だと思う。ただ、強く出てくる相手に、あまり強く返せないだけだ。


「た、垂井さん。お気持ちはわかりましたっ。でも、私、そんなこと考えられないんです。ごめんなさい。お仕事の方も、個人的なおつきあいも……遠慮させていただきますっ」


 珍しく為斗子が強く出られたのは、イチシのことが脳裏に浮かんだからだ。

 このことを()が知ったなら――その結果が、何よりも怖い。


 立ち話の人質のようになっていた買い物袋を、垂井の手からひったくるように取り戻し、為斗子は踵を返して駆けだした。背後から垂井の焦ったような呼びかけが聞こえたが、為斗子は心に蓋をして、秋空の下を駆けた。自分の居場所へ、イチシがいる場所へと。




 その背を見送りながら『……話しに聞いていたより手強いな……小娘のくせに』と、苛立ちと苦々しさを含む声でつぶやかれた声を、為斗子が聞くことはなかった。



* * * 



「為斗子、遅かったね」


 垂井から逃げ帰った為斗子を、イチシが気遣わしそうに出迎える。走ってきたことが明らかな息づかい。見慣れない紙袋。その姿を視界に納め、イチシは硬質な声で上がり框に座り込んだ為斗子に声をかけた。


「ごめん、なさい、イチシ……ちょっと、寄り道で……」

「……為斗子。()と会っていたの?」


 イチシの手が、為斗子の髪を掬うようになで上げる。その動きにつれて、オレンジ色の小さな花が数輪、ぱらぱらと舞い落ちる。


「金木犀の下で、匂いが移るほどの時間、誰と、何を話していたの?」


 イチシの声が硬質に為斗子を責めたてる。いつか聞いたその声色に、為斗子は乱れた息を必死でこらえ、内心の動揺と怖れを隠してイチシを見上げた。

 イチシは、為斗子が他人と関わることを望まない。為斗子自身が望む限りにおいてはさほどでもないが、為斗子が望まない相手に対しては、アヤカシの者としての残酷さを隠さない。

 いずれにせよ――為斗子がイチシから離れる可能性を、彼が望むはずがないのだ。


「イチシ……大丈夫。もう、断ったから……だから、何ともないから」


『――だから、お願いだから、何もしないで』

 そう告げないと、この化生はその心のままに行動するだろう。

 為斗子を“孤独”にするために。



「為斗子……仕方ないね、今はだまされてあげる。でも……次はないよ?」


 いつもと同じ柔らかな声に戻って、イチシは為斗子から買い物袋を取り上げる。そして紙袋も。

 冷たい瞳で紙袋の中身を見遣って、イチシはそのまま奥へと消えた。もう紙袋の中身を為斗子が目にすることはないだろう。

 為斗子はざわめきたつ心を宥めながら、框に落ちた金木犀の花を見つめ続けていた。



* * *



 懲りない相手というものはいるものだ。

 再び垂井が姿を見せたのは、週明けだった。

 鳴らされる呼び鈴とモニターに映る人影に、為斗子はもうどうしようもないことを悟った。


「守屋さん、いらっしゃるんでしょう? せめてお話だけでも、もう一度だけ聞いていただけませんか?」


 モニター越しに届けられる垂井の声。それを聞く為斗子の表情は次第に青ざめ、イチシは満足げな冷笑を浮かべる。

 為斗子は心を奮い立たせて、モニターの『通話』ボタンを押した。もう終わりだ、自分にできることは、もうない。


「垂井さん……」

「ああ、為斗子さん。やっぱりいらっしゃいましたね。この前は突然変なことを言って、混乱させてしまいました。すみません。でも、もう一度、今度はちゃんとお話しさせて――」

「垂井さん、ごめんなさい。ごめんなさい……」


 丁寧で真摯に聞こえる垂井の声を遮るように、為斗子はマイクに向かって詫びる。

 彼の狙いが、本当はどこにあるのか。為斗子にはわからない。判断が付かない。


 祖父母を亡くした頃と、成人した直後。

 次々に沸いてでた輩と同じように、為斗子の財が目当てなのか。

 本当に彼がいうような、純粋な好意なのか。

 為斗子には判断ができない。わからない。

 人の善意や悪意を容易に見抜けるほど、為斗子は人の心の機微に敏くはない。


 わかるのは――どちらもイチシが許さない、ということだけだ。


 スピーカーから聞こえる垂井の焦った声を振り切って、為斗子は音を切る。もう……彼と会うことはないだろう。


 その場にしゃがみ込んで耳をふさぐ為斗子を包み込んで、イチシがその身を背を覆うように抱きしめる。強く、優しく、逃さないように。

 宥めるように、誉めるように、為斗子の髪が撫でつけられる。どこまでも優しい手つき。肩先で揺れる一房が、イチシの白い指にクルクルと絡みつけられる。イチシを縛るかのような為斗子の黒髪。でも、本当に縛られるものは、髪でも指でもない。


「為斗子、ごめんね」


 そう告げられるイチシの言葉には、欠片ほどの罪悪感もない。

 彼は、彼が持つ正当な権利を行使するだけだ。


 守屋の【化生守】は、その化生のためだけに在る。側に在ることを許される者は、化生守自身が“共に在り続ける”と選んだ唯一の者だけ。一時(いっとき)の繋がりなど、許されはしない。

 為斗子は泣かない。泣く権利はない。

 自分が招いたことなのだ。その犠牲者のことを思って泣くことなど、許されない。

 身を震わせてイチシの腕の中に収まったまま、為斗子は日が暮れるまでそうしていた。




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