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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第七話【たそかれ時の、月かげの】 ~ 衣替え/腐草為螢
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たそかれ時の、月かげの【其ノ弐】



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つひにゆく (みち)とはかねて ()きしかど

昨日(きのふ)今日(けふ)とは (おも)はざりしを

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『古今和歌集』巻十六・八六一  在原業平(ありわらのなりひら)




 為斗子の記憶には「父」はいない。


 仏壇にある写真で、その祖母に似た顔つきを見知ってはいるが、その声も腕の温もりも何一つ、為斗子の記憶にはない。


 父が“失踪”したのは、為斗子が二歳の時だという。

 母と離婚してこの家に戻り、その母も事故死した翌年のことだった。為斗子は物心も付かぬ内に両親を失い、その後はずっと祖父母とイチシとだけの暮らしを送ってきたのだ。

 何の思い出もない父母に、為斗子はある意味冷たい。それほど関心もなく、ただ「もう居ない人」としての感情があるだけだ。祖父母も、問われれば必要なことを語ってくれたが、我が子である息子のことをそれ以上何も語ってこなかった。失踪宣告を行った“仮命日”の日だけが、父を思う時だった。


 だからといって、為斗子も全く無関心な訳ではない。何かの折に父のことを考えることだってある。

 何故、母と離婚したのか。

 何故、自分をおいて失踪したのか。

 …………どのように、死んでしまったのか。


 父は“失踪”しただけであり、その死は誰にも確認されていない。

 それでも戸籍上、既に父は「亡き人」だ。失踪宣告を行って七年後、祖父母は密かに父の「葬儀」を行った。仏壇には三人分の位牌が並ぶ。

 何も知らないからこそ、為斗子は気になるときがある。

 守屋の家の者としての宿命は、この化生がもたらす残酷な運命は。

 どのようにして、それらは父にもたらされたのだろう。


「…………知りたい?」


 為斗子の心を読み取ったかのように、イチシが小首を傾げて問いかける。穏やかな顔つきだが、瞳の奥には揶揄(やゆ)の光が浮かび、口元がわずかに引き上げられる。

 その顔を見つめ、やがて為斗子は無言で首を振った。

 ……知りたくないわけではない。でも――


「……為斗子は恐がりだね。いつか知らなくてはいけないことだろうに」


 イチシが少し困った視線を向けて、静かに為斗子の髪を撫でる。優しいその手つきとは裏腹に、イチシの言葉は残酷で冷たい。


「為斗子が望まないなら、何も言わない。でも、為斗子。逃げても、目を反らしても。起きたことは変わらない。功や佐保子さんの“覚悟”を、為斗子もいつか知らなくてはいけないんだよ」


 普段のイチシは、為斗子には甘い。だが『守屋の家の宿命』に関する事には、むやみに甘やかそうとはしない。

 選べないまま、その覚悟を持てないままの為斗子を、イチシはいつも優しく追い込む。少しだけ、逃げ道を残して。


「…………為斗子。私はいつまでも待つよ。聞きたくなったら、言ってね。嘘は言わないから」


 繰り返し撫でられていた温もりが、髪から離れていく。ニコリとした優しい笑みを一つ浮かべて立ち離れ、イチシは部屋から出て広縁の柱にもたれ座った。


 為斗子は、じっと手の中の裂地を見つめる。

 父の、着物。

 父だった人の、かつての名残。

 この家に、父のよすが(・・・)を偲ばせるものは殆どない。小学生の頃、『家族の思い出』なる課題があるたびに、困った為斗子だった。父の日も、母の日も、為斗子にとっては「祖父母」が相手だった。叔父叔母やいとこ(・・・)達といった、親族との縁もない。

 そんな「家族」の一員でなく、それでいて誰よりも「家族」に近いイチシ。

 自分たち守屋の者を、いつも“孤独”に置いて、ただひたすらに自分との生を待ち望む、アヤカシの君。


 祖父母は、実の息子にもたらされる“守屋の宿命”を、どのような覚悟で受け止めたのだろう。

 父はひとり子だった。

 かつてイチシが『佐保子さんはね、本当にズルいよね』と揶揄したように、“次代を確実につなぐまでは、決して宿命(化生の者)に奪われない”がための、「唯一(・・)」の子。

 そんな血を吐くような決断をしたのに。なのに、自分(為斗子)が誕生した。

 “次代をつなぐ”ための者ではなく、かの化生の者が待ち望む【化生守】として。


 自分が「化生守」でなければ。父も母も、まだその生を全うしていたはずだ。

 “先の化生守”たる祖父は、その定めの時まで彼に守られる。

 一方、“次の化生守”である自分は「孤独」に置かれなければならない。

 その結果――父と母は、今ここに居ない。


 どこまでも残酷に、どこまでも利己的に、そしてどこまでも真摯にもたらされる、【化生守】の宿命。彼の――イチシの願いが叶うまで、連綿と続けられる残酷な宿命。

 その、重く毅然たる思いを繋ぎ続け、何度となく望みを失いながらも、ただひたすらに待ち続ける彼。

 どちらも、為斗子には未だ到底持てない“覚悟”の末だ。


 為斗子の視界に入ること無く、それでいて確実に感じられる()の気配と視線。

 いつも、誰よりも、為斗子の側にあり。離れることなく、離れることを許さない、強い意志。

 ただ自分一人の気持ちだけに委ね、ただその寂しさに従って選んでしまえれば、どれほど幸せだろう。

 だが、それを彼は望まない。そんな“覚悟を持たない決断”を、()のアヤカシは振り払う。

 だから彼はいつも、誤魔化しながらも、はぐらかしながらも、不必要な嘘はつかない。その覚悟をもたらすためならば、どれほど不利になることであろうとも話してくれる。


 先の言葉通り、為斗子が問えばイチシは『父の行く末』を(つまび)らかに語ってくれるだろう。それによって、為斗子が彼を怖れようと憚ろうと気にしないだろう。きっといつものように、困ったような、喜ぶような、曖昧な笑みを浮かべるだけだ。

 今までに何度となく繰り返されたやりとりを思い返しながら、それでもやはり問うことの出来ない為斗子であった。


 長くとった糸をもつれさせないように、指で確りと(しご)く。二つに折って中表にした裂地を、二辺は普通に縫ってゆく。三辺目の途中からは糸を長く遊ばせながら、一針一針垂直に刺してゆく。ここで糸をもつれさせないのが面倒だ。

 三辺を縫い、被せ(・・・)をかけてアイロンをかける。角をきちんと出して、糸を遊ばせてある隙間から表に返す。ここが一番難しい。遊ばせた糸が布に絡まないよう、切れないよう、慎重に引き抜きながら縫い目を整えていく。ピンと張りつつも引きつれないよう、指で扱きながらの繊細な手付き。引き抜いた糸を玉留めしたら完成だ。

 久しぶりに作ったが、何度も繰り返し練習した記憶は、頭よりも身体が覚えている。一時間とかからず縫い上げた古帛紗(こぶくさ)は、為斗子があえて無心を貫いて手を動かした所為もあって、まずまずの出来だった。

 本当ならばきちんと(はこ)に入れて送るものだろうが、あいにく手元に丁度よい筺はない。最後にもう一度アイロンをかけて仕上げたそれを薄葉紙に包めば、水面から透ける魚文様が涼しげに跳ねた。


「ん……あとは一筆添えて、でいいかな?」

「そうだね。どうするの? 今日行くの? 明日にしないの?」

「ううん、今日のうちに行ってくるよ。せっかく思い立った時だし、あまり長く借りっぱなしになるのも、申し訳ないし」


 昼から始めた作業だけに、立夏を迎えて長くなり始めたとはいえ、日は少し傾き始めている。今から行くとなると、帰ってくる頃には夕方だ。

 それでも、為斗子はさっさと道具を片付けて、白鷹紬の生地見本と古帛紗の包みを和紙で出来た封筒にしまい、席を立った。何か物言いたげな表情のイチシの前を素通りし、自室の文机に向かう。

 元より電子機器には疎い為斗子にとって、手書きの便りは必然の手段だ。花菖蒲が描かれた一筆箋に万年筆を走らせて、借り物への謝意と礼の品への説明を書き添える。簡単に……のはずが、結局一筆箋で三枚になったのを見て苦笑しつつ、同じ柄の封筒に入れた。

 そして宛名を書こうとして、為斗子の手が止まった。

 姓は『白鷹(しらたか)』だ。そして名は『アサヒ』らしい。だが直接聞いたわけでもなく、音しか分からない。『白鷹様』とでも書くべきなのだろうが、為斗子は何故か躊躇(ためら)いを覚えた。


 なんて細い縁の糸なのだろう。

 ただ行きあっただけの人。

 着物について少しだけ語り、バス停で傘を借りただけの縁。

 なのに、どうして。


 雨に染みいるようだった低く穏やかな声を思いだし、為斗子はそっと目を伏せた。脳裏に、雨に濡れる花海棠が蘇る。


「――為斗子? 書けたの? 早くしないと遅くなるよ?」


 障子戸ごしに、優しく気遣う声がかかる。()のものよりはやや高い、同じく穏やかな声。

 その声に我に返り、為斗子は慌てて封筒に向き合って宛名を書いた。結局『白鷹 あさひ さまへ』と、名前をひらがなで付けただけ。何を躊躇っていたのか、自分でも分からないほどに、あっさりと。


「うん、出来た。じゃあ、行ってくるね。ついでに買い物もしてくるから、ちょっと遅くなるかも」

「そう、分かった。夕食は何かな?」

「うーん……初鰹はもう食べたけど、炙りのタタキにでもしようかな? 魚屋さんに寄るね」

「美味しそうだね、楽しみにしているよ」


 どこまでも穏やかな声と表情で、イチシが微笑んだ。

 為斗子が他者と交流を持つことを、決して喜ばないはずの彼だが、その行動を止めようとはしない。


 『為斗子が心から望むことを、止めはしないよ』


 彼はそう言う。

 少し目尻を下げて、少し困ったように、悲しむように微笑みながら。

 それは、彼の“覚悟”の行動。

 いつか、彼が望む「心からの選択の手」を受け取れるように。

 いつか、その「手」が他者を掴み、自分を捨て置くのだとしても。


「――お店にお預けするだけなのはなんだから、柏餅でも買ってくるね」

「今の時間から、朝生菓子は勿体ないよ。普通に上生(じょうなま)の花菖蒲か……そうそう、早めの若鮎が出ていたら、そっちの方が良いな」


 どこか誤魔化す為斗子の会話に、イチシは嬉しそうに返す。その、互いの心中は分からぬままに。


「じゃあ、行ってくるね」

「――為斗子、傘」


 引き戸に手をかけたところで、イチシが呆れた声をかける。お礼の品を入れた東袋にばかり気がいって、肝心の「返す傘」を持っていなかった。

 白い手から差し出される、きちんと乾かして畳まれた男物の傘。柄に入れられた『白鷹』の焼き印が、その指の間からのぞく。

 受け取る際に、重なる指。ほのかに冷たい、なめらかな感触。


「為斗子はそそっかしいね、あわてんぼさん?」

「むぅ……言い返せないけど、子ども扱いしないでよ」


 離れ間際、慣れた手付きで頭をトントンと撫でられる。その慈愛に満ちた行動が、何だか急に癪に触った。常よりは少し雑にその手を払いのけて、為斗子は傘を片手に玄関を出る。


「――――いつまでも、子どものままで居てくれれば――幸せだったのにね……」


 『誰が』とは言わない、その切なく響く声に為斗子が振り返った時には、もう既にイチシの姿は失せていた。







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《和装のアレコレ》

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古帛紗(こぶくさ)の作り方】

:作中の通りです。長方形の布を二つ折りにして中表に縫うだけですが『最後まで糸を切らず、一本の糸で縫い上げる』決まりのため、結構ややこしいんです……ええ、よく糸が絡まりますとも。



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