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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第七話【たそかれ時の、月かげの】 ~ 衣替え/腐草為螢
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たそかれ時の、月かげの【其ノ壱】


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五月雨(さみだれ)の たそかれ(とき)の (つき)かげの

おぼろけにやは われ(ひと)()

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『玉葉和歌集』巻十・一三九七  凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

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 パサッ パサパサッ カサッ


 薄手の白い紙封筒に書かれた文字を確認しながら、為斗子(いとこ)は中の端切れ布を取り出しては中身を確認していた。

 角型5号程の紙封筒には、数々の仕立てで余った端切れや、生地産地の証明書である証紙(しょうし)などが収められている。和裁の仕事で請け負った場合はそのまま顧客に返すが、自家用で仕立てた分も同じように取り残してあるのだ。

 祖母の教えを受けた為斗子も、自分が仕立てた長着や帯の残布はそれぞれ取り置いてある。しかし、それなりの数がある状態では、目当てのものを探し出すのも一苦労だ。結局は一つ一つ封筒から取り出してみるのが、一番早い。

 為斗子が今探している残布は、自分が仕立て直しの際に収納し直したものなのですぐに探せそうなものだが、いかんせん“お余り布入れ”の封筒自体が多いために難儀していた。それでも、封筒の表面に見慣れた自分の文字を見つけ、為斗子はほっと一息ついて封筒を膝の上に置いた。


 『紅花一斤(べにばないっこん)染め白鷹紬(しらたかつむぎ)七宝つなぎ柄』


 元は祖母のものだった羽織と長着のアンサンブルを、自分用に仕立て直した際に羽織を詰めて二尺三寸程度にした。縫い込みにせず裁ってしまったので、結構な余り布がでたのだ。その残布を取り出して状態を見る。祖母の代に着用した使用感は多少あるが、色褪せや虫食いもなく、見本布としては十分な保存状態だ。


「為斗子、見つかったの?」

「うん。イチシの方は?」

「こちらも見つかったよ」


 衣装箪笥や祖父母の品々が残る部屋で、為斗子はイチシと二人で手分けして残布の探索を行っていたのだが、お互いに目的の品を見つけることができた。不要な封筒を再び揃えて小振りの柳行李にしまい直すと、為斗子はイチシから手渡された封筒をあわせ持って和裁の仕事部屋に移動した。その後を、穏やかな笑みを浮かべたイチシが追う。


 事の起こりは、春の終わりの、あの雨の日に借りた傘だった。

 傘を忘れて難儀していた為斗子に、偶然にバス停で出会った()から差し出された傘。花海棠の枝の色の記憶と共に、穏やかな笑みが思い出される。

 懇意の和菓子屋のおかみさんからは『アサヒくん』と呼ばれていた、彼。

 地元の茶道家、白鷹(しらたか)宗匠(せんせい)を『大叔父』と呼んでいた彼。

 言葉を交わしたのは、ほんのわずか。そのほとんどが、為斗子が来ていた着物や、彼が研究しているという服飾についてのことだった。

 実はお互いに下の名前を名乗っていないことに、為斗子は後から気がついた。

 初対面の和菓子屋では着物の話しかしなかったし、二度目の遭遇であったバス停でも『白鷹です』『守屋(もりや)といいます』という名乗りをしただけだった。お互いの身内――為斗子の祖父母と彼の大叔父とは面識も多少の交流もあったようだが、ほとんど“見ず知らず”といっても良い関係。そんな不思議な繋がりに、為斗子は思わずクスッと笑ったものだ。


 借りたものは返さなくてはならない。

 しかし返す先は、連絡先一つ知らない相手だ。

 貸し主である白鷹さんが『和菓子屋に預けておいて』と言っていたこともあり、為斗子はその言葉に甘えることにした。

 春霖(しゅんりん)の季節、その後しばらく雨の日が続いたこともあり、ようやく為斗子が傘を返す算段に至ったのはしばらく後のことだった。季節はもう皐月に入っていた。世の暦は連休あけで、カラリと晴れた天候はまだ行楽日和。とはいえ為斗子はどこにも出かける予定がなく、いつもと変わらない日々をイチシと過ごすだけ。穏やかに変わらない日々が続いていた。

 厚意によるものだけに、傘だけを返すという訳にはいかない。かといって仰々しく御礼を添えるのもかえって気詰まりだろうと考え、為斗子は当初ちょっとした菓子を添えて返すつもりだった。それを止めたのはイチシだ。


「……為斗子? その傘は“どこ”に預けるの?」

「え、あの和菓子屋さんだけど……」

「そうだよね。そこに預かってもらうのに、他店の品を添えるのはどうかと思うよ?」

「あ……っ」


 アヤカシ、化生(けしょう)のモノのくせに、妙に礼節に(うるさ)いイチシだった。


「でも、どうしよう……他に何か……どんな物がいいのかな? えっと……」


 為斗子は人との交流を好んで行わない。祖父母繋がりでの知人との交流や季節の挨拶に伴う贈答はあるが、こんな『ちょっとした気遣いに対する、気兼ねないお返し』なんて行為には、ほとんど縁がなかったのだ。祖母がやっていたであろうことを、為斗子は必死で思い出そうとしたが、『ちょっとしたお返し』に相当する品は思いつかなかった。


「イチシ……ぃ」

「…………佐保子さんは、ちょっとした袋物をこしらえていたよ。ほら、為斗子だって時々作るだろう?」

「あ、そっか」


 『困った子だね』と言わんばかりの表情と仕草で、イチシが助け船を出してくれた。言われてみれば、祖母が手すきの時に小さな巾着や東袋(あずまぶくろ)、懐紙入れなどを作っていた記憶が蘇る。為斗子も、最初は運針の練習として、やがては日々の稽古代わりに袋物や布のコースターなどを作っている。


「為斗子の話だと、その彼は服飾史に関心があって、しかも茶道にも所縁(ゆかり)があるんだろう? (きれ)古帛紗(こぶくさ)でも作ってみたら?」


 優しい手付きで為斗子の髪を撫でながら、イチシがアドバイスする。

 傘を借りて帰った当日は、何となくごまかしてしまった貸し主(白鷹さん)のことだったが、結局のところ為斗子はイチシにバス停での会話などを説明していた。イチシも多少は白鷹宗匠について知っているらしく、『ああ、あの』とは反応したが、それ以上は特に関心を持った様子は無かった。とはいえ、為斗子に関わる人間についてはしっかりと記憶しているようだ。


「うん。それ、いいかも。そうする。あ、そうだ。一緒に白鷹紬の残布も差し上げようかな……和菓子屋さんで会ったときに、とても関心がありそうだったから。生地見本でも十分かな?」

「そうだね。研究者だというなら、それも嬉しいかもね。じゃあ、為斗子はそっちを探しておいで。私は古帛紗に向く生地に当てがあるから、それを探すよ」


 どこまでも柔らかに微笑んで、イチシは為斗子を促して部屋を移動する。残布などをしまってある柳行李を天袋から降ろし、二人で探索を開始したという次第だ。


 必要な布地さえ見つかれば、後は為斗子が手を動かすだけだ。

 まずは白鷹紬の残布を取り出し、()(いた)の上に広げた。羽織丈を詰めた際に四寸ほど裁ったので、手のひら幅の長方形の布が何枚か。そのうち、一番模様が綺麗に出ている一枚を選び、寸法を確認する。

 染め色の見本なら一寸から二寸程度で十分だが、織り生地そのものに感心がある白鷹さんには不十分だろう。為斗子が織り元などから貰うことのある生地見本を参考にしながら、為斗子は手元の台紙の中から大きめのものを選んだ。厚紙で挟みこむ窓あきタイプの見本帳台紙に布をあて、七宝つなぎの模様が綺麗に見えるように位置を調整し、余分な部分を裁つ。織物の場合、糸そのものを確認することもあるだろうと、裁った端から糸をほつれ抜いて軽く束ねた。それを台紙の枠に白糸で縫い止める。

 まだ証紙(しょうし)が無かった頃の作だったからか、織り元などの詳細は分からない。為斗子は祖母から聞いた範囲での由来を、台紙の表枠にペンで書き込んでいった。


白鷹(しらたか)(つむぎ)本紅花一斤染ほんべにばないっこんぞめ、板締小絣(いたじめこがすり)、七宝つなぎ柄……と。確かおばあちゃんが十代終わりの頃だって言ってたから、今から半世紀くらい前の作かなぁ……意外と分からないものだね」

「そうだね。着る人にはそれほど意味がないものだろうしね。それを調べるのが、あちらの仕事なんじゃないかな? 詳細が分からない方が、かえって嬉しいかもね」


 裁ち板の向かいに座して為斗子を見守っていたイチシが、出しっ放しにしてあった万十(まんじゅう)をもてあそびながら応える。ふかふかとした丸みのある、それこそ「お饅頭」のようなアイロン台は、手持ち無沙汰を慰めるのに丁度いいようだ。為斗子も幼い頃は、何かとおもちゃにしていた記憶がある。

 台紙に端切れ布を固定し、生地見本の体裁を整えた。これで一つ終了だ。


 続いて古帛紗(こぶくさ)を作る作業にかかる。

 「古帛紗」は流派によって異なるが、茶道具の一つだ。

 緞子(どんす)紹巴(しょうは)などの裂地(きれじ)で作るもので、お手前や拭き清めで使うものとは違い、やや小振りで多くは色柄がある。通常は「名物裂(めいぶつぎれ)」と呼ばれる裂地で作られる。季節に合わせて文様を変えることはもちろんのこと、半ば消耗品でもあるので、何枚あっても困るものではないだろう。

 縦五寸、横五寸三分の二枚合わせの布地は、中表にして三方を縫ってから表に返して作るが、縁起物としての謂われからなのか「縫う糸を、途中で切らない」縫い方をする。そのため、糸の扱いが意外とややこしい。「長糸」状態で縫う必要がある分、糸扱いの練習には丁度よいと思ったのか、かつて祖母は為斗子にいくつも作らせたものだ。


裂地(きれ)は……こんなのあったんだ?」


 為斗子が白鷹紬の残布を探していた間、イチシが見つけてくれていた封筒から布を取り出す。出てきたのは、涼やかな青磁(せいじ)色の(しゃ)の絹布。名物裂の荒磯(あらいそ)を基にした魚文様が、透ける青磁の流水の中で泳ぐ。

 色味も柄行きも男性のものだが、祖父の着物としての覚えがない。顧客の者でもない。為斗子が初めてみる裂地だった。


「為斗子は知らないはずだよ。これは功の息子の、幼い頃の長着だったものだから」

「えっ? ……お父さんの……?」

「そう。本体は佐保子さんがどこかにやってしまったけれど、残布はしまってあったんだね。名物裂由来だから古帛紗にぴったりだし、色味も涼やかでいいんじゃないかな?」


 「父」の着物だったという端切れを差し出して、イチシは穏やかに微笑んだ。






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《和装のアレコレ》

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古帛紗(こぶくさ)

:作中で紹介していますが、茶道具の一つです。表千家では【出帛紗(だしふくさ)】とも。

:茶道におけるお点前(てまえ)で茶器を取り扱う際に用いる布を「帛紗(ふくさ)」と言い、この取り扱いは茶道の習い事における関門の一つですね。

:「古帛紗」や「出帛紗」は、茶器の拭いなどに用いる帛紗と用途が異なります。裏千家の「古帛紗」は通常の帛紗の四分の一サイズで、お(うす)を点てた茶碗の下に引いて運んだり、茶器拝見の際に畳の上に広げたりして用います。表千家の「出帛紗」は通常の帛紗と同じサイズですが、もっぱら亭主が用います。

:いずれも、通常の帛紗が塩瀬の「濃紫色」(女性に限って緋色もあり)で無地のものに限定されているのに対し、古帛紗・出帛紗は緞子(どんす)や唐織、名物裂などの柄文様の布で拵えます。



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