聞かんとすれど、花いわず【其ノ肆】(了)
----------
花のごと 世の常ならば 過ぐしてし
昔はまたも 帰り来なまし
----------
『古今和歌集』巻二・九八 詠み人知らず
水が流れるような哀愁と切なさが畳に染みこんで、静かに曲が終わる。垂直に立てられていた胡弓を傾け、イチシが為斗子に柔らかい視線を向けた。
「おばあちゃんが好きだったね、この曲」
「そうだね。それもあるし、為斗子が買ってきた練り切りを見ていたら、何となくこの曲が似合うかなと思ってね。どう? 為斗子も一緒に合わせる?」
「うん。ちょっと待ってて」
為斗子は側に躙り寄って胡弓の絃を指で弾く。撥弾きでも指弾きでもない胡弓の音色は独特の深みがあって、聞いていると誰かに甘えたくなる。この曲の歌詞にあるように、温もりに包まれたくなるのだ。
いつものように優しく為斗子の髪が撫でられる。そのまま頭を預けたくなる気持ちをグッとこらえて、為斗子は自分の箏の準備に取りかかった。柱を立てて調弦する。『蘇州夜曲』は、以前祖父の社中で合奏したこともある。その時は箏二重奏と胡弓で合わせたが、今日はどうしようか。
「せっかくだから、イチシの胡弓に合わせる形で良い?」
「分かったよ。じゃあ、為斗子は二箏側だね。その代わり、為斗子が唄ってね?」
「えー? 私よりイチシの方が上手なのに……」
「この曲は、女声の方が絶対似合うから。お願い?」
主旋律はイチシの胡弓に譲り、為斗子はいわば伴奏側のメロディを弾くことにする。歌を付けるのは難しくはないが、元が歌謡曲だけに何となく気恥ずかしさが先に立つ。
さっと箏爪を滑らせて十三絃の音を確認し、姿勢を正す。イチシに目で合図をして、前奏を模したメロディを爪弾いた。続いてイチシが腕を動かして弓が音を奏でる。その音に合わせて、為斗子も静かに唄い始めた。
為斗子の声を邪魔しないようにだろうか、先ほどよりも幾分小さめで優しい胡弓の音。間を埋めるように響く箏の音。水が揺蕩うような気配が満ちた。
続けて二番目の歌詞を唱う為斗子を、じっとイチシが見つめている。愛情に満ちた優しい温もり。どこか切なげな懇願が隠る眼差し。
和音を響かせて為斗子の指が止まる。そっと絃を押さえて音を消すのに合わせ、引き伸びて残る胡弓の余韻も静かに治まっていった。為斗子も視線をあげて、演奏を終えた満足感を込めた笑みを返した。そして仏壇に目を向け、祖母への思いを込めた礼をする。昔に見た、月を見ながら縁側で祖父母が並んでこの曲を奏で唄う姿が、脳裏によみがえった。
「ありがとう、イチシ。おばあちゃん、喜んでくれたかな?」
「そうだね。佐保子さんにとって一番は功だろうけれど、為斗子の唄もきっと届いているよ」
調弦を変えながらイチシが微笑み返す。弓に再び松ヤニを滑らせて、再度何かを弾くつもりのようだ。
「せっかくだから、もっと別の曲も練習しようか。そうだね……為斗子、ちょっと季節は過ぎてしまっているけれど『袖香炉』にしようか。あれなら胡弓にも合うし、意味も合う。本当は三絃がいいけれど、箏でもいいんじゃないかな」
「その曲、ずいぶん弾いていないから手が動かないよ、イチシ……」
「だから、練習だって。さ、譜面をとっておいで?」
有無を言わせぬ笑みを浮かべたまま、イチシが為斗子を促す。しぶしぶ為斗子も譜面棚に向かい、調弦を変える。ざっと譜面を浚い見して、曲調を思い出す。
『袖香炉』は、峰崎勾当作曲の地唄で、その師を追善するために作られた曲だ。その由来から、偲ぶ会などでよく演奏される。古今集など和漢の詩歌から取った歌詞は錺屋次郎兵衛の作詞。さりげなく豊賀検校の名を読み込む工夫が素晴らしい。
春の夜の 闇はあやなし
それかとよ香やは隠るる 梅の花
凡河内躬恒の古今の歌にとった歌詞から始まる、師を偲ぶ唄。
散れど薫りは なほ残る
袂に伽羅の煙り草
きつく惜しめど その甲斐も亡き 魂衣 ほんにまあ
曲名にある「袖香炉」は、着物の袂に偲ばせ香を燻らせる。亡き人を偲ぶ、追善の沈香が煙立つ。
柳は緑 紅の花を見捨てて 帰る雁
北宋の女流詩人、朱淑真の詩「愁懐」にある『満眼春光色色新 花紅柳緑総関情』や、古今集の伊勢の歌『春霞 立つを見捨てて 行く雁は 花なき里に 住みやならへる』などからとった歌詞は、追善の風情に見事に調和する。当時の文化人の、高い教養がうかがえる歌詞だ。
そして、イチシがこの歌を選んだ理由も何となく分かる。今日、為斗子が買ってきた練り切りは、散り落ちて川に流れる桜の花びらを描いた花筏や、新緑の柳をイメージしたもの。そして先に唄った『蘇州夜曲』にも組み入れられた数々の春の風情。
もうすぐ桜咲く春も終わり、来月には立夏を迎える。
どうして“春”が過ぎゆくのは哀しいのだろう。過ぎゆく季節、特に春ほど惜しまれるものはない。再び巡り来る春は、同じではないと古人は詠んだ。永久に変わらずにあるのものなど、ありはしない――。
「イチシ……【化生守】は、あなたにとって『雁』?」
「さてね…………私にも分からないね。でも……“行きて、還る”ことができるものを、羨ましいとは思うよ」
曲を終えて、為斗子は手を箏の上においたまま、ぽつりと呟く。返すイチシも視線を為斗子に向けることなく、珍しく寂寥に満ちた憂いの表情を浮かべていた。
そんな彼に不安を覚え、為斗子はイチシの側に躙り寄って爪をはめたままの手を、彼の膝に置いた。弓と胡弓を脇に置いたイチシの白い手が、それに重ねられる。
「為斗子……私を置いて行かないで。どこにも還らないで。ずっと私の側に居て……」
「イチシ………」
そっと捧げ持つように為斗子の手が上げられ、自らの両手で包み込んだその手にイチシの顔が寄る。切ない吐息が、優しく囲い込まれた指の間から為斗子の手にかかる。変わらず請い続けられる、彼のただ一つの願い。
被さり伏せられた彼の表情は見えない。艶やかな黒い絹糸の髪が、サラリと音を立てて目の前に広がった。
包み込む手に力がこもる。それにつれて、為斗子の指にはまったままの箏爪が彼の掌を軽く引っ掻いた。
「イチシ、爪、当たってるから、怪我するよ……」
「痛くないよ。ごめんね、為斗子」
困り果てた声色で、途切れがちにかけられる声に、イチシがようやく手を離した。熱を感じる湿った吐息が遠ざかる。
「まだ一緒に弾く?」
「ううん……イチシが聞かせてよ」
ゆっくりと躙り下がる為斗子に穏やかに微笑んで、イチシが残念そうに小首を傾げた。再び胡弓と弓を手にして、構える。もう一度弾かれる『蘇州夜曲』の音色が、静かに為斗子を囲い込んだ。
* * *
バスに乗る前から怪しげな様子だった曇り空は、為斗子が降りるバス停に近づいた頃にとうとう耐えきれずに滴をこぼし始めた。ポツリポツリと空から落ちる滴が、アスファルトを少しずつ染めてゆく。
仕立ての注文品について、お客の要望などを確認する必要がでたため、発注元の呉服店に出向いた帰りの為斗子は、降車ボタンを押しながら窮したため息をついた。天候を意識はしていたのだが、出がけに折りたたみ傘を持ってくるのを忘れていた。帰りのバスに乗って空を見上げたとたんに思い出した忘れ物に、なんとか帰り着くまでもって欲しいと祈っていたのだが、あいにく願いは届かなかったようだ。
バスが到着して、為斗子も降りる。バス停には屋根があり、一緒に降りた中年男性はさっさと傘を開いて立ち去っていった。為斗子は羽織ったスプリングコートの前を合わせて、ふぅっとため息をつく。空は曇天というほどでもなく、雨もパラパラとしたものだが傘も差さずに歩くにはちょっと厳しい。手ぶらならともかく、ついでだからと仕事用の縫い糸などの小物も買い持ち帰っているので、出来ればあまり濡れたくない。
見上げた空の奥は、雲が少し明るい。もう少し待てば、もっと小降りになるだろうか。今日のコートは、綿製ではあるがフード付きのカジュアルなものなので、最悪フードを被って走ればそれほど濡れないかも知れない。
春霖の季節。雨は穏やかに糸のように降りしきる。鈍色の空に、バス停に並び立つ街路樹の鮮やかな海棠の花が濡れて色めき揺れた。花を伝って落ちる滴が、ますます薄紅色の花を彩る。既に先落ちた花が、水たまりに紅色を咲かせた。
傘に雨粒が当たる音と足音が近づいてきた。黒い大きめの傘を差した人物がバス停に向かってくる。上着を脱いだスーツ姿で、手に提げた大きな鞄がサラリーマンよりは学校の先生を思わせる。
バス停に立ち止まって軽く傘の滴を払い、その持ち主は為斗子に見知らぬ同席者に対する軽い会釈をする。為斗子も同じように返したが、お互いに怪訝な表情を浮かべた。何となく知っているような。
「……失礼ですが、もしかして先日お会いした和裁士のお嬢さんでしょうか?」
「え、ええ……。あ、すみません。白鷹宗匠のところの……?」
「はい、そうです。ああ、よかった。人違いだったらどうしようかと思いました」
“へにょ”という擬音が似合いそうな笑顔で、彼――“旭くん”と和菓子屋のおかみさんに呼ばれていた人物は待合のベンチに鞄を降ろし、為斗子に改めて挨拶をした。先日と同じ、やや低い落ち着いた声。
「今日はお着物じゃないんですね」
「ええ、普段はこんな感じで……そちらも、今日はお仕事ですか?」
「あ、はい。僕、この先の博物館で週三回、非常勤の研究員と解説員をしているのですよ」
『大叔父の伝手で、なんとか得た職です』と、本当にバツが悪そうに彼は頭をかく。聞くと、彼は大学院で民俗学を、しかも服飾史などを主に研究していたのだという。だから着物にも詳しく、先日の為斗子の和装姿を見て心が躍ったのだと笑った。
「でも結局、大学に職を得るほどの力もなくて……でも、諦めきれませんでね。うだうだしている僕を見かねて、大叔父が期間限定で呼んでくれたんです。『自分を見極めろ』と言ってね。情けないことですね、ちゃんと自分の手に職を持っているお嬢さんを目の前にして、いい歳をしていつまでも夢を追うなんて」
はにかんだ表情で、彼は肩をすくめた。為斗子よりやや高い位置にある下がり気味の目が、自嘲の色で微笑んだ。行き場のない思いを表すのか、その手が脇に立つ海棠の枝をもてあそぶ。
何か声をかけようとして、つなぐ言葉を見いだせないまま為斗子は、ただ揺れる海棠の花枝を追うだけだった。
「そちらは、これからお出かけですか?」
「いえ、今戻ってきた所なんですが、あいにく傘を忘れてしまって……もう少し雨が弱くなるのを待って帰ろうかと」
気まずい空気を生み出したことを詫びるように、彼は心持ち高い声になって為斗子に問いかける。その返事に、彼はしばし思案する表情を浮かべた後に、教師が生徒に向けるような優しい笑顔を向けた。
「じゃあ、これを。また機会があるときに、あの和菓子屋さんに預けておいてくれればいいですから」
差し出される彼の傘。為斗子は慌てて頭を振る。
「でも、それではそちらが濡れてしまいます」
「こっちは今からバスですし、帰る頃には止んでいるかも知れません。止んでいなくても『春雨じゃ』と格好付けるのも悪くないですし」
為斗子を恐縮させないためだろうか。悪戯な口調で彼は為斗子に傘を押しつけた。折悪く、彼が乗るバスが近づく。
「先日、素晴らしいお召し物を見せていただいたお礼です。では」
為斗子に有無を言わせず、彼はさっさとバスに乗り込んで行ってしまった。発車するバスを、為斗子は傘を手に立ち尽くしたまま見送るだけだった。
バスのエンジン音が聞こえなくなって、為斗子は手の中の傘をジッとみる。柄に『白鷹』と焼き印が押された紳士物の傘。どちらにせよ、こうなったからには一度持ち帰るしかない。
傘に雨粒があたって、微かに軽やかな音色を奏でる。為斗子は少し明るくなり始めた空に向かって歩き出した。
「ただいま、イチシ」
「お帰り。雨だったから心配したよ。…………それ、お店で借りたの?」
玄関で出迎えたイチシが、すかさず見慣れない傘に目をとめる。バス停でたまたま出会した人が貸してくれたのだと、為斗子は何故か後ろめたさを感じながらイチシに説明した。それを面白くもなさそうに聞いて、イチシは為斗子が脱いだコートの水滴を払う。
「…………フードにお花が入っているよ、為斗子」
イチシが雨に濡れた薄紅色の枝を差し出す。バス停にあった、花海棠。偶然落ちたという感じではなく、人の手で手折られた花枝が二本。
「バス停の所に海棠が咲いてたの。雨に濡れると綺麗だね」
「……そうだね。催花雨に見合うし、『海棠の雨に濡れたる風情』と云われるくらいだから……」
為斗子が花枝を受け取ろうとするのを、イチシはスッと手を引っ込めてかわす。怪訝な表情を浮かべる為斗子に、イチシはその手に海棠の枝を持ったまま、にっこりと微笑んで部屋に誘った。何か腑に落ちないものを感じながらも、為斗子は素直に付き従う。
身を軽く拭って部屋に戻り、小物を仕舞いー心地つく。雨はまだ降っている。
あの海棠の花枝は、彼――白鷹さんが入れたのだろうか。
話している間もてあそんでいた枝だったが、いつの間に手折ったのだろう。何も言わない子供じみた悪戯に、為斗子はクスッと笑った。
ふと思い立って、為斗子は客間に移動した。箏を取り出して雲井調子に調弦する。
盛りいみじき海棠に
灑ぐ重ねし 春の雨
花の恨か 喜か
問わんとすれど 露もだし
聞かんとすれど 花いわず
宮城道雄の小曲『海棠』。古曲の形式を残しながらも、宮城道雄らしい新しい感性や手法を取り入れた美しい唄いの曲だ。教則本に掲載される程度の難易度ではあるが、唄の旋律と手の旋律がかなり異なるため、端唄曲の練習としては丁度良い。
夕べ静かに 風吹きて
名殘りの露は 拂はれぬ
風の情か 嫉みにか
問わんとすれど 露もだし
聞かんとすれど 花いわず
短い手事部分を挟んで、二番目の唄が続く。歌詞は土井晩翠の同名の詩。雲井調子の陰音階に似合う。
余韻が収まるのを待って、音を消す。雨の様子を見ようと視線を動かすと、広縁でイチシがなんとも言えない表情で為斗子を見つめていた。
困ったようにやや下げられた眉。怪訝そうに寄せられた目元。愛おしいものを見る口元。何故か複雑な思いをそのままに、イチシが近づいてきた。そしていつものように、背中からそっと抱きしめる。
「…………イチシ?」
「――何も聞かない。何も問わない。だから、今は何も言わないで」
肩口に押しつけられる吐息の熱。その言葉だけを発して、イチシはただ為斗子を抱きしめる。為斗子もただジッと、その熱を感じるだけだった。
外は春の雨が、ただシトシトと降りしきる。白糸のような、イチシの指のように白く細い雨が、まるで檻の格子のように見えた。
入浴を終え、寝支度を済ませて為斗子は自室に戻った。枕辺の間接照明に照らされて、部屋の隅がぼんやりと陰る。ふと見慣れない色を感じて、為斗子は文机の方に目を向けた。白い花瓶に活けられた、一抱えもありそうな海棠の花。優しいながらも色鮮やかな薄紅色が、小暗い部屋の中で艶やかに浮かぶ。
先ほどのフードにあった花枝とはまるで違う、今が盛りの鮮やかな色。
「イチシの仕業……だよね?」
問うても、返す声はない。花も黙したまま、静かに咲き誇る。
ほとんど香ることのない微かな花の気配だけが、静かに為斗子の眠りを包んだ。眠りに落ちる微睡みの時、為斗子は微かに誰かの気配を感じる。耳に響く、微かな声。
『あかぬ夜の 春のともし火 きゆる雨に ねぶれる花よ ねぶらずを見む』
黙す花はやがて散りゆき、再び巡る季節の中で花を咲かせる。
帰り来ない過去の時を思い。
行方の知れない未来の時を思い。
静かに降りしきる雨の檻の中。閉じ込められたままの二人の幸せが、今日も粛々と続く。
----------
《邦楽・楽曲のアレコレ》
----------
【袖香炉】
:地唄の端唄物。作曲・峰崎勾当、作詞・錺屋次郎兵衛。峰崎勾当の師である豊賀検校の追善のために作られた曲。
:標題の「袖香炉」とは、沈香などを燻らせる携帯用の小さな丸い香炉のことで、通常は袖の中(袂)に入れて用います。
:作中でイチシが『季節が違うけれど』と言っているのは、用いられる歌詞にあるとおり、本来は初春(梅の季節)の曲ですが、祖母の追慕ということで選択しました。地唄箏曲では、基本的に三絃曲であり、合奏の場合は箏と三絃で演奏することが多いと思います。(というか作者も本来はそのバージョンしか知りません)
◎歌詞に組み入れられている詩歌
[春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香かやは隠るる]
:『古今和歌集』巻一・四一 凡河内躬恒
[満眼春光色色新 花紅柳緑総関情 欲将鬱結心頭事 付与黄鶯叫幾声]
:「愁懐」朱淑真
:満眼の春光、色色新たなり 花は紅、柳は緑に、総て情に関す
将鬱結せる心頭の事を将って 黄鶯に付与して、幾声か叫ばしめんと欲す
[春霞 立つを見捨てて 行く雁は 花なき里に 住みやならへる]
:『古今和歌集』巻一・三一 伊勢
【海棠】
:宮城道雄作曲の小曲。歌詞は土井晩翠(1871-1952)の同名の詩による。
:練習曲の位置づけだが、習い事の教則テキスト的な位置づけにある『宮城道雄小曲集』巻二の最後を飾る曲だけあって、難易度はそこそこ。唄が結構難しい。
※実は、作者は未だにこの歌詞の意味を掴みかねています……お師匠さんは「三角関係の歌のつもりで唄いなさい」とおっしゃっていましたが……それって同じ「海棠」のエピソードでも、小林秀雄と中原中也の方では?(土井晩翠の詩は、底本『天地有情』が1899年刊。中原中也と小林秀雄との三角関係が1920年代ですので、時代が合わない) 普通に考えたら「海棠」と言えば、楊貴妃の方ですよね……? 誰か教えてください……。
----------
《花のアレコレ》
----------
【海棠】
:中国原産のバラ科リンゴ属の花木。通常は「ハナカイドウ」(花海棠)の方を指します。
:桜が終わる頃に、桜や桃にも似た薄紅色の花を咲かせます。半八重の花は小さめで、風に揺れる可憐な風情が好まれます。桜以上に花期が短いのですが、先端の蕾から順番に咲いてゆくので、全体の花期は長めです。
:寒耐性があり丈夫なため、庭木や植え込みなどにもよく使われます。
:花言葉は【美人の眠り】【温和】【可憐】など。
:『海棠の眠り未だ足らず』という成語で有名です。語義は『眠りが足りず酔いのさめきらない美人のなまめかしさを海棠の花にたとえたもの』(大辞林)でして、元は玄宗皇帝が酔って眠る楊貴妃を称したものです。
:『海棠の雨に濡れたる風情』は、『雨に濡れてうちしおれた海棠のように、美人が可憐にうちしおれた様』を表現する賛辞の成句です。
----------
《作中の詩歌たち》
----------
●其ノ肆 + 表題
【盛りいみじき海棠に~】
:諸事情(?)で、急遽第六話の主題詩歌となりました……あははは……(やけっぱち)
●其ノ弐(前書き)
【うれしきを~】
:和装男子登場記念(?) あまり深い意味はありません。
:おおよその歌意
《この嬉しい気持ちを何に包みましょうか。(もっとたくさん包めるように)衣の袂を、もっとたっぷりと裁断しなさいといえばよかった》
●其ノ参(前書き)
【池水に~】
:イチシが佐保子に供えた「馬酔木」つながりで選びました。この後登場する地唄『袖香炉』にも合わせ“香り”を主題に選んでいます。
:おおよその歌意
《池の水にその姿の影を映して美しく咲き誇る、馬酔木の花を袖に入れましょう(香りが良いから)》
●其ノ肆(前書き)
【花のごと~】
:第六話のメインテーマ関連です。……著作権に引っかからなければ『蘇州夜曲』からもってきたんですが……はう。
:おおよその歌意
《花のように、一年経てば再び咲くことが世のすべての慣わしだとしたら、過ぎ去った昔もまたかえってくるだろうに(しかし昔は帰ってこない)》
●其ノ肆(作中)
【あかぬ夜の~】
:藤原惺窩の詩歌です。題はそのまま「海棠」、出典は『惺窩先生倭謌集』より、です。
:イチシさんの心の叫び(?)……嘘です。でも何故かぴったり填まった。ヤンデレ、コワイ。
:おおよその歌意
《いつまでも飽きることのない春の夜に、燈火が雨に湿って消えてゆく。その雨に濡れて眠っている(海棠の)花よ、私は眠らずに見ているよ》
***********
-----本当の後書き-----
【化生守】本編第六話をお届けいたします。
諸事情で、物語の大枠は変わらないものの、描写が大幅に書き直しとなったため、全体のバランスが悪くなりました。
最後の「海棠」がらみの話がね……ちょっと蛇足気味かも知れません。ですが五分割するにはキリが悪く、最終「其ノ四」だけ6700字と長くなりました。申し訳ありません。
今話は中継ぎ的な話ですが、ようやく登場できた人物が。出番が来るまで長かったね、旭くん。
ということで新キャラは和装男子です。作者の趣味が炸裂しました。イチシのように普段着ではありませんが、為斗子程度には着せたいなぁ。
彼は「どっちかというと、残念くん」の予定(?) 単なるモラトリアム中の衣装オタクかも知れない……。おかしいなー、トンペー出身のはずなのに。いわゆる“アカポス”(アカデミック・ポストの略。大学教員などの学術研究職のこと)を得られないまま修了してしまった大学院生の進路は悲惨です……彼も、正規の学芸員にもなれずに、ある意味順番待ち状態。これが現実なのよね……。博物館などで働く「学芸員」は、資格だけなら大卒で取得できますが、普通は修士(マスター)以上で博士(ドクター)持ちも多いです。考古学か美術史・民俗史・自然史、書誌学、などのスペシャリストです。ダブルマスター・ダブルディグリー(複数の修士以上の学位をもっている)も珍しくないですね。学芸員は超・狭き門をくぐり抜けた、高度な専門知識と技術に裏打ちされたプロフェッションです。(一方で、採用にはコネクションも重要だという、生々しい話も……汗)
和菓子で糖分要素をごまかしたような気もしますが、今回はこんな感じで。相変わらず、イチシさんがちょっとヤンデレ乙女です。本作、誰がヒロインなんだか。
-----
為斗子:『お花もらっちゃった』
イチシ:『もっと綺麗なのをあげるよ』(こっちはポイっ)
心の声:『為斗子に花をあげるのは、私だけの役目……(おどろおどろしい気配)』(←冗談です、冗談ですってばっ)
-----
そろそろ季節も2/3を過ぎ、どのあたりで物語を畳もうか考え始めました。この「小説(物語)」としての最終話はあらかた決まっているのですが、その間にどれくらいエピソードを挟むか?ですね。 少なくとも現状ではまだ説明不足なので、じっくり無理なく最終話に持って行けるよう考えたいと思います。
今話もお読みいただき、ありがとうございます。次話もどうぞよろしくお願いします。