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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第六話【聞かんとすれど、花いわず】 ~ 穀雨/虹始見
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聞かんとすれど、花いわず【其ノ弐】

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うれしきを (なに)につつまむ 唐衣(からころも)

(たもと)ゆたかに ()てと()はましを

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『古今和歌集』巻十七・八六五  詠み人知らず





 しゃんとした後ろ姿を未練がましく見送る為斗子に構うことなく、あっという間に二人の背中は街並みに飲み込まれていった。

 思わぬ元同級生との邂逅(かいこう)に若干複雑な思いを抱かされたまま、為斗子一つ息を吐いて郵便局を後にし、次の目的地に向かう。舟形下駄の足音は、先よりも軽快さを欠いていた。それでも慣れたその足取りは一定のリズムを保ったまま、目指す店舗の瓦屋根を視界にとらえるまで路地に響いた。

 為斗子の味覚は、年齢に見合わず渋い。食事はもっぱら和食だし、甘味もクリームより(あん)や干菓子などの和菓子を好む。祖父母との生活によって(つちか)われた味覚ではあるが、今となっては単なる嗜好でしかない。飲み物だけは、日本茶のみならず茶ならなんでも好んで飲むし、珈琲だって好きだ。だが飲み物が何であっても、お茶請けとしては和菓子を選ぶ為斗子だった。

 今日は祖母の月命日ということもあり、祖母が贔屓にしていた和菓子店まで足を延ばした。練り切りを始めとする上生菓子に定評のある老舗で、茶人たちからの評判もいい。祖母だけでなく、数寄者(すきしゃ)寒河江(さがえ)さんも贔屓にしている店だ。色艶やかな練り切りと季節ならではの桜餅を買おうと、為斗子は遠目に拝んだ店を目指して少し元気を取り戻した下駄の音を鳴らした。


 シャラチリリン……と、上品な明珍火箸(みょうちんひばし)の音に迎えられた店内には、他の客の姿もあった。丁度入れ違いに店を出ようとする老婦人に慌てて戸口を譲り、為斗子は店内へ足を進める。そして、数歩進んで足を止めた。

 目にも美味に感じる商品が並ぶ、ガラスのショーケース。その前に立つ人物の姿に、思わず目が奪われたのだ。

 平均よりやや小柄、と言って良いのか比較対象をあまり知らない為斗子には分かりかねるが、自分よりは少し背の高い青年。後ろ姿からは中肉中背としか思えない、凡庸な立ち姿。清潔に整えられているが無造作にも見える黒髪は、見慣れたイチシの艶やかな髪と比較するとぼやけたような印象を受ける。

 それでも為斗子が注目してしまったのは、彼の服装だった。


「…………着物?」


 落ち着いた利休白茶(りきゅうしらちゃ)の無地の御召(おめし)に、憲法黒(けんぽうぐろ)の紬の袴。立ち姿にも着慣れた風情を感じさせる、堂に入った着こなし。

 ただでさえ男性の和装姿は珍しいのだが、それが二十代らしき青年となると、いったい何があるのだろうと(いぶか)しんでしまう。

 自身が和装姿であることを忘れ、為斗子は不躾と思われない程度ではあるが、まじまじとその青年の後ろ姿を見つめてしまった。

 新たな客に対する店員の声かけと、近づくと思わせて突然止まった足音を同じように訝しんだのか、和装の青年が振り返る。視線が交差した。

 どこか垢抜けない真面目そうな顔つきの青年は、為斗子の姿を認めると同じように目を(しばたた)かせ若干の驚きの表情を浮かべる。特に目を引く顔立ちではないが、すっとした鼻梁が印象的だった。

 いくら老舗の和菓子店とはいえ、和装姿の若者が揃うことは滅多にないだろう。為斗子もよく知る店員さんが、二人を交互に見遣って『あらまあ』と感慨深い声を漏らした。


「いらっしゃいませ。まあ、珍しいこと。お店の雰囲気に似合って、いいものね」


 祖父母とも顔見知りであったベテラン店員が、朗らかな笑顔で為斗子に声をかける。しばし茫然と立ち尽くしていた為斗子は小さくかぶりを振り、慌ててショーケースの前に向かった。その姿を、青年の視線が追うのが感じられた。

 ざっとケースを見渡して、季節の上生菓子を選ぶ。店員さんのお薦めも聞きながら、目にも和らぎを与える菜の花を形取ったものと、桜流れる花筏(はないかだ)を描写したというもの、そして今期の新作だという柳絮(りゅうじょ)の風情をイメージしたという練り切りをそれぞれ選んだ。朝生菓子は道明寺。ここの店は本当に道明寺粉を用いた本式のもので、餡も粒餡だ。

 品が包まれるのを待つ為斗子は、『チャリッ』と微かに響いた雪駄(せった)(びょう)の音に視線を向ける。そして、固まった。

 先に店内にいたあの和装の青年が、手が届きそうな位置に立っていて、為斗子を見ていた。慣れない他人との距離に驚いたが、二呼吸おいてその様子が少し異なることに気付く。彼の目線は為斗子そのものではなく、着物に引きつけられているようだった。


「……あ、あの……何か?」


 悪気も何もなさそうな風情を見て、為斗子はややかすれた声で問いかけた。その声に我に返ったかのように、青年はビクッと肩を揺らし慌てた口調で詫びた。


「あっ……そ、その……す、すみません」


 為斗子がその姿から思い描いたものよりは、低い声。誠実さと木訥さが醸し出される声だった。


「不躾に見てしまって、すみません。ですが、そのお召し物、古い良い品ですね。本物の紅花一斤染めでしょう? きっと、置賜(おいたま)のものですよね?」


 その声が発したものは、その堂に入った和装姿に相応しい、だが年齢や雰囲気からは意外にも感じられる問いかけだった。

 目の前の彼が言うとおり、為斗子が身にまとうものは紅花染めの置賜紬(おいたまつむぎ)。最近では織元も少なく、伝統的工芸品指定を受ける絹織物だ。祖母の若い頃のものだというが、当時から優れた技術で名をあげていた白鷹(しらたか)の産だという。

 白鷹、といえば熟練の技巧で作られる縦緯絣の“白鷹御召(しらたかおめし)”が有名だが、それ以外の紬地や周辺の米沢・長井で作られるものを総じて「置賜紬」と呼んでいるのだ。

 だが同じ「紬」でも、大島紬(おおしまつむぎ)結城紬(ゆうきつむぎ)などの名称に比べればマイナーであり、そもそも和装に造詣がなければ言葉すら知らないだろう。彼は伊達や酔狂で和装姿である訳ではなく、また純粋に為斗子の衣装に目が奪われたが故の接近だったようだ。

 何故か安心してしまい、為斗子は若干はにかんだ笑みをのせて羽織(はおり)の袖を彼に向かって広げて見せた。


「着物にお詳しいんですね。驚きました。これ、祖母のものを仕立て直したんです。おっしゃるとおり、紅花染めの白鷹紬(しらたかつむぎ)です。板締小絣(いたじめこがすり)で七宝つなぎ柄は珍しいかも知れませんね」

「ああ、やっぱり。帯に合わせて南風原(はえばる)の琉球絣か米琉(よねりゅう)かと思いましたが、白鷹ですか。色合いが天然草木染めならではですし、風合いが軽そうだったので古い置賜だとは思ったのですが、当たりましたね。それにしても、白鷹ですか……同じだ。奇縁です。遠目に見ても、熟練の技で丁寧に織られた良い品です。最近ではあまり見られないものでしょうね。ありがとうございます。良いものを見せていただきました。帯も花鳥更紗(かちょうさらさ)紅型(びんがた)で、大変お似合いです。そちらは京紅型でしょうが、はんなりとした色使いが紅花の色味に合いますね……っと、すみません。変なことをお尋ねして」


 妙に熱が入っていたが、為斗子自身ではなく衣装に向けられるその言葉には安堵感がある。何よりも、和裁士として仕事をする為斗子としては、着物や織物に対する確りとした内容の言葉が新鮮で嬉しい。次々と飛び出す、普通の人には暗号のようにも聞こえるであろう専門用語に、ただ驚くばかりだ。

 そんな彼が着ているものは、それほど気張ったものではない御召の長着と模様もない紬地の袴の組み合わせだが、だからこそ身に馴染んだ風合いがあった。


「まあ、(あさひ)くん。突然知らないお嬢さんに話しかけるなんて、失礼よ」


 奥から風呂敷に包まれた大きな容器を持って、この店のおかみさんが顔を見せた。ばつが悪そうに頭をかいて、“旭くん”と呼ばれた彼は風呂敷包みを受け取る。再び雪駄の鋲が、チャリッと軽快な音色を奏でた。


「旭くんは、守屋のお嬢さんは初めてよね。こちらの着物姿が似合うお嬢さん、和裁士さんなのよ。お祖母様も腕の立つ和裁士さんで、確か白鷹(しらたか)宗匠(せんせい)も注文されていたんじゃないかしらね。お祖父様が箏の先生で。お若いけれど、旭くんよりも着物姿には一日の長があるかもね」


 祖父母とも面識があったおかみさんは、さらっとした口調で為斗子のことを彼に説明する。その説明内容に、彼は小さく頷きながら得心した表情を浮かべた。


「こんにちは、守屋のお嬢さん。こちらの彼、白鷹宗匠(せんせい)のお身内の方で、宗匠の所に先月初めからいらっしゃるの。そのうち、跡を継がれる……のよね? そういえば、宗匠(せんせい)はそこまでおっしゃっていなかったわね……居候(いそうろう)だって言いながらも、嬉しそうだったけれど。どうなの、旭くん?」


 途中まで彼を紹介して、おかみさんは怪訝な表情に変わると彼と顔をつきあわせた。彼は苦笑いで『僕では、まだまだ無理ですよ』と肩をすくめる。


 “白鷹宗匠”は、この街で茶道の師匠をしている人だ。為斗子も知っている。何故ならば、祖父の友人である寒河江(さがえ)さんの茶人仲間であり、その縁で祖父母ともつながりのある人だったからだ。親しい交流はなかったが、それでも祖父母の葬儀にはお参りに来てくれていたはずだ。

 その言葉を聞いて、為斗子は彼の足下に目を向けた。袴の下からのぞくのは、白足袋と白鼻緒の雪駄。確かに茶人の装い、そのままだった。


「さすがですね」


 そんな為斗子に、再び低く優しい声がかかる。顔を上げると、出来の良い生徒に感心する教師のような表情を浮かべた彼が優しく笑っていた。


「大叔父の名前を聞いて、すぐに僕の足下を確認するなんて。造詣が深くないと、思いもつかない動作ですよ。お若いのに、本当に凄いですね」


 『茶人は雪駄、白足袋に白鼻緒』というのは、茶道を嗜む者にとってはよく知られたことかも知れないが、広く知られた常識とまでは言えない。『茶道師匠の元に居る』と聞いて、即座にそれを確認した為斗子に、彼は感服した様子だった。


「あ……いえ、教えてくださる方がいたので……。自分が凄い訳じゃないです」


 見ず知らずの他人に褒められるのは、いつも気恥ずかしさがあり謙遜が先に立つ。特に茶の湯の世界については、為斗子自身はほとんど経験がなく、もっぱら祖父と寒河江さんが教えてくれたことが頼りだ。


「失礼ですが、隣市にある寒河江酒造をご存じでしょうか? 私、あちらのご主人と祖父を通じて少しだけ縁がありまして……色々と教えていただいています。知識だけですが」

「ああ、寒河江さん。はい、存じ上げています。そうでしたか」


 腑に落ちた表情で、彼は小さく頷いてみせた。そして手にある風呂敷包みを、しっかりと抱え直す。


「すみません、お引き留めして。僕もお使いの途中ですから、これで失礼します。では」


 おかみさんと為斗子に丁寧に頭を下げ、シャラチリンと、明珍(みょうちん)を鳴らして彼は店を出て行った。為斗子が頼んだ品の包装も終わっており、代金を支払って為斗子も店を後にする。おかみさんと知己の店員さんは、彼についてまだ何か語りたそうだったが、為斗子は曖昧に微笑んでそのまま帰った。


 帰路、そういえば彼とは直接的に名乗り合うこともなかったことに気付き、クスッと笑う。直接話したことは、身につけているものについてだけだ。

 和装姿であることの理由は分かったが、それにしても何故ああ(・・)も彼は着物に詳しかったのだろう。触りもせず生地や染めの種類や産地を見抜くのは、並大抵のことではない。為斗子の紬が『白鷹紬だ』と言った時の『同じだ』という言葉は、彼の姓のことだったのだ。多少は知っていてもおかしくはない。それでも、広く知られている訳ではない素材や製法の言葉がサラリと出てくるなんて、不思議で仕方なかった。

 会話に込められた熱も、布地とその生産者に対する敬意と憧憬に溢れてはいたが、その中身(為斗子自身) にはあまり興味がない風で。

 こんな“些細で刹那の交流”もあるのだと、なんだか可笑しかった。


 不思議な邂逅が続いたお出かけだった。

 昔懐かしい人との再会と、一瞬の交流。

 初めての人との出会いと、刹那の交流。


 春は出会いの季節だという。

 春霞たなびく空を見上げ、為斗子は往路よりも軽快な気分で下駄を鳴らして家に帰って行った。





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《和装のアレコレ》

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白鷹紬(しらたかつむぎ)

:作中で紹介していますが、山形県置賜(おきたま)地方白鷹(しらたか)町で生産される紬の名称です。

:置賜地方は紬の産地で、他に米沢紬(よねざわつむぎ)長井紬(ながいつむぎ)などがあり、まとめて「置賜紬(おいたまつむぎ)」と称します。

:山形県と言えば紅花(べにばな)。「一斤(いっこん)染め」という和の色は、この紅花一斤(いっきん)で絹一疋(いっぴき)(二反分)を染めた場合の色を指します。薄ピンクの柔らかい色合いです。奢侈禁止の世において、高価な紅花を用いた庶民の染め色に許された色でした。いわゆる「(ゆる)し色」の一つです。


雪駄(せった)

:男性用の履き物。ある意味、草履(ぞうり)の一種ですが、造りが多少違います。

:原則、竹皮か棕櫚(しゅろ)(とう)などを編んだ表地で、裏は歯がなく象皮(ぞうひ)という牛革製です。草履との区別は、「重ね芯」という表と裏革の間に挟まれる芯がほとんどないことと、踵裏に金属の金具(鋲)が打ってあることです。

:裏に鋲があるので、歩くとチャリチャリ音が鳴ります。この音を嫌う人もいますが、作者は結構好きです。

:鼻緒の色は自由ですが、礼装及び茶席では白鼻緒と決まっています。茶人は普段から下駄より雪駄を履くことが多いようです。好みの問題でしかないでしょうが。


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《初登場の人物の名前》(その壱、その弐)

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前羽(まえば) 椿(つばき)

:為斗子の元同級生。「委員長」タイプの優等生。現在大学四年生で、多分このまま霞ヶ関の住人になることでしょう。川内南所属の設定。


坂町(さかまち) 稲穂(いなほ)

:前羽椿の友人。大学の同期。


白鷹(しらたか) (あさひ)

:為斗子が和菓子屋で遭遇した和装の青年。大叔父は茶道の師匠(宗匠)で、この春から居候中。

※彼については、追々……。着物男子、二号(完全に作者の趣味)


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