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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第六話【聞かんとすれど、花いわず】 ~ 穀雨/虹始見
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聞かんとすれど、花いわず【其ノ壱】

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(はな)(うらみ)(よろこび)

()わんとすれど (つゆ)もだし

()かんとすれど (はな)いわず

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「海棠」より 『宮城道雄小曲集』第二集  作詞:土井晩翠





 カラン カツッカツッ


 玄関の三和土(たたき)に軽やかな下駄を音を鳴らし、為斗子(いとこ)は式台から立ち上がった。いつも近所へのお出かけで使う、塩瀬で作ったあずま袋の中身を軽く確認して、玄関の引き戸に向かって二歩、足を進める。少し赤みの強い糸春雨(いとはるさめ)塗りの舟形下駄が、再び小気味よい音をあげた。


「じゃあ、行ってくるから。そんなに手間はかからないと思うけど、後はお願いするね、イチシ」


 為斗子が振り返った先では、イチシが穏やかに微笑んで立っている。藍鼠(あいねず)色の袖が揺れて、小さく見送りの手のひらが振られた。


「うん。為斗子も気をつけてね。焦らなくても、お昼の支度は私がやっておくから」

「ありがとう、じゃあ。ちゃんと甘い物も買ってくるね」


 一斤染(いっこんぞめ)の優しく淡い紅色が暗い玄関で(ひるがえ)って、外の明るい日差しに吸い込まれてゆく。七宝(しっぽう)つなぎ柄の(つむぎ)アンサンブルに身を包んだ為斗子は、幾分急ぎ足で家を出た。

 今日は祖母の月命日(つきめいにち)であり、お昼を供膳にしてゆっくりと過ごすつもりだった。イチシが勧めることもあって、祖母に所縁(ゆかり)のある着物姿にしたのだが、その後で今日までに振り込まなければいけない出納を思い出した。

 もう一度着替えるまでもないかとそのまま家を出た訳だが、平日の昼日中に若い女性が着物姿で歩いているのはそれなりに目立つ。近所づきあいもあまりない為斗子ではあるが、それでも郵便局にたどり着くまでの間に、顔見知りの二、三人に声をかけられた。

 知らない人や親しくない人と接することが苦手な為斗子だが、本当の意味で“人嫌い”ではない。もしかすると、心のどこかでは人との接触を強く望んでいるのではないかと、最近は思うようにもなった。


 祖父母とイチシだけの静かな暮らしは、その人数を減らすにつれ彼女を寂しさに慣れさせていったけれども、一方で些細な交流を彩りとして求める気持ちをも育んでいった。一緒に出かけたり、家に呼ばれたりする交流を持つ人は祖父母を通じた年上の知人ばかりだが、馴染みの商店や和裁を請け負う呉服店などで時折出会う年の近い見知らぬ人々とも、最近はそれなりに日常会話を交わす程度の交流ができる。

 為斗子は「本当に、独り」で居るわけではない。物心ついてこのかた、傍らにはイチシの存在があった。だから「本当の孤独」は知らない。

 だが祖父母を失い、彼とだけ過ごす日常の中で、為斗子の中にも変化が生じてきたのだろう。いつかは選ばなくてはならない『自分が孤独でいないための方法』――曖昧で胡乱(うろん)でさえある永久(とわ)の温もりをとるか、不定ではあるが確実にそこにある刹那の温もりをとるか。その選択のために、自然と“他人に目を向ける”ことが多くなったのかも知れない。

 むろん、永久を望むイチシにとっては望ましい変化ではないはずだ。だが、彼は為斗子が進んで望むことには表立って干渉しない。ただ切なく哀しそうに為斗子に微笑み、請うだけだ。そして為斗子は、その白い手に捕らわれて立ち竦む――。


 春霞に煙る空を見上げて、為斗子は小さく息を吐く。素直に彼が望むまま共に生きられたら、どれほど楽だろう。でも、それが「自分が心から望む未来」だとは、まだ言えない。輝く未来として、彼と永久を歩む姿が選べない。

 何故ならば、他を知らないから。

 イチシ以外の誰かと、心通わせたことがないから。

 先日、柏原さんが言ったように。寒河江さんや醒ヶ井さん達が、日頃遠回しに告げるように。選ぶための“誰か”が必要なのかも知れない。

 周囲の皆が望むのは、その誰かと共にあることだろうが、為斗子の考えは違う。その“誰か”に背中を押してもらいたいのだ。()の手を取るにせよ、取らないにせよ。足が竦んで立ち止まったままの自分を、無理矢理にでも動かしてくれる“誰か”が必要なのかも知れない。


「…………でもそれって、とっても失礼で、おこがましいよね……」


 ため息と共に、独り言つ。そんな自分の狡さが、相変わらず嫌いだ。


 彼が怖くないと言えば、嘘になる。

 彼から離れたいと言えば、嘘になる。


 自分でも分からないその気持ちを、誰に問えば教えてくれるだろう。

 誰に聞けば、この背を押してくれるだろう。

 もう一つため息をついて、為斗子は再び下駄を鳴らして歩き出した。



* * *



 到着した郵便局で、振り込み手続きをとる。最近はオンライン振り込みが多くなっているらしいが、為斗子のように未だデジタル機器に疎い人間は窓口での手続きだ。和装姿が目立つのか、既に建物内にいた数人がチラチラと記帳台にいる為斗子をうかがっているのが感じられた。

 番号が呼ばれ窓口に向かう際、同じくらいの年頃の二人組と目が合った。濃紺のかっちりとしたリクルートスーツ。膝丈のスカートは皺一つなく、白い襟元はきっちりと伸びて、清潔感がある。いかにも「就職活動中」の姿ながら、持つ雰囲気は華やかだ。

 背が高い方の人物の目元がわずかに寄って、何かを思い出すような動きを見せる。為斗子もその表情に覚えがあるような気がして、しばし二人は見つめ合った。

 窓口で手続きをし、完了するまで再びカウンター前を離れて空いた椅子に座る。リクルートスーツの二人組は、背の低い方が何か大切な書類を送るようで、同じく記帳台で封筒の中身を確認していた。

 ちらりと横目で様子をうかがう為斗子に対し、背の高い方の彼女はジッと為斗子を見つめているのが分かった。堂々としたその態度に、為斗子は再び何かを思い出しそうになる。しゃんとした姿勢に確かに覚えがあった。


「守屋さーん」


 窓口から手続き完了の声がかかる。軽く下駄を鳴らして為斗子はカウンターに向かった。その瞬間、リクルートスーツの彼女が小さな声を上げたのが聞こえた。


「……守屋さん? もしかして、第二小と南中の? 守屋……為斗子さん?」

「えっ?」


 窓口手続きを終えて出口に向かおうとした為斗子に、リクルートスーツの彼女が声をかける。見上げた先で、奇遇さへの驚きと懐かしさを混ぜ合わせた視線の彼女が、爽快な表情で為斗子を見ていた。

 その声を聞いて、昔の記憶がよみがえる。いつも堂々とした態度と凜然とした声。クラスをまとめ上げ、皆の中心にいた彼女――。


「もしかして……委員長? …………前羽(まえば)さん?」


 昔の肩書きよりも遅れてようやく思い出せた名前に、リクルートスーツの二人組がそろって反応した。前羽さんは確信を得た満足感あふれる表情に、連れのもう片方は一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、破顔して軽快な笑い声をあげた。


「開口一番、い、『委員長』って! 名前より先に『委員長』って!! 椿(つばき)ってば、昔っからそうだったんだ! やばい、ウケるーっ」

「笑うことないでしょー、どうせ私は『委員長』が似合う女ですよー」

「伊達に小中高と生徒会長歴任したことだけはあるねー、さすがですコト!」


 仲の良さをうかがえる、気兼ねない会話。自分の一言がもたらした場景に、為斗子は申し訳なさと同時に寂寥を感じて立ちすくんだ。

 声をかけてきた相手は、為斗子と小学校、中学校で一緒だった同級生だった。昔から姉御気質と言おうか、面倒見がよくリーダーシップがとれるタイプで、当たり前のように学級委員を務め、生徒会役員の常連だった彼女だ。

 為斗子にとって学校生活は苦痛の場だった。勉強は嫌いではなかった。だが「友達」と呼べる相手を作ることも出来ず、ただ集団の周囲にいて深く接することなく過ごす為斗子は、級友達にとっても対処に困る相手であっただろう。幸いに、深刻な虐めにあうことはなかったが、その理由の一つは彼女、前羽(まえば)椿(つばき)さんの存在があったからだ。

 正義感の強い彼女は、そのカリスマ性でもってクラス内に陰湿な雰囲気が生じるのを、最大限防いでくれた。おかげで為斗子の学校生活は、なんとか“つかず離れず、望んだ孤立”を保てたようなものだ。今を思えば、教師達はあえて彼女と同じクラスに為斗子を入れたのだろう。小学校も中学校も三クラス程度の小規模校であったとはいえ、九年間同じクラスだったのは意図的であったとしか思えない。

 同級生達との交流も、現在に至る付き合いもなかった為斗子とはいえ、さすがに九年間を同じクラスで過ごし、遠くからとはいえ為斗子を気遣ってくれていた彼女のことは覚えているし、ある程度その動向も知っている。この地域では最も有名な進学校に進み、北の方の名門大学に進学したと噂に聞いた。自分たちの年齢と彼女たちの服装を改めて思い直し、為斗子は彼女たちと道が分かれてからの六年間という年月を実感させられた。


「あー、もう。稲穂(いなほ)は変なツッコミが激しいんだからー。あ、ほら。守屋さん、引いてる。ごめん! この子、遠慮なしで!!」

「なんで椿がフォローするのさー。だから『いいんちょー』なんだってば」

「あー、もう、しつこいってば」


 言葉だけならキツい部分もあるが、二人の口調も表情も笑いにあふれるもので、その騒々しさに局内にいた誰かが一つ咳払いをする。とたん、雰囲気を察した二人は口をつぐみ、稲穂と呼ばれていた彼女は慌てて郵便料金の確認をしに、窓口に向かっていった。

 すぐに戻ってきた彼女と共に、促されて為斗子も一緒に局を出る。外に出て、改めて為斗子と彼女たちは挨拶と自己紹介をかわした。


「ごめんね、騒がしくしちゃって。でも驚いた。本当に守屋さんなんだ」

「こっちこそ、すぐに思い出せなくてごめんなさい……でも、声を聞いたら思い出したの。お久しぶり、前羽さん。こっちに戻ってたの?」

「もう明日には帰るけれどね。こっちでこの子がどうしても参加したい説明会があるって言って、ホテル代わりにされたの」

「あ、ひどーい、椿。大事な親友の実家に遊びに来ただけなのにー」

「じゃあ何で私たちは、リクルートスーツなんか着ているんでしょーね?」

「椿だって、ちょっとは関心があった企業でしょー?」

「私の第一志望は、国家公務員! 民間は押さえ!」

「このご時世に、余裕ですことー?」


 再び軽快な掛け合いに戻ってゆく二人に、言葉通りの親友関係が明らかに映る。多少の羨望を持った視線で自分たちを見つめる為斗子に気付き、稲穂と呼ばれていた彼女の方がぺこんと頭を下げて名乗った。


「わたし、坂町(さかまち)って言います。椿――前羽さんとは大学から、友人付き合いさせてもらっているんだ。初めまして、えっと……守屋さん?」

「あ……はい。私、前羽さんとは中学校まで同級生で……守屋と言います」


 彼女たちの軽快な口調に比べれば、おどおどした風情を隠せない声。それでも坂町と名乗った彼女は嫌な顔一つせず、にっこりと笑いかけてきた。


「最初はねー、同い年くらいの女の子が、やけに堂に入った着物姿で入ってくるから、何者かと思っちゃった。まさか椿の同級生だとはねー」

「守屋さんはね、確か……えっと、なんだっけ、着物を縫う仕事しているんだよね?」

「あ、はい……」

「へーーっ 凄い、職人さんなんだ。自立してて凄いねー。わたしもちゃんと就職決めなきゃ」

「あんたは、贅沢言いすぎなの! 条件もっと緩めなって」

「未来のお役人サマに言われたくなーい」


 “和裁士(わさいし)”という名称こそ出てこなかったが、彼女も為斗子の動向を知っていたようだ。高校卒業までこの街にいたので、何かしら噂に聞くことはあったのだろう。それでも直接の接点もない古い同級生を覚えていてくれたことが、無性に嬉しかった。

 その一方で、自分の現状を「凄い」と称してくれたことに、(かしこ)まってしまう。自分自身では『自立している』とは、とても思えない。確かに手に職を得てはいるが、本気でそれだけで生きていけるほどの覚悟も技量もない。日常だって、イチシに依存して――。

 そう考えて、為斗子は再びやるせない気持ちになる。

 何の覚悟もない自分。ただ周囲の優しさに甘えて、揺蕩(たゆた)うような日々を送るだけ。彼を待たせるだけの残酷な日々。『独りにしない』という、その言葉の支えがなければ生きていけない自分。


「守屋さん? なんか気に障った?」


 表情が陰ったことに即座に気付いた前羽さんが、心配する視線を投げかけてくる。同様に連れの彼女、坂町さんも気まずそうな表情を浮かべた。慌てて為斗子は首を振って、表情を戻す。二人は何も悪くないのに、申し訳ない。


「ううん、違うの。二人がとても輝いてみえて……ちょっと自己反省しただけ」


 完全な嘘ではない。為斗子には二人が眩しかった。自分の足で立ち、先へ進もうとする二人。これが、同じ年の皆が直面し、迷いながらも一歩ずつ進んでいるであろう道。自分は、まだ立ち竦んでいるだけなのに。


「わー、輝いているだって、椿! 聞いた? 初対面の人に『輝いている』って言われちゃった! 人事のヒトにも聞いてもらいたーい!」

「はいはい、あんたはいつも輝いてますよ」

「つれないのー」


 ケラケラと笑う彼女の表情は、本当に輝いていた。それを呆れたように見守る前羽さんの視線は温かく、これも輝いていた。春の日だまりのように、心地よさだけを与える温もり。眩しくも強く感じない、春の陽光の中で。


 ひとしきり笑い転げた彼女は、やがて普通の表情に戻り、「初対面の、親友の知人」に対する完璧な礼儀で軽く為斗子に詫びた。何か構われた訳ではなく、彼女自身も為斗子に特に関心を寄せた訳でもないだろう。嫌な気分になることも、親しみの裏側を警戒する必要もなく、ただ「知らない人と、普通の会話」を交わせたことが嬉しかった。


「ありがとう、前羽さん……坂町さん。声をかけてくれて。嬉しかった」

「だって気付いたんだもん。声をかけるのは当然でしょ?」

「そーだよねー。そこで無視する方がヘンだもん」


 本当に心のままにそう思っていることが分かる、素直な表情と口調。初対面の坂町さんはともかく、前羽さんは為斗子の“人と接したがらない”性格を覚えているだろうに。

 それでも『当然』と言ってくれた。そして声をかけてくれた。

 かつてあった日常と同じように、彼女は自分を見出してくれた。

 ただそれだけのことが、無性に嬉しかった。


 もう一言二言だけ会話を交わし、『じゃあね~』と何でもない素振りで二人は為斗子に手を振った。

 どこか別の場所に誘われるわけでもなく。連絡先を交わすわけでもなく。

 ただ、偶然の邂逅(かいこう)を楽しんで、刹那の思い出として彼女たちは“彼女たちの日常”に帰って行く。

 ただそれだけのことが、無性に心に突き刺さった。




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