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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
故話ノ二【春や昔の 、春ならぬ】 ~ 春社/桜始開
24/35

春や昔の 、春ならぬ【後編】

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(はな)()に (とり)古巣(ふるす)に (かえ)るなり

(はる)のとまりを ()(ひと)ぞなき

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『千載和歌集』巻二・一二二 崇徳院




 しばらくの沈黙の後、功が絞り出すような声で言葉を紡ぐ。


「……この()は、為斗子は、まだ赤子だ……それに、ここに住まう訳じゃない……」


 彼の息子は()で職を得ており居住地は遠く、この家には住んでいない。今日の宮参りが終われば、一泊して戻るはずだった。

 彼と【化生守】が離れることはない。だが、彼はこの息子に姿を晒したことはなかった。

 伝承として功が言い聞かせてはきたが、この息子は『守屋の宿命(さだめ)』を他人事のようにとらえている向きがあった。彼も、息子を単なる《血を繋ぐ者》としてしか捉えておらず、全く関心を持っていない。今更、その気持ちが変わるとも思えない。


「……そうだね。困ったね」


 言葉の穏やかさとは裏腹に、彼の瞳には残酷な光が宿りはじめる。

 彼には、功を見送る義務がある。そして、選んだ化生守と離れることなどあり得ない。

 ならば。


「……なるだけ早く、この子にはこの家に戻って(・・・)きて貰わないとね」


 まだ握られたままの指はそのままに、もう片方の手で柔らかい頬を撫で上げる。赤子の澄んだ瞳は、その宿命の行き先を知ってか知らずか、ひたすらに彼を見上げていた。



「功さん、タクシーが着いたから、武史たちは病院に行くけれど…………どうしたの」


 変わらぬ様子で客間に入ってきた佐保子さんだったが、赤子を挟んで向かい合う二人のただならぬ様子に、表情を強張らせた。彼女は敏い。“好ましくない”事態が起きたことを、即座に察知したのだろう。軽く下唇を噛み、キッとした視線を()に向けてきた。


「……とりあえず後から聞きます……今は、梨香さんを病院に連れて行くことと、為斗子ちゃんの世話をする方が先ですから……。功さん、武史たちの方をお願いします。私は為斗子ちゃんのおむつ替えとミルクをしますから……ケラン、後にしていただけますか……今は、席を外して下さい……」


 少しトーンダウンする口調だったが、それでも彼女は気丈に告げた。相変わらずのその強さに敬意を表し、彼は名残惜しさを隠すこと無く、赤子に握られた指を抜いて立ち上がった。そのまま佐保子さんの脇を通り過ぎ、庭へと向かう。薫風がサラリと彼の髪を揺らし、澄み渡る蒼穹が堪えようのない歓喜と残酷なまでの意志を秘めた瞳で見上げられた。




 その夜。

 彼は再び客間にいた。

 向かい合うのは、固い表情の佐保子さん。静まりかえった屋内で、彼女が初めてこの家に入った時と同じように二人は向き合う。


「……梨香さんには、何の咎もありません」

「本当にそう思っている? 違うだろう? 彼女は貴女とは違う(・・・・・・)。彼女は、貴女のように『守屋の者(・・・・)』になっていない。その覚悟も、意志もない者が、この守屋の家に居られるとでも?」


 酷薄な声。ただ、この守屋の家に必要な事実(・・)だけを宣告する、酷薄な声。


「それでも……子どもには母親が必要です。あの()は……まだ、母親の温もりを必要とする赤ちゃんです……」

「貴女が母親代わりになればいいだけの話だろう? 彼女は、私には関わりのない人間だ。必要ない。そして、あの子(・・・)にも、もう必要ない(・・・・・・)

「そんなことっ! あなたが決めることでは……っ!!」

「違うね。()が決めることだ。それが、決まりだよ、佐保子さん。

 ……それに、貴女にも一因があることくらい、自覚しているんだろう?」


 いたぶるような揶揄(やゆ)に満ちた声。その言葉に、佐保子さんの肩が大きく揺れる。


「……貴女の選択が間違いだったとは言わない。自分の子を守りたいが故に、『唯一人だけ』の守屋の血脈とすることを選んだのは、貴女らしい賢い手段だったよ、佐保子さん」


 功と佐保子さんの間には、息子一人しかいない。だが彼は知っている。それが「それ以上、子が出来なかった」のではないことを。

 『守屋の家は子が育たない』――そう言われ伝わるだけの実績に、彼女は正面から対抗してきたのだ。自分の子がどんな子であったとしても、彼が“必ず守らざるを得ない者”とするために。


「……他にもいたのなら、もしかしたら守屋とは関わらない、安穏な生を全うできたかもしれないね。私が必要とするのは、あの子だけ(・・・・・)だもの。でも彼女が居れば、あの子はここに戻って(・・・)来られない。だから“必要ない”んだよ、分かっているんだろう?」


 膝に置かれた彼女の手が、ギュッと固く握り込まれる。下唇が噛み締められ、必死に何かの助けを見つけ出そうとする視線が、対面して座す二人の間の畳を見つめていた。

 やがて彼女は(おもて)を上げる。僅かな諦観(ていかん)憐憫(れんびん)、そして強い覚悟を乗せた視線が、数十年前のあの夜と同じように彼に向けられる。


「……私は、あの夜、あなたに告げた(げん)を忘れておりません。あなたが何を成そうとも、私はあの人と共にそれを受け入れます……」


 あの夜よりは力の弱い言葉。だが次の瞬間、彼女は驚くほど強い意志と嘆願を乗せて、続く言葉を紡いだ。


「ですが。せめて……せめて、この年が改まるまでは。私達の方にも、覚悟と準備が必要です。あの娘のために(・・・・・・・)、時間を下さいませんか」


 息子夫婦のためでもなく、自分たちのためでもなく。

 彼が唯一人(・・・)望む者のために、と請われる願い。


「……私は、貴女のそういう所が好きだよ、佐保子さん」


 小賢しいとは思わない。それでこそ“化生守の妻”――守屋の血を引かない、誰よりも“守屋の者”である女性だ。

 自らの立場を見誤ることもなく。彼が望むものを見誤ることもなく。

 常に間違えない彼女。

 彼女と功に育てられれば……きっと、あの子も『私に(・・)幸せをくれる』者になるだろう。


「仕方ないね、貴女に免じて待ってあげる。私は貴女を信頼しているから」

「……ありがとうございます」


 彼女はあの夜と同じように、上座から(・・・・)彼に手を付いて頭を下げた。

 畏れをしまい込み、憎しみを昇華して、それでも抗う強さを忘れず、流されない意志を持ち、いつも彼と正面から対等に向き合う彼女。その輝きが、美しい。


「花は根に、鳥は古巣に帰るものだよ、佐保子さん。私は、それを待てるから。よろしくお願いするよ」


 彼は立ち上がり、敬意を込めて彼女を見下ろした。

 彼女はまだ頭を下げたまま。多分、このまま顔を上げるつもりはないのだろう。


 それでいい。

 化生(けしょう)である我が身を、(おそ)(はばか)ればいい。

 憎めばいい。それでこそ、人の身――彼が求める者ではない、刹那の生き物だ。


 佐保子さんを残し、静かに客間を後にする。

 真っ暗な広縁を歩き、彼ら(・・)の部屋に入る。

 静かな寝息が三つ。真ん中で、両手を頭の脇にあげて眠る赤子。その髪を優しく撫でる。


「……待っているよ、私の希望――為斗子(いとこ)――」


 初めて口にする、赤子の名。

 そして、やがてこの子――為斗子から、新たな名を得るのだ。

 その日を待つ。


 昼間と同じように、小さな手のひらに指を載せる。無条件の反射なのか、彼の望みを反映してか。再び彼の白い指が、もみじ手に包まれる。

 今は、仮初め。

 そして、やがていつか。

 この手を、永久に取るのだ。この手に、永久の幸せを与えて貰うのだ。


「待っているから……早く戻っておいで、為斗子――」


 夜の闇に、その切なくも残酷な言葉だけが融けていき、やがて再び部屋には静かな三つの寝息だけが残った。


 ――為斗子が、父親と共にこの家に戻ってきたのは、翌如月の末。

 その日から、彼の幸せ(・・・・)が再び始まった。

 ただ待ち続けるだけの、その幸せの日々が。




* * * 




「じゃあ、行ってくるね……イチシ」


 上がり(かまち)に立つ彼を、申し訳なさを目元に浮かべた表情で為斗子が見上げる。その頬に優しく触れて、イチシは切なげに微笑んだ。


「行っておいで。待っているよ」

「うん……」


 玄関の引き戸に手を掛け、少し引いた状態で、為斗子はしばし立ち尽くす。その何かを躊躇(ためら)う背に、色鮮やかな蝶が舞っていた。


「イチシ。寒河江(さがえ)さんの所で、お酒買ってくるから。今晩一緒に飲もう? お祝いしてくれる?」


 意を決したようにクルリと振り向いて、どこかぎこちない口元で為斗子が笑う。

 すでに手の届かない位置にいるため、抱きしめられない。それでも愛しさを隠すことなくイチシは両手を差し出し、為斗子を髪を撫で、肩を抱く動きを見せた。


「あの人なら売ってくれないと思うよ。きっと、持てないくらいお土産に持たされるんじゃないかな?」

「だったら、お金がかからなくて嬉しいかも」


 今度はもう少し自然な笑みが、為斗子の表情に浮かぶ。

 赤子のような、曖昧な笑み。初めてみた時から変わらない、愛おしい笑み。


「ふふ……為斗子は変なところで堅実なんだから」


 普段と変わらない口調で、彼も返す。その表情に、為斗子が小さく安堵の息を漏らす微かな気配。


「さ、遅くなるよ。バスに遅れたら大変だ。行っておいで。

 為斗子、大丈夫。心配していないよ。為斗子は、きちんと戻ってくる(・・・・・)から。

 私も、変わらず(・・・・)待っているよ。安心おし」




 彼は、待ち続ける。

 そのとまり(・・・)を、誰も知らないけれど。

 それでも、幸魂(さきたま)のありかを疑うことはない。


 その幸せを手にする時を、ただひたすらに待っている。





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《作中の詩歌たち》

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●前編 + 表題

【月やあらぬ~】

:おおよその歌意

 《月は同じではないのだろうか。春は昔の春ではないのだろうか。この自分だけが、元のままでいるというのに。


●後編

【花は根に~】

:おおよその歌意

 《春が終われば、花は根に、鳥は古巣に帰るという。でも、春の行き着くところを知っている人は、いない。》



※いずれもイチシの有り様をイメージした春の歌より選びました。今回、あんまり乙女じゃないイチシ。お花、登場せず。残念(?)



***********

-----本当の後書き-----


イチシさん視点でお届けする『為斗子には内緒』編。第二弾です。

為斗子の誕生日にかこつけた、二人の出会い(?)を描いてみました。


せいぜい前後編で……と思っていたプロットでしたが、例によって和装描写が無駄に長いのと、「佐保子おばーさまへの愛」故に三分割となりました。その代わり各分割部分は三千字台と、短めです。前後編二分割にするには、区切りが悪すぎました。


今話のメインは『イチシと為斗子のファーストコンタクト』だったのですが……。

気がついたら『佐保子おばーさまの苦悩』に一番力が入っていました。おっかしいなー?

この二人(イチシと佐保子)の微妙な関係を、作者が大変気に入っていることがバレそうです(もうバレてる)

残念ながら「(さほこ)小姑(イチシ)バトル」には出来ませんでした……ちょっとシリアス過ぎる展開ですからねぇ。また本編で差し込む予定です。

そして、彼に妙にハイカラな名前を付けた功おじーちゃんは、意外とお茶目な人間です。でも“為斗子の祖父”らしい、弱い所が多い人でもあります。…………佐保子さん、功のどこに惚れたんだ??(謎)


そして相変わらずイチシが自己中です。彼はこれでいいんです、はい。


本編の方も、ある程度書き進めているのですが、時期的に厳しいところがあります。清明の頃(四月上旬)には間に合わないかと。でも桜、書きたい……。話の歳時記で観桜を逃したくない……しかし仕事が……。

あまり期待せずにお待ちいただけますと、幸いです。


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