人ぞささやく、汝が心ゆめ【其ノ壱】
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向つ峰に 立てる桃の木 ならむやと
人ぞささやく 汝が心ゆめ
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『萬葉集』巻七・一三五六 詠み人知らず
シュルッ カサッ カサカサ……
客間では、次から次へと布と薄紙が解かれる音が響く。黄檗染めの包み布が畳に広がり、その鮮やかな黄色と緋毛氈の朱色、そして不織布や薄葉紙の白さとの対比が目に眩しい。古くから伝わる雛の数々をイチシに手伝って貰いながら、為斗子は慎重に丁寧に、そして少し心躍らせながら次々と桐箱から出してゆく。
今日は二十四節気の雨水。
本来なら立春を過ぎて早々に出すものとされている雛飾りであるが、祖父功の忌日がその後ということもあり、為斗子は雨水を待って出すことにしている。雨水の雛出しは“良縁に恵まれる”という謂われもあるそうだが、別にそれを意図しているわけではない。単に区切りがいいだけの話だ。
守屋の家は旧家ということもあり、土地の風習に加えて代々の嫁や婿たちの実家の風習も取り込まれている。その所為なのか、守屋の雛飾りは新暦の二月に出して、新暦の上巳三月三日に祝い、そして旧暦の上巳を待って片付ける。かなり長い間、飾ることになるのだ。
「雨水ならともかく、立春からだとすると、長すぎるよね?」
「そうかも知れないね。でも確か、この雛人形の持ち主の頃より前からの習いだったと思うよ」
お道具類を全て出し、慎重に柔らかい刷毛で表面を払いながら、為斗子はイチシに問いかける。答えるイチシは、空になった桐箱や薄葉紙などを大きな櫃にしまうと、そのまま床の間に置いた。その上から緋毛氈をかけ、御殿を組み立てて乗せるのだ。
守屋の家に伝わり、今は為斗子に引き継がれたこの雛飾りは、元は高祖母のものだという。長く子に恵まれなかった当時の主が、ようやく生まれた娘の為に特別に頼んで作らせたものらしい。丸平の作と伝わる檜皮葺御殿飾りの雛飾りは、内裏雛は古今雛風。官女や楽人、随身はもとより、仕丁も嫁入り道具と輿入れ道具の御道具類も全て揃った本式のもの。
ひとつひとつは小さいとは言え、全て並べると床が埋まる。この家の客間は逆勝手の本床造りだが、この一間床が一番華やかに飾られる時期だろう。
イチシが御殿を組み立てるのを脇目に見ながら、為斗子は小さな御道具や飾りの状態を確認し、雛たちのお顔や衣装を刷毛で払う。一年ぶりのお姿だ。この雛を準備した高祖母の父は、本当に娘を大事に思っていたのだろう。そして高祖母も、その後の守屋の家の者達も、受け継ぎ大切にしてきたことがうかがえる、丁寧な造りのままに保たれた雛たちが愛おしい。
「守屋の家はね、あまり娘に恵まれないんだよ。この雛たちも、持ち主ができたのは功の姉以来だからね。確か最初の持ち主も、その代で唯一の女子だったんじゃなかったかな? 結局、彼女が婿をとって家を継いだけれど、その子供は全て男の子だったしね。彼女の代以前から、そのきらいがあったからね。守屋に女子があって飾れるうちは、なるだけ長い間、雛を飾りたかったんだろうね」
「ふうん……てっきり出したり片付けたりするのが大変なのに、さっさと仕舞うのが惜しいのかと思った」
「ふふ、そうかも知れないね」
為斗子の軽口に、イチシも珍しく声を出して笑う。やがて緋毛氈に組み上がった檜皮葺の紫宸殿写しの御殿が、姿を見せた。
最初に内裏雛を正殿の御簾内、一段高くなった帳台に収める。古式通りに男雛が向かって右、女雛が左。笏と檜扇をそれぞれに持たせ、衣装を整える。男雛の縫腋袍は、黄櫨染の 桐竹鳳凰麒麟地紋に唐織の有職文様。女雛は、花橘の襲の五衣に鳳凰丸の白地紋と桜花の花七宝文の唐衣。落ち着いた色目ではあるが、上品で古めかしさを感じさせない。そのお顔は、気品に溢れた上方風。どこか、懐かしさを覚える。
続いて白の小袖に緋色の大腰袴姿の官女たちをお内裏様の前に並べ、向かって右の脇殿には海松色の直垂装束を身につけた五楽人。吉祥紋の入った黒と緋色の闕腋袍姿の随身は、五級の階の下で、左右に立つ。白張姿の三人の仕丁は、脇殿の下。そして御殿の左右に、紅白梅。守屋の家では、新暦上巳までは紅白梅を飾り、上巳を過ぎてから右近の橘と左近の桜に変えるのだ。
「やっぱり私は桜橘の方が好きかな? 梅も嫌いじゃないけれど。イチシはどう?」
「この雛には、紅白梅の方が似合うと思うけれどね。『優美』と『気品』、それぞれの花言葉が相応しいと思わない? ほら、桜橘は女雛の唐衣にあるし」
「そう言われたら、そんな気もしてきた……」
「でも為斗子が好きなら、最初から桜橘にしようか?」
「いいよ、イチシ。せっかくの習慣なんだもの。勝手に変えられないよ。
ね、イチシ? この楽人の火焔太鼓、右だっけ? 左だっけ?」
「それは、二つ巴で月輪だから右方太鼓だね」
まだ寒さ抜けきらぬとはいえ、雨水を迎えた頃に相応しい優しい日差し。それに似た柔らかな笑みで見つめるイチシは、相変わらず為斗子には甘い。脇によけていた桜橘の飾りに替えようとするイチシの手を押し留めて、為斗子は緋毛氈の前に陣取り、飾り付けを続ける。雛たちは為斗子だけの手で飾るのが習いで、イチシはそれを手伝うだけだ。だが隙あらば為斗子に構おうとする彼を大人しくさせるには、会話で満足させるしかない。
しなやかに手を動かして、二段に設えた緋毛氈の上に御道具類を並べてゆく。小さいとはいえ、本蒔絵に螺鈿細工の精緻な品だ。丁寧にひとつひとつを確認しながら、イチシに思い出語りをせがむ。
「この雛の思い出ねえ……そういえば、為斗子がまだ言葉も話さない頃かな? この表刺袋を口に入れてしまってね。佐保子さんが大慌てだったよ。結局使い物にならなくなって。ほら、見てご覧? だから、これだけは新しいんだよ? 帯の余り布で佐保子さんが作り直していたから」
「そんな昔のこと、覚えていないったら!」
記憶の片鱗もない頃の失敗談を語られて、為斗子は羞恥に頬を染める。クスクスと喉の奥で笑うイチシは、憎たらしいほどの笑顔だ。
「近衛中将の矢羽を折ったのも、為斗子じゃなかったかな? それと仕丁の熊手も。両方とも功が接着剤で直していたよね?」
「もう! そんな思い出話ばっかり!! イチシの意地悪!!」
それは嬉しそうに為斗子の失敗談ばかりを話すイチシに、ぷうっと頬を膨らませて抗議する。一通り並べ終わって振り返り、上目遣いで広縁側に立つイチシを恨めしそうに見上げた。その表情に、イチシの目がますます細められる。白い手が優しく為斗子の髪を撫でて、そのまま頬に添えられた。
「……為斗子がこの雛たちの前で、初めて箏を奏でた時のことも覚えているよ。ちょっと覚束ない手付きで、真剣な表情で。あんなに可愛らしい『春の園』を聞いたのは、初めてだったよ」
―― 春の園 紅匂う 桃の花 ――
双調平調子の、幻の音が聞こえた気がした。
『春の園』は宮城道雄作曲の小品曲で、習い始めの代表的な練習曲だ。万葉集由来の春らしい歌詞が雛の節句に似合うと、幼い頃は必ず雛の前で弾いた。初めて弾いた日のことは、おぼろげに覚えている。お気に入りだった中裁ち四つ身の枝橘柄の小振袖は、あれが最後の着用だった。その後の誕生日に、初めて祖母が本裁ち四つ身で長着を仕立ててくれたから。
「枝橘の着物がよく似合っていたね。弾ききって、顔を上げた時の、あの満足げな表情。本当に可愛らしかったよ。功も佐保子さんも、本当に幸せそうで、嬉しそうだった。
――大丈夫、為斗子。幸せの記憶も、ちゃんと残るから。私は覚えているし、忘れない。為斗子も……功も、佐保子さんにも。幸せな時が、その思い出がたくさんあるんだよ」
――だから私も幸せなんだよ、と、細い声が続いた。
イチシは――この化生は、ずっとそうやって自分たちを見てきた。この雛たちよりもずっと前から、この守屋の人々を見つめてきた。
長い時を、ただ傍らにあって共に在る人間だけを求め、その血脈を追い、望んだ相手の側でただ待ち続けてきた。自らが選んだその相手――【化生守】が彼の手をとる時を、ただずっと。
側に居るのに続く、果てしない孤独。
ひたすらに待ち、そして見出し、じっと寄り添い、……やがて見送る。
誰からも選ばれなかった、孤独な化生。
今までの長い時を、見送り続けた孤独なアヤカシ。
自分は――当代の【化生守】たる為斗子は、その孤独を終わらせるのだろうか。自分自身に問いかける。
――まだ、選べない。まだ、その覚悟がない。
長い時を留めてしまうことが怖い。
変わらない時を迎えることが怖い。
“今まで、誰も選ばなかった”未知の世界を、為斗子はまだ見る勇気がない。
その一方で。
この化生を――自分が「イチシ」と名付いた彼を、この雛たちのように、次代に繋げたくない。そんな愚かな独占欲。
急に黙り込んだ為斗子の肩を、そっとイチシが引き寄せる。相変わらず背越しに為斗子を抱き締めて、膝立ちの姿勢でその肩に頭を乗せる。柔らかいイチシの髪の感触が、首筋にくすぐったかった。
「…………無理しなくていいよ、為斗子。大丈夫、私は待つから」
「イチシ…………ごめんなさい」
「謝らないで、為斗子。心配しないで、為斗子はきっと間違えないから。
――私が望むのは、為斗子が真実、心の底から願う先だけだよ」
回された腕に、少しだけ力が入る。請うてはいるが、決して強いることはないと口にする。その言葉に縋りながら、為斗子もイチシも罪を重ねる。
「……為斗子が信じるものを見て。何も成りはしないと、誰がその心に囁こうとも、心惑わせないで。
私が居るから。為斗子を決して独りにはしないから」
――為斗子を孤独に追いやりながら、それでもイチシはいつもそう言う。
『決して独りにはしない』と。
幸せを与えてはやれないけれど、それでも孤独にはしないと。
何を信じて、何に縋ればいいのだろう。誰も教えてはくれない。
為斗子は、自分だけで決めなくてはならないのだ。
「……イチシ、邪魔。あともう少しなんだから、ちゃんと飾り付けを終わらせよう?」
切ないまでの思いを編んだ鎖を振り解き、為斗子はイチシの腕を外す。素直に離れてゆく温もりが恋しい。それでも、今はその手を取れない。
「あとは雪洞を立てて……そっちは何だっけ、イチシ?」
「添え飾りの吊るし雛だけれど、為斗子はどうしたい?」
「お祖母ちゃんのでしょ? やっぱり飾りたいな」
「じゃあ、付書院側に掛けようか。一層華やかになるね」
何事も無かったかのように、手慣れた仕草でイチシが動く。為斗子の為に祖母が作ってくれた吊るし雛は、色とりどりの端布を使っており壮観だ。――その手の温もりも覚えておらず、数枚の写真でしか知らない実母に代わり、祖母が為斗子を思って一針一針縫い上げた愛情の証し。
為斗子が信じられるのは、祖父母が与えてくれた海よりも深い愛と、人として生きる為の教え。そして、この化生が与え続ける限りない情愛だけ――。
華やいだ客間に、柔らかい午後の日差しが差し込む。つかの間の温もり。
外はまだ冬の寒さ。真綿にくるまれた温もりの中で、為斗子はその外の寒さからただ逃れるだけだった。
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《歳時のあれこれ:雛飾り》
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【雨水の雛出し】
:作中でも説明していますが、一般的に雛人形は「立春を過ぎてすぐ」出して「上巳三月三日が過ぎればすぐ」片付ける、とされていますが、場合によっては「雨水」(二月半ば頃)に出します。この日に雛出しをすると「良縁に恵まれる」という謂われもありますが、三月三日に片付けることを考えると遅いですねぇ。
:本話では「新暦に出して祝って、旧暦に片付ける」という変則ルールを採用しているので、何のかんので一ヶ月以上飾ります。
【御殿飾りの、雛人形】
:雛飾りといえば緋毛氈が段々にひかれた「七段飾り」がイメージされますが、江戸末期~昭和前半にかけては上方(京阪神)を中心に【おひな様を、御殿に入れて飾る】雛飾りが流行りました。今でも一部で作成されています。
:雛人形のラインナップですが、通常【五人囃子】のところですが、この雛飾りは上方仕様なので【五楽人】です。「囃子」は武家風、「楽人(雅楽)」は公家風ですね。奏でる楽器も違えば、衣装や飾りも異なります。個人的には楽人の方が好きですが、現代ではあまり見ませんねぇ……。
:飾りの花木は、通常【桜橘】(左近の桜、右近の橘)ですが、【紅梅・白梅】を飾る場合もあります。これは京都の内裏(御所)においては、応仁の乱までは紅白梅が植えられていたことに由来します。紅白梅の場合は、向かって右が紅梅、左が白梅です。
:「丸平の作」とあるのは、京都の著名な雛人形師・大木平蔵のことです。守屋の家の雛人形は、実際にあったら多分家一軒分くらいの価値があるかも……ですね。どんだけ分限者なんだ、守屋家(汗)
※モデルとした御殿飾りは、姫路にある日本玩具博物館で見た大正時代の御殿人形です。もう、素敵でした。無駄に描写が細かいのは、その作者の煩悩の所為です。無駄に文字数増やして、すみません。「御殿飾り」という形式があることを知ったのは、東北にいた時の《ひな巡り》の経験です。酒田だったか、河北だったか……。あちらは旧暦で祝うので、三月いっぱい楽しめます。
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《今話の地歌箏曲》
【春の園】
:宮城道雄作曲の小品曲です。生田流宮城系で箏曲に触れたことのある方なら、一度は弾いたことがあるのではないでしょうか……?(習い始めのテキストともいうべき『宮城道雄小曲集』にあります)
:歌詞の元となった和歌は、『萬葉集』十九巻・四一三九番の和歌です。作は大伴家持。
【春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女】
:作中で為斗子が弾いたのは七歳になる直前くらい、という設定です。古来、習い事は【六歳の六月六日から始めるのが良い】とされていますので、守屋家は一応それに倣いました。為斗子は三月下旬の生まれなので、雛祭りの時はもうすぐ七歳です。