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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
余話・一【ゆかし懐かし、やるせなや】 ~ St. Valentine's Day/魚上氷
16/35

ゆかし懐かし、やるせなや【後編】

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(なが)()に (ころも)かたしき (ふし)()びぬ

まどろむ(ほど)の (なみだ)ならねば

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『新拾遺和歌集』巻十一・一〇〇二  八条院高倉






 祖父に捧げる演奏を終え、仏壇に向かってお(りん)を一つ小さく鳴らし、為斗子は仏間を後にした。イチシと共に客間の座卓に向かい、上座(かみざ)を空けて座る。

 食事の際に使った二人のお猪口に新しくお酒を注ぎ、新しく準備した(から)のお猪口二つにも注ぎ、上座に供える。祖父母に捧げる献杯(けんぱい)。一気に飲み干し、視線を上げる。正面の床柱(とこばしら)にかかる白侘助(しろわびすけ)の花が、夕方よりも少し花弁をほころばせていた。

 イチシは手酌で杯を重ね、為斗子にも注いでくる。

 二人だけでお酒を飲み交わすのは初めてだ。かつて、彼が祖父とよく行っていた行為。為斗子はイチシなりの偲び方だと思って付き合う。

 少しずつ、チビチビと。口当たりはよいが慣れないお酒は、それほど飲み進められない。あまり語らず、椿とイチシを交互に見ながら、時折仏間に視線を配る。視線を交わし、時折手に触れるだけの、しとやかで、しめやかな時間。


「為斗子はそろそろ止めておこうね。飲み過ぎると明日に響く」

「うん……もう、お茶にする」


 イチシの白い手が、為斗子のお猪口を(さら)ってゆく。その手も顔にも色はなく、当然のように彼には酔った気配はない。為斗子はほんのりと熱を感じる頬を押さえながら、同じく熱を持った目尻を中指で被った。少し頭がほわほわとする。自分は少し酔っているかも知れない。

 ポットで持ってきていたお湯で、イチシが茶を()れてくれる。少し苦めの煎茶。夜ではあるが、為斗子は就寝前の緑茶でも睡眠に差し支えがない性質だ。ほどよい熱さが喉を通り過ぎて、口の中が改められる。


「……ね、イチシ。これ……食べない?」


 半分ほど茶を飲んでから、為斗子は部屋の隅に置いておいた小さな箱を卓に出した。包み紙には、近所の和菓子店の銘。今日の法要の際に住職にお出しする茶菓子を買いにいった時に、為斗子が一緒に買い求めたものだ。

 無言のまま小首をかしげて中身を問うイチシの横で、為斗子は包装紙を外す。中からは更に白い化粧箱。少し為斗子の手が躊躇(ためら)うような動きを見せて、意を決したように(ふた)を開けた。蝋引(ろうび)きの内包装紙を開くと、中には濃い緑の四角いものが四つ。抹茶がまぶされているが、本体も同じ深い緑色。


「今日、いつものお店で、目について勧められて……あんまり甘くないって言ってたから、お酒の後でも大丈夫じゃないかな……って」


 為斗子がイチシに差し出したのは、抹茶の生チョコレート。

 最近は酒蔵のみならず和菓子屋でも行事(イベント)には乗っかかるらしい。普段は落ち着いた雰囲気の店内で、赤いハートマークと共に飾られたその一角だけは、妙に華やいだ気配を演出していた。そして為斗子はちょっと気恥ずかしさも感じながら、結局練り切りと一緒に買い求め、今に至る。


「これは、私に?」

「う、うん……」


 酔ってはいないのに(とろ)けそうな笑みを浮かべ、イチシはすっと箱に手を伸ばした。一緒に出した黒文字(くろもじ)を刺し、一粒を口に運ぶ。


「……ほろ苦いね。美味しい」

「そう? よかった。ほ、ほら。あの日本酒ボンボンがあまりにも美味しくなかったから、イチシも口直ししたいかな、なんて思って……」

「うん、ありがとう、為斗子。嬉しいよ」


 うっとりとする視線を向けられて、為斗子の頬がますます熱を持つ。

 違う、これは、お酒に酔ってるだけ。


 続けてもう一粒を口に運んだあと、為斗子も相伴(しょうばん)する。お行儀が悪いが、黒文字は一つしか持ってこなかったので手で掴む。表面の抹茶粉がまず口の中にほろ苦さと渋い薫りを届け、次いで上質の抹茶を練り込んであるため和菓子のように控えめな甘さのホワイトチョコが口溶けて広がる。初めて食べたけれど、確かに美味しかった。口に合う。

 為斗子と一緒に最後の一粒をイチシが食べて、箱の中にはこぼれ落ちた抹茶粉だけが残った。


「これは美味しかったね、イチシ」

「そうだね。ちょうどいい甘さだね。やっぱりお酒とは一緒にしない方がいいね」


 クスクスと喉の奥で笑うイチシ。その視線は、熱情を帯びて為斗子を見つめる。柔らかく細めた眼が、為斗子の瞳と心を覗き込む。

 つと、刺し貫くようなその視線が下げられた。向かうのは為斗子の手。そっとイチシの手が為斗子の右手首を掴んで引き寄せる。何も言わず成されるままの為斗子の頬を撫でてから、イチシは目を閉じて、為斗子の右手指を自らの口元に寄せた。

 指先に、濡れた、熱。

 右人差し指が微かに吸われ、指先についていた抹茶粉が柔らかく舐めとられる。続いて親指。ささやかな音を立てて、唇が離れた。


「…………こっちは甘くないね」

「馬鹿なことしないでよ、イチシ……」


 少し悪戯で、甘く溶けるような眼差しが、優しく為斗子を包み込む。振り解くように掴まれた手を離し、ぷいっと横を向いた。

 かぁっと頬の熱が増す。心なしか、耳まで熱い。まぶたが下がって、目が潤む。


 これは、酔ってるだけ。

 お酒ではなく、幸せに。




「…………為斗子?」

「イチシ……ちょっと、眠い、かも」


 しばらく視線を合わせないまま無言でいたが、為斗子は突然姿勢を崩してイチシの膝に頭を乗せた。

 少し固い、イチシの膝枕。

 先日為斗子が仕立てた長着の上前(うわまえ)が、火照った頬を優しく包む。

 一瞬だけ驚いたように身を震わせたが、イチシは為斗子が寝やすいように姿勢をずらした。イチシの優しい手が、静かに為斗子の髪を撫でる。パチンと音がして、髪を上げ纏めていたバレッタが外され、肩や頬に髪が落ちる。その一筋、一筋をすくい上げながら、イチシはゆっくり髪を手で解き()く。耳を掠める滑らかな指触り、(あご)の線をなぞる少し冷たい指先。


 このまま、眠ってしまいたい。

 (そで)片敷(かたし)かない、この温もりの中で。


 じっと目を閉じ、髪が梳かれる感触だけを追う。少し早い自分の鼓動が、膝を通してイチシにも伝わっているだろうか。陶酔感に包まれながら、為斗子はそのまま動かない。イチシも無言で優しく髪を撫でるだけ。

 時間が経つのを感じない、穏やかな恍惚(こうこつ)の時間。

 ずっと(ひた)っていたい、暖かな耽溺(たんでき)の時間。

 長いような、短いような。静かな客間に響くのは、二人の微かな吐息だけ。


 やがて少し身動(みじろ)いで、為斗子は幼子(おさなご)のように身を丸めた。膝が少し割れて、着物の前褄(まえづま)が乱れる。椿の(かさね)をイメージした八掛(はっかけ)蘇芳色(すおういろ)が畳にふわっと広がった。


「……こら、為斗子。お行儀が悪いよ。こんなところで寝ちゃダメ」

「うん……でも、もうちょっとだけ……」


 何気ない手つきで、イチシに裾を直される。(たしな)めるように軽く膝を叩かれ、それでも為斗子は目を閉じたまま、イチシの膝に居座り続ける。

 起きようとしない為斗子に対し、微笑ましいものを見るような軽い溜息が落とされて、イチシが身動ぎする。しばらくしてペリペリという紙箱を開けるような音がして、カサカサと何か包装を触る音。続いて、パキッという軽い音が三回。


「…………為斗子、口を開けて?」


 イチシの指が唇に触れる。差し込まれるようなその動きにつられ、為斗子は目を閉じたまま小さく口を開けた。……何か固い物が舌にのせられる。


「んっっっっ!! (にが)っ 何、これ!!」


 口に押し込められた小さな欠片(かけら)が舌で溶かされた瞬間、強烈な苦みが為斗子を襲った。味なんて感じない、舌が麻痺するような濃厚なカカオの苦みと芳香。思わず飛び起きて、口を押さえる。

 小さな欠片だったはずだが、簡単には無くならない。目尻に涙を滲ませて、ようよう為斗子はチョコレートの小片を溶き食べた。口の中が芳醇な渋みで染められる。


「はい、目が覚めただろう? これも慣れれば美味しいと思うけれど、為斗子にはまだ早かったみたいだね?」


 目を細めて口角を上げ、悪戯(わるふざ)けを成功させたイチシはクスクスと笑った。卓の上にはいつのまにか見慣れない白と黒のパッケージ。表面に書かれた『99% CACAO』の金文字が黒に浮かび上がる。

 まだ口の中が苦い。お茶を飲んでもなかなか収まらない為斗子の渋面を後目に、イチシは涼しい顔で割られた黒い小片の残りを口にする。


「ううう……まだ口の中が苦い。もう、イチシ、酷いじゃない。せっかく良い気持ちで微睡(まどろ)んでいたのにっ」

「起きない為斗子が悪いんだよ? 目が覚めたところで、ちゃんと寝支度して? 後片付けは私がやっておくから、為斗子はちゃんと湯につかって着替えてきなさい」


 (なだ)めるようにポンポンと優しく頭が叩かれて、その手がそのまま為斗子の頬を撫で下げる。お酒で色付き、お茶で湿った唇を、イチシの親指がそっと拭う。

 色々と文句を言いたいところだが、酔いとチョコの苦みの衝撃が残った頭では、上手く反論できない。とりあえずぷぅっと頬を膨らませ、為斗子は立ち上がった。解かれた髪がパサリと胸先で揺れる。


「…………ところで、イチシ。それ、どうやって手に入れたの?」

「ん? それは、内緒?」


 人差し指を唇に当てて、イチシは悪戯(いたずら)な視線を為斗子に向けた。ニヤリとした口元が憎たらしい。あのチョコレートは為斗子が買ったものでは無い。だがイチシは入手先を話すつもりはなさそうだ。

 為斗子は【化生守(けしょうもり)】として、イチシが他人に姿を見せること、この家の外に出ることを許してはいないが、それはそれ。人ならぬ化生(けしょう)――アヤカシのモノであるイチシのことだ、為斗子の与り知らない行動は数多くあるはずだ。


 ――この化生が、為斗子の知らないところで、何を成し、何を得ているのか。

 為斗子は知らない。今はまだ、知るつもりはない。


「……私、もう食べないからねっ」

「それは残念。せっかく為斗子のために準備したのに」


 喉の奥で押し殺すように忍び笑いながら、イチシは卓の上を片付け始めた。酒器を盆に載せ、鎌倉彫の茶櫃(ちゃひつ)に急須などを仕舞って両手に持つ。為斗子はポットを持ってイチシと一緒に広縁に出た。足袋越しに深々とした冷気が襲う。


 雨戸が閉められているため、外の様子は分からない。

 でも『黒髪』の唄にあったような雪は積もっていないはずだ。

 (ゆか)しくも、懐かしくも、やるせなくもない、二人だけの日常。

 明くる朝を迎えても、それは変わらない。


「さ、温まっておいで?」


 台所のテーブルに諸々を置いて、イチシは為斗子のそっと背を押す。促されるままに、為斗子は歩き出す。

 口の中が、まだほんのりと苦い。

 少し大人になった気がする、静かな宵。

 懐かしい、くぐもった祖父の声が聞こえたような気がした。


 『為斗子、お前の心のままに。何を選ぶのかは、お前が決めるのだよ』


「…………おじいちゃん。私、選べるのかな……きっと、私…………」


 冷えた内廊下に、為斗子の独白が落ちる。

 その声の続きを聞くのは、静かな闇だけ。


 苦くて甘い、為斗子の幸せは、閉じ込められた箱庭の中で、まだ静かに続く。





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《チョコレートのアレコレ》

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【99% CACAO】

:カカオ成分99%の純カカオ。苦い、なんてもんじゃない。チョコだと思って口にすると、痛い目にあいますのでご注意下さい。

:作者は好きです。基本、70%以上のカカオを好んで食しています。75~80前後が食べやすいかな?

:イチシが準備したものは「Lindt」社のものをイメージしています。

【日本酒ボンボン】

:チョコの中にお酒をいれる「ボンボン」といえば、キルシュ、リキュール、ウイスキー、ブランデーといった洋酒が基本ですが、最近は日本酒バージョンもあります。……ただし、作者に言わせれば合わないと思います(汗)

:持ってきた寒河江(さがえ)さん(第三話で登場・日本酒の蔵元)も、決して意気込んで作った訳じゃなく、若い者に勧められて……という設定でした。


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《作中の詩歌(しいか)たち》

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【長き夜に~】 ※後編の前書き

:『黒髪』の歌詞にもあり、また作中で為斗子が言及する、“片敷く”に合わせて、八条院高倉の和歌より。冬の恋歌。『寝つけなかった』理由は違いますが、イメージ先行で選びました。



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ここ「なろう」さんで初めて『現代物』の範疇に入る作品を書いている、ということもあり、散見する「バレンタイン企画SS」なるものに参加したくて書いた作品です。

おかしいな~グラニュー糖のようにサラサラした砂糖を目指したはずなのに、どうしてキビ砂糖で作った水飴みたいになるんだろう……(反省)

選んだ地唄(『黒髪』)が悪かったのか、イチシが意地悪するのが悪いのか。

今回は、とにもかくにも《為斗子を純粋にデレさせる》ことが目標だったので、まあそれは達成できた気もします。


最初は「活動報告」でお披露目するだけのつもりでしたが、思ったより長くなった小品に仕上がったことと、作中で用いた『黒髪』が作者お気に入りの曲の一つでもあること、ちょっとは「背後にクロいものを背負っていない」イチシも悪くないかも、ということで、本作品に昇格することになりました。……単に“もったいないお化け”が出ただけともいう(苦笑)

活動報告で上げた際には、ほぼ初稿状態でルビもなかったので、今回少し手直ししています。……うん、さらに長くなった気がするけど、気にしないっ 基本的に、話運びは全く変わっていません。


今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。



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