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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
故話ノ一【忘れじの、行く末までは】 ~ 立春/東風解凍
14/35

忘れじの、行く末までは【後編】

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(いろ)(にお)ひ (しな)をあらそふ 春秋(しゅんじゅう)

(われ)あづからぬ (はな)仙人(やまびと)

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『志濃夫廼舎歌集』 橘曙覧(たちばなのあけみ)






 そんな日々を繰り返す内に、やがて彼女は、彼を外に出すようになった。

 『人の暮らしの中の、美しいものを、色々なものを金盞に知って貰いたいの』と言って、村のあちこちを散策させた。


 春の山桜、夏の月影、秋の紅葉、冬の雪。季節の移ろいと、そこで繰り返される人々の暮らしを、千代は彼に熱意を持って語った。

 空から匂うような満開の花筐(はながたみ)

 夕映えに刹那を届ける幾千もの蛍の光。

 燃え立つような朱金色の里山の輝き。

 墨絵に舞う幽玄の雪景色――――千代の口を通して語られるこの世は美しかった。


 千代は――彼を《(ヒト)》にしたかったのだと言った。

 化生のモノとしての果てしない孤独を埋める為に、ただ傍らで共に在り続けてくれる人間を望む彼に、アヤカシとしてではない(せい)を与えたかったのだと。

 人に在らざるモノとして共に過ごすのではなく、限りある日々の刹那(せつな)玉響(たまゆら)生命(いのち)をもって、共に過ごす相手として彼の傍らを望んだ。



 ――――そうやって、彼女は間違えたのだ。



 暗闇の中でいつものように手をとることもなく、ただじっと自分を見つめる化生のモノを、彼女は悲嘆の瞳で見上げていた。守護を失い、まだ若い命を終えようとする彼女をただ見下ろす彼の酷薄な視線には、いつもの優しさは微塵も見られない。その白い指が目尻から流れる雫を拭うこともない。


 『ねえ、金盞(きんせん)……どうして、どう、して……?』


 (かす)れた吐息のような声。

 彼女にしてみれば、不思議でならないのだろう。


「……違うんだよ。私が願うのは、それじゃない」


 冷たい声。闇の中で不思議と煌めく(くら)い瞳が、残酷で情のない言葉を映し出す。


「……約束したからね。この地と守屋の家の者は、今まで通り護っていくよ。()のことが、その生命をもって村を守ったと伝わるほどに、大切に。だから心配することはないよ。

 ――――さようなら」


 彼はもう、“千代”と彼女を名前で呼ばなかった。もう彼女は【化生守】じゃない。


 縋るように夜具から手が伸ばされたが、空をきった。もう触れることも出来ない。

 ただ一言別れを告げて、彼は枕辺を去った。障子戸を開けた先で、月光に浮かび上がる水仙の白。

 彼女は間違えた。

 《御守り様》は、【化生守】は――化生である彼の願いを請ける者。その傍らにただ在って、彼と共に化生としての(・・・・・・)永久の生を過ごすことだけが望まれた者――|彼を変える(・・・)権利などない。

 彼が望むのは、孤独ではない化生(けしょう)としての(せい)

 今日を限りとして刹那の時を生きる、人としての暮らしではない。


 『韻  絶(韻 絶にして)  香  仍  絶(香りなお絶え)

  花  清(花の清らかさに)  月  未  清(月 未だ及ばず)

  天  仙(天仙は)  不  行  地(地になじまず)

  且  借  水(しばらく水を借りて)  為  名(名と為す)


 彼女が与えた花の名と同じく――化生は天にも地にあるものではないのだ。


 その泡沫(うたかた)の狭間で、変わりゆくものを見送りながら、名を持って宿命(さだめ)を巡り、心の(しるべ)を雲井の風に解き放つ、アヤカシとしての生。

 明日という日は何処(どこ)に向かい、今という時は何処(どこ)へ流れるのか。それを深淵の中に見つめ過ごすことが、自分の在り方――その傍らに、誰かを置いて。



* * * 



「イチシ? ちょっと、ちょっと来て?」


 長く黙考していたつもりはなかったが、再び広縁の戸が開けられ為斗子が姿を見せた時には、日は中天を過ぎていた。冬の弱い日差しが、足元におぼろで短い影を落とす。


「為斗子、終わったの?」

「うん、出来たよ。だから、着替えてみて? その後は仏間でね」


 既に片付けも終わっており、仕立て上がったばかりの新しい長着は奥の部屋の衣桁(いこう)にかけられている。その脇には、鮮やかな黄水仙色の博多献上の角帯。

 出来映えには自信があるのか、彼の着心地を確かめようともせず、広縁から部屋にあがって来たイチシを置いて部屋を後にする為斗子。彼女も今から着替えるのだろう。


 今日は如月(きさらぎ)八日の事始め。

 本来は怪しのモノを避ける為に針には触れない日のはずだが、『アヤカシの為の針仕事だもの、いいよね?』と笑いながら新しい着物を仕立ててくれた。この後は、仏間で針供養をする予定だ。(しゅ)塗三方(ぬりさんぽう)に豆腐を載せて古針を刺し、為斗子がこの一年で酷使してきた針を労るのだ。

 新しい着物に袖を通す。力がスッと抜けるのに、動きを妨げない良い出来だった。心なしか、先ほどまで触れていた人の温もりを感じる。帯を締め、着流しのままで仏間に向かう。為斗子はしばらくして姿を見せた。確か佐保子さんのものだった、加賀友禅の附け下げ。白練りの縮緬に裾を飾る水仙模様が映える。


 神妙な動作で、為斗子が豆腐に針を刺す。丁寧に、感謝を込めて、働き者の為斗子の手が動く。

 為斗子が祖母である佐保子さんと同じ和裁士の道を選んだのは、外部との交流を(いと)う為斗子にとってギリギリの譲歩だったのだろう。技一つあれば、最低限の付き合いだけで何とかこなせる仕事。唯一の守屋の人間である以上、決して手に汗して働く必要はないが、それでも彼女は“仕事”をすることを望んだ。他人とはあまり接したくない、交流が怖い。けれども……か細い(えにし)の糸を切ることができない為斗子。


 愛しくて、可哀想な、私の(・・)化生守。


 真綿の繭に包まれて、その中で微睡(まどろ)みながら、変わらない永久の生を共に在る覚悟を育んでいる幼子。

 為斗子は間違えない。そして、自分も間違えない。

 変わらない時を怖れ、変わりゆくものを怖れ。無常の日々を怖れ、永久の流れを怖れ。

 それでも願う先を見誤ることはないだろう。


 覚えている、と言うことはない。忘れることもないだろう。

 なぜならば、“忘れる”必要がない()があると信じられるから。

 自分はただ、その時を待つだけでいい――。


「……イチシも刺す?」

「私はいいよ、為斗子。後は一晩奉じて、いつもの場所に埋めようか」


 真摯な願いを込めながら、為斗子の針供養が終わった。塗三方の豆腐には、いくつもの針が刺さってなかなか壮観だ。

 膝行して下がり、立ち上がる。着物姿の為斗子はいつもより大人びて見えて、凛然とした雰囲気を纏う。脇を抜ける際に前褄(まえづま)がふわりと揺れて、裾模様の水仙がイチシの長着に触れた。


「……今日はそのままの格好でいない?」

「え? だって遅くなったけど、昼ご飯にお事汁(ことしる)作ったりしたいし……」

「私がやるから。ね、為斗子? 今日は物忌(ものい)んで、何もしないで。私が全部やるから」

「ん……でも……」


 為斗子には、いつもの突拍子もない我が儘だと思われるだろう。口では難色を示してくるが、多分今日は任せてもらえそうだ。決して短くはない為斗子との生活。心の機微を感じることは(かた)くない。


「たまには着物姿でいよう? 為斗子に似合ってるから、たまには私に堪能させて?」

「もう、馬鹿なこと言わないでよっ」


 柔らかく強請る声色と表情で、為斗子の肩を抱く。名古屋帯のお太鼓が腰にあたり、二人の間に隙間を作る。密に近付けない、二人。

 少しの甘さと艶を加えて、為斗子の髪に吐息をのせる。柔らかな熱。


「…………ちゃんと美味しく作ってよ?」

「為斗子ほどは上手じゃないけれどね」


 やがて諦めたように為斗子の肩の力が抜けて、肩に回された彼の手に為斗子の頭がもたれかかってくる。愛らしい仕草、愛らしい声。色も匂わず、品を争うこともない、私だけの一輪の花。


「為斗子……待っているからね」

「ご飯を待つのは私だと思うけれど……?」

「そうだね……さ、居間で待っていて? 出来たら呼ぶから。お茶、煎れてあげるね」


 穏やかに微笑んで、為斗子を開放する。離れる腕に追いすがるように、為斗子の手が少しだけ捕まえて、同じように離す。シャラリ……と衣擦れの音がして、為斗子が歩き出す。


 変わらない穏やかな日常。人の暮らしの中にあって、年を経て繰り返す行事をこなし。変わらなくなる時を、ただ怖れ、ただ望む、二人。


 彼はただ待ち続ける。

 その日々を繰り返しながら、幸せを手に取る時を待っている。





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《歳時のアレコレ》

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【如月八日の事始め】/【針供養】

:いわゆる「事始め」は八日ですが、月は十二月と二月の二通りあります。これは祀るモノが違うからでして、歳神様を始めとする《神様の事始め》は十二月八日、事納めが二月八日です。つまり神様のことは十二月に始めて二月に終わるのです。変わって《人間の事始め》は二月八日、事納めが十二月八日。人間の日常生活は二月八日から始まるのですね。

:西日本では【針供養】は十二月八日に、東日本では二月八日にやるのが主流だと思います。最近はどっちの日でもやっている寺社が多いですね。

:和裁士さんにとって大切な年中行事なので、意地でも入れたかったエピソードでした。


※なお、最後にイチシが作ってくれる【お事汁(ことしる)】は【事八日(ことようか)】、十二月八日と二月八日に食べる行事食です。具だくさんのお味噌汁。芋、大根、人参、小豆、牛蒡、こんにゃくの六種類の具を入れて作るのが本来の姿のため、別名「六質汁(むしつじる)」とも言います。


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《作中の詩歌(しいか)たち》

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【忘れじの~】 ※前編の前書き/話表題

:百人一首でもおなじみの歌ですね。こんなに有名で素直な恋歌を、こんなエピソードに使う作者はひねくれ者です。

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【色匂ひ~】 ※後編の前書き

:水仙を詠ったものとしては有名……だと思います。『花の仙人(やまびと)』は、和水仙のことです。凛然とした水仙のイメージを詠い上げた素敵な歌だと思います。

:水仙は和名がない(漢語)ため、あまり和歌に詠まれない不憫な花です。

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【韻絶香仍絶~】 ※後編作中

:これだけ漢詩です。宋代の詩人【楊万里】の作。その名も『水仙歌』です。

:おおよその意味(水仙を褒め称えている漢詩です)

 “風趣も香気もこの上なく素晴らしく、清雅なることは月も及ばない。"

 “品があり、いわば天仙とも呼ぶべき花だが、天仙に大地は似合わないので、水の名を借りて名付いた。”

:書き下し文を書けるほどの才がないので、ルビ部分はアヤシイです。漢文、苦手……。


**********

謎ッ子のイチシさん視点で描いてみました。前作同様、甘くて苦いブレないアヤカシさんです。

為斗子視点の本編では、イチシの心情や謎がほとんど語ることが出来ないので、こんな形でエピソードを小出しに……。

彼はどこまでいっても【化生のモノ】です。アヤカシです。その矜持にあふれる存在です。そんな彼の片鱗を少しでもお伝えできれば……と。ま、本心かどうかはイチシのみぞ知るなんですけれどね(えっ?)

ヤンデる、というべきか、これが当然と思うべきか。作者自身も悩ましい判断ですが、少なくとも自分の煩悩が詰め込まれたキャラであることだけは確かです(苦笑)


今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

次話は本編の為斗子モード。できれば上巳(じょうし)で雛遊びしたい(させたい)なぁ……。

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