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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第四話【雪ぞかかれる、松の二葉に】 ~ 小正月/款冬華
12/35

雪ぞかかれる、松の二葉に【後編】

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()()ゑし 二葉(ふたば)(まつ)は ありながら

(きみ)千歳(ちとせ)の なきぞ(かな)しき

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『後撰和歌集』巻二〇・一四一一 紀貫之

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 クツクツクツ……台所からほんのりと甘い香りが漂ってくる。居間とを仕切るすりガラスの向こうで、背の高い影が今日も鷹揚に動いている。

 小正月(こしょうがつ)の朝は雪景色で始まった。昨夜降り積もった雪は一面を銀世界に染め上げ、朝日に輝く。全てを抱き留める白い絨毯は、外を行き交うであろう車や人の音を遮断して、一際静かな朝をもたらした。

 イチシと手分けして雪を掃き、為斗子は凍えた身を宥めながら少し遅めの朝食を作る。小正月の行事食としての小豆粥(あずきがゆ)には少しだけセリを刻んで彩りを添え、香ばしく仕上げた鱈の西京焼きには唐辛子多めで仕上げた菊花蕪の甘酢漬け。料理を作る内に、為斗子の身体も温まってくる。同じく雪雲が晴れて眩しい光が射す外では少しずつ雪が解け、軒を伝って落ちる雫の音が不定期に響いていた。

 食後の後片付けはイチシが引き受けてくれたので、為斗子はコタツに潜り込んで背を丸める。今日は湿気が多くなることもあり、和裁の仕事もしないつもりなのでイチシと二人の穏やかな一日を過ごすつもりだ。片付けはとうに終わっただろうに、イチシは何か台所でカチャカチャと動いている。やがて甘い香りがほんのりと漂い、盆に二つの湯飲みを載せてイチシが今に戻って来た。甘さの中に紛れ込むショウガの香り。


「はい、食後の甘いもの。ショウガはちょっと多めにしたから、甘ったるくはならないよ?」


 穏やかに微笑んでイチシが湯飲みの一つを為斗子に手渡す。持てないほどではないが、その熱が為斗子の手のひらを赤く染めた。


「……何してるのかと思ったら、甘酒つくってたんだね。うん、ありがとう。でも、甘いものばっかり。お茶でよかったのに」

「私は為斗子を甘やかしたいからね」


 邪気のない微笑みを向けて、イチシも脇に腰を下ろす。少し舌に刺激が残る(こうじ)の甘酒は、少し物足りなさのあった朝食を補うようにストンと胸に納まっていった。居間に座す為斗子の正面には、白に染まる中庭が広がる。寒さはあるが、外を見渡したくて雪見障子を開けているため、向かい正面にある為斗子の仕事部屋まで見渡せる。中庭をコの字型に囲む形の広縁の軒からは、雪()けた雫が陽の光を受けて煌めきながら滴っていた。


 寒いような、温かいような、不思議な光景。


 毎年のように見ている光景。かつては祖父母が共にコタツを囲んだ。向かいの仕事部屋では、祖母が静かに布を()っていた。(はす)()かいの座敷では、祖父が三絃を爪弾いていた。雪積もる庭に出て、小さな雪兎をいくつも作り、広縁に並べた。ユズリハは植えられていなかったので、南天の実と葉で飾った耳と目。盆にも載せず、そのまま広縁に並べて叱られた、懐かしい思い出。

 冷たさで赤くなった為斗子の手を、優しく温めてくれたイチシの白い手。血が通ってジンジンと痛む指先を、そっと(たもと)で包んで抱き留めてくれた、柔らかな(かいな)……。


 いつまでも変わらない……とは思っていなかった。いつまでも続かないと知っていた。

 それでも、その腕の中の温もりだけは、変わらないと感じていた。


「…………為斗子?」


 不意に頭を預けるように身を寄せてきた為斗子に、イチシは変わらない優しさと穏やかさで肩を貸す。幼子を愛おしむ手付きで、静かに髪が撫でられた。


「寂しい?」

「…………うん、ちょっと」


 静かな雪景色は、心を揺さぶる。静かな外、静かな屋内。為斗子とイチシの息づかいしか聞こえない、他には誰も居ない(・・・・・・・・)二人だけの空間。


 祖父が息を引き取ったのは、こんな雪の朝だった。

 為斗子ははっきりとは知らされていなかったが、余命を宣告されていた祖父は入院を拒み、祖母と為斗子の(かたわ)らにいることを望んだ。食がなくなり、寝付いたまま、それでも慈愛に満ちた瞳と手付きで、側に寄る為斗子の頬を撫でてくれた。

 その前夜、暗い闇の中で白い雪片が静かに舞い降りていた。

 祖父の傍らには祖母がつきっきりで、為斗子は部屋を出されていた。いつもは姿を見せないイチシが、その夜はずっと為斗子の側にいた。心配で眠りが浅い中うつらうつらと瞳を開けると、哀愁と慈愛が入り混ざったイチシの怜悧な瞳が、ただ為斗子だけを見つめていた。片手を優しく捕らえるように握り込み、もう片手が優しく為斗子の目蓋(まぶた)を覆って寝かしつけようとする。


『……ねえ、おじいちゃんは?』

『…………まだだよ、為斗子。まだ(・・)、だから。今はおやすみ……』


 あの夜、何度も繰り返したやり取り。じわりと滲む涙を、何度も何度もイチシの白い指が拭ってくれた。

 ――――翌朝、雪白の光の中、祖母と為斗子、そしてイチシに見守られて、静かに祖父は息を引き取った。その顔には、いくばくかの無念さと、(いたわ)りと――そして重い荷を下ろした時のような若干の安堵が浮かんでいた。


「……イチシはずっと覚えているの?」


 肩と言うより肩甲骨にもたれかかるような体勢で、額をイチシの背に被せて為斗子は呟いた。少しくぐもった、脈絡のなさそうな為斗子の問いかけに、すぐに返事は返ってこなかった。


 祖父は、為斗子の()の【化生守(けしょうもり)】だった……このアヤカシが、人為らぬ化生(けしょう)が、その側にあって共に生きることを望む、唯一の存在。本当は、その果ての知れない化生としての(せい)を、永久に共にあって欲しいと望む人間。

 けれども、祖父も、代々の化生守達も皆、誰一人そう(・・)ある人生を選ばなかった。祖父は祖母を選び、その前の化生守達も、それぞれがこのアヤカシとは異なる別の人を共に在る相手に選び――そうして、このアヤカシだけが残されていった。

 何度も見送ってきたであろう、“共に在って欲しかった相手”との永久の別れ。

 いつまでも続かない、八千代にはほど遠い、どれほど祈りを捧げても過去の中に眠りゆく、(はかな)い願い。

 人を相手に望む以上、いつかは消えてゆく玉響(たまゆら)のような生命。それでも“いつか”を信じ、幾度となく繰り返し、このアヤカシは“誰か”を望んできた――。


「いつも……いつも、同じ、変わらない、寂しさ……?」


 イチシの背から頭を外し、為斗子は上目遣いに彼を見上げた。少し切なげな瞳。少しだけ細められていた目が一瞬だけ閉じられて、再び開く。今度は少し困ったような瞳。

 イチシの口から、他の(・・)化生守について聞いたことはない。為斗子が知るのは祖父だけだ。祖父と共に在った時、亡くなってから祖父のことを語る時、イチシの声には僅かな哀憐が漂う。その意味を為斗子は知りたくもあり、また知りたくはなかった。


 ――単に嫌なのだ。それが敬愛する祖父が相手であったとしても。

 自分が“何人目か(・・・・)の化生守”――繰り返してきた過去と現在の一つになってしまうことが。


 狡いと思う。愚かだとも思う。

 ずっと側にあることを選べないくせに、自分の“次”はあって欲しくない。

 ずっと待たせているくせに、自分だけじゃないことを嫌がる、愚かな子ども。


 寂しくて、孤独になりたくなくって。

 でも怖くて、口に出せなくて。


「イチシ……私はあなたの不幸を願っているのかな……?」

「そうじゃないよ、為斗子」


 イチシは優しく肩を押して為斗子の姿勢を戻し、そのまま流れるような動作で為斗子の背に身を寄せた。いつものように、ぎゅっと背後から抱きしめる。


「大丈夫、私は待てるよ。待ってる、いつまでも。だから私は幸せだよ、為斗子」


 幾度となく繰り返される、懇願。

 その切ない声を、為斗子はいつも自分の罪として聞いている。

 選べない、選ばない、残酷な自分への罪――。


「……為斗子、一つだけ教えてあげる」


 二人の微かな息づかいだけが続いていた静寂を割って、少しだけ腕の束縛を解いたイチシが語りかける。優しい、でも少しだけ熱の感じる声。


「為斗子が初めてなんだよ」

「……何が?」


 思いもかけない言葉に、為斗子は思わず振り向いてイチシを見つめた。為斗子を見つめる視線は柔らかで、穏やかで、少しだけ残酷で。


「為斗子が初めてなんだよ……その前の【化生守】がまだ生きているのに、【次】を望んだのは。

 (いさお)は私を選ばなかったけれど、今までならばその生が尽きるまで、私は彼だけを傍らに望んで見守っていただろうね……。為斗子だけなんだよ、それ以上に私が望んだのは。

 為斗子が生まれたその時から、今代(こんだい)の【化生守】は為斗子なんだ。

 為斗子、気付いていた? 功は私を“名前”で呼ばなかっただろう? ……為斗子が生まれた時に、功が私に与えた名前は役目を終えたんだ。あの時から、私はずっと待ってる。為斗子だけを、ただずっと。だから、私は不幸じゃないよ――」


 「イチシ」という“名前”は、祖父が亡くなった後、為斗子が彼に与えたものだ。それまで、守屋の家では彼はただ単に「(かれ)」とか「化生(けしょう)」とだけ呼ばれていた。為斗子もずっと「アヤカシさん」と呼んでいた――。


 ――信じていいのだろうか。この(よろこ)びを。


 イチシはアヤカシだ。自分の望みを叶え、為斗子を独占する為ならば、(いつわ)ることも躊躇(ためら)わないだろう。イチシの言葉が真実を映しているという保障はないし、イチシ自身がそれを否定もする。


 それでも……信じたい。

 狡いと思う。愚かだとも思う。

 その言葉を信じていないくせに、その心だけは信じたいなんて。

 幾千代、八千代と経た中での、『自分だけ』という甘い罠。

 なんて残酷な、罪。


 黙りこくる為斗子の髪を、イチシが優しく撫でる。背から染みいる温もり。トクトクと感じる優しい鼓動と、甘い吐息。凍る雪景色と、融けゆく雫。


「…………イチシ、それでも、まだ、私は――」

「大丈夫、待つ。いつまでも。為斗子を独りにはしない。あの、雪のかかる二葉松(ニヨウマツ)のように、(とことわ)の色のままで――」



 ―― 雪ぞ かかれる 松の二葉に ――



 昨日も合わせたばかりの『八千代獅子』の後歌。イチシの柔らかな地歌の声が脳裏に響く。いつまでも変わらないことを寿(ことほ)ぐ、慶びの曲。

 自分は、いつになったら“変わらない”ことを受け入れられるだろうか。怖がらなくなるだろうか。その時まで――信じていいだろうか。



「―― ゆきふらば わがつみが ゆるされむ ――」



 再び言葉を失った為斗子に、イチシがゆっくりと(ろう)じる。一言、一言、噛み締めるように。一節、一節を、言い聞かせるように。


「わがつみ、が……?」

室生(むろう)犀星(さいせい)の詩だよ、為斗子。綺麗だろう?

 ……雪はいいね、全てを覆い尽くして――隠してくれる」


 ……(うそ)(まこと)も。


 全て、雪が持っていってしまえばいい。

 離れない二葉の松葉のように隣り合わせの真実と偽りを、その冷たく気高い白で覆って融けてゆけばいい。


 変わらないのは、愚かな自分。変わらないのは、いつも側にある温もり。

 優しくて、寂しくて、強くて、か細い、幸せ。

 いつまでも、その時を待つ二人。

 怖れながら、傷つきながら。償いながら、許されながら。


 お互いの罪を雪に埋めて、二人の幸せは続いてゆく。



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色々あって、かなり間が開いてしまいましたが、【化生守(けしょうもり)】シリーズ、第四弾をお届けいたします。

「歳時物」のお話なので、季節を外してしまうと《いまさら》感が果てしないのですが、このままお蔵入りさせるには哀しかったので、作中とは約一月遅れでのエピソードをお届けいたします。


今回のコンセプト(?)は『ジャンル詐欺にならないよう、たまには甘さ主体で!』でした。結果は……はい、平常運転?

イチシの甘やかし加減さを主軸に、ちょっとだけ為斗子を幸せに……したかったんですけれどね(遠い目)

多分、ずっとこんな感じで行ってしまいそうな、この作品。悪いのは誰だっ。

なお前書きの和歌は「二葉松(にようまつ)」繋がりで“めでたくない和歌”というコンセプトで選択。作中イメージには合わせていますが、本筋とはそれほど繋がりはありません。功さんに捧げる歌、ということで。


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作中に用いた、室生犀星の詩は『断章』という詩です。その一。なお、あの十五文字で全文。潔い。

それが初出かどうかわかりませんが、出典は『青き魚を釣る人』(1923年刊)です。以前、何か別の作品からの孫引きで目にして以来、ずっと雪が降る度に思い出す詩です。いつか自作品で引用したかったという願いが叶いました。

室生犀星自身が金沢の人ということもあり、雪と哀愁が似合う詩人だと思います。


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謎が多いイチシですが、少しずつ彼を取り巻くモノについても触れてゆきたいと思います。

基本的に為斗子視点で進めている話なので、なかなか彼が心境を語ることはないでしょうが……第一、口にしていることのどこまでが本当のことなんだか、わかりませんし♪(えっ?)


今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


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