表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第四話【雪ぞかかれる、松の二葉に】 ~ 小正月/款冬華
11/35

雪ぞかかれる、松の二葉に【中編】




 先日まで正月飾りの掛蓬莱(かけほうらい)があった床の間は一新され、床柱(とこばしら)掛花入(かけはないれ)には、作ったばかりの繭玉飾りが綺麗に飾られている。残念ながら為斗子は生け花のたしなみも骨董の知識もないので、床の室礼(しつらい)はいつもイチシまかせだ。善し悪しはまるで分からないが、掛け軸は雪を被った南天に小禽(しょうきん)に掛け替えられていて、白磁の香炉がどことなく寒々しさを醸し出していた。

 暖房をいれたばかりで、まだ肌寒い部屋。少し強張る指を叱咤(しった)しながら為斗子が調弦(ちょうげん)をする間に、イチシも客間に姿を見せた。その手には祖父が愛用し、今はもっぱらイチシが使っている紫檀(したん)三絃(さんげん)。イチシは箏も弾いてくれるが、為斗子は三絃と合わせる方を好んだ。違う楽器が奏でる音が、重なり合い響く様が好きだから。


「為斗子は……平調子なんだね。こっちは本調子?」

「うん、『八千代(やちよ)』でいい? お()()めでやったばっかりだけど」


 為斗子の調弦に合わせて、イチシも音をとる。共に基本の調弦。弾くのは『八千代獅子(やちよじし)』にした。


 昨今、「お(こと)の曲」と言えば宮城道雄の『春の海』が定番中の定番であり、正月になればそこかしこから聞こえてくる曲だが、あの曲は尺八の旋律(せんりつ)部分がないと全くもって成り立たない。二重奏曲ではあるが、主旋律はやはり尺八だ。尺八の代わりにバイオリンやフルートなどの洋楽器で合わせる編曲や、箏だけの二重奏曲としての編曲もあるが、やはり物足りない感じがある。以前、イチシが尺八のパートを篠笛(しのぶえ)で合わせてくれたことがあるが、何となく“違う”感があるのはあまりにも有名な曲過ぎるからだろうか。

 アヤカシだからだろうか。イチシは楽器もなんでもこなす。尺八があればきっと吹いてくれるだろうが、残念なことに守屋の家では所蔵していなかった。にも関わらず篠笛があったりするのは、さすがに旧家ということなのだろうか。

 そんなこんなで、もっぱら為斗子が正月に弾くのは『千鳥の曲』や『八千代獅子』といった手頃な曲ばかりだ。今年のお弾き初めも『八千代獅子』で始め、イチシの三絃と合わせられる古曲ばかりを楽しんだ為斗子だった。


 『八千代獅子』は、地歌箏曲の名曲の一つで手事物(てごともの)と称される古曲だ。短い前唄と後唄に挟まれる三段の手事は、それほど難しくはないが弾き映えがする。為斗子が好きな曲の一つだ。暗譜(あんぷ)で十分弾ける。


「私はいいけれど、為斗子は大丈夫なの? 押し手が多いのに?」

「大丈夫だってば。(うた)はイチシにお願いしていい?」


 調弦を終えて指を慣らすように和音をとる。同じく音をとりながら、イチシは少し不満げで心配そうな表情で為斗子を見遣ったが、やがて龍頭(りゅうとう)側に移動して少しだけ角度をつけて隣り合わせに座る。曲の拍子をとるのはイチシ。為斗子も居住まいを正し、構えをとった。視界の端でイチシの左小指が拍をとる。



  いーつー まァー でェーエエェーもー 



 『八千代獅子』は唄から始まる。十二律の双調「七」の音から始まる、イチシの少しだけ柔らかい低い声。その声を聞いて、為斗子も指を走らせた。歌の旋律とは全く異なる音を奏でるのに、なぜか心地よく響く和音。



 テーン ツンテンシャン チツ コーロリン テーン


 かわらぬ 御代(みよ)に あいたけの

 世々(よよ)は 幾千代(いくちよ) 八千代(やちよ)()


 シャン ツーンコロリン コーロリン チン

 ツーン ツテツーン ツントーン テン


 前唄が終わり、手事に入る。(やや)速く、続く三段の手事は同じようでいて微妙に異なる技巧的な調べ。この曲は、箏と三絃がほとんど同じ旋律を奏でる為、少しのズレが目立つ。だが、慣れた曲、慣れた相手――誰よりも為斗子を知り、為斗子を見守るイチシが調子を外すことはない。どこまでも為斗子に合わせて共に在る音――。



 テーン ツテン チツテツテントンテツ テン トン シャーン



 最後だけを五拍にとって手事が終わる。被せるように、イチシの涼やかな後唄が響く。



 雪ぞ かかれる 松の二葉(ふたば)



 旋律の異なる、繰り返しの楽句(フレーズ)。先のフレーズは低く、後のフレーズは高く入ってオクターブ下から繰り上げる高低差のある流れ。ややこぶし(・・・)を効かせるような揺れのある声が響いて、静かに終わる。最後の歌の音を聞いて、終音の和音。余韻を残した後で、そっと絃を押さえて音を消す。

 外は雪、静寂が戻ってくる。


「……この前より上手く弾けたかな、イチシ?」

「そうかもね、手事の流れが(よど)みなかったから合わせやすかったよ。いつもこうだといいけれど」

「ひどい、イチシ。……確かに、おじいちゃんが居た頃よりは腕が落ちたとは思うけれど……」


 大人げなくぷぅと頬を膨らませて、為斗子はイチシに向き合った。その表情に、イチシが柔らかくクスクス笑う。拗ねた素振りで顔を戻し、箏爪を流して調弦の緩みを確認する。押し手が多い曲の後は、どうしても音が緩む。イチシも糸巻(いとま)きに手を伸ばし、キュッと締め直していた。


「もう一度? それとも別の曲?」

「イチシはどっちがいい?」

「せっかくだから、別の曲にしようか。為斗子のお稽古も兼ねて。……そうだね、三絃と合わせるとなると『瀬音』や『さらし』という訳にはいかないし……『比良』あたりかな」


 ニコリと微笑んで、イチシは譜面をしまってある棚に向かう。祖父が亡くなってから、イチシが為斗子の“お師匠さん”役で、祖父とはまた違った意味で厳しい先生でもある。柔らかくダメな所を分かりやすく指摘してくれるが、直るまでにっこり微笑んだまま繰り返し練習させるのだ。イチシは一緒に音を奏でることが嬉しくて仕方がない、という表情の笑みのままだが、ある意味では容赦ない。

 楽しそうに譜面を選んでいるイチシの姿に、為斗子は内心冷や汗をかく。つと視線を向けた先で、しんしんと降り積もる雪が真白(ましろ)の輝きをみせた。


 外は静寂、雪が大地を覆い尽くして、全ての音を奪ってゆく。吸い込まれそうな静寂。


「……為斗子、どうしたの?」


 気がつくと隣りにイチシが居て、爪をはめたまま膝に置かれた為斗子の手が優しく掴まれた。雪を見つめるうちに、意識がぼおっとなっていたようだ。


「やっぱり、怪我した指が痛いの? 寒いと指も動きにくくなるし、今日はもう止めておこうか?」


 滑らせるように、掴まれた左手がイチシの頬に持って行かれる。目を閉じて、愛おしむ動作で頬にあてた為斗子の手を()()でる。


 ――少しだけ冷たい、イチシの頬。


 添えられた手に、為斗子はもう片方の自分の手を重ねた。


 ――少しだけ温かい、イチシの手。


 いつものように甘やかされて。

 それが与えてくれる幸せを、いつまで(・・・・)“幸せ”と感じることができるのだろう。


 『いつまでも 変わらぬ御代に――』


 ――幾千代、八千代と続くものなどあるのだろうか。


 為斗子が「行事」を大切にするのは、祖父母の影響だけではない。『変わらない、繰り返しの日々』が、為斗子を安心させるからだ。いつまでも、ずっとこうして……変わらない日常を過ごしたい。

 けれども、その一方で『ずっと変わらなくなる(・・・・・・・)日々』を怖れてもいる。【化生守(けしょうもり)】として、このアヤカシたるイチシと共に在る(せい)を選んだ先の、誰も知らない(・・・・・・)日々が怖くて仕方ない。

 『今のまま、変わらない日々』を望む自分が、どこか(ゆが)んでいることは何となく分かる。それでも、為斗子は許される限り、その日々を繰り返したいのだ――ここで、イチシと共に。


 じっとイチシを見つめ返す。膝付いたイチシの顔を見上げ、その秀麗な白い(かんばせ)に浮かぶいつまでも変わりない為斗子への情を、目と心に焼き付ける。伏せられたイチシの目蓋が開かれて、黒い瞳に為斗子が映る。


 バサッ、と枝に積もった雪が落ちる音が響いた。気付けば随分と雪が降り積もっている。もう長靴でないと歩けなさそうなほどだ。重苦しい雪雲の空が、夕闇の色に染まり始めている。


「……今のうちに、門までは雪掃きしておいた方がよさそう……」

「そうかもね。朝になったら凍って固くなっていそうだ」


 何気ない素振りのまま、為斗子もイチシも手を離して庭先に視線を向ける。為斗子は箏爪を外して箱にしまい、箏の()を外し始めた。結局、一曲合わせただけだったが、不思議と満足感があった。イチシは少し残念そうな表情を浮かべていたが、油単(ゆたん)を掛けた為斗子の箏をさり気なく奪って片付ける。


「ここは私がやっておくよ。為斗子は先に雪掃きしておいで。気をつけてね、暖かい格好にして。足元に気をつけて、転ばないでよ? 後から私も手伝いに行くから、先に表通り側だけやっておけばいいから」

「わかったから、イチシ。もう子どもじゃないんだから、そんなに心配しないで。

 ――明日は雪で出かけられないから、明日はちゃんと練習するね。一日、一緒に色々やろう?」


 ささいな約束。それでも「約束」は「繰り返す、明日」を感じさせてくれる。

 滑らせるようにイチシが為斗子の頬を撫でる。優しいその微笑みを受けて、為斗子は同じように微笑みを返して背を向けた。動きやすく暖かい格好に着替えるために自室に向かう後ろ姿を、いつもと同じ優しく、強く、寂しく、残酷な視線が見つめていた。


 外は真白の雪。青灰色の夕闇の中に静かに降り積もる、沈黙の雪――。




----------

《今話の地歌箏曲》

八千代獅子(やちよじし)

:地歌箏曲の名曲の一つで、「獅子物(ししもの)」と呼ばれる日本古来の舞楽曲系統の曲。歌舞伎の下座(げざ)音楽にも用いられ、『助六』の「八千代獅子合方くずし」で奏でられる。

元々は尺八の曲だったが、政島検校によって胡弓曲に移された後、藤永検校によって三絃曲へと編曲し直され、最終的に三曲(さんきょく)の地歌箏曲となった。

地歌箏曲としては、十八世紀半ばに成立。唄は園原勾当が作詞したと伝わる。

:難易度は“やや難”といった所。それほど難しくはない。宮城会だと中傳曲。

:おめでたい曲として、正月などにもよく用いられるが、『春の海』ほどの知名度はない。

-----

※作中でも触れましたが、お正月の箏曲といえば『春の海』か『千鳥の曲』でしょう。

しかしながら……『春の海』は三曲合奏あってのもの。為斗子のように単独~二人での演奏では、本当に聞き映えしません……尺八の主旋律がないと締まらないんですよねぇ……難しいのに。

『千鳥の曲』は別に使いたいエピソードがあるので、今回は見送りです。

『八千代獅子』は、古曲練習に向いていると思います。唄もそれほどややこしくありませんし、聞き映えもします。今はすっかりご無沙汰していますが、かつて(知人/友人の)結婚式にお呼ばれし余興を頼まれる度に弾いてきました。難しすぎず、長すぎず、それでいて単独で弾いても聞き映えする曲は貴重です。


----------

今回の章タイトルに用いた【款冬華】は、【七十二候(しちじゅうにこう)】と呼ばれる季節区分の一つです。“大寒”“立春”などの【二十四節気(にじゅうしせっき)】ほど有名ではありませんが、季節感を感じる素敵な暦表現です。

二十四節気が大体半月ごとの季節区分ですが、七十二候はそれをらに三分割(つまり約五日ごと)して、その時期の気象や動植物の変化を知らせる短文で表現します。

今回の【款冬華】は《ふきのはなさく》と読みます。大寒の頃、睦月二十日前後がおおよその日程です。本当の小正月(十五日頃)ならば【雉始雊(きじはじめてなく)】ですが、イメージ先行で選択しました。

七十二候の表現は、直接的でありながら詩的でとても好きです。時代ごとに変化しているもので、自分が使っているのは明治期の『略本暦』準拠のものです。

※ちょっとした雑学。

「気候」という熟語表現は、この「二十四節気」の「気」と、「七十二候」の「候」を組み合わせたものに由来しています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ