雪ぞかかれる、松の二葉に【中編】
先日まで正月飾りの掛蓬莱があった床の間は一新され、床柱の掛花入には、作ったばかりの繭玉飾りが綺麗に飾られている。残念ながら為斗子は生け花のたしなみも骨董の知識もないので、床の室礼はいつもイチシまかせだ。善し悪しはまるで分からないが、掛け軸は雪を被った南天に小禽に掛け替えられていて、白磁の香炉がどことなく寒々しさを醸し出していた。
暖房をいれたばかりで、まだ肌寒い部屋。少し強張る指を叱咤しながら為斗子が調弦をする間に、イチシも客間に姿を見せた。その手には祖父が愛用し、今はもっぱらイチシが使っている紫檀の三絃。イチシは箏も弾いてくれるが、為斗子は三絃と合わせる方を好んだ。違う楽器が奏でる音が、重なり合い響く様が好きだから。
「為斗子は……平調子なんだね。こっちは本調子?」
「うん、『八千代』でいい? お弾き初めでやったばっかりだけど」
為斗子の調弦に合わせて、イチシも音をとる。共に基本の調弦。弾くのは『八千代獅子』にした。
昨今、「お箏の曲」と言えば宮城道雄の『春の海』が定番中の定番であり、正月になればそこかしこから聞こえてくる曲だが、あの曲は尺八の旋律部分がないと全くもって成り立たない。二重奏曲ではあるが、主旋律はやはり尺八だ。尺八の代わりにバイオリンやフルートなどの洋楽器で合わせる編曲や、箏だけの二重奏曲としての編曲もあるが、やはり物足りない感じがある。以前、イチシが尺八のパートを篠笛で合わせてくれたことがあるが、何となく“違う”感があるのはあまりにも有名な曲過ぎるからだろうか。
アヤカシだからだろうか。イチシは楽器もなんでもこなす。尺八があればきっと吹いてくれるだろうが、残念なことに守屋の家では所蔵していなかった。にも関わらず篠笛があったりするのは、さすがに旧家ということなのだろうか。
そんなこんなで、もっぱら為斗子が正月に弾くのは『千鳥の曲』や『八千代獅子』といった手頃な曲ばかりだ。今年のお弾き初めも『八千代獅子』で始め、イチシの三絃と合わせられる古曲ばかりを楽しんだ為斗子だった。
『八千代獅子』は、地歌箏曲の名曲の一つで手事物と称される古曲だ。短い前唄と後唄に挟まれる三段の手事は、それほど難しくはないが弾き映えがする。為斗子が好きな曲の一つだ。暗譜で十分弾ける。
「私はいいけれど、為斗子は大丈夫なの? 押し手が多いのに?」
「大丈夫だってば。唄はイチシにお願いしていい?」
調弦を終えて指を慣らすように和音をとる。同じく音をとりながら、イチシは少し不満げで心配そうな表情で為斗子を見遣ったが、やがて龍頭側に移動して少しだけ角度をつけて隣り合わせに座る。曲の拍子をとるのはイチシ。為斗子も居住まいを正し、構えをとった。視界の端でイチシの左小指が拍をとる。
いーつー まァー でェーエエェーもー
『八千代獅子』は唄から始まる。十二律の双調「七」の音から始まる、イチシの少しだけ柔らかい低い声。その声を聞いて、為斗子も指を走らせた。歌の旋律とは全く異なる音を奏でるのに、なぜか心地よく響く和音。
テーン ツンテンシャン チツ コーロリン テーン
かわらぬ 御代に あいたけの
世々は 幾千代 八千代経る
シャン ツーンコロリン コーロリン チン
ツーン ツテツーン ツントーン テン
前唄が終わり、手事に入る。稍速く、続く三段の手事は同じようでいて微妙に異なる技巧的な調べ。この曲は、箏と三絃がほとんど同じ旋律を奏でる為、少しのズレが目立つ。だが、慣れた曲、慣れた相手――誰よりも為斗子を知り、為斗子を見守るイチシが調子を外すことはない。どこまでも為斗子に合わせて共に在る音――。
テーン ツテン チツテツテントンテツ テン トン シャーン
最後だけを五拍にとって手事が終わる。被せるように、イチシの涼やかな後唄が響く。
雪ぞ かかれる 松の二葉に
旋律の異なる、繰り返しの楽句。先のフレーズは低く、後のフレーズは高く入ってオクターブ下から繰り上げる高低差のある流れ。ややこぶしを効かせるような揺れのある声が響いて、静かに終わる。最後の歌の音を聞いて、終音の和音。余韻を残した後で、そっと絃を押さえて音を消す。
外は雪、静寂が戻ってくる。
「……この前より上手く弾けたかな、イチシ?」
「そうかもね、手事の流れが淀みなかったから合わせやすかったよ。いつもこうだといいけれど」
「ひどい、イチシ。……確かに、おじいちゃんが居た頃よりは腕が落ちたとは思うけれど……」
大人げなくぷぅと頬を膨らませて、為斗子はイチシに向き合った。その表情に、イチシが柔らかくクスクス笑う。拗ねた素振りで顔を戻し、箏爪を流して調弦の緩みを確認する。押し手が多い曲の後は、どうしても音が緩む。イチシも糸巻きに手を伸ばし、キュッと締め直していた。
「もう一度? それとも別の曲?」
「イチシはどっちがいい?」
「せっかくだから、別の曲にしようか。為斗子のお稽古も兼ねて。……そうだね、三絃と合わせるとなると『瀬音』や『さらし』という訳にはいかないし……『比良』あたりかな」
ニコリと微笑んで、イチシは譜面をしまってある棚に向かう。祖父が亡くなってから、イチシが為斗子の“お師匠さん”役で、祖父とはまた違った意味で厳しい先生でもある。柔らかくダメな所を分かりやすく指摘してくれるが、直るまでにっこり微笑んだまま繰り返し練習させるのだ。イチシは一緒に音を奏でることが嬉しくて仕方がない、という表情の笑みのままだが、ある意味では容赦ない。
楽しそうに譜面を選んでいるイチシの姿に、為斗子は内心冷や汗をかく。つと視線を向けた先で、しんしんと降り積もる雪が真白の輝きをみせた。
外は静寂、雪が大地を覆い尽くして、全ての音を奪ってゆく。吸い込まれそうな静寂。
「……為斗子、どうしたの?」
気がつくと隣りにイチシが居て、爪をはめたまま膝に置かれた為斗子の手が優しく掴まれた。雪を見つめるうちに、意識がぼおっとなっていたようだ。
「やっぱり、怪我した指が痛いの? 寒いと指も動きにくくなるし、今日はもう止めておこうか?」
滑らせるように、掴まれた左手がイチシの頬に持って行かれる。目を閉じて、愛おしむ動作で頬にあてた為斗子の手を掻い撫でる。
――少しだけ冷たい、イチシの頬。
添えられた手に、為斗子はもう片方の自分の手を重ねた。
――少しだけ温かい、イチシの手。
いつものように甘やかされて。
それが与えてくれる幸せを、いつまで“幸せ”と感じることができるのだろう。
『いつまでも 変わらぬ御代に――』
――幾千代、八千代と続くものなどあるのだろうか。
為斗子が「行事」を大切にするのは、祖父母の影響だけではない。『変わらない、繰り返しの日々』が、為斗子を安心させるからだ。いつまでも、ずっとこうして……変わらない日常を過ごしたい。
けれども、その一方で『ずっと変わらなくなる日々』を怖れてもいる。【化生守】として、このアヤカシたるイチシと共に在る生を選んだ先の、誰も知らない日々が怖くて仕方ない。
『今のまま、変わらない日々』を望む自分が、どこか歪んでいることは何となく分かる。それでも、為斗子は許される限り、その日々を繰り返したいのだ――ここで、イチシと共に。
じっとイチシを見つめ返す。膝付いたイチシの顔を見上げ、その秀麗な白い顔に浮かぶいつまでも変わりない為斗子への情を、目と心に焼き付ける。伏せられたイチシの目蓋が開かれて、黒い瞳に為斗子が映る。
バサッ、と枝に積もった雪が落ちる音が響いた。気付けば随分と雪が降り積もっている。もう長靴でないと歩けなさそうなほどだ。重苦しい雪雲の空が、夕闇の色に染まり始めている。
「……今のうちに、門までは雪掃きしておいた方がよさそう……」
「そうかもね。朝になったら凍って固くなっていそうだ」
何気ない素振りのまま、為斗子もイチシも手を離して庭先に視線を向ける。為斗子は箏爪を外して箱にしまい、箏の柱を外し始めた。結局、一曲合わせただけだったが、不思議と満足感があった。イチシは少し残念そうな表情を浮かべていたが、油単を掛けた為斗子の箏をさり気なく奪って片付ける。
「ここは私がやっておくよ。為斗子は先に雪掃きしておいで。気をつけてね、暖かい格好にして。足元に気をつけて、転ばないでよ? 後から私も手伝いに行くから、先に表通り側だけやっておけばいいから」
「わかったから、イチシ。もう子どもじゃないんだから、そんなに心配しないで。
――明日は雪で出かけられないから、明日はちゃんと練習するね。一日、一緒に色々やろう?」
ささいな約束。それでも「約束」は「繰り返す、明日」を感じさせてくれる。
滑らせるようにイチシが為斗子の頬を撫でる。優しいその微笑みを受けて、為斗子は同じように微笑みを返して背を向けた。動きやすく暖かい格好に着替えるために自室に向かう後ろ姿を、いつもと同じ優しく、強く、寂しく、残酷な視線が見つめていた。
外は真白の雪。青灰色の夕闇の中に静かに降り積もる、沈黙の雪――。
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《今話の地歌箏曲》
【八千代獅子】
:地歌箏曲の名曲の一つで、「獅子物」と呼ばれる日本古来の舞楽曲系統の曲。歌舞伎の下座音楽にも用いられ、『助六』の「八千代獅子合方くずし」で奏でられる。
元々は尺八の曲だったが、政島検校によって胡弓曲に移された後、藤永検校によって三絃曲へと編曲し直され、最終的に三曲の地歌箏曲となった。
地歌箏曲としては、十八世紀半ばに成立。唄は園原勾当が作詞したと伝わる。
:難易度は“やや難”といった所。それほど難しくはない。宮城会だと中傳曲。
:おめでたい曲として、正月などにもよく用いられるが、『春の海』ほどの知名度はない。
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※作中でも触れましたが、お正月の箏曲といえば『春の海』か『千鳥の曲』でしょう。
しかしながら……『春の海』は三曲合奏あってのもの。為斗子のように単独~二人での演奏では、本当に聞き映えしません……尺八の主旋律がないと締まらないんですよねぇ……難しいのに。
『千鳥の曲』は別に使いたいエピソードがあるので、今回は見送りです。
『八千代獅子』は、古曲練習に向いていると思います。唄もそれほどややこしくありませんし、聞き映えもします。今はすっかりご無沙汰していますが、かつて(知人/友人の)結婚式にお呼ばれし余興を頼まれる度に弾いてきました。難しすぎず、長すぎず、それでいて単独で弾いても聞き映えする曲は貴重です。
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今回の章タイトルに用いた【款冬華】は、【七十二候】と呼ばれる季節区分の一つです。“大寒”“立春”などの【二十四節気】ほど有名ではありませんが、季節感を感じる素敵な暦表現です。
二十四節気が大体半月ごとの季節区分ですが、七十二候はそれをらに三分割(つまり約五日ごと)して、その時期の気象や動植物の変化を知らせる短文で表現します。
今回の【款冬華】は《ふきのはなさく》と読みます。大寒の頃、睦月二十日前後がおおよその日程です。本当の小正月(十五日頃)ならば【雉始雊】ですが、イメージ先行で選択しました。
七十二候の表現は、直接的でありながら詩的でとても好きです。時代ごとに変化しているもので、自分が使っているのは明治期の『略本暦』準拠のものです。
※ちょっとした雑学。
「気候」という熟語表現は、この「二十四節気」の「気」と、「七十二候」の「候」を組み合わせたものに由来しています。