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よろず歌詠む、化生守の調べ  作者: 片平 久(執筆停滞中)
第一話【壱師の花の、いちしろく】 ~ 十五夜/鶺鴒鳴
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壱師の花の、いちしろく【前編】

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(みち)()の  壱師(いちし)(はな)の  灼然(いちしろく)

(ひと)みなりぬ ()恋妻(こいつま)

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『萬葉集』巻十一・二四八〇  柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)





「ただいま」


 カラカラカラ……と、軽い音をたてて玄関の引き戸を開け、為斗子(いとこ)は片手に提げた買い物袋を(あが)(かまち)に降ろした。それほど多くの買い物をした訳ではないが、重量感のある葉付きの大根が二本もあると、さすがに重さを感じる。

 鍵をかけ、靴を脱ぐため框に腰掛けたその背に、すっと薄い影がおちる。買い物袋が持ち上げられる気配を感じながら、為斗子はさっさと靴をそろえて立ち上がった。


「おかえり。たかが大根一つ買うのに、時間がかかったね」

「大根だけ買うわけじゃないからね。それに、一本じゃなくて二本。重いったらありゃしない」

「葉付きだから、汁物も作ってくれるのかな?」

「わがままばかり言わないで、イチシ。急に大根炊きが食べたいだの、栗ご飯が食べたいだの。誰が作ると思ってるの」


 出迎えの挨拶にとがった声で応答し、スタスタと奥へと戻ろうとする為斗子(いとこ)を、イチシと呼ばれた男は苦笑して買い物袋を下げて追いかけた。

 米沢紬の単衣をさらりと着こなしているが、見かけは若く眉目も整った彼は、柔らかい表情と声で為斗子の機嫌を取り直そうとする。彼女が本気で機嫌を損ねているわけではないことは、彼には十分知られていることだろう。


「だから栗は剥いておいたよ。米も()いでおいたし。あ、そうそう。前に為斗子がお客さんからいただいていた里芋も剥いておいたから、これも煮付けてくれるかな?」

「……なんで品数増やそうとするのよ!」

「なんとなく? せっかくの芋名月だから、為斗子が作った煮っ転がしを食べたい」


 邪気のないふり(・・)の台詞を放つ美青年の、その蕩けそうな微笑みに、見慣れたはずの為斗子ですら一瞬動きが止まる。しかしこれに騙されてはいけないことを、彼女は重々承知していた。


「そのお芋はお月様にお供えする物であって、あなたの為のものじゃないの! ……いい加減、()ねるのもやめにしてよ、イチシ。確かに、しばらく相手できなかったのは悪かったけど……」

「為斗子の仕事の邪魔はしないよ。でも、さすがに半月も放っておかれると、わがままの一つや二つ、言ってもバチはあたらないよね?」


 昨日納品を済ませ、ようやく仕事が一区切りついた為斗子を待っていたのは、イチシのわがまま攻勢だったわけだが、これも珍しいことではない。

 半年前に二十歳になったばかりの為斗子は、和裁を生業(なりわい)にしている。様々な事情から、別に働かなくても自分一人細々と生きていけるくらいの蓄えはあるのだが、それも落ち着かない。せっかく祖母が手に付けさせてくれた技術を腐らせないためにも、彼女は無理の無い程度、せいぜい月に3件ほどの割合で仕立てを引き受けて生計を立てていた。幸い、腕のよい和裁士であった祖母から引き継いだ筋の良い顧客がいて、仕事に苦労することもあまりない。

 今回も決して無理のない計画だったはずなのだが、月の終わりに質の悪い夏風邪をひきこんでしまい、予定が大幅にずれた。今月末の行事に合わせた訪問着2点と十三参り用だという小振袖1点。急いでいるとはいえ、納得のいかない仕事をしないことがモットーの為斗子としては、なかなかに厳しいスケジュールだった。

 必然的に、イチシに構っている暇などない訳で……在宅仕事で部屋に引きこもった彼女を、彼はかいがいしく世話してくれてはいたが、その反動は今朝から満遍なく表面化している。


「だから、わがまま聞いてあげているじゃない……」

「うん。だから、煮っ転がし、よろしくね」


 台所に買い物袋を置いた彼は、再び麗しい笑顔を彼女に向けてから、奥の部屋へと姿を消した。ふうっと息をついた為斗子は、一時間ほど前に後にした台所を見渡す。何もなかった流し場には、剥き栗と里芋、そして水切りされている白米が鎮座しており、水切りカゴには幾つかの調理道具が洗いしまわれていた。

 脇に目をやると、いつの間にか取り出されていた三方(さんぽう)に懐紙がひかれ、すでに月見団子が積み重ねられている。


「……無駄に手際がいいんだから……」


 いつものことではあるが、為斗子が買い物に出ていたわずかの時間で、ここまでの支度を調える彼の手際に感歎する。今頃、きっと広縁(ひろえん)には(ススキ)と秋草が飾られ、今宵の月見を楽しむ支度は調っていることだろう。

 為斗子は何とも言えない笑みを浮かべ、エプロンを着けて大根を手に取った。文句の付けようのない、美味しいものをこしらえないと後が面倒だ。そして、そのための料理は彼女にとって何の苦行でもなく、ただひたすらに心穏やかになる行為でしかなかった。



* * * 



 庭を見渡せる客間の障子は開け放たれ、虫の声がリンリンと響く。行事食を大切にしていた祖父母の影響で、為斗子もこういう日には客間で祝い膳をとる。

 ほくほくと炊きあがった栗ご飯と里芋の煮っ転がし、大根煮、焼き茄子と胡麻豆腐、ツルムラサキのおひたしに、菊の吸い物。どこの精進料理だ、と言いたくなるメニューだが、為斗子は和食派であるし、イチシは味付けにはうるさいが何でも食べる。


「なんで汁物が菊? 大根葉でよかったのに」

「先週の重陽(ちょうよう)に、なにもできなかったから。イチシ、おじいちゃんとおばあちゃんのお供え膳、ありがとうね」


 為斗子が仕事にかまけていた間、イチシが全てをまかなってくれていた。祖父母の仏前への供えも。今日も、襖が開け放たれたこの客間と続きの仏間に、綺麗に飾られた秋草と月見団子が供えられている。


(いさお)佐保子(さほこ)さんのことなら、お礼を言われるまでもないね。私が好きでやっていることだ。彼らとは私の方が付き合いが長いんだよ? 彼らの世話くらい、させてもらいたいな。ああ、もちろん一番世話したいのは、為斗子だけど」


 本来は無駄に過保護で世話焼きな彼は、食後の茶を為斗子に注ぎながら、相変わらずの美貌で微笑む。その甘い雰囲気に心が蕩けそうになるが、為斗子はこの目の前の彼の“正体”を知っている。そして、その望みも。

 ありがとう、と言って茶を受け取り口をつける。少し苦い煎茶が、心も落ち着かせてくれる。


「――付き合いの長さなんて関係ないし。おじいちゃんとおばあちゃんは、私の血の繋がった“家族”だもの。私を育ててくれた、大切な家族。あなたとは違うの(・・・・・・・・)

「…………その割に、為斗子は命の親には冷たいね。顔も写真でしか覚えていない彼らには、何も感じないの?」


 口調は穏やかに、そこに若干の揶揄と嘲弄を含む残酷な言葉が続く。イチシの瞳に酷薄な光が宿る。


「……仕方ないじゃない。覚えてないんだもの。第一、あなたがそれ(・・)を言うの? ――あなたがそう(・・)仕向けたんでしょ?」

「そうだね。彼らは私の目には叶わなかったし、功もそれには納得していたよ。――別に私が“殺した”わけじゃない。あれが彼らの寿命だっただけさ」


 どこまでも穏やかに紡がれる言葉。でもその内容は残酷で――そして嘘に満ちていることを為斗子は知っている。


「功も私を選ぶことはなかったけれど……為斗子はどうなのかな。この宿命を繰り返す? それとも終わらせる? ……私の孤独は終わるのかな?」

「……そんなの、知らない」


 どこか縋るようなその声を振り切るように、為斗子は立ち上がった。そして彼に背をむけたまま膳を重ね、片付けに入る。カチャカチャと鳴る食器の音が、庭から響く虫の音に重なった。


「……片付けてくる。イチシは勝手に月見してて」

「早くに戻って来てね。一緒に月をみてくれないと、また拗ねるよ?」

「自分で言わないの」


 再び甘さを含んだ彼の声を背に受けて、為斗子は器用に二つの膳を重ね持って台所へと向かった。その危なげない足取りを、イチシの情に満ちた視線が追っていた。



* * * 



 ――守屋(もりや)の家には、化生(けしょう)が伝わる。


 為斗子(いとこ)は、そう教えられて育った。

 祖父の(いさお)は、幼い孫娘に隠すことなく、家を継ぐ者としての伝承をきちんと叩き込んだ。


『為斗子。儂が死んだら、あの化生(・・・・)はお前を望むだろう。お前がこの守屋の家の、長い長い宿命を終わらせるのか、引き継ぐのかは、お前の心次第だよ。だがね、為斗子。これだけは忘れてはいけない。儂も、その前のご先祖達も、自分を犠牲にして宿命を終わらせようとはしなかった。そして、あの化生もそれを望まなかった。お前が心から望んで初めて、この宿命は終わるのだよ。だから、じっくりと決めなさい。他の誰かと共に歩みたいと思ったのなら、その手をきちんと掴みなさい』

『……おじいちゃんは、おばあちゃんを選んだの?』

『そうだよ、為斗子。誰よりも側に居て、誰よりも儂を心にかけてくれたあの化生よりも、儂は佐保おばあちゃんを選んだんだ。それが、心のままにということだよ』

『選ばなかったのに、怒らないの?』

『あの化生が儂等を傷つけることはないよ、為斗子。()は選んだ人間には優しい。何があってもずっと守ってくれる。その手を取った相手も含めてな』

『……おとうさん達はちがったの?』


 あの問いを放った時の祖父の表情は、為斗子の記憶にある中で一番複雑な思いを浮かべていたと思う。やがて為斗子自身が知り得た父の結末(・・)を、その実の父である祖父はどう受け止めたのだろう。どう、諦めたのだろう。


 イチシは、この家に伝わる化生(けしょう)だ。

 守屋の血を嗣ぐ者を守り、その身を望むアヤカシ。かといって、喰らうわけでも、血をすするわけでもない。ただその側で、共に暮らすことだけを望むのだ。

 為斗子が物心ついた頃には、祖父母と謎の青年との暮らしが当たり前だった。祖父も祖母も、秀麗な彼を家族のような同居人として扱い、為斗子は彼を親族だと思っていた。

 やがて分別がつくようになると、祖父は彼についての心構えを為斗子に説きはじめた。その場に彼も同席しての、奇妙な説明。


 彼は家族でないこと。

 彼の姿は、自分たち以外には見えないこと。

 彼は人ではなく、この守屋の家に伝わる化生であること。

 彼が、やがて為斗子を望むこと。


『功が死んだら、私に新しい名を下さい、為斗子。それが約束の証。その名がある限り、私はあなたを生涯待ち続けます』


 まだ十にも満たない彼女に向けられた、まるでプロポーズのような真摯な願い。為斗子の手を包む白い指が、まるで庭先に咲く白い曼珠沙華のようだと、幼い彼女の脳裏に刻まれた秋の日の夕暮れ。


 為斗子は、どこか浮き世離れした子どもだった。

 祖父母と化生との奇妙な暮らしだけに由来するものではなく、生来の気質として周囲に馴染めない子どもだった。

 小学校、中学校はなんとか耐えた。しかし、それ以上の集団生活に耐えられなかった為斗子は、進学することなく自宅で祖母の教えを受けて和裁士となることを選んだ。

 もともと守屋の家は分限者(ぶげんしゃ)であり、また化生がもたらす不可思議な縁が、常にこの家を経済的な問題からは解き放ってくれていたので、別に働く必要はなかった。だが、祖母は『何か取り組めるものを持ちなさい』と、自分の持つ技能を為斗子に伝えてくれた。幸い、ただ布と向き合うだけの和裁は為斗子の気性にあっていて、数年後には和裁士として仕事を請け負えるほどになった。

 その頃には祖父はこの世を去っており、守屋の化生は為斗子のものとなった。

 為斗子が十七の時、祖母もこの世を去った。一人残された為斗子には、彼女が『イチシ』と名付けた化生だけが残った。




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