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作者: 水溜り

 雨が降ってきた。朝の予報にはなかった突然の夕立ちだった。私は雨宿りがてら、近くのビルの一角にある、小洒落た喫茶店へ入ることにした。薄いガラスの自動ドアをくぐると、ほのかなコーヒの香りが漂ってきた。中央に、木造りのカウンターがあって、天井からぶら下がったいくつかの、淡い黄色に輝く球体の照明が、うっすらと店内を照らしていた。

 私は窓際の、二人用の席の片側の椅子に腰を下ろした。平日の昼間にしては、席は割と埋まっていたが、客のほとんどは、昼休み中のOLかサラリーマンといったところだろう。外ではまだ雨が音を立てて黒いアスファルトの地面を叩いていた。

 私は雨が好きではない。濡れることはもちろん、不規則に地を叩く音や、雨水と土の混じり合う臭いは、どうも私を不愉快にさせた。

 一人の店員が黒いカバーをしたメニュー表を片手に、注文を聞きに来た。茶髪で細身の、いかにも今どきの若者。といった青年だった。私は特に腹を空かせてはいなかったので、コーヒーを一杯注文した。ロブスタのグランデ。当分、雨は止みそうになかった。

 最近、この街ではよく雨が降る。私は小さなテーブルに頬杖をついて窓の外を眺めていた。随分と低く垂れ下がった雲の下、巨人のようなビルが建ち並び、その間を縫うようにして、何台もの車両が忙しなく走り回っていた。店内とは一変して、普段通り、変わり映えのない無彩色な風景だ。その癖して、人の気配はない。雨が降れば、誰だって外出は控えたくなるものだ。しかし、そういう意味ではない。

 人は誰だって、息をして、体温を持って、声を発して。そうやって、無意識のうちにも自分の存在を主張する。人とはそういう生き物だ。だが、この街ではそういうものが一切感じられない。

 ただ、それもそのはずだった。この街に、人間は私一人しかいないのだから。

 さっき私に注文を聞きに来た茶髪の青年も、店の奥の方の席で楽しそうな会話を交わすカップルも、カウンターの奥で丁寧にコーヒーを注ぐこの店のオーナーらしき老人も、皆人間のような姿をして、人間のふりをして生活を送っている、ただのロボットである。

 そんな彼らを、彼らの住むこの街を見張ることが、この私に与えられた仕事である。その内容はごく簡単なものだった。ロボットたちに紛れて生活をして、出来るだけ多くの情報を集め、レポートとして提出する。何か異常が起きれば上へ伝達すればそれでいい。それだけでいい。私は他に何もする必要はなかった。

 生活にも何ら支障はなかった。彼らは私を人間だと気付くことはない。いや、少し違う。彼らは自分たちのことをロボットであると気付いてはいないようだった。私は彼らの奇妙な生活の中に溶け込むだけで良かったのだ。

 先程注文したコーヒーを、オーナーの老人から受け取った先程と同じ茶髪の青年が、席まで運んできた。

「お待たせいたしました。ロブスタでございます」と言いながら、白い皿に乗った湯気の立つコーヒーカップを、丁寧にテーブルの上に置いた。

 声から何まで、人間のそれにそっくりだった。本当によくできたロボットであると、私は改めて感心した。

「ごゆっくりどうぞ」

 青年はそう言い残して、元の職場へ戻っていった。

 今この店にいる店員は、彼と老人の二人だけのようだった。

 私は彼らが、まるで本物の人間のような手つきで、カップを洗ったり、皿に盛り付けをしたりする姿を横目で観察しながら、コーヒーに口を付けた。濃い苦みと、程良い酸味が口の中に広がった。私はもう一口だけすすってから、テーブルの端に置かれたガラス瓶に入っている角砂糖を一つ、小さな金属のトングで摘まんで、カップの中に落とした。二、三度スプーンでかき混ぜてから、もう一度口へ運んだ。苦みが少し引いて、丁度よい口当たりになっていた。

 私はその味と香りを満喫しながら、ぼんやり雨が止むのを待っていると、店の入り口から見知った顔が入ってくるのが見えた。灰色のスーツの上に、雨に打たれたのであろうずぶ濡れのコートを羽織り、黒縁の大きな眼鏡をかけた中年の男。

 男は店内をぐるりと見渡して、私の姿に気が付くと、手を振り、水滴を床に散らしながらこちらへ近づいてきた。私のしかめっ面に反して、彼の表情は至ってにこやかであった。

「やあ。誰かと思えば君じゃないか。元気してたかい?」

 男は気さくに話しかけながら、私の向かいの席の背もたれに濡れたコートを雑に掛けて、座った。

「ええ。割と」私は適当に返事をした。

「それにしても、急に降ってきやがったな」男は眼鏡をはずし、袖で拭う。

「最近、こんな天気が多いですね」

 すぐに、茶髪の青年の店員がメニュー表と、白いハンドタオルを持って来た。男は「ありがとう」とタオルを受け取って、アイスティーを注文し、タオルで濡れた黒い髪を掻き回した。

「本当に久しぶりだなあ。いつ以来だ?」男はぼさぼさになった髪を整えながら尋ねた。

「さあ。いつ以来でしょう?」私は愛想笑いを浮かべた。

 もちろん彼も人間ではない。ロボットである。彼とは、私がこの街に来て間もないころに知り合い、頻繁に連絡を取り合っていた時期もあった。

 彼は私のことを親友だというが、私はそうは思っていない。私も好きでこの職を選んだわけではないのだ。ロボットと慣れ合うのは御免だった。

「変わらないなあ、君は」と男。

「どういう意味です?」

「なんていうか、返答が平べったいっていうかさ」

「そうですかね」

「なんかさ、そう、まるでロボットとしゃべっているみたいな気になるんだよね」男はそう言って笑った。

 ロボット…。私が彼に…彼らにそんな風に言われるとは夢にも思っていなかった。確かに、私はこの街に来てから多くのロボットたちと係わってきた。そうしている内に、私自身がロボットに近づいてしまったのだろうか。

「そう…でしょうか?」

「ああ…いや。別に悪いってわけじゃないんだ。むしろそっちの方が楽でいい。こうも人がごった返してる街で暮らしてたら、誰だって人間関係に疲れてくるのは当たり前だ」

 対して、彼は実に人間らしいことを言う。もっとも、人間をベースにして作り上げているわけだから当然と言えば当然のことなのだが。

 男の注文したアイスティーが運ばれてきた。男はストローを使わず、それを一気に飲み干した。

「ずいぶんと疲れておられるようですが、午前は何を?」

「朝から、会社で大事な会議があってな。昔は下っ端だからよかったが、今はそうもいかない。本当に胃が痛んだよ」

 胃とは、ロボットを構成する部品の一部らしい。緊張に迫られると、その部位に痛みを感じるようだ。まあ、人間である私は、詳しく知る由もないが。

「会議、どうだったんです?」

「うまくいったよ。俺もそろそろいい年だし、しっかり出世しないとな」男はそう言ってにやっと笑った。

 彼らのこのような表情を見ると、私はいつも決まって、孤独に似た何かを感じる。

 彼らの行動は、至って単純かつ明快である。嬉しいことがあれば笑って嬉しそうなふりをする。悲しいことがあれば涙を流して悲しそうなふりをする。癇に障るようなことがあれば怒ったふりをして、身体に傷がつけば痛がるふりをする。プログラミングされたマニュアルに従順かつ的確に従っているに過ぎないのだ。

 所詮、人間の真似事である。人間の形をした、文字通り人形なのである。その中身には何も無い。本物の悦楽、悲哀、憤怒、苦痛は何処にも詰まってはいない。作り物の人形に入っているはずもないのだ。

 彼らはいつだって演技を続けるのだ。複雑に入り組んだこの街で、人間の役を演じ続けるのだ。それは他でもない、彼ら自身のためである。彼らにとって生活を円滑に進めるためのシステムなのだ。彼らは人間を演じることで、人間の生活を手に入れる。

 この男は、今、こうした考えを持つ本物の人間を前にしているこも気付いていないのだから、呑気なものだ。

 男は店員の青年を呼んで、何か注文を追加した。

「景気、良さそうですね」私は言った。

「ああ、絶好調だよ」

「初めて会った時の頃が嘘のようだ」

「その頃の話はよせよ」彼は口を綻ばせた。

 しばらくして、肉や、サラダなどが皿に盛り付けられたランチセットが運ばれてきた。男はスーツの袖をまくって、腕時計に目をやり「まずい、早く食って戻らないと」と言って、角砂糖のガラス瓶の隣に置かれた、透明なケースからフォークを一本手に取って、皿の上のそれらを口に運び始めた。

 そのとき、私は彼の皿を支えているる手の、上から四番目の指に金属の輪っかがはめられていることに気が付いた。

「ご結婚、されたんですか」

「ん? ああ、そうなんだよ。ついこの間のことなんだけど、俺の方からプロポーズして見たら、案外あっさりオッケーがもれえてな」男はフォークを持っていた手で後頭部をかきながら言った。

「それはおめでとうございます」

「家に帰ったら、誰かがいてくれるっていうのは良いもんだぞ」男の頬は吊り上がっていた。

「君も誰か良い相手はいないのかい? こういうのは早いに越したことはないよ」男の顔に浮かぶ表情は、さも機嫌が良さそうだった。

 しかし、不思議なことに、私にはその表情が不愉快でしかなかった。今思えば、初めからそうだった。彼の景気の良い話を聞いていると、私は何故か、無性に腹が立つ。

 そう、私は彼に嫉妬していたのだ。私には実現しえない、彼の順風満帆な生活が羨ましくて仕方が無かったのだ。人間の真似をしているだけの、ただのロボットの生活に嫉妬心を抱くなんて滑稽極まりのない話だった。

 いや違う。ロボットだからこそ駄目なのだ。もし彼が私と同じ人間だったなら、こんなにも怒りに似た感情を抱くことはなかっただろう。しかし彼はロボットだ。ただのロボットに過ぎない。ただのロボットのくせして、私よりも充実した生活を送っている。おそらく、私にはそれが許せなかったのだ。

 本当の喜びも、悲しみも知らないくせに、彼は今、さも楽しげな表情を私に見せつけている。人間のふりをした、ただのロボットが。

 私は無言で立ち上がり、男を細い目で睨みつけた。

「どうかしたかい?」男は驚いたふりをして、私を見つめ返した。

 所詮、すべてマニュアル通りの行動だ。急に意外なことが起これば、こんな風に目を見開いて、さも驚いているようなふりをする。

 私はテーブルの上の、透明なケースからフォークをもう一本取りだした。そしてそれを握りしめ、力一杯、彼の左胸のあたりめがけて突き刺した。この辺りには、ロボットにとって最も大切な部品が収納されていると聞いたことがある。

 フォークは灰色のスーツをうまく貫通して、内側の白いシャツが真っ赤に染まった。フォークの柄の部分から手を放すと、突き刺さった部分から大量の赤い液体が流れてきて床を汚した。どうやらこの液体がロボットの全身を満たしていて、動力の源であるらしい。

 男は必至で、損傷した部分を手のひらで押さえて、痛がるふりをした。これもマニュアル通り。身体に損傷があれば、それ以上の悪化を防ぐため、傷の入った部分を隠し、さも苦しんでいるようなふりをする。

 彼らはとても分かりやすい。彼らのおかれた状況は、彼らの表情、仕草を見れば一目瞭然だ。そして脆い。正直、こんなにも簡単に壊れてしまうとは思わなかった。これは上に報告して、改善の必要性を知らせなくては。

 窓の外見ると、すっかり雨は上がっていた。私は残っていたコーヒーを飲み干して、椅子からずり落ち、床でまるくなって、まだ微かに動いている男を一瞥してから、カウンターの老人にお金を手渡し、店を出た。

 雲の隙間から漏れた陽の光が、建ち並ぶ大きなビルを照らしていた。あちらこちらで青い空がちらついている。

 今から数十年後、数百年後、気の遠くなるような未来でも、この空を見上げる者はまだ存在するのだろうか。

 そんな不安に似た疑問を吹き飛ばすように、雨上りの気持ちの良い風が、建物の間を駆け抜けた。

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