入坂淳平も気づけなかった。~パイプの煙にまかれて
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響く女声。
船の到着放送すら自動化してしまう世界なんて、いったい船員はどれだけ暇しているんだと思った。負担軽減のしすぎも、手の居場所づくりにいささかの苦労をもたらす。
だが、問題はそこではなかった。
「小十郎、ひとつ質問をいいか?」
「ん? 基本的に分からないことだらけのはずだから、なんでもどうぞ。ただし、今の自動放送が何を言っているのか分からなかった件は、遠慮してくれ」
うわぁぉ! ジャストで図星でヒットだった。
この世界のテレパシー性能は、本当に甘く見てはいけないことを体得した。実のところは、水結遥に優しく起こされたときに分かっていたが、やっぱり、改めてすごいと思う。
「え・・・・・・」
「あ、俺はどうやら見事にあててしまったようだね。まぁでも、何語かだけは教えてやるよ。全部翻訳するには、文字に書き起こしたりしないといろいろ面倒なんだわ。
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これはだな、コネクト・ラングウィッチ、通称コネクターっていう一種の機械語なんだよ」
「機械語?」
書き方あたりは知識皆無だが、機械に読ませるといえばC言語が頭に浮かんだ。コンピューターに言い渡すプログラム。人と機械の架け橋。
うん? この世界に来てからありとあらゆる記憶が抹消されてしまったが、全部というわけではないようだ。ほんの断片的な単語なんかは残っている。どうでもいい単語に変わりはないけれども・・・・・・。
「そうだ。そいでもって、対象の機械はずばりこれだ」
解説のなかで小十郎が取り出したのは、あのSEA・NET端末だった。とはいえそれだけ出されても僕にはさっぱりなので、この際押し黙っておいた。
「なんべんも説明したが、こいつは俺ら一人ひとりの脳内につながっている。
そして、この国は多民族国家。当然話す言葉も個人個人でまったくことなるわけだよ。ならば・・・・・・ということで試行錯誤の末で開発されたのが、コネクター、共通言語だ」
「英語じゃだめか?」
だいぶ戻ってきた概念をあてにして、かなり常識に近いことを考えついたと思ったが、むしろ小十郎は顔をしかめた。
「そんな、どこかの民族に偏るようなこと、どんなバカがやるんだよ。それではあまりに不公平だろ?」
小十郎にとって僕は初見相手だ。事故だとしても一人の来訪者だ。もちろんながら、そこまで怒っているはずなどないが、それでも声の芯がこのときだけ強くなっていた気がした。
郷に入っては郷に従え、現地ネイティブの人を怒らせてはなるまい。
「そ、そうかな・・・・・・?」
無難に返しておく。
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水結遥の寝覚めは、そう良いものではなかった。
目の前は天井。けれども、背筋は岩のように硬く、冷たい。
「う、うぅーん。いててて・・・・・・」
起きあがる。
目が覚めた場所を見渡して、痛い理由が分かったのだった。当然だよね、いくら異世界チックなところに閉じこめられたといったって、無様に床で寝ているなんて。
なんて、はしたないこと!
「どうしちゃったんだろう・・・・・・わたしったら。こんなところで寝た覚えはないのに」
船に酔って船室を借りて休んでいたはずなのに、いったい、いつの間に睡魔にやられてしまったのか、本当に不思議だった。
ーー船室の扉が半開きになっていた。
そうだ、わたしが着替え中に船室に入ってきやがった、あの入坂(仮名)をぶちのめしてしまわんと、脅かし半分に近くにあったカッターをふりかざしてみただけだ。単なるちょっとしたおふざけのつもりで。
本当は、入坂にちょっとはわたしを同時不時着仲間として扱ってほしいだけだ。なんだか、異常なくらい崇高に見られすぎているんじゃないかと思う。
でもこの世界で良かったかもしれない、と水結は反省がちに思った。人間関係その他もろもろの身元特定要素だけフォーマットされた段階の記憶まで、返ってきたのである。
それだけメモリの埋まった記憶で考えるに、シミュレートしてみるに。
「前世界であんなことしたら、確実に人生終了。下手をすれば、警察沙汰の騒動だよぉ」
床で冷えた背筋が、さらにぞくりとした気がした。
さてと。
水結は立ち上がった。
こんなところで、いつまでもぼやぼやしているわけにはいかない。病弱ではだめだ。わたしも入坂と同じく記憶喪失になっているが、名前をも失った入坂と比べれば、軽度だ。けれども、その記憶の中にはわたしが虚弱体質だったとは描かれていない。
「はぁ~。もう意味わかんない」
逆に知らないからこその楽しみ、っていうのもないことはないが。
船室の扉を開ける。
ーー目の前に見知らぬ人影を発見した。男性。身長高め、180cmくらい。痩せ形。これだけなら、のっぽなおじさん、で済むのだが、決してそうではない。
パイプで煙草をくゆらしている。パイプとか風流ですね。
肩から先が露出しているノースリーブからは香水のきつい香りがはっせられている。
そして。
ーーこちらを、睨んでいる。
なんで? とは思った。寝ている最中はもとより、今起きて数分。初対面のこの男になにか失礼なことをしたか?
するしないの前に、できるはずない。
「ミタナ」
「あ、前を失礼します」
母国語、日本語はここでも通じるらしい。手間が省けてよろしい。
ーーなどと考えていた水結は、急に衣服だけが動かなくなって首が絞まりそうになった。
うぐぅ、なんて変な声がでる。
「トマレ」
「え、わたし!?」
「ソウダ。俺様ノ喫ミヲ見ラレタ以上、タダジャオケナイ」
水結はびくっとなって振り返った。
瞬間、鼻につく異質な臭い。嗅覚を通り越して脳にまで浸透してくる強烈な臭気。
「こ、こ、こちらの煙草は・・・・・・少々きついですね・・・・・・」
「ムダグチ叩クナ」
水結は即席の社交文章を考えつつ、実はこの男にどう刃向かうか思考していた。
だが、四方八方がふさがっていた。
寝起きで全身が痛くて、ろくに身体が動かないのである。蹴ろうにも蹴られないのだ。
「ちょ、ちょっとまって。人の喫煙シーンってそんなに恥ずかしいの?」
「ウルサイ。貴様ニハ黙ッテモラウ!」
やばいっと感づいた。でも何もできない。泣けてくる。
なんでこんなことになっているの?
意志に反して、次から次へと手足を固定されて、身動きとれなくなる。
おまけにさっきの強烈臭に鼻をやられて、頭の中まで、クラクラとおかしくなってきた。
だんだんと意識がとんでいくーーーー。
助けて・・・・・・・・・・・・・・・・・・入坂!