小十郎さんは、さりげなく。~みなさん、秘密が多いものですね~
私は、ナポリタンパスタをいただいている。
わざわざ言うまでもないかもしれないくらい、普通のナポリタンである。低価格帯で勝負してくるファミレスで食べられるような、そんな普遍的な味だ。
だが、ここはファミレスではない。かといって、家でもない。
閑散とした広場の一角にある移動販売車、の前にある野外用の白いテーブルを囲んで、私たちは座っていた。三名様のお食事ということだ。そして、全員同じ料理である。
「僕、オールフリーっていうシステムには、しばらくは慣れられない気がするんだ」
左隣の少年が、不安そうに口を開いた。
名前は、入坂淳平、カッコ仮名。
立派な仮名は、私が付けさせてもらったもの。
おふざけ半分で作った仮名だ。
ところが、ちょちょっと論理的な組み立てで作ってやっただけなのに、なぜか本人には身に余るほど称賛されてしまった。
妙な恋愛感情を抱かせたりするのも、どうかと思って、無理矢理でも冷たい顔しながら、褒めても無駄だとは言っておいたのだが。
でも••••••本当は、ちょっと嬉しかったかな。
オールフリーと彼が話しているのは、ナポリタンの中の成分についてでもなければ、自由行動を意味するものでもない。••••••そんなことではなく、もっと私を驚かせたことだ。
直訳で、全て無料。
「まぁ、そりゃそうだ。他の空間、別種の社会で生まれ育った身には、理解しがたいだろうな」
小十郎さんさんが、水を一杯飲んだ。
「結局は、郷に入れば郷にしたがいなさい、ってことだ」
「でもなんで、問題が起こらないんだ? あらゆる商品、サービス、その他諸々(もろもろ)が無料。そもそも、お金という概念がないなんて、それで社会がまわるものじゃないと思うが」
「それがまわるんだぜ。どうだ、面白くなってきたろ?」
小十郎さんさんが、口元を拭いてから、ニヤリと笑みを浮かべた。
「答えになってないでしょ!」
2人のやり取りを聞いていた私は、なんだか楽しくなっていた。
ーー私は、比較的コミュ障なはずだった。その記憶は鮮明だ。
一人の空間が好きだった。
けれど、この2人にはなぜか息が合うのだ。
なんだか、近くにいないと落ち着かない感じ。
小十郎さんが指をパチンと鳴らす。
「さて、お二人さんの検査用の書類を書かなければならん」
素早くビジネスモードに変わった小十郎さんが、厄介そうな表情で、持ってきたリュックサックからA4紙の束を取り出す。
いろいろな質問が、ずらりと箇条書きに並んでいた。
「うわっ、めんどくさいな。それ全部書くのか」
その枚数を見た入坂が、ため息をもらす。
「俺が書いてやるから、質問に答えてくれればいい」
小十郎さんさんは筆箱からボールペンを出す。近未来な、この世界でも、ボールペンは存在しているようだ。
それはさておき、私には危惧があった。
「••••••それ、プライバシーに関わることが、満載じゃないですか?」
いくら、赤の他人ではない男性二人と話していても、自らのプライベートを垂れ流すのはご免だ。
「まずいか?
最初の質問は、今までの彼氏・彼女いない歴ーー」
NGだ。
私に対しては、完璧なNG表記である。
なにをかくそう、私の答えはゼロ。
ゼロ。
これを素直に答えるバカは、いない••••••はずだ。
••••••恥ずかしいだけじゃん。
「ーーそれ以上言ったらダメです。ダメですからね!」
早口で聞き取れないのか、ポカーンとしている入坂を横目において、とりあえず小十郎さんさんを止める。この人は、調子に乗らせてはいけない人物だ。以後、気を付けることにしよう。
でないと、いくつかの悲劇が起こってしまう。
私の社会的立場的に。
「冗談だ。プライバシー保護については心配ないぜ。遥華の持っている端末を二人で使って回答してくれればいい」
冗談だ、と三字で済ませた小十郎さんさんに対して、出づる語もなく、私はカバンから例の端末を引っ張り出した。
この端末、入坂は持っていないようだ。
つい先ほど、入坂には”私の方が優秀”とか言ってしまったが、私だって、この空間に来てから24時間すら経っていない、いわば、初心者にすぎない。
端末を受け取るのが、早かっただけだ。
ーー私が、あの病院のベッドで目を覚ました時、小十郎さんさんから受け取ったのが、この端末だ。
受け取った瞬間に、端末は勝手に光ったのである。
あの時、それを見ていた小十郎さんさんは、飛び上がって驚きをあらわにしていた。
持ち上げたら、起動する仕組みとでも説明して終わる話のはずだが。なぜだろう?
思えば、解けていない謎のひとつだった。
***
「ほれ、送信するぜ」
小十郎さんさんが、まるで電子機器に慣れない年寄りのように丁寧に言った。
おそらく、私たちが機械に疎いのだと認識しているのだろう。だが、それは事実無根の思い込みだ。
こう見えて、私は2020年代からやってきたイチ少女であり、タブレットとかいって通じる世代。おそらく、入坂も同じような歳だろう。
私の端末は、こころよい電子音とともに、起動した。
基本操作はカンタン。この薄っぺらい本体がタッチパネルになっているので、触れるだけだ。
質問の一覧を、受信していた。
”第一問、記憶障害があれば、その旨を記入ください”ーー
******
「早く打ちこんでよ」
最終問題、第121問目を打ち込むことに、入坂は長い時間をかけていた。
今まで数多くの質問に答えてきた。私はもちろん、入坂にも疲労の色が見え始めている。なにしろ、炎天下の暑さの中にとどまり、検査前の質問攻めにあわなければならない。たいそう、ブラックな課題である。
小十郎さんさんは、私の端末と電波接続した別デバイスに表示された回答を、紙束に書き写している。事務仕事に慣れているのか、手つきが速い。
「難しい••••••」
「なにが、そんなに難しいの? 急いで」
検査用の質問一題ごときに、悩むものかね。
よほど入坂が低脳なのか、最終問題が解なし問題か。
「ラストの問題だよ。おまけに、この端末、バッテリーが切れそうなんだが••••••」
バッテリー切れは、面倒だ。
学力試験ではないので問題はスルーできないが、ここでは替え玉ができる。
ではでは。
「だったら私から回答するよ、ちょうだーー」
ーー私が、受け取ろうとした瞬間、紐がちぎれるような不快音が響く。
ブチっーー
電源が落ちた。
「••••••切れた、な」
あまりのあっけなさに無表情になる入坂が細々(ほそぼそ)と言った。
「••••••つまり、今までの答えたデータは全部、天国へバイバイしてしまった、?」
私も、思わず、途切れとぎれになる。
「それは、今までの努力が水の泡ということか」
なんで、入坂は、もっと早く知らせなかった。
そんな思いで、胸が締め付けられる。
消失感たっぷりーー
私は、ゆらりと立ち上がる。そして一種の脅しの意味もこめて入坂に詰め寄る。
「私の必死の打ち込みは、どこにいったのよ!」
こればっかりは、さすがに、制裁しないと気が済まなくなった。
「ご、ごめん••••••。って、ちょ、ストップ! はやまるな、落ち着け水結!」
そのとき、私は入坂の背中に殴りかかっていた。その力が、なぜか本来の自分のパワーを下回ってしまったのは、たんなる偶然の結果だったと思う。
入坂の表情に、恐怖がはしる。
だが、私が本気で殴ろうと思っていたこの少年に、こぶしが突かれることはなかった。
「はっはっは! そのくらいにしとけ」
小十郎さんさんが大笑いしながら、そう言ったからだ。
「でも、今までの成果を一瞬で台無しにされたんですよ!」
もちろん、そんなので私の苛立ちがおさまるはずない。
「あまり、この世界をナメない方がいいぜ。ちゃんと、紙に記録し終わっているから、騒ぐな」
小十郎さんさんが自信たっぷりに言った。この人、スゴイ。
良かった。
かろうじて、バックアップはあるようだ。
まったく••••••、ヒヤヒヤさせないでほしい。
「それって、むしろアナログ、時代さかのぼっているだろ」
入坂は、さっき殴られかかった身にしては、ずいぶんと余裕そうにしていた。
「入坂。そこを気にしては、ならんよ」
***
「で、最後の質問は何だったの?」
私は、回答できなかった最後の質問、121問目が気になっていた。
「それは、こうだ。
”あなたは隣人を愛せますか? そして、その人と生きる覚悟はできますか?”
どういう意味でとらえるべきか、ちょっと迷ったんだ」
「迷う••••••」
「ーーこれが訓戒なのか、いまこの瞬間に隣に座っている水結のことなのか、でね」
「えっ? 私のこと?」
これは代入式。
解を考えた入坂は、Xに私を代入してくれた。
この場で入坂が愛せる人物、つまり女の子は私、ただ一人。
それは不動の事実だった。
入坂は、私が好き?
なんで?
なんで?
「いや、••••••それは、気にしないでくれ」
ちょうど小十郎さんさんが、総計121-1=120問の回答を紙に転記し終えて、手首をほぐす。
ーー私には分かった。なんで、小十郎さんさんが121問目を作ったか。
うわべは訓戒。だが彼は、さりげなく入坂と私が恋しているとでも思っているのだろう。
••••••。
••••••。
もちろん、そんなはずがない。
••••••。
••••••。
そ、そんなはず••••••、ないんだから••••••。
******
食事を終えた三人は車に乗って、最終目的地、別の島の総合病院を目指していた。
18番島と称されるこの島は、それなりの大きさがある。
入坂が目覚める前、小十郎さんさんに聞いたところによれば、この空間には百数個の島が連なった諸島しかなく、わざわざ島に命名しなくても番号で十分だというだ。
綺麗な海岸線を、しばらくひた走った後、小さな港町についた。小さくても、その設備自体は立派なもので、手入れされ質感を輝かせる、赤銅色のガントリークレーンが一基、腕を垂れている。
一方通行の路地を抜けると、視界がひらける。そこには、一隻の中型フェリーがたたずんでいた。
自動車が入れるぐらいの大きさで、金属製タラップが用意されているので、おそらくカーフェリーだと思われる。そこまで需要がないのか付近には車も人もいない。
「念のため確認しておくが、水結は船酔いしやすい体質なのか?」
そう聞かれて、ぎくりとした。
船酔いという避けがたい症状があるのを、すっかり忘れていた。入坂にはまだ話していないが、私がこの空間に転送されてきた直後に小型ボートに乗船したときのことである。
気持ち悪すぎて、胃液が出ちゃう、一歩手前だったのだ。
あの、お腹にくる圧力。以前の自分が酔いやすかったのか、想像しかねるが、少なくとも現在の私は酔い性そのものだ。
しかし、そう簡単に彼に弱みを見せるわけにはいかない。性格上、ナメられるのは好まない。
彼に、どう言えば?
「え、えーと。そういう入坂は?」
時間稼ぎだ。
「僕は、全部••••••忘れた」
「私も••••••わすれちゃった、よ?」
そういう設定にしたかったのだが、うっかり、最後の部分で声が裏返ってしまった。
「もしかして水結、怖がってるのか?」
入坂が、見事に私にからんでくる。
うわー。しまった。
「こっ、こわくないからっ! 船に乗れないなんて、ここじゃ、失格ものだよ。」
あぁ、いけない。なんてこと言っちゃったんだろう。これじゃ、自分を逆におとしめている。
たった一人の少年相手に、動揺しすぎだ。
「そうだよな。揺れには、どうせ慣れるよな」
「酔い止めいるか?」
前の小十郎さんさんが、右手はハンドル、左手に錠剤のパックを持ってひらひらさせた。
「いらないです」
拒否いたします。
ここは、意地でも耐えなければならない難関だ。踏ん張れ、自分。それとも、入坂に低く見られたいか?
「ホントに大丈夫かい?」
「いらないと言ったら、いらないんです!」
***
小十郎さんさんが、冷房のスイッチーータッチパネルーーを切った。
数台のみが積み込まれて、空気輸送状態のカーゴの中に車は進入していく。
もう止められない。
避けられない通り道、か。