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水結遥華は唐突に。〜その少女は、芯から可愛いのでした〜

 手早く着替えた。


 とはいっても、素肌に身につけていた手術着のような衣服の上に一枚半袖半ズボン、少女の方は青色の半袖ワンピースを羽織っただけだが。


「今から、別の病院で精密検査を受けてもらうぜ。もうここには戻ってこないから忘れ物するなよな」


「検査? いきなり言うにもほどがあるぞ!」


 僕は、そうやって叩き返したが、今のところ小十郎に従うのが最善ルートかもしれない。

 何しろ、他にすることがない。


  環境のいい病室で、ぽーっとしているのも風情ふぜいあるが、ずーっと続けるわけには、いかない。絶対に、精神がイってしまう。


「そもそも、忘れるようなモノ自体がないけどね」


 少女の言うとおり、本当に何もないのである。そのときに、あえて僕の所持品を挙げておくならば、着ている衣服の数枚だけだった。


「どれくらいで着けるの?」

 ベッドから立ち上がった少女は、肩にカバンを提げて訊く。


「うーん、ざっと半日あれば()けるな」

 小十郎が答える。


「けっこう遠いんだな」


「ま、なんせこの辺は過疎なとこだ。総合病院なんてポツンとあれば十分ってことさ」


「へぇー。それは興味深いですね」

 小十郎を心の底から慕っているのか、少女は小十郎に対して敬語を使っている。




 ***




 病院の廊下を通り抜けた僕と少女は、病院の玄関ドアの前に立ちつくしていた。小十郎にココで待ってろと、言われているのだ。


 どの蛍光灯も消えているが、採光(さいこう)の良いおかげで建物の中は十分に明るい。よほど使われていない病院なのだろうか。


 病院の様子は、現実世界でいう、ごく普通の病院に変わりなかった。

 他の患者どころか医者の姿すら見ないので、田舎のさびれた病院を思わす。察するに、僕はこっちの空間でも、かなりド田舎いなかなとこに飛ばされてしまったらしい。



「ねぇ、ずっと気になっていたんだけど、キミ、何者なの?」


 少女に肩をつつかれる。身長が、わずかに低い彼女は、僕を見上げるかたちで話しかけることになった。


「分からない。朝、起きた時からしか記憶がないんだ」


「わからない!? 自分の名前くらい覚えてないの?」


 自分の名前?



 ーーなんだっけ?



 ーー考える。



 ーー考える。



 ーー考えろ。



 考えるものじゃないよな、これ。



 ••••••思い出せない。


 イコール、僕は、自らの名前を思い出せないという衝撃事実を今知ったことになる。


「不思議なくらい、記憶がないな」


 自分の名前をロストするなんて、どこぞのRPGゲーム以上に面倒なストーリー展開だ。

 世界観としては、喧噪(けんそう)してなくて、むしろ最高な部類なのだが。


 まぁ流行りの異世界転生ものじゃないし、きっとここは現実(ゆめ)だ。

 ••••••たぶん、おそらく。


「やっぱり、思い出せないんだ••••••」

 彼女は、こんなこと尋ねてゴメンという風に、しゅんとした。


「あーあ、どうしようか」

 僕がそう悲嘆なげいたあと、誰も(しゃべ)らない沈黙の時が流れる。


 名前を失ったことには深い喪失感を(おぼ)えた。

 これでは、人生を強制リセットされたも同然だ。



 けれども、絶望には及ばない。



 ーー(かな)しむより先に、すでにあきらめがついていたし、もう、それで良かった。


 不意(ふい)に、彼女が顔を上げる。


「実は、私もねーー」


 ••••••ワタシ「も」?


「名前を忘れちゃったのか?」

 彼女の言葉が終わる前に、僕は訊いてしまっていた。ちょっと、期待した? 


 ーーが、瞬間に彼女は瞳をキラッと光らせ、ニヤリと笑みを浮かべる。


 絶対に彼女は何か企んでいると、すぐに予想できた。


「どうした?」


「ふふっ♪ 忘却仲間(おなかま)がいるのを求めていたんだと思うけど、私はあえて裏切ってみたり」


「は?」

 彼女の表現は、どうも婉曲(えんきょく)すぎる。


「私は、水結(みゆい)遥華(はるか)。名前を記憶している点で、キミより優秀。

 ••••••でも、結局は同じ状況とレベルの事故転送者というわけです」


 少女ーー水結は、残念そうな口調で名乗った。


 彼女は、自分と同レベルの人物を許せないタイプのようだ。それだけに同じ境遇で出会う羽目になった二人目が面白くないのか。


「同じで悪かったな」

 こうやって返さざるをない。


 初対面で緊張している2人の会話が、ぎこちなくなってきたころ、ちょうど玄関ドアの外側にコンパクトカーがやってきて、ピタッと止まった。安めの軽自動車くらいのサイズだ。


「車、来たから乗ろう?」


「そ、そうだな••••••」


 病院の玄関を出ると、モワッと暖気が身をつつんだ。


 過剰冷房な院内が寒すぎたせいか、はたまた、ここが元来(がんらい)暑い地方なのか、僕には判断つかなかったが、とにかくアツイ。体感温度は猛暑。


「わぁー•••••• 綺麗な海••••••」

 小さな歓声をあげた水結は、日焼け防止(ぼうし)のためか、リボンのついた麦わら帽子(ぼうし)をかぶる。シャレを狙ったわけではない。



 病院前の小径(こみち)を挟んで向こう側は崖、その先は、病室からも見えた一面の蒼ーー海と空である。


 原自然によって創られた雰囲気に心奪われた2人は、車に乗ることをそっちのけに、崖先に駆け寄る。



 規則正しい、でも飽きないリズムの波音に(いや)される。



 大海原から吹きつける潮風は、ぬるく、湿っている。ウェットだ。



 その南風に乗って、水結(みゆい)の細くてさらさらの髪がなびいていた。



 彼女の横顔は、太陽で照らされて輝いていた。ここにいるのが幸せそうだ。



 黒ぶちメガネをかけている水結(みゆい)の姿はやっぱり可愛い。

 念のため先にことわっておくが、僕はけっしてメガネフェチなどではない。どうか誤解しないでほしい。


 彼女は単純に、素から美麗な女の子だ。飾りっ気は、これっぽっちもない。



 それ以前に、この世界には飾られた美しさ自体なさそうだ。もちろん、これは机上の想像にすぎないが。


 でも、そうだとすれば、なんという素直な世界ーー!




「おーい、さっさと乗ってくれーーーー」



 道際の白いガードレールにもたれ、時を忘れて景色に見惚(みと)れていると、小十郎が呼び掛けてきた。



 ーーだが小十郎が叫んでいたのにも関わらず、それにすら気付かないで、いまだ潮風を浴びている水結。



 呆れた••••••。



 呆れたよ••••••。



 もしかして、この人は天然要素あり?



 仕方なく、僕は数歩戻って、水結の肩を人差し指で軽くつつく。


「そんなに、その場所が気にいったのか、水結みゆいさん?」


「うん、私に似て綺麗だよねー」

 綺麗なのは否定できないが、さりげなく自画自賛するのはどうなのか。


 ならば、いっそのこと、こちらも合わせてみよう。


 年頃の女の子はある程度、調子に乗らせておいた方が、話しやすかったりする。


「ではでは、麦わら帽子の似合う美人な水結さん。そろそろ出発しないと、おいていくことになる」


「どうせ、おいていかないでしょ? 美人なら、おいていけないよね?」


 前髪をやさしくかき上げた彼女に、前言を強調される。


 もう、知らん。


「じゃ、お先にーー」


 手を振って水結から離れる。


 本当に来なかったらどうしようかと思っていたが、そんな心配は無用だった。

 高い声で(わめ)きながらも、ついてきてくれたからだ。


「ちょ、待ってよ! 今行くってば〜!」



 ***



 小十郎が運転する自動車の後部座席に、窮屈きゅうくつながら並んで乗り込んだ。


 水結がドアをーー初め半ドアになって2回目にーー閉じて、小十郎がアクセルを踏む。この男、かなりの急加速である。


 ポーチをひざにのせた水結の方を向く、彼女はふくれっ(つら)を向けてきた。


「もうちょっと観ていたかったのにぃ」


「時間が時間だし、しょうがないだろ」


 そこに、前の小十郎が首をつっこんでくる。

「••••••そんなに急いでないから、ゆっくり運転して景色を堪能するかい?」


()かしたあんたが言うか!」



 右側のシートに座っている水結の向こうには、入道雲の浮かんだ空が見える。



 岩石海岸沿いの道を進みながら、車は標高の高い崖を下りていく。



 細い路面の舗装(ほそう)があらく、激しく揺れて、となりのやわらかい肩が触れると、なぜか緊張した。そして首筋を容赦無(ようしゃな)く撫でてくる髪がくすぐったい。




「さっき知ったんだが、ようやく動ける状態になったお二人さんに早く会いたいという者がいるらしいぜ」

 小十郎が空調のスイッチを入れて、換気してくれた。


「どんな用だろ? この僕に」


「さぁ、知らねえ。でもそいつ、三人目の事故転送者だとよ」


「三人目••••••」


 一人目が、水結遥華。


 二人目が、僕。


 三人目は、誰だろう?

 変な人じゃないといいが。


 気がつけば車は、海抜目測1mのところまでおりてきていた。


「そういえば、••••••キミ、名前を忘れちゃったんだっけ?」

 リクライニングを完全に倒した水結みゆいは、唐突に切り出す。


「あぁ、••••••もう、どうしようもないね。名無しのA君とでも呼んでくれ」


「え、冗談でしょ••••••?」


 こいつ正気か、みたいに言われても困る。


「もとから、キミ、と呼ばれていたから、それでもいいが。

 なんか、恋人同士の会話みたいで、ちょっとな••••••」


「こっ、こいびとっ!? そ、そんな思いあるわけないに決まってる! 変なこと言わないで!」

 精一杯否定する水結だが、いつも白いはずの頬は、なぜかその時だけ淡桜に染まっていた。


「でも、他にどうしようもない」


「もー、面倒極まりないわ、 いっそのこと、改名しちゃてよ!

 道中に11回、坂を下ってきたから、ELEVENからとって、入坂いれさか

 ここから平らだから、ちょっと工夫して、淳平じゅんぺい

 名前は、これで我慢して!」


 水結いわく、僕の名前は”入坂淳平”らしい。


 いきなり言われたこともあって、絶句せざるをなかった。


 とはいえ、地味じみに完成度が高い氏名だったのには驚かされた。どうやって、こんな短時間で立派な固有名詞こゆうめいしを生み出したのだろうか。


「入坂、淳平か••••••」


 その能力には自信をもっていいはずの彼女は、まだ赤くなったままで、うつむいている。感想を求めているのか、できるだけ目をそらしながらも、僕の様子をチラチラとうかがってくる。


「••••••、変、だった?」

 いつも自分をベタめなくせして、今回ばかりは違った。


「変なはずがないだろ。むしろだな水結。脳の回転速度が尋常じゃない、速すぎだ••••••」


「そうやって、褒めてもむだなんだからね! 入坂••••••くん」


 僕は、こんなひどい返され方をされても、なんとも思わなかった。

 訂正、実際は嬉しかった。


 水結は、喜んでいたはずだ。きっと、彼女が言ったのち放ったせきで口を覆ったとき、微笑んでいたはずだ。もし違ったとしても、そう信じておきたい。


「僕は無駄なことを好んでしたがる人間だ、水結みゆい

 あえて、名前で呼んだ。これは純粋に確認である。


「ふーん。そのひどい屁理屈へりくつ、覚えておこうかな」


 ワンピースのスカート部分を整えてシートに座り直した水結は、窓を全開にした。



 入り乱れた風が吹き込んでくる。




 肺の中から、新鮮な空気に包まれる。




 深呼吸していないのに、深呼吸した気分。




 ついに、だだっ広い砂浜と同じ高さまでおりてきて、あたりは海水浴場に似た風景に変わる。似た、というのは、そこが海水浴場とはいえないぐらい、人がいないのだ。



 こんな初夏の暑い陽気に、ピッタリなはずなのに、まるで人の気配はない。



 プライベートビーチ?



 ヤシの木が舗装道路沿いに規則正しく立っていて、南国気分。



 ーー車はアイドリング音をたてず、静かに走ってゆく。


 電気自動車らしい。小十郎の握るハンドルの前には、サンバイザー状の透明な板があり、スピードなどが表示されている。地図を見れば、目的地は160km先。気が遠くなるな、こりゃ。


 右下に時計表示がある。11時30分、本来ならばお昼どきなのだが、この男は(メシ)を提供してくれるだろうか。


「なぁ、水結••••••」


「どうしたの?」


「もう11時半だけど、腹減ってないか?」


 水結であろうが、なかろうが、こんなことを女の子に訊くのは慣れない。そもそも、リア充経験なんてないから、ある意味、これは自明の理かもしれない。


「限界ではないけど、なにか食べてもいい時間かもね。••••••小十郎さん。いつお昼にする?」

 水結は、カーブを曲がりおえた運転手に問いかけた。


「そうだな••••••もう食べちゃおうか」


「でもこの辺りは、お店ないだろ」

 僕は、自身の見解を正直に述べた。


「ちょっと待ってくれよ。••••••あったぜ、8km先だ。目的地に設定しておこう」

 小十郎が透明な板を操作して、結論した。


 現在の車のスピードからして、まだ時間がかかる。


 やれやれ••••••。


「また、ずいぶんと遠いんだなーー」

 (なげ)いていると、水結がカバンの中に手をいれた。


「お茶、残り全部あげよっか?」

 水結は、ペットボトルのお茶を差し出してくる。僕は素直に受け取っておいた。


「ありがとな」


「かんせつk••••••、いや、なんでもない••••••」


 急に水結は、気づいたことがあったのか、不満があったのか、なにかを言いかけた。

 だが直後、うつむく。


「問題でもあったか、僕の行動に?」

 まずかったかなと、一度、キャップを開ける手を止めた。



「なんでもないってば! ••••••、そういうこと、気にしないんだ••••••」

 彼女は手振りをして否定したものの、その後もブツブツと小声で数語つぶやきながら、まだ考え事をしていた。


 なぜかふたたび赤くなっている隣のことは、ほっといて、冷えたお茶を一気にガブ飲み。



 喉がうるおう。生きている実感がわく。



 ーーと、少量残ったところでストップ。



「ホントに全部飲んでいいんだな?」

 どんな企みを隠した少女なのかわからないので、念のため確認した。


「全部飲まないと、ダメ!」


 返ってきたのは、canではなくて、mustだった。


「なんで?」


「そ、その、諸事情によりっ!」

 水結は、細い腕を組んで目を(つむ)ると、それっきり僕とは話してくれなかった。



 僕は、頂いたお茶を最後の一滴まで余ることなく、飲み干したーー







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