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A04

 しばらく応接室でカモミール茶を飲んで過ごしていたが、女中のイレーヌさんに案内されて一階客室に来た。


 広い客室の入り口を入ると、僕の荷物が入口側の壁に沿って置かれていた。

 アベイユやアンナさんが言った通り、誰かに運ばせたのだ。


 僕でもかなり疲労するのに、あのスタイルの良い女中さん達では運び込む事は不可能だ。


 羊舎にいた男性達でも、恐らく荷解きしないでそのまま持ってくるのに4人ぐらい必要だ。

 括りつけるだけでは荷崩れを起こすので特殊なシャーシを使っており、これも鍵がなければ外せない構造になっている。

 平地を引っ張って歩く程度なら一人でもいいのだが、坂道を移動するなら荷車が必要だ。

 邸入口には段差もある。カートには余計な傷一つ付いていなかった。



 鍵付きクーラーボックスにしたのは、据え置きで使う事、なんでも入り保冷が利く事、衝撃耐久性が高い事など華奢なコンテナボックスやトランクに比べれば格段に機能差があるからだ。その分重量は犠牲になる。

 カート本体の材質はオールクロモリで防錆塗装を施した自作の一品。溶接も僕自身が行っている。

 とても簡単に運べる物ではない。

 ジュラルミンのシステムコンテナには魅かれたが、なにしろお高い。手頃な価格で性能さえ出れば良いという目的にはそぐわないものだ。

 保冷機能も無い。短期の寮生活を繰り返す僕にとっては、最善の選択だった。

 就職後にはまた別の使い途を考えていた。

 


「奥の扉を開けると寝室になっております。お疲れでしたらどうぞお使い下さい。お食事をご用意させて頂いておりますので、もう少々お待ち下さい」


 そう言うとイレーヌさんは部屋から出て行った。

 僕はカートを引っ張りながら、奥の寝室と言われた扉に向かう。


 右手で開けると、天蓋付きのベッドが目に入った。大きい。子供のようにダイブする衝動に駆られたが、思い止まって壁際にしつらえられた文机へと足を運ぶ。


 神殿から迎えが来ると言っていた。


 それが今日になるのか明日になるのか分からない。


 荷物を紐解いてしまうと片付けが大変になりそうだ。

 一番上のクーラーボックスだけ降ろし、上蓋を開ける。

 これには精密機器類やすぐに必要になる試薬、救急セットなどを入れている。


 まずはGPSだ。道中、腕時計のGPSでは衛星も無線も掴めなかった。

 単機能のGPSなら掴めるかもしれない。と思ったがすぐにあきらめざるを得なかった。

 衛星波無し。基準時刻波無し。

 基準時刻は場所によって仕方無いとしても、衛星波無しと言う事は。


 あらためて思う。ここは世界が違う。

 大国二つの衛星波が一つも掴めないなど有り得ない事態だ。


 仕方なく方位だけでも確かめようと方位磁石を取り出して文机に置く。ぴったりと止まる。

 地軸はSN合っている。北半球である事は間違いない。


 次に十インチスレートPCを立ち上げる。堅牢と言われる某P社製だ。

 これもGPS、電話は使えない。

 某N社製ルータを立ち上げる。《圏外》だ。ワイファイが使えてもあまり意味はない。機器類のハブにしか使えない。

 十五インチノートPCを立ち上げる。これも某P社製。当然ネットにはスレート同様つながらない。が、スレートもノートも、スタンドアローンもしくはデータ交換で使う分には問題ない。


 無線機の電源を入れる。

 周波数を切り替えるが何も入らず。ノイズすら無い。

 ラジオの電源を入れる。

 同様。


 その他の機器類を取り出し、一番下に仕舞った折り畳み式の某S社製太陽光パネルを取り出す。

 室内にも関わらずガラス窓から差し込む光だけでゲージが上がる。調子が良すぎる。

 当面の電池切れには対応出来そうだ。バッテリーやコンプレッサーは一番下のクーラーボックスに入れてあるので試すのはあきらめる。


 タブレットを残して他を仕舞い込み、またカートに戻す。

 クッション材を丁寧に嵌め込むのに手間取ったが、なんとか収まった。この時間までの出来事を記録して電源を切り、ショルダーバッグに入れる。

 野帳にも簡単に書き込み、やはりショルダーバッグに入れる。


 その間、食事の用意がされているらしく、ワゴンの車輪や、静かな足音、テーブルを拭く衣擦れの音などが聞こえていた。


 扉の閉まる音がしてから、僕は寝室の扉を開けた。


 なんだか後ろめたい事をしているような気分になったが、この社会でのテーブルマナーを知らない僕にとっては、誰もいない方が好都合だ。給仕もいないようで胸を撫で下ろす。


 先ほどまで敷かれていなかった毛織のテーブルクロス、ランチョンマットの上には黒い皿に薄く切られたチーズのようなものとパテ、絵皿に盛ったパンのようなものと、絵柄の入った蓋付きボウルの中身は豆と野菜のスープ、黒い皿に盛りつけられた鳥らしきものの骨付き肉、その他の皿には切り分けられた果実の盛り合わせ、フルーツタルトと思われるデザート、香ばしいクッキー、果実を絞った香りのする飲み物がテーブル一杯に載せられている。

 カトラリーは全て銀製と思われ、スプーン、フォーク、ナイフがバスケットの中に並べられていた。一番手前には小さな石板と、やはりナイフが置かれている。肉を切り分けて食べるための俎板だろう、と勝手に解釈した。

 扉の隣にはやはり先ほどまで無かった台座の上に、銀のフィンガーボウルと白い起毛のタオル、瓶入りの飲料水らしきものと銀のカップが用意されている。


 朝から何も食べていない事を思い出し、かきこむように食べる。


 肉にはバジルやガーリックなど臭い消し用の香辛料が使われている他は、どの料理も余計な香辛料は一切入っていない。

 赤トウガラシなどの辛い香辛料が苦手な僕にとってはありがたい食事だ。スープの出汁も鳥と野菜から十分に出ている。

 塩加減も及第点だ。

 洋梨のような果物まで一気に平らげると、カトラリーを俎板の上に並べて、再度フィンガーボールで手を洗ってから寝室へと向かう。


 ショルダーバッグからタブレットを取り出して食事のメニューを書き込む。野帳には時間と動作のみ記入。

 時刻を見ると午後三時を回っていた。


 あっという間だ。朝から忙しなく移動して、その後に起こった出来事を反芻するうちに疲れてきたので寝台に上半身を投げ出して目を閉じる。


 衣擦れの音とゆっくりとした振動を感じる。

 右目を薄ら開けてみると、ベッドの上を何かが這いよってくる。

 もう察しはついている。アベイユだ。


 厨房に連れて行かれたはずのアベイユは、いつの間にか寝室に忍び込んでいた。


 「お嫁さんにしてくださ」

 「いやです」


 三度目ともなると、もう呼吸ピッタリだ。僕は仰向けになったまま返答する。


 「じゃあ婚約してくださ」

 「いやです」


 「じゃあ」って何だよ。ほぼ同義ですが、お嬢様。


 「ちょっとでいいです。えへ」


 「えへ」じゃねーよ。何が「えへ」なんだよ。「えへ」ってどういう意味だよ。お嫁さんとか婚約を「ちょっと」するってどういう事だよ。

 深い溜息をつき呼吸を整える。

 「とりあえず寝台から降りていただけませ」


 「いやです」


 …上等だよ。

 僕はアベイユの帯をクレーンのように持ち上げ、


「あの、あの、これはですね、ワケがありまして、ですね、寝台の上じゃなくちゃお話しできなくて、ですね、あのー、あのー、あああ」


 と言い訳しようとじたばたするアベイユごと寝台から降り、文机の椅子に腰かけてから床に置く。

 目を離したら飛びついて来そうなので瞬きもせずに見下ろす。

 アベイユは床の上に女の子座りをして笑顔を向けて僕の言葉を待っている。


 寝台の向こうが明るくなる。あちら側にも扉があったらしい。

 天蓋に隠れて誰かわからないが、ゆっくり歩いて寝台を回り込んでこちらに向かってくる。

 振り返って確認すると、女中のイレーヌさんだ。

 髪をほどき、出迎えてくれた時の装束とは違う薄物の長い生地を体に巻きつけ、胸の少し上で止めているだけだ。体のラインどころか中身まで見える。

 イレーヌさんは左膝を床に付き、右手を胸に当て、俯きながら口上を切り出す。


「伽を仰せつかって参りましたダール州令八州侯オルコット家、家人、アンナお嬢様付き側用人、イレーヌ・ミッドテラーでございます。

 高貴なお方に名乗りを上げる事をお許し下さい。

 生まれて初めての伽ゆえ至らぬ点は多々あろうかと」

 そこまで言うと徐々に顔を上げていたイレーヌさんの視線は僕の左膝を通り越して、床に動く影を捉える。

 「アバお嬢様?!」


 って誰が伽を頼んだ?アンナさんかメアリーさんか?「仰せつかって」ということは申し付けたのはアンナさんかな。

 こういうのを有り難迷惑とか余計なお世話というのだ。

 それともハニートラップか。

 ちょっと疲れて横になっただけだ。食事といい伽といいタイミングが良すぎる。

 どこかにのぞき穴とか隠し部屋とか隠し通路なんてのがあるんじゃなかろうか。

 アベイユはどこから紛れ込んだんだ。

 それとも音で判断しているんだろうか。

 まだ午後三時を回ったばかりで日は高い。

 シエスタか、ラブホテルのフリータイムか。


「しーっしーっ」


アベイユは人差し指を口元に当てて黙るように促している。


「姉さまに見つかったらまたアレを飲まされちゃうっ」

「ではお部屋にお戻り下さいませ。このままでは私がアンナお嬢様にお咎めを受けてしまいます」

「やだーっ大きな人と結婚するまで動かないーっ」

「…では私を犠牲になさるおつもりですか」

「そんなこと言ってないーっ」

「同じ事でございます。幸い控室にはエレノア以外は誰もおりません。私とエレノアが口裏を合わせればアンナお嬢様には内密にできます。ささ、お早く」


「イレーヌさん」

 椅子に座りアベイユを見下ろしたまま告げる。

「イレーヌさんもアベイユお嬢様も、この部屋から出て行って頂けると、僕の精神衛生上とてもよろしいのですが」

「『せいしんえいせいじょう』?私もでございますか…私がお気に召さないようであればエレノアを呼びますのでどうかお聞きとど」

「イレーヌさん」

 イレーヌさんの言葉を遮って、やや語気を強めて言うと、短い返事が返ってくる。

「はっ」

「エレノアさんも呼ばなくて結構です。早くお二人とも出て行って下さい。僕が呼ぶまでどなたも寝室には入って来ないようにお願いします」


 イレーヌさんは沈痛な表情を浮かべている。


「致し方ございません。アベイユお嬢様、これ以上高貴な方のご機嫌を損ねてはオルコット家にどのような災禍が降りかかるか知れません。

 ここは一先ず控室に下がりましょう」


 イレーヌさんに手を引かれ、チラチラと後ろを振り返りつつ部屋を後にするアベイユ。


 扉が閉まってしばらく経ち、ようやく安心した僕は、目を休めるために目を閉じた。


 もちろん、僕に降りかかる災厄を避けるため、椅子に座ったままで。


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