A01
ヤバい、寝坊した!
同室の人達はもういない。もうすぐ就業時間じゃないか。
なんで起こしてくれないんですかーやだー。
時間給で働く研修と言う名のバイト身分として遅刻は厳禁なのだ。
前期でほぼ全学科の単位を取り終え、卒論も教授のお墨付きを得た僕は、残りの学生生活を来春からの新生活に備えた資金調達に充てようと、この就職難にも関わらずたった一社受けた某大手建設会社に内定をもらい、人事担当の主催しているインターンシップに参加して、現場の寮で寝泊まりしている。
当然住んでいたアパートは引き払って余計な荷物は実家に送り、着替えや自前の道具類、着替えなど身の回りの品一切合切を100リットルの鍵付きクーラーボックス4つに詰め込んで。
今日は現場そのものが移動するため、プレハブ寮とはお別れなので昨夜のうちに整理を終えて就寝。
早起きして自分の引っ越しを済ませた後に新しい現場に入る予定だった。
いつもなら現場には一番早く到着して現場に必要なものを揃え、パートで来ているおばちゃん達の為に腐心するのが僕の役目なのだ。
今日は現場状況の確認が主で、パートのおばちゃん達は来ない。
そのためいつもなら某通販で手に入れた振動目覚ましをシュラフの下に置いているのだが、今日はエアピローだけでぐっすり寝込んでしまっていた。
インターンシップの場合、たった一度のミスで内定取り消しの場合もあるのだ。
気を抜けない。
修士ならまだしも学士で「寝坊」は致命的だ。しかも僕は卒業を控えた身分でまだ学士でさえ無い。
卒業は約束されているとは言え、せっかくありついた就職先なのだ。逃す訳にはいかなかった。
急いで身支度を整えるとカートにクーラーボックスをセットして、引っ張りながら外に出る。
今日から現場は一駅(バス停)またいだところにある遺構調査だ。
道路建設の為に伐採をしていた所、大規模な遺構が発見されたとの事で、急遽本体の出番となった。
下請けさん達は当初「埋めるか掘り返すかしてしまえ」と思っていたらしいが、少し掘ったら銅貨が発見され、しかも相当の規模と推測された為、本体による調査が行われる事になっている。
僕も参加予定だ。
小規模な遺構ならば何か発見されない限り埋めてしまうなんて日常茶飯事だ。
学術調査なんてどこ吹く風だ。予算も工期も限られている工事現場では厄介ごとの一つに過ぎない。
従って報告は上がってくるが、半年、一年と続くような予算が計上出来る遺構では無い限りは下請けさん達や監督さんの胸先三寸だったりするらしい。
事実、昨日までのこの現場でも、平安以前らしい遺構以外にも江戸中期のものが出てきたが、役所への届け出が済み次第、土台着工の為に掘り返されてしまった。
「おはよう。守山君が最後なんて珍しいな。早く乗れよ」
重機輸送用トレーラーの前に立っていたのは、可愛がってもらってる佐久間さんだ。
重機オペレーターをやってる佐久間さんは、レンタル重機屋さんだ。
本体の人ではないが、父と同年代で、僕と息子さんは年が近いという事もあって、息子さんとのやりとりの練習を兼ねているらしい。
あまり顔を合わせない息子さんとは話しづらいらしく、息子さんへの対応について昼食時は僕との会話で探っている。
息子さんは今、海外で同じく重機オペレーターをしている。
来年には帰国するが、次の赴任先はまた海外になるそうだ。
「おはようございます。すみません。まさかの寝坊です」
「誰でも一度はあるんだよ。俺から逸見さんには言っておくから」
「本当にありがとうございます」
頭を下げたついでに左手を見ると、小指に包帯を巻いている。
「どうしたんですか、それ」と痛々しそうな小指を見ながら尋ねる。
「いやぁ、起きたら反り返っていてね。添え木をして巻いてるだけなんだ。痛くはないんだ」
「本当ですか?僕なんか待ってなくてもいいのに」
「そうもいかないよ。これを持ってかなきゃならんしね」
そう言うとトレーラーのミラーを背を伸ばしてコンコンと叩く。
「仕事第一は佐久間さんの生き方ですもんね」
「そう。で、守山君は安全第一だ。忘れるなよ」
一度なら許されるが、二度目は知らんよ?それは喰いっぱぐれない事も同じだという有り難い助言をもらった。たはは。
「失礼します」
僕は丁寧にお辞儀をすると、トレーラーの助手席に乗り込んだ。
何度か切り替えしをしながら狭い駐車場から抜け出し、佐久間さんは青梅街道を横切って橋脚工事予定地へと向かう。
僕は無言で窓の外を眺めている。
20分ほどして現場の入り口に到着した。
助手席のドアを開けると、そのまま荷台にまわって括りつけたロープをほどいて、滑らせながらコンテナをカートごと地面に降ろし、すぐに自分も着地する。
佐久間さんは降りると僕に近寄り、「じゃ、逸見さんの所に行ってくるから」と言ってその場を離れた。
「すいません、お願いします」
僕はカートをひっぱりながら色々と遅刻の言い訳を考えつつ、現場に入って行く。
逸見さんは前の現場では管理責任者だった。この現場では直接現場指揮をするらしい。
僕の研修での採点も行うある意味「こわーーい」立場の人である。
まだ三十手前、なのに若手どころか年配の職人さんや上司の人達からも信頼が厚い実力者だ。
普段はにこやかなのだが、事務処理が速く、重機の扱いにも慣れている。誰かが休めばすぐにフォローに回れる人だ。
それだけに、僕のようなアセスメント責任者候補として研修に参加している学生に対しても即戦力になれるかどうかの審査を行う厳しい目を持った人でもある。
新人の第一関門は、袖の下が利かないこの逸見さんから切られないようにする事だ。
幸い、これまでの所、貢献はあっても過失は無いはずの僕は、一応及第点のはずだ。
研修初日で帰された人達もいたのだから。
今日からの現場は昨日までの現場より規模が大きいらしい。これは現場の人ならではの感覚だそうだ。プレハブが現場奥に設置される予定の為、必然的に今発掘されかかっている遺構の上を通りながら移動する事になる。まだ掘り返されている訳ではないので伐採が多少進んでいるだけの草叢の上を進む。
すると、こちらを見て手招きをする人物がいる。逸見さんだ。佐久間さんも手を振っている。
あーいよいよ何か言われるなーやだなーまずいなークビかなーなどと考えていると、「守山君、ちょっといい?」と声が掛かった。ああ、とうとうダメ出しきたかーなどと思っていると様子が違う。
「おはようございます、すいません寝坊しました」
言い訳は結局思いつかなかったんだよ。あー。
「ああ、仕方ないね。それよりここを見てもらいたいんだけどね」
ん?何か厳しい事を言われると思っていた僕は拍子抜けしてしまった。
佐久間さんが指差した草叢から何かが飛び出ている。金属器?
「私は専門外なんでね。といっても専門部隊が来るまでまだ日があるんだ。その前に多少は情報を得たいと思ってね」
なるほど。アセスメントには様々な要素があるのだが、その中には地形や土壌、水質以外にも遺跡・遺物の分野がある。
大学ではそのさわり程度しか触れない要素でもある。それは専門の学芸員部隊が本体にいるから、到着待ちらしい。
伐採前には発見されなかったそうだ。
なので急遽応援が必要になった。
僕も一応学芸員資格は持っている。
「少し掘ってもいいですか?」と僕は逸見さんに尋ねる。
「ああ、まあ壊さない程度には慎重にやってくれる?それと、今日の遅刻の罰で、君は一人でテント泊だからね?」
「はい」
僕が短く返事をすると、「じゃあ任せるよ」と言ってオペレーターさん達との打ち合わせの為、足早に皆さんが集まっている場所へ向かう。
「まあ、頑張れよ、ははは」佐久間さんはポンと僕の肩を軽く叩くと、すぐに逸見さんの後を追う。
あー、ビジネスホテルにはキャンセル出されたなー、これは。
クビ寸前の所を佐久間さんに皮一枚でつないでもらった僕。
僕の会社的体形は、ほぼデュラハンのようなものです。溜息しか出ない。
この辺りには熊も猪も出ないということは分かってる。
ついでに猿もいないらしい。
夜は取りあえず安心だし、水源は近い。仮設トイレだけは設置されている。
一人取り残された僕は、GPSで位置を、高度計で標高を確認して野帳に記録、写真数枚と動画を撮り終え番号を記入、軍手をはめてハンドシャベルをホルダーから取り出して、少し掘ってみる。
鈍い緑色の突起物は、青銅製だろうか?
筆で土を丹念に払う。そこそこの硬さがあるのか異常は見られない。
触ってみたがまだなんなのか分からない。
ウエスで少し擦ってみると、目に見える程の粉末がウエスに付着する。
マズイ、と思って擦るのは諦めようとしたが、突起物から白い物が噴出した。
煙?水蒸気?
「ちょっまっ」本格的にマズイぞこれは。
無臭で低温の水蒸気らしきものは、突起物から溢れ出して止まらない。
あっという間に僕と持ってきたクーラーボックスをカートごと包んでしまう。
誰かを呼ぼうとしたが、水蒸気にむせて咳き込んでしまった為に声がでない。
振り返っても霧状の水蒸気に巻かれて何も見えない。
ゲフンゲフンと咳き込みながら、とりあえず水蒸気の外へ出る為に走り出そうとした。