第一部第六話 気配 又は 余韻 ②
<同日 14:30 池袋 Bar紅>
男たち四人が無言で、決して広いとは言えない店内で黙々と作業をしている。
一人は二十代後半と思しき精悍な顔立ちをした男性だ。
カウンターの内側で、午後三時からのカフェの営業開始に向けて仕込みを行っている。
残る三人は制服姿で、掃除機や箒、雑巾を片手に掃除を続けている。
学校でもここまで真面目にはするまいと思われる真剣そうな、実は全くあらぬ事ばかりを考えているのだが、一切手を休めずに、特に床面を念入りに掃除している。
店のマスターが出勤してきたのは午後一時を過ぎたあたりか、それまで学生姿の三人は正午の闖入客を見送ったきり、一言も発せずにいた。
「おう、もうそんなもんでいいぞ、奥に片付けといてくれ」
マスターが三人に投げ掛け、貞雄は掃除用具を纏めて奥に運んでいく。
「…んで、もういっぺん話してみろ。タカシはどこに行ったんだ」
「いや…勘弁してくださいよ、俺にもよく解んねぇし…」
「勘弁出来るかバカ野郎!久し振りに午後から顔出してみりゃ、テーブルは割れてるわ、椅子は吹っ飛んでるわ、あげくに床は汚ねぇわだぞ!?」
「俺らがやったんじゃないすよ…主にあの女とタカシ君で…」
「だーからっ!そのタカシはどこ行ったんだよ!あいつはな、訳あって昼間にゃ表に出れねぇんだよ!それが消えちまったんだぞ!?心配してんだよ俺は!!」
「ぅわ…まんまじゃん…和樹知ってた?その話…」
「なにブツクサ言ってんだ、達也っ!?」
マスターの厳しい問い掛けに和樹は無言で応え、達也はいよいよ窮まった顔付きで困うじ果てている。
要領を得ない回答に、マスターも一人思案気に呟き始める。
「くそっ…黙って辞めるようなヤツじゃねぇし。その女は身内かよ…病気の事知ってて車かなんかで連れ出したんか…」
よほど店に詰めている頃は品行方正だったのだろう。
事情を知らぬとは言え、マスターのタカシの行方を心配する顔に不自然さは無い。
「はぁ…もう良いよ。とりあえず連絡くるだろ。お前らもどっかで見掛けたら俺に言えよ」
「…うっす」
達也は戸惑いながらも答えを返し、和樹は無言で頷く。
会話が途切れたことを確認して和樹は一番奥のボックス席に移動する。
達也はその後に続きながら、声を潜めて問い掛けた。
「なぁ、よぉ、おい?どうするよ?どう思う?」
和樹は深々とソファに身を沈めながら重々しく答えた。
「どうしようもねぇだる。タカシ君から連絡は来ねぇし、この先に見掛けることもねぇよ」
続いて達也も腰を下ろし、いよいよ声を落として顔を寄せて話し掛ける。
「そうじゃなくてよ!?今日見たこったよ!…ヤバいだろ?」
「…それこそ、どうしようもねぇだる。タカシ君は化け物だった、世の中にゃ俺らの知らねぇことが沢山あるってこった」
茶化すようでいて、さほど感情を込めない声音で混ぜっ返す。
「はぁっ!?マジかよっ!?それでいいんかよっ!?もっとこう…なんかあんだろっ!?」
声は潜めているようだが、なにか憤懣やる方無い様子を身振り手振りで力一杯に表現する達也。
…こいつは…隠してぇのか、目立ちてぇのか、どっちだよ…
すっかり平常運転に戻った達也に目を遣りながら、タバコに火を付け、達也に向かって吹き掛ける。
「ぅえ!やめるよ!」
「騒ぐなよ…貞雄はよ?」
そう言えば貞雄の姿が見えない。
先刻、掃除用具を束ねて奥へと向かったのは見えたが。
…あのバカ……
「マスター!片付け手伝ってくるよ、奥入るね」
「おう、頼むわ!ついでにトニックと生樽上げてくれや」
「あいよ、行くぞ馬鹿力…」
達也を伴って奥への扉を開く。
コンクリートが打ちっ放しの通路が2mほど、書類棚と小さな作業机が両端に並んでおり、簡素な事務所の使い方をしていることが見て取れる。
傍らには先ほどの掃除用具が立て掛けられている。
更に奥には、天井から吊るされた裸電球が点されており、下りの階段が伸びていることが判る。
剥き出しのコンクリートの壁面を伝いながら、階下へと二人は降りる。
貞雄が階下の一室で屈み込んでいた。
「…なにしてんだよ、やめとけよ?」
和樹らが降りてきたことには気付いていたのだろう、二人に目をやることなく、握り締めているナニかをじっと睨んでいる。
「ふぇぇ…マジでここに住んでたんだな…ベッドまであるし」
達也が感慨深げに口にする。
階下の一室は十二畳ほどの広さに、面積の半分には納品物が集積され、細々した備品類は網棚に綺麗に並べられている。
もう半分のスペースには、ベッドと衣装ケース、リビング用のローテーブルがある。
貞雄は顔を上げずに呟く。
「エアコン無し、冷蔵庫もテレビも無い。本や雑誌もねぇし、絨毯も無しでコンクリの床に直に座ってたんかな…」
「…まぁ、人間じゃねぇし…?」
達也の軽口に和樹がジロリと睨み付ける。
「簡単に言うんじゃねぇよ…タカシ君は…友達になってくれって、遊びに来てくれって言ってたんだよ…」
和樹の、誰に向けてとも知れぬ言葉に、貞雄は握っていたナニかを投げ付けて寄越した。
煩わし気にそのナニかを目の前で広げる和樹。
…なんだ、コレ…服か?
…こんなんタカシ君着るんか?全然タイプじゃね………………
「女モンだよ、ギャルっぽいのがよく着てる。そこの衣装ケースに入ってた」
広げきった白いヒラヒラの付いた厚手の伸びきったブラウスの背面には、赤黒いナニかが大きく付着していた。
「良かったな、友達にならなくてよ?」
「テメェはぁっ!!!」
和樹が貞雄に掴み懸かり、力任せに壁際に押し付ける。
貞雄もその剣幕に臆してはいない、いや、別の要素の為か顔色が悪い。
「呆けてんじゃねぇぞっ和樹っ!!俺らは死にかけたんだよっ!!あの女が来なけりゃ!下手すりゃ昼間っから俺らは喰われてたんだよっ!!」
「やめろって!!おぃっ!バカッ!?」
達也が力ずくで二人を引き離す。
「…くそがっ!…くそっくそっ…あの女が悪ぃんだ!」
和樹が毒づきながら、とうに姿を消した人物に恨みをぶつける。
「どうしてそうなんだよっ!?むしろ助けてくれたんじゃねぇかっ!?」
「そうだぜ和樹?さすがに俺らも、アレは無理だべ…普通に飛んでたぞタカシ君…」
「関係あるかっ!?あの女がいなかろうと!俺らに喧嘩売ってくんなら誰だろうとぶっ潰すだけだろっ!!」
いよいよ和樹の怒りが爆発しそうになる。
「…違ぇだろ?ただ納得できねんだろ?あの喧嘩にも、あの女にも。理由も解らねぇまんまに始まって、勝手に終わっちまった。自分が蚊帳の外のまんまが気に入らねんだろ」
貞雄の言葉から、冷や水を浴びせられたように、和樹は冷静さを取り戻していく。
…そうなのだ。
なにより理屈が通らないではないか。
いつだって、どんな無茶だって、自分たちが納得出来るだけの道理があって初めて行動に移してきた。
なのに、今日ばかりは勝手が違った。
タカシの言葉を鵜呑みにして、侵入者から庇おうとした事。
その侵入者へ、まともな意志疎通もないままに挑んだ事。
どれもこれも、普段の自分からは考えられない程の短絡さだ。
…自分がムカついて仕方ねぇ。
「まぁ、よ?和樹も無事だった事だしよ、切り替えてこうぜ?」
「…はぁ…お前は切り替えられんのかよ、達也?」
「俺は貞雄みてぇに、アレコレ考えられねぇもんよ?」
達也の間の抜けた返事に、貞雄は苦笑して応じる。
「今日はもう解散しようや?俺は色々考えてみてぇし、調べてみたい事もあるしよ?」
「へっ!?マジかよっ!?今夜のどうすんだよ?連中集まってくんだろ?」
「ぁあ…解散だ…」
和樹が貞雄に同意した事で、達也も肩を竦めて渋々ながらも同意を表現する。
なんだかんだ言っても、三人の中心は和樹なのだ。
その和樹がやる気を見せないのであれば、達也も敢えて抗じることもない。
「行こうや…」
貞雄の促しで、三人揃って店内へと戻る。
達也はその左右の両手にそれぞれ生ビールの替樽を軽々と持ち運び、和樹はトニックをケースで抱えて上る。
店内は既に営業を開始していた。
大学生と思しきカップルが一組、仲睦まじくソファ席で向かい合っている。
「置いとくよ、マスター?」
「おぅ、サンキュ!なんか、食ってくか?」
「いや、今日はいいや。ごめんね、バタバタさせて」
達也はヒョイと樽二つを床に置き、貞雄はマスターの誘いに遠慮して応える。
「そか…タカシのこと、見掛けたら教えてくれよ?気ぃ付けて帰れよ?」
「りょーかい!ありがと、またね!」
三人はそれぞれに挨拶を返し、外へと出る。
まるで一日を地下で過ごしてきたかのような錯覚を三人は揃って覚えた。
時刻は午後三時を少し回ったところか。
池袋の街は、平日とは言え、やはり賑わっている。
三人には、まるで別世界のように感じられたが。
三人は揃って歩み出す。
…なんだよ~、ノリ悪ぃなぁ~…
せっかく今夜の為に色々頑張ったのによ。
…まぁ、仕方ねぇか、あんなもん見た後じゃな…
…………………………バケモン、俺とどっちが強ぇ…………
…あの女が言ってた…、被害者ってのはニュースでも聞いたことがねぇ。
ってことは事件性が無い死体ってカウントされてるってことか…
どっから調べりゃ判るかな…
気になって仕方ねぇや…こりゃしばらく寝れねぇぞ。
…………次は、負けねぇ。
思い思いの感慨を胸に、池袋を後にした。
…なお、この日の夜、池袋西口公園にて乱闘騒ぎが起きた。
全身黒尽くめのオールバックの髪形をした若者が、集会中の愚連隊の群れに乱入。
重軽傷者が二十名弱を数え、逃げ散った愚連隊の者たちからは、化け物が来た、と言って、また一つの都市伝説が産まれた。
サダオ「ごめんなー、もう帰っていいや」
幹事クン「えっ?あの?結局どうなったんすか?」
サダオ「気にすんなって!もう、アレだ。君らは健全に不良しててくれよ?」
幹事クン「俺…バレたらOBの人らにぶっ殺されるよ…」
カズキ「大丈夫だ、それドコロじゃねぇしアイツら」
サダオ「うぉっ?いつから居たんだよっ!?」
幹事クン「えっ?それドコロじゃないって?ってかなんで両手が血塗れなんすか?」
カズキ「大丈夫だ、俺の血じゃねぇし」
サダオ(やりやがったコイツ…)