第一部第三話 侵入 又は 闖入
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<2015年3月下旬 東京 池袋 Bar紅>
最初に気付いたのは、入口側に座る達也と隣で向かいあっている貞雄だった。
…いつからいたんだよ…客…いや、うぉ…マジかよ…
存在を認識したものの思考がまとまらず、貞雄は呆気にとられた表情を晒している。
視線が自分ではなく、自分の背後に向けられていることに気付いた達也がなんの気なしに振り返って、同じく驚いた表情を見せる。
「…エッロ…」
なんともバカらしい、簡潔かつ直球な、正直過ぎる感想を漏らした達也である。
並びで奥に陣取っていた和樹は、二人が静かになったことに気付き、達也の間抜けな呟きが耳に入ってようやく沈思から顔を上げて隣に目を向けた。
なんとも、上手く表現出来ない人物が店の出入口に立っていた。
その姿形と言えば…例えるなら新人女性教師、と表現するのが相応しいだろうか。
コッテコテにありがちな、まるでリクルートスーツにも見えるような形状の濃紺の上下に身を包み、目元に光る、これまたありがちな銀縁眼鏡が、なぜか教師っぽさを絶妙に演出している。
身も蓋もない言い方をすれば、成人向けビデオでデフォルメされるような教師の雰囲気を持つ、と言えば男性諸氏には理解しやすいか。
しかし男性か女性かと問われれば、正直、顔だけ切り取ってしまうとなかなかパッとは判り辛い。
多分に中性的な顔立ちであり、それでいて非常に凛々しく整った顔立ちをした女性である。
そう…女性だと判る。
教師のような形だが、ジャケットの内の純白のシャツは大胆なまでに開襟しており、豊かなバストがジャケットをも窮屈そうに押し上げている。
引き締まったウェストと、豊満なヒップが、ピッチリとしたスーツに包まれて、その抜群のプロポーションを強調している。
しかも…金髪なのだ。
相当に長いのだろうが、綺麗に結い上げている。
より厳密に言うと、日本人ではない。
透き通るような、顔や手にはシミ一つ無い、美しい白色の肌をした白人女性である。
女性は肩に革の細長いケースを吊り下げている。
パッと見て、野球部のバットケースのようにも見えるが、ずいぶんと寸が長い。
ピッタリと身体に寄せていたケースを、肩から下ろして左手に握り直したが、片手で握り持てるのであればさほどの重さではないのだろう。
一連の動作を終え、薄い目つきで店内を見渡している様子だが、目当ては見つからなかったのか、奥へ続くドアを見つけて歩み寄ろうとした。
「あっ!ちょっと!ダメだよ、NG!クローズだから!…解る?」
咄嗟に止めに入った貞雄を褒めるべきか、或いは、あからさまな外国人に日本語で話し掛けてしまった様を笑うべきか。
相変わらず達也は呆けた顔で女性を目で追っている。
女性は、座ったままこちらに話し掛けてきた眼鏡の男に向かって、僅かに微笑んで小首を傾げてみせる。
おそらく日本語が通じなかったのだろう。
程度の低い和製英語など推して知るべし、である。
『What did you say?』
「うー…あー…いや、ダメなんだけどさ…マジかぁ」
一言話し掛けただけで貞雄は粉砕された。
学校の英語の成績は非常に優秀だが、やはり実用の際には別のナニカが求められるのだろう。
達也に至っては最初から白旗状態である。
三人の内、突然の侵入者への正しい反応を示したのは和樹であろう。
即ち、警戒である。
この店は現在、営業時間外である。
当然ながら、外灯の類は落としており、ビルの外側にも通りの何処にも目立つ看板があるわけでもない。
更に言えば、この時間地下一階の店の入口へと続く階段の降り口には、営業時間表示付きのチェーンが張られているのだ。
つまりこの女性は、有数の都内繁華街に埋もれた一店舗を見つけ出し、確かな意志を持って、チェーンと店の扉を潜ったということを意味している。
この数分のうちにそこまで思考が及んだ和樹の洞察力は、残る二人の及ばないところである。
沈黙と警戒を続けたまま、和樹の思考が一瞬のうちに移る。
約束があんなら、徹麻明けだろうとあのマスターに限ってすっぽかすことは無ぇ…。
タカシ君も、この時間に約束があるならわざわざ掃除に下に降りる訳もねぇし、誰か来るなら俺らに一言ある筈だ…。
そして、和樹は結論づける。
コイツは、なにか理由があって、この時間を選んで、ココに来た。
そいつが見えねぇ限り、警戒を解くわけにゃいかねぇ。
和樹は、隣に並ぶ二人と違って、些かも動じる風もなく、女性を確と見据えながら、カウンターチェアから立ち上がる。
『He said you must not enter here…』
実に流暢な英語が、和樹の口から流れてきた。
面食らったのは、友人二人である。
マジかよ、チキショウ…普通に喋りやがった…。
ぅお!和樹すげえ!さすが和樹!バイ…バイ…バイなんとかじゃん!
ちなみに英会話を披露するのは初めてではない。
なんとなれば、日常の中で、日本人のみならず不良外国人と呼ばれるような連中とも付き合いがあるのだ。
アジア系・アフリカ系・欧米系を問わず、大概の意思疎通は英語である。
だから、達也は別にしても貞雄も簡単な英会話ぐらいは出来る。
が、それでもこの特殊な雰囲気も意に介さず、迷わず英語で喋りかけた和樹に二人は驚いた。
女性も同様だったのだろう。
日本の子どもらは英語を学ぶが会話は出来ない、というイメージがあったし、彼女も来日以来まともな英会話は数えるほどでしかない。
それが、こんな場末の飲み屋で出会った学生風の小僧が流暢に英語を操ったことで、彼女に僅かな反応をもたらした。
『Oh…you can speak english…right?』
コイツ…イギリス人か…?
彼女の発音を耳聡く聞き分け、推測を立てる和樹。
いや…たぶんだけど…コイツは日本語も理解してる…。
和樹はなお推測する。
ついさっき、貞雄が日本語で止めに入った時に僅かに微笑んで見せたが、(アレは外人の前で戸惑って日本語で話し掛ける日本人を嘲った笑いだ!!)と見たのだ。
こいつら二人置いてきぼりにする訳にもいかねぇし…確かめるか。
なにやら妙な気遣いを見せる和樹である。
英語を話せるのかと問うてきた女性に向かったまま言い放つ。
「イイ身体してやがる…俺ら三人でヤってやろうか?」
「はいっ???」
「マ、マジで!?いいのかよっ!?マスターはっ?あっ、やべ!?」
一人盛大に勘違いしているが、貞雄などはいよいよ混乱を深めている。
こいつは想定外の状況に、弱いよな…。
そんな事を思いながらも、和樹は見逃さなかった。
目の前に立つ女性が眉根を寄せ、僅かに顔を赤らめた瞬間を。
やっぱりだ…なんで最初から日本語で話してこねぇ…ただ単に日本のガキと絡むのが億劫なだけか、それとも、意思疎通が出来ない存在、って認識させたかったのか…。
次々と思考を巡らせる和樹だが、彼女がその思考を断ち切るように呟いた。
「あぁ…もうなんで人がいるの。精々この店の主人ぐらいだと思っていたのに」
なんともまた流暢な日本語である。
もちろん三人の男たちの耳にも届いている。
「ぉいっ!!日本語喋ってんじゃんっ!ヤバいって和樹!」
…もういい加減黙っとけよ、お前は!!
心の中で和樹は激しく達也に突っ込みを入れるが、伝わるわけもなく、達也は一人ヒートアップしている。
「ヤバくね?えっ?お姉さんなんなの?ホントにAVなんすか?」
「いや…もう違うから…黙ってような、な?」
さすがに貞雄も雰囲気を察して、達也の暴走を止める。
和樹は日本語に戻して女性に話し掛ける。
「なんの用だぃ?日本語解るんだろ?店の主人はいないぜ。俺たちは留守番だ、三人しかいねぇよ」
貞雄と達也は、うん?と心中で首を傾げる。
タカシの存在を隠す理由はなんだろう?と思いながらも、それが和樹の意向なのだろうと察して態度には出さない。
「サイトウ タカシ サン を探しているの。このお店で働いているって、昨夜にこの店の常連のお客に聞いたの」
「知らねぇよ、ココのアルバイトだろ?営業は夕方からだから、まだ店に来てないんだろ。出直してきなよ。姉さん?」
「そうなの…その奥にまだ…」
「従業員に話があんならまずは雇い主に話を通すのが道理ってもんだ、あんたのお国じゃ約束も無しに訪問するのが正しいってのかい?」
女性からのいらえは無く、やや目を険しくして値踏みするように和樹に視線を合わせた。
和樹自身、なぜわざわざタカシを隠し立てるような振る舞いをしてしまっているのか、イマイチ納得出来ていない。
しかし、目の前の女性の探し人がタカシだとして、なんの為に探しているのか、その理由がまだ見えてこない。
『I don`t have the mother country…』
ポツリと彼女は呟いたが、三人の耳には届かなかった。
…タカシ君も気弱そうだしな。
下手に英語で言い寄られて表に連れ出されちゃかなわねぇ…。
病気のことはこの場の誰も知らねぇ、タカシ君が上がってきちゃマズいし、どっちかを下にやれりゃ確実だが話ややこしくなるか…。
…仕方ねぇ…三人で囲みゃビビって帰んだろ…。
和樹が考えを実行に移すべく、女性には聞こえないよう、正面を見つめながら後ろ手でハンドサインを送る。
自分の後ろに座っていた三人が、その指示を見てようやく意識を覚醒させた。
さすがに揃って場数を踏んでいるだけはある。
理由は判らぬままだが、和樹が警戒を続けている以上、二人も平常時から一段ギアを上げた目付きに変わった。
達也は和樹を回り込んで左に、女性の右手に流れ、貞雄はその対角線に位置している。
女性は正面に依然として和樹を睨み、背後に出口がある格好だ。
「貴方たち…なんのつもり?まさか…アイツのケンゾクなの?」
しかし三人からの包囲を目にしても怯むことなく、やや呆れ気味にも聞こえる声音で、和樹を睨みながら問うた。
貞雄と達也は答えず、むろん本人らにも答えようがないのだが、信頼する仲間の指示という以上の理由はない。
ただ和樹も沈黙を保ち、目付きを更に険しくしていた。
…なんて言った…?…ケンゾク?眷族か?達者な日本語だが…仲間って言いたいのか…なんだ…イヤな感じだ…どうしてビビってねぇんだ…なんなんだ、この女は!!
目論見が外れ、和樹が苛つき始めている。
徐々に場の空気が張り詰めてきた。
女性は姿を見せた時から変わらず左手に細長いケースを握り締めたまま、スラリとした長身で棒立ちのままだが、油断なく周囲に気を配っていることが判る。
…コイツ…俺たちじゃねぇ…コイツは明らかに、この状況で、俺たち以外のナニカを警戒してやがる…
…舐めやがって…
和樹のギアが、更に一段と引き上げられていく。
達也は既に考えることは止めている。
和樹がやれと言うならやっていいんだろ…、号令を待つばかりの心持ちで身構えている。
貞雄はやや戸惑っている。
やれと言われればやれるだけの意思もあるし、和樹へも信頼を寄せている。
だがそれでも、普段と違う様子の和樹に戸惑っているのだ。
どうしたよ和樹…?らしくねぇ…この女のなにが気に入らねぇんだよ、そんなんじゃねぇだろお前はよ…、ここでこの女に突っ掛かる理由がねぇだろ!
なんとかこの場を収めることが出来ないかと思案を巡らせ始める。
ここで付け加えるならば、普段の三人は女性をからかうような軽薄な振る舞いを好まない。
しかし、信賞必罰の精神を以て、彼らの美意識にそぐわない不埒な女性に対しては容赦のない制裁を加えることはしばしばであった。
そして、張り詰めた空気が動いた。
…ガゴゴッ…
なにかを引き摺るような物音が下から響いてきた。
『…you、liar…』
うっすらと微笑む女性に対し、「チッ」と思わず和樹は毒づいてしまう。
しかし、既に意識はタカシを隠すことから、この何者とも知れぬ女の存在そのままが不愉快なまでに高まっている。
「私は奥にいるMr.サイトウに、大事な話があるのよ」
そう女性は切り出した。
そして、
「貴方たち…その格好、学生でしょう?怪我をする前に、お家に帰りなさい…坊やたち?」
女の言葉が目の前の男の、激発の引き金を引いた。
「俺がやるっ!!」
その場の空気を震わせ、和樹が強く一歩を踏み出した。
サダオ「……なんなのお前、ねぇ、どうしたの、バカなの?」
カズキ「ビックリするわ、ホントにAV?とか、吹きそうなったわ」
タツヤ「いやだって!ヤバくね!?なんなのあの姉ちゃん!?」
サダオ「お前がなんなんだよ。いいから落ち着けよドーテー」
カズキ「そうだぞ。初っ端から外人とか、無茶すんなよドーテー」
タツヤ「うっせー!!うっせーよバーカバーカ!!聞こえねー!」