祝福の星空
占いが必ずしも、当たるという保証はない。所詮、”占い”なのだ。
それでも乙女は想い、期待を抱く。その願いは、この星空へ届くのだろうか?
「希望、祈先輩は?」
花火大会が終わった直後、誓也と歩美は希望と合流した。
いや、合流したというよりは希望が2人を見つけたというべきか……。
「”兎に角私と一緒に行動しましょう”、なんて言われて、結局花火大会が終わるまで見張られていました」
目を細め、若干呆れ気味とも取れる表情と冷めた口調で、希望は歩美と誓也を見た。
その微妙な空気を何とかしたくて、誓也は言う。
「そうか。案外、君のこと気に入ったのかもしれないな、祈先輩」
それに便乗し、歩美も話を合わせる。
「そ、そうね……祈にしては珍しい…」
しかし、そんな誤魔化しは鋭い希望には通用しなかった。
溜め息を深く吐いた彼女は、呆れ顔を真顔に変えて、誓也と歩美に言う。
「なんか、凄くモヤモヤした感じ。付き合って1年、だっけ?ならもっとカップルらしくすればいいのに」
「……っ」
「希望?」
希望の言葉の意味を理解したのは、大きく目を見開いて俯いた歩美だけだった。
誓也には分からない。希望はそれさえも察した。
「なんですか?大体こういうお祭りとかは2人きりで来るべきだと思うの。周囲も2人に気を遣うし、それに彼女さん、あんたも誓也先輩と2人で来たかったんじゃないの?」
「希望!」
一方的に言葉で歩美に迫る希望に、誓也も黙ってはいなかった。
確かに彼女の言うことも一理ある。しかし、だからと言って歩美を傷つけることは違うと思った。
だが、はたと気づく。そもそも歩美がこんなふうに言われなくてはならなくなった原因は誰にある?
それに気付いた時には遅く、希望は次に誓也に言った。
「じゃあ、なんで彼女さんがこんなふうに私に言われなきゃならないのか。優しい先輩ならわかりますよね?」
希望に言われた言葉。
そして、元はといえば自身の浅はかな判断が招いた結果だと誓也は何も言えなくなった。
しかし、それを見ていられなくなり、目じりに涙を溜めていた歩美が突然希望に頭を下げる。
「ごめんなさい!!」
歩美は希望に謝罪し、頭を下げたまま涙を流した。
ぽろぽろ、ぽろぽろ……。溢れるそれを抑えることができなかった。
自分でもなぜ謝ったのか分からない。分からないけれど、それでも分かっていることがある。
(私も誓也くんも、流されやすいから……自分を主張できないから……)
だがら、もう無理なのかもしれない。
「歩美……」
いくら自分が想っていても、いくら自分が想われていても。付き合ってからも、何も変わらなかった。
希望がいうように、恋人らしくなんてなかった。
でも。それでもそれでいいから。いや、”それがいい”から。そうしてきたつもりなのに。
「ごめんね……誓也くん、お願いがあるの」
歩美はなおも俯いたままだった。
だが、次の瞬間にはグッと顔を上げて、隣にいる誓也の瞳を真っ直ぐ見つめながら……。
「一人で帰りたいの。帰らせてくれる?」
誓也くんは優しいから。どんなお願い事でも聞いてくれる。
誓也くんは優しいから。だからこそ、痛い。でも……。
「駄目だ」
歩美の瞳を見て、独りで返してはいけない。自分が変わらなくてはいけない。そう思った。
「駄目だ」
歩美の頼みごと、願い事なら、なんでも叶えてあげたい。
常にそう思って、自分が出来る範囲内でそうして行動してきた。
けれど、今回の願いだけは聞いてはいけない。聞き入れない。
驚いたらしい歩美は、溢れていた涙も止まり、目を丸くして茫然と誓也を見つめていた。
そうして数十秒の間、微動だにしなかった2人だったが……しばらくして誓也が動いた。
「希望、ありがとう。良く分かったよ……俺ら、もう帰るな!悪いが真心たちにも伝えておいてくれ」
そう言って、誓也は歩美の手を取り、小走りにその場から離れ、駅へと繋がる道へと去っていった。
歩美は何も言えず、流されるまま誓也の動きに従う。
(何?誓也くん……?)
何が何だか分からない。けれど歩美はその時、思った。
ただただ、誓也の手が温かく、嬉しい。
一方、取り残された希望は、しばらくの間その場に立ちすくみ、誓也と歩美が去って行った方角をじっと見つめていた。
「私のお蔭なんだから……ちゃんと恩は返しなさいよ?”沢中”先輩」
駅へと向かう2人。野岩神宮から離れた時には、小走りではなくゆっくりと歩いて向かっていた。
歩く道、海岸通りには花火大会を見終えた人々で賑わっている。
ただ、そこにはいつもとは違う空気が漂っているように歩美は感じた。
「……」
「……」
誓也が無言なのだ。希望の前から去り、ずっと手は繋いでいるが、言葉は一切発していない。
歩美は内心動揺していた。
無言が恐ろしく感じ、時々誓也の横顔を覗き見ているのだが、彼の表情は常に穏やかだ。
(怒っていないことは、分かるんだけど……)
いつもは見える誓也の心が、今は全く見えない。
いつもは手を繋ぐという行為が恥ずかしくて、それでも嬉しく感じるけれど、今は何も感じない。
“不安”。頭にその二文字だけが浮かんでいた。
頭がジンと熱くなり、次第に重く感じてきて、それに釣られるように目尻も熱くなってくる。
「誓也くん……」
気が付けば、彼の名を呼んでいた。
しかしその声はあまりにも小さかったのか、彼の耳には届いていないようだ。
そして、そのまま更に沈黙が続いた。
人で溢れている海岸通りのはずなのに周囲の騒音など最早、耳には入らない。
海も人も空も、全ての空間が自身の身体に馴染まなかった。
放心状態のまま、歩みを続けていると、繋いでいた手が自分を引っ張る感覚に襲われた。
ふと我に帰り振り向くと、引っ張っていたのは自分自身であることに歩美は気付く。
誓也が突然、足を止めたのだ。
相変わらず穏やかな表情で、振り向いた歩美を見つめている。
「……?」
手は繋がったまま。
しかし歩美は振り向いた際、手の力を抜いており、誓也が一方的に握りしめている状態だった。
誓也はずっと、そして優しく歩美を見つめている。
それなのに、誓也の手があまりに温かく、また彼の表情があまりにも穏やかなため、歩美はたまらなくなり目を逸らしてしまった。
だがその時、今まで固く閉ざしていた誓也の口から声が発せられる。
「歩美」
歩美が誓也から目を逸らした、まさにその時だった。誓也は優しく恋人の名を呼ぶ。
「歩美……駅よりもさ。もうしばらくここで、空を眺めていないか?」
「……」
声を発するのは、何となく億劫だったので歩美は静かに頷くことで同意した。
あれからどれくらいの時間が経っただろう。もうあたりに人気は感じられなかった。
涼やかな風の音と、海の波の音が自然と耳に入ってくる程だ。
空に月はない。今日は新月の夜だった。
しかし、月はないがそれさえも意識しなければ気付かぬほど星々が見事に踊っていた。
先ほどは花火に気を取られていて気付かなかったが、これほど綺麗な夜空があるのだと、2人は圧倒されながら眺めていた。
そんな中で、歩美は次第に穏やかな表情と心を取り戻しつつあった。
「綺麗……」
本人が気付いているかどうかは兎も角、ごく自然と言葉も紡がれた。
しかし、恋人はしっかりとその声を聞いている。
「そのさ、何と言うか今までごめん。凄く反省してる」
「あ……」
いきなり言われた言葉に歩美は驚いた。
そしてそれが、希望から言われた事柄なんだと気付いた時、歩美は耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
しかし、誓也の声がそれを許さなかった。
「希望の言葉が痛いくらいに突き刺さったというか、男の癖に情けないなとか、本当に色々……で、もうなんか、もっと男らしくしなきゃと思ったんだ」
誓也は今まで、歩美に恋人らしいことをしたことがないということに、今さらながらに気付いたのだ。
付き合う前と、その後のことを思い出していると、今まで通り普通の”世話の焼ける年下の幼馴染み”。
それしか自分にはなかったのだということ。
そしてそういう自分が、一番変わらなければならないのだということに。
確かに、そういったカップルはいるだろう。けれど、自分にはそれ以前に欠けているところがある。
恋人への態度、周囲の女性に対しての態度、そして自分への甘さ。
「それでさ、俺……勝手に決めたことがあるんだけど、聞いてくれるか?」
「……うん」
歩美はきっと、自分が何を言い出すのか怖かったのだと思う。
その証拠に、彼女は自分から目を逸らした。
(けど)
だけど、話さなければいけない。今後の自分のためにも、また彼女のためにも。
誓也は深呼吸を静かにすると、目を逸らしている歩美をそれでも真っ直ぐに見つめながら言った。
「結婚、するか?」
「……へ?」
あまりに衝撃的で、意外な言葉に歩美は不覚にも間の抜けた声を上げてしまう。
そして思わず目を見開いて、誓也の方へ向き直る。
そこには照れ臭そうな、けれどどこかいつも通りに笑う彼がいた。
誓也は歩美に構わず続ける。
「現実的な話しすると、まずは就職することからだな。講習真面目に受けて、簡単じゃないけど頑張るさ。親の同意も必要だけど、それは……多分心配ない」
「あ、あの……」
「しばらく仕事が落ち着いて、貯金して、最初はアパート暮らしか?」
「え、えーと……」
「あと、必ず必要なものがある」
それまで冗談交じりな声色だった誓也が、急にそれを真面目なものに変えて歩美に問った。
「歩美の許可。その……嫌だったら別に断ってくれても――」
しかし、歩美はその言葉の先は言わなくて良いとばかりに首を大きく横に振り、顔を歪ませて泣いた。
「…っ…うっ……ひっく……」
嗚咽が漏れ、あまりに情けない泣き顔なので歩美はそれを見られたくなく、誓也の胸に顔を埋めた。
「私も…っ…頑張る……っ!…頑張るよ……っ…」
良い花嫁さんになれるため。頑張る。
今よりもっと、料理の腕も上げて、ちゃんと家事をこなせる様になる。
そして、ずっと貴方にだけ尽くすんだ。