夏祭り
「てことで、素直。お前は行くか?今日の夏祭り」
「学校終わった後でしょう?放課後の気分ってことで…」
屋上で何となく一緒に昼食を取っていた誓也と素直の二人の会話は、今日の夏祭りの話題である。
夏祭りの初日には、この島の行事の一つとして、花火大会が催されることになっている。
この島の住人の大半が、この花火大会を見るためにお祭り初日に参加することが多い。
七月の一日から三日までの間で一番、祭りが賑わう日だ。
おまけに今年の一日は金曜日。星山神社は尋常じゃないほどの人口密度になりそうだ。
学校が終わり、水原姉妹と帰り道を歩いていると、浴衣を着た子どもがちらほらと見受けられた。
きっとこの子どもたちも夏祭りに行くのだろう。いや、子どもだからこそ…か。
祭りは六時から九時までの三時間程度で、花火大会は九時から十時までの一時間。
花火大会の見物は、この島の海岸沿いでする。
「今から楽しみ~!絶対クレープ食べよう」
子どもみたいに愛もはしゃいでいた。今年の十一月で十六歳になる。
「もう十六歳だろ。そろそろお祭りではしゃぐの、やめたらどうだ?」
「え~!?」
何で?と言いたげな愛の瞳は、相変わらず混じりけのない無垢なものである。
姉の歩美も同様であった。
「まあまあ、いいじゃない。それが愛ちゃんの魅力なんだから」
昔からやたらこの姉妹は仲がいい。仲が良すぎてたまに気持ち悪いと思うほどだ。
加えて高校生とは思えないほど無邪気なので、誓也も毒気を抜かれることが多い。
そんなこんなでお祭り気分に浮かれながら三人は、お祭りの準備をしに一旦家に帰った。
といっても、誓也は私服に着替え財布を持つだけで、水原姉妹の身支度を待つだけなのだが。
(そういえば結局、素直はどうするんだ?)
今日の昼休み、彼女に祭りに行くか行かないかを聞いたが、その時は“放課後の気分”とだけ言って、去っていった。
ふいに素直のことを思い出した誓也は、歩美と愛が迎えにくる時間まで少し余裕があることを確認すると、素直の住む向かい家を訪れた。
両親も気心知れた仲なので、無断で家に入ってももはや誰も気にしない。
そのまま二階の部屋に迎い、素直の部屋の前に立つと誓也はノックした。
「おい、素直。いるか~?」
『何?』
気だるそうな声が聞こえ、誓也はドアを開けた。
ベッドの上に寝転がり、月刊誌を読みながらお菓子を食べる素直の姿がある。
(こりゃあ、行く気ゼロだな…)
誓也はそう悟ると、“気が向いたら祭りに来いよ”と一言だけ言い残し、素直の部屋を後にした。
完全に誓也の足音が聞こえなくなった時、素直はすっと雑誌を閉じて呟いた。
「気が向いたら…ねぇ」
家のインターホンが鳴り、水原姉妹が迎えに来た。
『誓也くん!』
「はいはい」
玄関の前で外から呼ぶ声に返事をしながら、誓也は家を出て、水原姉妹と合流した。
そこには見知った二つの影もある。
「あれ?真心、祈先輩も来てたんですか?」
歩美と愛の他にも、真心と祈もそこにいた。
祈以外の三人は浴衣を着ており、綺麗に化粧をしたり、髪を結いあげたりしている。
歩美は紫陽花が舞う紺色の浴衣とグレーの帯で、長い髪は横に結ってあり、大人っぽい雰囲気を醸し出していた。
愛はハートと牡丹の花を舞わせた桜色の浴衣とベビーピンクの帯、髪には華やかな簪を挿している。
真心は赤い金魚と水色のしゃぼん玉を組み合わせたクリーム色の浴衣と、赤い帯にいつも通りのポニーテール。
どれも個性が滲み出ており、一人は優雅で、一人は愛らしく、一人は元気な雰囲気が漂う。
しかし、残念なことに一人だけ、浴衣を着ないで私服の方が約一名。
「祈先輩は浴衣じゃないんですか?」
祈先輩の浴衣姿も是非、拝見したかった、というのが俺の本音である。
なぜかって?そりゃあ、美人で…ほら、胸が……。
「見たかったですか?私の浴衣姿」
「そりゃあもう!」
祈先輩は俺がそういうと、無表情のまま“バカ”と言った。
そしてなぜか、なぜか真心と愛は拗ねたような顔をし、俺を置き去りに星山神社への道のりを歩きだしたのだ。
「なんだ?」
俺が心底、疑問に思うと、これまたいつもの如く歩美姉さんが苦笑し、たしなめるようなことを言う。
「こらこら、誓也くん。一人だけに話し掛けちゃあダメでしょう?みんなおめかししてるんだもの」
「まったくです…」
歩美と祈は、形は違うけれど、それぞれ呆れたように誓也を注意した。
何を注意されているか、鈍感なこの男は気付いていないようであるが。
「うわぁ~、誓也くん。ブドウ飴があるよ!」
すっかり機嫌な直った愛と真心、そして歩美と祈の四人の女性陣に囲まれ、誓也は祭りを満喫していた。
ここは星山神社。島で一、二を争う有名且つご利益があると呼ばれている神社である。
誓也の目当ては前年同様、焼きそばやタコ焼きなどの食べ物である。
取りあえず両親には、今夜の夕飯をパスしてきたから、心おきなく食べたいものにありつける。
愛と真心は女の子らしく、綿飴やクレープなどのスイーツに目が行き、高校三年生となった歩美や祈は誓也同様のものを食べていた。
「チョコバナナ~!」
「まだ食うのかお前、そんなに甘いもんばっかりだと太るぞ」
「いいの!私は細いから大丈夫っ」
そう言って愛は真心と一緒に、チョコバナナの屋台へと足を伸ばしていった。
「あ!祈、あそこに焼き鳥が売ってるよ」
「ホント、美味しそうね。行きましょう」
チョコバナナを追い掛けて行った二人の次に、歩美と祈は焼き鳥の屋台へ。
(俺の周りって食い意地張ったヤツばっかだな…)
くじ引きや金魚すくいなどの娯楽屋台などには目もくれず、食べ物食べ物と言って祭りを楽しむ女たち。
別にそれが悪いと言っているわけではないが、可愛げというものがあるかと聞かれたら。
(そういえば素直の分も何か買ってってやろうか…)
そしてもう一人、食い意地の張った女がいるのを誓也は思い出した。
確か素直は去年、焼きそばとフランクフルトを食べていたような気がする。
誓也は近くにフランクフルトの屋台があるのを思い出し、その屋台へと向かおうとした。
「あれ?誓也くん、何処行くの」
すると、チョコバナナを持った愛と真心がこちらへ戻ってきた。
「ああ、ちょっとフランクフルトを買いにな」
歩美と祈はまだ焼鳥屋の前にいる。愛と真心にその二人と一緒に待っててくれと、断りを入れると誓也はフランクフルトの屋台へ向かった。
「すみません。フランクフルト一つ」
そう言って、屋台の店番の男に注文すると、誓也の隣から聞きなれた声がした。
「あれ?誓也、歩美姉さんたちは?」
素直であった。私服姿の素直が自分と同じ屋台の前にいたのだ。
突然の彼女の登場に驚いた誓也は、一瞬目を丸くして凝視した。
「お前、来てたのか」
「うん。やっぱ色々食べたくなってね」
そう言って素直は屋台の男に自分も注文していたフランクフルトを貰い受け、美味しそうに頬張った。
「なんだ…じゃあ買う意味ないじゃないか」
フランクフルトを虚しそうに受け取った誓也の胸中を察することなく、素直は隣で満足げにそれをたいらげていく。
「お前も一緒に来るか?姉さんや愛も向こうに居るぞ」
無駄になったフランクフルトはさておき、誓也は四人のいる方角を指差して素直を誘った。
しかし当然、ついて来るかと思った素直の答えは意外なものだった。
「ううん。私、もう帰る」
「え?」
すると素直は、誓也に背を向けて神社の入り口の方へと歩き出した。
そしてもう一度、誓也の方を振り返ると、無表情で彼女は言った。
「人も多いし、花火大会にも興味ないから」
先ほど、一緒にいる四人の女性陣を“花より団子”と例えたが、それを遥かに超える女がいると、誓也はこの時、思い知ったのである。
一通り夏祭りを満喫した後、ラストを飾るのは花火大会である。
時刻は午後九時。星山神社付近の海岸沿いに集った人たちを誘うように、始まりの一発目が夏の空を彩った。
「綺麗…」
「ええ」
「たまや~」
さっきまでの“花より団子”という彼女たちの評価、撤回しよう。
俺は花火に見惚れる四人の女性陣を見て、そして自分の好物をたいらげた後、そそくさと自分の家に帰っていった素直の姿を思い出し、そう思った。
いや、まったく可愛げのある娘たちではないか。
いつもは口煩い祈先輩も真心も、この天然姉妹も本当に可愛い女の子だ。
(素直もこれくらい可愛げがあればな…)
ん?何で可愛げがあればいいんだ?
可愛げがあったら何だというのだろう。別になんでもないじゃないか。
素直に可愛さがあったら、それはそれでちょっと気持ち悪い気がしなくもない。
花よりも一瞬しか咲かない花火を見つめながら、誓也は今年の夏も平和だな…と、呟いた。
花火大会が始まって二十分程度が経った時、人が多くなってきたと思った誓也は、そこから抜け出したく、歩美たちに帰宅する旨を伝え、海岸沿いを後にした。
星山神社から誓也の自宅は、そんなに遠くない。徒歩でせいぜい十五、六分といったところであろう。
帰路は花火大会の影響か、開催時刻である今はやけに空いていた。
静まり返った帰り道、それはまるでこの世にたった独りしかいないのではないだろうかと錯覚するほどの静けさだった。
しかし、その錯覚もどこからともなく聞こえてきた歌声により、消えた。
澄んだ声である。聞き覚えのあるその歌は、この島の民謡だった。
――蒼い流星の 光の粒には きっと住人の 願いがかけられている
この島を幸せに満たすほどの 不思議な力が その願いにある――
その歌声に吸い寄せられるように、誓也は小走りに家へ向かった。
この歌を歌っている彼女に、無性に会いたくなったのだ。
誰だかは分かる。しかしその彼女の歌声は滅多に聞けないものだ。
彼女は人前で歌わないから。
「素直…っ!」
誓也の家の前…いや、その向かいの家の前に、その女性は立っていた。
無性に会いたくなった幼馴染、素直。
「誓也?…花火大会、終わったの?」
「ああ…途中で帰ってきた」
その言葉を聞くと、素直はふわり笑って言った。
「人が多かったから?」
「…ああ」
花火大会の夜、七月一日。本格的に夏が始まる。
思えばこの歌声は、季節を夏へと彩る、合図だったのではないだろうか。