想い~B version.
「あ、あの…誓也くん、今…」
何て言ったの?
聞き間違えではない。確かに誓也は今、歩美を好きだと言った。
けれど、それをもう一度、本当に起こったことなのか、歩美は誓也に問い返したかった。
歩美は恥ずかしげに俯きながら、視線だけを誓也に向ける。
さっきまであった眠気は、誓也の言葉ですっかり吹き飛んでしまった。
誓也も、そんな歩美に再度、自分の気持ちを打ち明ける。
「はあ…”姉さんのことが好きだよ。だからこれからは、俺の前では無理はしてほしくない”って…そう言ったんだ」
俯いていた歩美が、すっと顔を上げた。大分驚いたためか、表情は茫然としている。
だが、歩美にはその言葉のもっと深い部分を知りたいと思った。
「え、えーっと…その…――」
その”好き”っていう意味は、友人として?それとも、一人の女の子として…?
そう聞きたいけれど、もし自分の期待している返事と違ったらどうしよう…。
けれどもし、私の期待していた答えだったとしたら私は彼に、何て返事をするべきなのだろう…。
歩美が勇気を出して、誓也の言葉の本当の意味を聞こうとすると、誓也はそれより前に声を発した。
「言っておくけど、その…今言ったことは、異性としてだから」
「……っ!」
誓也が、改めて歩美に自身の心をさらけ出した時、歩美は胸の中が、ぽうっと暖かくなるのを感じた。
ずっと好きだった人から、告白されたのだから。
胸から広がった暖かいものは、次第に彼女の身体全体を包み込んだ。
しかし、嬉しすぎて、突然過ぎて、声が出ない。身体も動かない。
けれど、誓也は歩美とは対照的に冷静だった。
「姉さん…」
想いと言葉というものは不思議なことに、一度出てしまったら、とことん溢れてしまうものである。
誓也は歩美を抱きしめたくて、彼女の肩に自分の両手を持ってくる。
先ほどの告白が、自分でも急すぎたため、もう一度言いなおそうとしての行動だった。
歩美の瞳をしっかりと見つめると、彼女も誓也の瞳をしっかりと見つめてきた。
もう一度。そう思って声を出そうとした瞬間である。
「…あ…」
リビングのドアから開く音がした。それと同時に小さな声が聞こえた。素直である。
熱が引き、一階へやってきたのだった。
しかし、何も知らない彼女から見ると、明らかにキスでもしだしそうな体勢に見える。
誤解するのは無理もない。というか、むしろそれが自然。
数秒間、素直は誓也と歩美を、また誓也と歩美は素直を見て、ぴたりと動かなかった。
だが、素直は空気をすぐに察すると、大きな声とともに、勢いよくドアを閉め、退散していった。
「ご、ごゆっくり!」
素直の心臓の鼓動は、今までにないほど早く動いていた。
「はあ…びっくりしたぁ…」
空気を読んで慌てて退散したはいいが、まだドアを閉めただけで、実際にはその前に立っている。
興味があるから、盗み聞きしたいとも思ったが、幼い頃から一緒にいる二人の話を、こっそり聞くなんて真似もしたくない。
だから、二階へ戻ろうとした。しかし。
(あ…風邪薬…どうしよ…)
素直は本来の目的を思い出し、そこに頭を抱え、蹲った。
リビングの向こう。気を取り直して誓也の言葉を待っている歩美と、すっかり脱力してしまった誓也。
誓也は体勢こそ崩してはいないものの、がっくりと項垂れている。
そんな彼に、歩美は楽しくなってくすくすと笑い、緊張が取れたことで、今度は自分から誓也へ想いを伝えようとする。
「あ、あの…私も――…」
“好き”。そう言い掛けたその時だ。歩美の脳裏に二つの影がちらついた。
(愛ちゃんは…?真心ちゃんも…)
そうだ。二人も、自分と同じく、誓也のことを想っている。
では、自分が誓也ともし想いを通わせたなら。その二人は、どんな思いをするのだろう。
自分がもし、誓也が他の女性を好いていたなら、自分はどう思うだろう。
…ならば、この想いは実らせるべきではない。
好きだけど、好きだからこそ。そう思うと、先ほどまで暖かかった胸の熱が急に冷めた。
「あ、あのぅ~…お取り込み中、申し訳ないんですけど~……ん?…」
まだ熱が完全に下がらなく、加えて喉の痛みや頭痛もある。
取り込み中の二人には大変申し訳ないという気持ちはあったが、素直は風邪薬を取りに再びドアをそっと開けた。
そこで、彼女の目に最初に飛び込んできたのは、歩美の涙だった。
彼女は止めどなく涙を流しながら、誓也を見つめている。
誓也はただただ焦燥し、何もできないまま立ち尽くしていた。
「どうしたの?姉さん…?」
素直も歩美の涙に驚きを隠せず、恐る恐ると彼女に話しかける。だが、その答えは返って来ない。
「誓也、くん…」
涙声になりながら、ぎゅっと目を閉じ、歩美は次の言葉と共に駆け足でリビングを、小野家を後にした。
「――…ごめんなさい…っ…!」
「あっ、歩美姉さん!」
素直の声も彼女に届く暇はなかった。
歩美は自宅へ帰った。誓也の顔を見るのが辛かったから。
あれほど、好きな人の顔を見るのが辛いと感じたことは今までなかった。
祈たちが寝泊まりしているリビングに戻ろうと思ったが、足ががくがくと震え、リビングに辿り着く前に立てなくなっていた。
「…ふっ…ぇ…うぅ…」
歩美は膝を付き、家の廊下に蹲りながら、次から次へと溢れてくる涙を流し続ける。
そんな彼女の耳に、足音が聞こえてきた。こんな時間に、誰か起きていたのだろうか。
「歩美…?」
暗いリビングからドアを開けて覗き見えた顔は、親友の祈だった。
「――…い、のり…っ…」
歩美の声は嗚咽まじりのため震えていた。
これには祈も動揺し、歩美の肩を叩いて心配そうな瞳を彼女に向けた。
「どうしたの?…まさか、沢中君と何か…?」
祈が歩美の涙を見て、最初に思ったのは彼女が今まで小野家にいたことだ。
そこには熱を出したという素直の看病をしている誓也がいるはずだ。
歩美がこんなにも、自分を抑え込まずに泣くということは、原因はおそらく…と思ったのだった。
「兎に角、落ち着いて」
かなり涙を流しているせいか、目も腫れている歩美を祈はそっと背中をさすった。
そして愛と真心が眠っているリビングへはいかず、歩美の部屋へと向かう。
歩美の様子が落ち着くまで、祈はずっと黙っていた。歩美が冷静に話せるまでそっとしておいたのだ。
少し落ち着いてきて、涙も嗚咽も半ば止んで来た頃。
歩美は先ほど受けた誓也の告白のことを祈に話した。そして、歩美自身が思ったことも。
「…それであんた、断っちゃったの?」
「…だ、だって…愛ちゃんだって、真心ちゃんだって…誓也くんのこと――」
「お人好しね」
祈の声色は低かった。今言った言葉は、決して彼女を傷つけるためのものではない。
歩美の流す涙は、彼女がこれから重ねていこうとしている心の傷そのものだ。
親友である祈は、歩美のそんな姿を望むはずはない。何より納得がいかない。
おそらくそう思っているのは、誓也も歩美も同じだ。
「あんた自身も、沢名君だって、納得しないじゃない。そんなの…」
「でも…」
「二人とも…ちゃんと話せば分かってくれると思うけど…」
歩美が何かを言う出す前に、祈は彼女の言葉を遮って言う。
目の前にいる親友が、実は頑固だということを知っているからだ。
だが、それでも歩美の心は中々、動かなかった。
「……それでも、やっぱり…」
愛と真心がもし、このことを知ったら。もしそれが自分だったら、自分はきっと悲しくなる。
だから、ダメなんだと思う。そう考えると、また悲しくなってきて涙が出てきた。
「お姉ちゃん…?」
そんな中、追いうちを掛けるように彼女の部屋に入ってきた二つの影がある。
「愛ちゃん、真心ちゃん…」
一方、小野家にいる誓也は、歩美がいなくなってから、ずっと茫然と立ち尽くしていた。
素直が隣に居ることも忘れて。
「逃げてっちゃったよ?追わないの?」
茫然と歩美のことを考えていると、不意打ちのように素直から問われた。
“追う”?さっき見てたじゃないか。俺は振られたんだ。
「…振られたからな。仕方ない」
「”仕方ない”って顔してないけど…」
その言葉に心臓に無数の矢が突き刺さったような、痛い気持ちになった。
そうだ。自分はこのことに、まだ納得していない。けれど、今さら追えるか…?
歩美に次に会うときは、きっと気まず空気になるだろう。会う勇気が持てない。
「辛気臭…」
横目でちらちらと誓也を見ていた素直が、吐き捨てるような一言を誓也に突き付けた。
そしてこうとも言う。
「呆れてものも言えない。姉さんもあの様子じゃ納得なんてしていないと思うし、誓也の姉さんへの想いはそんなもんじゃないでしょ?」
正直、誓也はこの素直の言葉を聞いて驚いた。
いや、正確に言えば、素直がここまで自分の心を見透かしていたのかということに驚いていた。
「素直…」
歩美への想いは、自分のなかにしっかりとしまい、鍵を掛けていたというのに。
そして素直に今、言われた言葉は、全く持ってその通りなのだ。
歩美への想いは、簡単に消せるほど薄いものでもなければ、小さいものでもない。
「追い掛けた方がいいんじゃない?姉さん、鬼ごっこと隠れんぼは大の得意だし…」
そうだ。昔から、あの人はその二つの遊びが得意だった。
特に”かくれんぼ”は。けれど、必ず見つける自信も、誓也にはある。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、決意を固めた誓也は小野家を静かに出ていった。
向かう先は、彼女がいる水原家だ。
残された素直の表情は、真面目なものだったが、どこか哀愁を漂わせていた。
「はあ…これでいいんだよね…」
独り言を呟くと、素直は外を見つめ、夜明けの近い夏の空を仰いだ。
「へぇ~、そうだったんだー!」
「え?えーっと…愛ちゃん…?」
結局、只ならぬ歩美の様子に動揺した愛と真心に、本当のことを打ち明けることとなってしまった。
一体どんな反応が返ってくるかと思ったら、愛は相変わらずの無邪気な表情で、真心は少し驚いた様子ではあったが、それでも次には柔らかく微笑んでくれていた。
「いいなぁ~お姉ちゃん!誓也くんに告白されるなんて!」
少しホッとしたのもつかの間、その愛の一言。やはり愛はそう思っているのか。
真心もひょっとしたら、その笑みは気遣いからのものなのだろうか…。
しかし、愛は心底笑みを絶やさない。そして、笑顔のままで歩美へ自身の気持ちを伝えた。
「ねえ、お姉ちゃん…私、嫉妬なんてしてないよ?そりゃあ、ちょっと寂しいけど。私は誓也くんよりも、ずっとお姉ちゃんのこと好きだから!」
「……っ!」
初めて見た気がする、愛の寛大さ。歩美の不安な気持ちも、見ていないようで見ている的確な言葉。
…誓也への想いと、姉への想い。
そして、次に言った愛の言葉は、普段の彼女からは想像もつかない程、大人びたものだった。
「お姉ちゃん、私にも自分にも気兼ねしないで?誓也くんの気持ちに答えてあげようよ」
まさか、愛がそんなことを言うなんて、思いもよらなかった。
思えば今まで、愛はずっと自分よりも周囲の人間よりも幼く見ていた気がする。そんな愛が。
「…愛ちゃん…っ…」
妹の気持ちに、感謝が込み上げてくる。気付けば歩美は、また涙を流してしまっていた。
こんなに、妹の心配りに感謝したことは今までなかった。
「そうですよ」
歩美の涙や、愛の気持ちに釣られて、真心もまた自身の想いを打ち明ける。
「私も、別にアイツのことなんて…そりゃ、ちょっとは気になる存在だったけど。でもそれは、アイツの心が決めたことだから」
真心は、以前から何となく誓也が歩美に好意を抱いているのではないかと薄々感づいていた。
そのため誓也に直接、その心の内を探ろうとしたこともあった。
しかし、その時は軽くあしらわれたのだと、今になって理解した。
歩美のことが好き。それが、実は本当だった。ただそれだけのこと。
「…ほら、もう泣かないの。二人とも解ってくれたんだから、ね?」
今まで、三人の会話を見守っていた祈が歩美の背中をぽんと叩いて激励する。
「沢中君のところ、行ってあげて?」
笑顔で歩美を見送ろうと、祈は彼女の背中を押した。
しかし、意外なことに歩美は首を横に振る。だが、表情は明るいものだった。
それは、今までの想いを本当に誓也へ向けていいのだろうかという、賭けがあるからだ。
「…最後に、確かめたいことがあって…だから私、待ってる」
そう。今度は、彼から自分を迎えに来てほしい。
だから今回は、幼いあの頃のように、誓也が歩美を見つける番なのだ。
もう陽が昇ろうとしている。しかし、まだ空は薄暗い。
(落ち着け…よくよく考えてみれば、こんな時間にインターホン押すのは常識的に…)
考えられない。わずかにあった冷静さが誓也の頭にふっとそんなことを思わせる。
水原家の玄関の前で、誓也がしばらく頭を悩ませていると、二階の窓から覗く顔が見えた。
祈だ。祈が水原家の二階、実質歩美の部屋の窓から顔を覗かせている。
誓也と目が合うと、祈は強気な笑みを浮かべた。
「歩美なら家には居ませんよ?」
その言いようは、誓也の胸中をすべて見抜いているということが解る。
しかし、誓也は祈の言葉に不安を覚えた。
「えっ!?ど、どこに…」
歩美が家にいない、ということに狼狽した誓也。
祈はそんな誓也を今度は真剣な瞳を向けて、言い放った。
「自分で探しなさい。…歩美のことが好きなら、解るはずですよ?」
この時、誓也はあることを思い出した。小さい頃、彼女とよく遊んだかくれんぼのことを。
きっと自分は、試されているのだろうと感じながら。
「探しに行ってきます」
きっと、すぐに見つかる。きっと、あの場所に居る。
かくれんぼでは、隠れていたことはないけれど。”今”の歩美ならば、おそらく”あの場所”に行くはずだ。
この島で、空が一番綺麗に見える場所だと言われている。
「姉さん…」
愛しい女性の姿を、そこで見つけた。
背を向けている彼女は、その姿勢のまま独り言のように呟く。
「結局どこに隠れても、誓也くんは私を見つけてくれたよね…」
空に太陽が昇り始めたその時、誓也の視界はその日差しと彼女の姿に支配された。
ゆっくりと自分の方に振り向いてくれた彼女は、泣いて、笑っている。
「聞いて欲しいことがあるの…」
そう言って、歩美は真っ直ぐと誓也を見つめた。
そして、ありったけの想いを込めて、自分の気持ちを解き放った。
「――あなたのことが大好きです。私を、誓也くんの彼女さんにしてくれませんか?」
幼い頃からの、その気持ちに誓也も答える。
「俺も、歩美姉さんのことが、好きだ」
歩美は誓也の告白に涙を拭うと、彼に歩み寄り手を取った。
「もう、帰ろう?すっかり朝になっちゃった…」
「…うん」
二人、手を繋いで。新しい朝を迎えよう。
B version.水原歩美END Fin.