お泊り会の夜~B version.
ずっと前から、“君”のことが好きでした。
なんて、今さら言えることじゃない。第一都合が良すぎるだろう。でも…。
この気持ちを、ずっと大切にしまっておけるほど、俺は大人じゃなかったんだ。
おそらく、俺よりも彼女の方がずっと大人で、頼もしいんだろうな。
でも、こんな頼りない俺でも、つい彼女の名を呼んでしまうんだ。
「……――――」
夏休みもいよいよ、終わりが近づいてきた。
後に残るのは、やはり宿題。
現代文に数学、科学に政治・経済と、まあこれはいいとして。
問題は…読書感想文だ。一体、何を読めというのだ。
毎回長期休業となると、必ず出されるのが読書感想文であり、読む本は発表されたテーマに沿ったものでなければならないときた。
今回のテーマは、「夏」「人間関係」「戦争」「思い出」――の四つだ。
(やっぱ、今回も歩美姉さんに…)
長期休業の終わりが近付くに従い、毎回のように歩美に頼ろうとする自分を、誓也は我ながら情けないと思っていた。
“今回は自分一人で!”と誓いを立てるも、最終的にはこうなるである。
「自分でやる、か…」
思い溜め息を吐いた誓也は、机に向き合い、必死に四百字詰めの原稿用紙二枚と睨み合う。
感想文は八百字程度。これくらいならば、多少成績の悪い奴でも何とか書けるレベルの字数だ。
しかし、元々読書というものがあまり得意ではない誓也にとって、これは他の宿題よりも難解なものである。
「くそっ…!“夏”、“人間関係”、“戦争”、“思い出”…どれにすればいい…!」
誓也の場合は、まずそこからであった。
読書をする気も起きなければ、テーマさえも決められない。
しかし、ここで負けてはまた歩美に迷惑を掛けてしまうだけだと、誓也は血走った目で必死に感想文のことを考えた。
すると、眉間に皺を寄せながら自分自身と格闘していた誓也の耳に、携帯のコールが聞こえてきた。
携帯を開き見てみると、そこには“水原愛”と画面に表示されている。
時刻は既に十一時半。“良い子”はお眠りの時間である。
「もしもし?」
『あっ!誓也くん!?大変だよ!一大事だよっ!』
こっちの方も一大事なんだが、と誓也は胸中呟いたが、愛の方もただならぬほどの一大事だそうだ。
「どうした?」
どうせ愛のことだ、声色からして大したことではないだろう。
軽い気持ちで聞き返すと、愛はしばらく黙りこくりやがておずおずと口を開いた。
『あのね…宿題がまだ終わってないの!』
なるほど、それはかなり重大なことだ。
しかし、誓也の方も愛と同じく、宿題にはほとんど手を付けていない。
読書感想文も宿題に含まれていることもあり、なかなか手を付ける気にはなれないのだ。
「それは俺も同じだ」
愛の状況に同感すると、電話越しの彼女がほっと息を吐いたのが分かった。
きっと自分と同じ状況に陥っている人がいると思うと、安心したのだろう。
愛の焦燥は、マイペースな彼女にとってはいいことかもしれないが、実際に夏休みの宿題に追われているのは、誓也と愛だけではないはずだ。
真心あたりも、頭を抱えているに違いない。素直は…終わらせていそうな気が何となくする。
幼馴染である素直は、普段こそ面倒くさそうではあるが、やることは結局早めに終わらせているのだ。
優等生である歩美と祈は、とうの昔に終わっているだろう。
『お姉ちゃん凄いんだよ!もう宿題終わってるんだって……――そうだっ!』
誓也が思っていたとおり、歩美は宿題を終わらせていた。
そのことを思い出したように言った愛は、あることを思いついたようである。
『お泊り会!お泊り会しようよ!誓也くん』
「ああ?お泊り会?」
これまた、幼稚な愛が思いつきそうな提案だ。
外泊を“お泊り会”と呼ぶあたり、愛の“それ”を物語っている。
つまり、愛の妙案はこうだった。
水原家に祈、真心、素直、そして誓也の四人を招いて、宿題を終わらせるがてら、お泊り会をしようというのだ。
しかし、それはいいとしても、一つの問題が生じる。
六人中五人が女子であることだ。明らかに異性である誓也は居づらい。
それを考えていない愛は、何とも平和で純情な心を持っているのだろうと、感心せざるを得ない。
『そうしようよ、誓也くん!』
そんな無邪気な愛の声色に、誓也はこうも考えた。
逆に安全だろう、と。ここで下手に男子、そう、例えば優輝を呼ぶことにより、祈や真心が不快な思いをすることだってあるかもしれない。
それを考えれば、誓也一人の方が断然マシな気がした。
「そうだな」
愛の“甘え”に弱いこともあり、誓也は“お泊り会”に行くことを決めた。
「お泊り会?」
「そう、お前も来るだろ?水原家…って、宿題終わってんのか?」
外泊は突如、明後日に決まった。
理由は無論、夏休みがあと数日しかないことと、水原家の都合がつく日を考えてのことだ。
さっそく誓也は、向かいの家に住む素直の部屋へ行き、直接彼女を誘いに来たわけだが。
素直が宿題を終わらせているのであれば、誘ったところで無意味だ…ということに、誓也は彼女を誘ってから初めて気付いた。
「まあ、大部分は終わらせたよ。あんたと違って、私は利口に生きてるから」
こういうことを言われたら、普通は頭にくるところだが、幼馴染である彼女に最早なにを言われようと、苛立つことなどほとんどない。
「そうか…じゃあ俺はまた、歩美姉さんに教えてもらいにいくとするよ」
素直の言葉を聞き流すと、誓也はそう言って自分の家に戻ろうとし、すっくと立ち上がる。
しかし、素直の部屋を出る前に彼女の口から意外な一言が飛び出してきた。
「行かないとは、言ってないけど」
「は?」
誓也は聞き間違いかと思い素直の方へ振り向いた。
しかし、それは幻聴ではなく、紛れもなく彼女の口から発せられていた。
「行くよ。お泊り会」
翌日。ついに宿題を終わらせるチャンスの日が到来した。
また歩美に手取り足とり丁寧に教わることになりそうだが、いつも世話になってばかりいるのが、相変わらず誓也の心を引きずった。
誓也は昨夜、宿題の問題を解くことよりも、どうやって歩美に日頃の恩返しをしようか悩んでいたのだ。
夕飯を済ませ、誓也は素直の家に彼女を迎えに行った。
家族同然のように家に入り、素直の部屋の前に立ち、エチケットとしてノックをする。
「はぁ~い…」
すると、ドアの向こうから喉が枯れたような声の、素直の返事が聞こえた。
不審に思い、ゆっくりドアを開けると。
「おい…どうしたんだ?」
そこには、ベッドの上で息苦しそうに寝入る素直がいた。
見て分かる通り、夏風邪である。
「ごめん…私、今日の泊まりはパス」
それは当然だ。よくよく見れば、素直の顔は真っ赤だ。
泊りの断りを入れる気力もないほどに、彼女は辛かったのだ。
「熱計ったのか?親はどうした?」
「熱も計ってないし、親は今日から二人で旅行…」
そう言えば、誓也たちが夏休みの間に、素直の両親は本州の方へ旅行をしにいくという話を聞いたような気がする。
よりにもよって今日がその出発日だったとは。
「何か食べるか?…取りあえず、体温計持ってくる」
こんな状態の素直を残して、のうのうと泊りなどいけるはずもない。
誓也は小野家のありとあらゆるところを知り尽くしている。体温計は確かリビングにあったはずだ。
その後は適当にお粥でも作ろう。
「誓也…あんた、宿題どうすんの…?」
顔が真っ赤なところをみると、かなりの高熱であろう素直は、この期に及んでそんなことを言い出した。
確かに宿題のことは気がかりであるが、病人を放っておくことは誓也の良心が許せなかった。
「それどころじゃないだろ?いいから病人は大人しく寝てろ」
そういうと誓也は、小野宅のリビングから体温計を持ってきた。
上体すら満足に起こせない素直を、誓也は気遣いゆっくりとそれを手伝う。
体温計が音を鳴らし、計り終えたその結果は41℃。
「ひどい熱だな…」
しかし、昨日まであんなに元気だった彼女が、なぜいきなりこんな風邪を?
まさか。
「お前、いっつも寝る時どんな格好で寝てた?」
風邪の原因はおそらくそれにある。
だが、素直の息は先ほどよりも乱れてきたようであり、これは余計な話はすべきではないと、誓也は彼女をそっと寝かせた。
(仕方ない…兎に角、歩美姉さんに…)
そう思い、携帯を持った瞬間、タイミング良く誓也の携帯に歩美からコールが来た。
さすが姉さん、と思い、誓也はコールに出た。
『誓也くん?どうしたの、そろそろみんなでお勉強始めるわよ?』
電話をくれたのは、歩美は少し心配そうな声色をしていた。また余計な心配をさせてしまった。
誓也は素直の部屋からそっと出ると、小声で歩美に素直の状況を話した。
『えぇっ!?素直ちゃん、大丈夫なの?』
歩美は心配そうにそういうと、今から小野家を伺おうかと言い出した。
しかし、それでは勉強会は進まないし、きっと歩美のことだから素直と誓也、両方の面倒をみるだろう。
片や宿題の面倒、片や病人の面倒。そんな歩美の姿を想像してしまって、更に申し訳ない気持ちになる。
「ありがとう、歩美姉さん。でもあんま心配しないで。勉強会に集中して大丈夫だから」
あまり歩美に心配を掛けないように、わざと明るい声を作り誓也は電話を切った。
「うっ…うぅ…」
お粥を作り終え、素直の部屋に戻り彼女の覚醒を待つこと数十分。
ようやく気を取り戻した素直は、真っ赤な顔をしながら、弱弱しく目を開いた。
「お粥作ったぞ。梅干しのやつ…まずは水でも飲むか?」
半覚醒状態の素直は、顔を頷かせると誓也の腕の力を借り上体を起こした。
コップの水を本人に持たせ、水が素直の喉を通ったのを確認すると、誓也はお粥をレンゲに少し乗せると、彼女の口元までそれを持っていった。
素直はお粥を口にすると、美味しいと言い二、三口だけ食べると、上体をまた寝かせた。
「もういいのか?」
「美味しいけど…ごめん。今は食べられない」
それっきり、また素直は眠りについた。
滅多に風邪など引かない素直が、よりによってこんな高熱を出すなんて。
(参ったな…)
このまま彼女を放っておくわけにもいかないが、宿題がまだ残っている。
水原家へ伺うはずだったが、これではそういうわけにもいかないだろう。
(それに、また姉さんに余計な心配掛けてるよな…)
さっきああ言って、歩美に心配を掛けないようにしたが、きっと彼女は心配しているだろう。
そんなに心配しなくていい、と思うくらいに。
「はあ…情けないよな、俺…」
毎回、好きな人に迷惑ばかり掛けるなんて。