想い~A version.
どうやら、聞かれてしまっていたらしい。歩美と自分の会話を。
一番、聞かれたくない相手…というより本人に。
「どうして?…なんで、私なの?」
素直は、今の歩美と誓也の会話を聞いてしまっていた。
聞きたくはなかった。というのも、一つの理由がある。
私、歩美姉さんを応援しよう…って、そう決めていたのに。
なぜか部屋の空気が重く感じる。
それは素直の表情が暗い所為なのか、それとも誓也の動揺のためなのか。
ずっと心の底に秘めていた想い。それはこれからもずっと、秘めていくはずだったもの。
でも、それももう終わった。
「…なんでって…仕方ないだろう」
自分でも解らない。多分、これから先も解ることはないだろう。
気付いたら、そうなっていたんだから。
誓也はこんな状況で、告白をする決意をする羽目になるとは思っていなかった。
それどころか、告白というそのものをする時がやってくるとも思ってはいなかった。
しかし聞かれてしまったからには、彼女に全ての想いを伝えるべきだろう。
「素直、好きだ…本当に、今さらだけど…好きだ」
至って普通の告白。下手な言い回しもなければ、前触れもないストレートな告白。
その告白には長い年月、溜め込んできた誓也の正直で真っ直ぐな想いだった。
そんな誓也の言葉に、素直は一瞬身を震わせ、顔を俯かせる。
しばらく二人はそうしていると、素直は解放するように長い溜息を吐いた。
この溜め息を吐く間、素直は色々なことを考えていたのだ。
真心がなぜ、誓也によくちょっかいを掛けているのか。
愛がなぜ、誓也をあんなにも慕って、甘えているのか。
…歩美がなぜ、誓也に世話を焼くのか。
彼女たちの気持ちをよく理解しているにも関わらず、自分は彼への想いに蓋を閉じはしなかった。
ごめんなさい、真心、愛、祈先輩、そして歩美姉さん。私は。
素直は自身の上体を支えてくれていた誓也の胸に、顔を埋めた。
「私も…好き」
嬉しいはずだが、胸が痛い。胸が痛いのに、それよりも嬉しさのほうが勝っている。
みんなが誓也のことを想っていることを、素直は知っていた。
そしてその中でも、おそらくその気持ちが一番長いであろう歩美のことを応援したいと思っていた。
自分には、誓也とは釣り合いが取れていないと思っていたから。
それがどうして、人の心に敏感な自分は好きな人の気持ちが解らなかったんだろう。
その答えは簡単だ。彼は、自分の気持ちを押し殺すのが得意だから。
自分よりも、常に相手の気持ちを考える人間だからだ。
埋めた誓也の胸の中。彼も熱を出している自分のように、体温が高くなっている。
喜んでくれているのだろうか。緊張しているのだろうか。
しかし、誓也の表情を伺うことが出来るほどの余裕もなく、素直はただ彼の胸の中。
すると、誓也は恐る恐る、ゆっくりと素直の背に腕を回し、彼女を抱きしめた。
誓也自身、分かるほどに顔を真っ赤にして。
風邪を引いているうちは、残念だがお風呂に入ることができない。
だから全身の汗はタオルで拭き取るしかない。
「ちゃんと全体を拭いてね?」
「あ、ああ…」
素直は自分では拭えない背中を、誓也に拭き取ってもらうよう頼んだ。
先ほどの告白に“Yes”と返事を返した素直と、告白した誓也は今や恋人同士。
しかし誓也の手は汗ばんでいる。
素直の背中を見ると、何度か見たことのあるはずの身体が、なぜか初めて見るような気がしてならない。
そっと震える手を素直の背中にタオル越しに置くと、彼女ではなく自分の身体がぴくりとした。
誓也のおどおどした様子を除き見ていた素直は、思わずそれに噴き出してしまう。
「なっ!何だよ…?」
自分の緊張を見抜かれた照れ隠しに、強い口調で素直に聞いたが、彼女は黙ったまま肩をふるふるさせている。
そして、タオルを通して伝わる素直の体温と白い肌に恥ずかしさが増していく。
(何度も見てる、はずなのにな…)
そういえば、告白が頭を支配していて半ば飛んでいたが、彼女の熱は大分引いたようだ。
明日には、元気にお粥を食べられるようになっているだろう。
(頑張れ…素直)
たかが風邪、されど風邪。こじらせると意外と恐ろしい病だ。
だから頑張れ、素直。
時刻は既に日にちをまたいでいた。今日は小野家のリビングで休んでいこう。
朝起きたら、彼女の様子を早く窺うことが出来るように。
二人の距離を突然縮めた今年の夏休みは、終わった。
今日は始業式。二学期から二人は、恋人同士として学校で過ごすことになる。
だが、これでめでたしというわけにはいかない。
誓也と素直が付き合うようになって、傷つく人たちがいるからだ。
歩美とは、宿題を教わっていたあの夜を最後に、会っていない。
誓也はあの日以来、歩美のことをずっと気に掛けていた。
自分だけが素直と上手くいったからと言って、喜んでばかりもいられない。
ちゃんとけじめを付けなければならない。
素直の方はというと、歩美以外にも気に掛かる人が二人。真心、愛だ。
彼女たちもまた、誓也のことを想っているのだから。
登校初日の今日。一番早く会ったのは、朝迎えに来てくれる歩美の親友の祈だ。
もしかしたら、歩美は彼女に心の内を明かしているのかもしれない。
思い立った誓也は登校中、祈の方をちらちらと覗き見る。素直も同様だった。
そんな二人の様子に気付いたらしい祈は、何かを考えるように一点に視線を集中させていたが、小さく深呼吸をすると、二人に向き合った。
「歩美の気持ちは、もう知っていると思うけど…」
そっと話を切り出すと、視線を二人から少しそむけ、またそれを合わせる。
「彼女も、分かってるって言ってました。でも…泣いていたから、謝ってあげてくださいね?」
困ったように、歩美を気遣う祈の笑みに、二人の心も痛んだ。
親友だから、余計に歩美の気持ちが解るのだろう。
「では、私はこれで。お二人とも、遅刻しないようにしてくださいね」
そう言うと、祈は二人の前から走って通学路を渡っていった。
ちゃんと、二人の邪魔をしないようにとの気遣いなのだろう。
だが、残された二人は歩美への申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「じゃあ、昼休みにな」
学校に登校し、一組のドアの前で二人は些細な約束を交わし別れる。
しかし、ふいに素直が誓也の肩を叩き、彼を呼びとめた。
「…素直?」
彼女の悩みの種である一人、真心は誓也と一緒のクラスだ。
でも、誓也は真心の気持ちに気付いてはいない。いや、あんな態度で気付けという方が無理な話だ。
だから誓也には、これ以上心苦しい思いをさせたくはない。
ただでさえ、彼は歩美のことが気がかりなのだから。
「…なんでもない。ただ、真心には私たちが付き合ってるってこと、まだ言わないで?」
「はあ…」
付き合っていること自体は、真心が聞いてくれば答えるつもりだが、自分からカミングアウトする気は誓也にはなかった。
なのに、なぜ彼女はそんなことを言い出したのだろう。
疑問が残ったが、あまり時間がなかったので、誓也は素直の言うことに同意の返事をした。
そうして二組の教室に入った誓也は、さっき素直の口から出た真心の方を見やった。
すると彼女もこちらに気付き、無表情で手を振り挨拶をする。
(どうしてだ…?)
誓也は真心を見て、再び先ほどの疑問を頭に浮かばせていた。
放課後、本来ならいつもこの時間帯、歩美が誓也の教室まで迎えに来るはずの時。
しかし、今日は来ないだろう。
「…来ないよなぁ」
来たとしても、今日からは素直も一緒だ。明らかに気まずいだろう。
本当に、自分は何をやっているんだか。歩美姉さんを傷つけて。
でも、素直が熱を出したあの夜。歩美姉さんに嘘を吐くことはどうしてもできなかった。
嘘を吐いたところで、姉さんはその“嘘”を見抜くことが出来るだろう。
「誓也くん…」
「…っ!?」
物思いにふけっていると、いつの間にか目の前に、今考えていた人がいた。
「歩美姉さん…」
姉さんの顔は、いつも通りに笑っていた。そこには、最後に会った日の寂しい面影は、なかった。
空気の澄んだ秋の近い空。でもまだ夏の空。
いつものメンバーと素直と、たまに一緒にいる真心の五人で帰り道を歩く。
「っていうか、今日は素直も一緒なんだ。珍しいわね」
真心の何気ない一言に誓也と素直はドキリとした。
今朝言われた通り、誓也は真心に、素直と付き合い始めたことを話してはいない。
真心の想いに気付いている素直は、少し引きつった笑みになった。
それに追い打ちを掛けるように、真心の方に顔を向け、歩美が言ったのはとんでもない一言。
「一緒に決まってるじゃない。二人は付き合ってるんだもの」
「…――えっ!?」
真心はその一言に心底、驚き目を見開いた。素直も同様に。
悪意の見られない、いつもと同じ口調と笑顔の歩美に、誓也も少し戸惑う。
「ね、誓也くん?」
歩美は次に、当人の誓也に確めるように聞いてきた。いつもの澄んだ笑顔で。
「えっ、あ、ああ…まあ…」
これにはさすがに誓也は、頷くしかなかった。素直に真心には黙っていてくれと頼まれたが、ここで嘘を吐いても仕方ない。
誓也が首を縦に振ると、素直は真心を見た。彼女もまた、誓也に想いを寄せる女性の一人。
…しかし。
「そっか…とうとう付き合いだしたか!あんた達!」
数秒の間、微動だにしなかった真心は、やがて口元を緩ませてこう言ったのだった。
本当は、真心の胸中も色々な葛藤があるに違いない。
けれどそれをあえて押し殺すのは、好きな人を困らせたくないからなのだろう。
「まあ、私もなんだかんだ言って、あんた達はお似合いだと思ってたし…いいんじゃない?」
更に真心は、感心したように腕を組んで、誓也と素直を“お似合い”とまで言ってくれたのだ。
「真心…」
素直は、彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、それと同時にそんな態度で接してくれたことに、心の底から感謝した。
二人を祝福すると、ちょうど真心との帰りの分かれ道が近づいてきた。
すると彼女は素直に近づき、他の三人に聞こえないように、そっと耳打ちをする。
「素直…私の分まで、頑張ってね?――…じゃあ、この辺で!」
“頑張ってね?”。それは、真心が素直に伝えたかった思い。
いや、素直だけではない。おそらく誓也にも。
真心の激励に、素直は涙が出そうなほどの幸福を感じた。
…真心、ありがとう。だが、ここでもう一人のことを思い出す。
(あっ…愛は…)
そう、愛だ。歩美の様子を見る限り、彼女はおそらく吹っ切れたのだろうが。
愛はどうだろう?
ちらと見てみると、歩美と誓也が普段と変わらず会話をしている姿を、愛は見守っていた。
そして二人の会話が切れのいいところで終わると、愛はおもむろに口を開き。
「そぉっかぁ~。誓也くんと素直ちゃん、彼氏彼女さんになったんだ!」
愛もまた、素直が予期していた態度とは打って変わって明るい。
しかし、真心はともかく、愛が明るく振る舞ってくれるのは意外だった。
彼女は、どうしても自分の感情に、勿論いい意味で正直だから。
そして愛はこうとも言う。
「でもね、素直ちゃん。誓也くんだっていつまでも一人の女の子だけとお付き合いするわけじゃないんだよ?」
「…は?」
その言葉に、他の三人は息を止め、目を丸くし、次の愛の一言には舌を巻いた。
「私と浮気しちゃうかもっ!」
それは、間接的な告白だったが、それよりも何よりも、こんな大胆なことを盛大に言う愛の度胸に、三人は唖然としたのだった。
「――えぇぇっ!?」
素直は“浮気”という言葉に動揺し、歩美はこんなにも肝が据わっている妹を苦笑交じりに眺め、愛に腕を強引に組まされた誓也は、ただただ彼女に目を見張るばかりだ。
(愛ちゃん…私より強い…)
私なんか、普通に接することだって、精一杯なのに。愛ちゃんは強いな。
…誓也くん。私も、実を言うと愛ちゃんと同じようなこと、考えちゃったんだ…。
言えない私は、本当に浅ましいね。
愛の勢いあるアプローチに、そろそろ動揺してきた誓也と、そんな二人を睨む素直を交差に見つめ、歩美は思った。
この二人の間に入ることなんて、出来はしないんだと。
「ね?誓也くん!」
無邪気な愛は、まだ気付いていないけれど。諦めてはいないんだろうけど。
聞こえているよ。君が今、呟いた一言を。
「ぜってえ、有り得ねぇ…」