ひと夏の景色
定期試験も終わり、一段落ついたら当然、学校は毎年のようにサボり気味になる。
留年さえしなければいい。いつしかそんな安易な考えで、俺は行動するようになっていた。
だが、そんな俺以上の怠け者もいるわけで…。
今日も祈先輩と一緒に、その“怠け者”を起しにいくわけであるが、何せそいつは女だ。
いきなり部屋に入って叩き起こすことは、異性としてどうかと、普通ならそう思うだろう。
しかし、幼馴染である“そいつ”は、もはや異性の対象外である。
「じゃあ、今日は俺が起こしてきます」
向かいの家に住む幼馴染の彼女を起こす当番の日。
月曜日、水曜日、金曜日は祈先輩。そして、火曜日、木曜日は俺。今日は木曜日。
見慣れたドアの前に立ち、俺は三回ほどノックする。
「おい、起きろ!素直!」
類は類を呼ぶ。そんな言葉があるのをご存じだろうか。俺はどうやら、「怠け者」が同類らしい。
自他共に認めるグータラ、沢中誓也は、向かいの家に住む同類の幼馴染、小野素直を起こす時、いつも
こんなことを考えている。
この島は平和だ。田舎なだけに空気は澄んでいるし、海岸沿いから見える海も綺麗だ。
だから、この夏もきっと、綺麗な思い出になる。
「おい、素直!聞こえてんのか?…開けるぞ」
毎回のことながら、誓也は自分よりも寝起きの悪い素直に苛立ちを隠せない。
自分だって、本当はこんな朝早くに起きたくなどない。
しかしそうも言っていられないだろう。風紀委員の委員長に目を付けられ、毎朝その委員長に叩き起こされる日々が
二週間も続けば、いやでも学校にいかなければならないと思うだろう。
風紀委員長、瀧口祈。優等生の中の優等生。
ちょっと言動はキツイが言っていることにはちゃんと筋が通っていて、
口喧嘩には大変強そうな俺の先輩。
そんなこんなで、現在高校二年生の俺は、大変充実した学校生活を送らせてもらっている。
正直に言えば、学校なんていかないで家で勉強してさえいれば、定期試験には困らないし、授業には必要最低限、
単位さえ取れればそれでいいと思ってる。
(なんだけどなぁ…)
毎朝、風紀委員長自らお出迎えされては、さすがに学校へ行かずにはいられない。
「おい、素直」
真夏にも関わらず毛布にくるまっている幼馴染の寝顔は愛らしい。
しかし、これではまたいつもの遅刻ギリギリダッシュになるのがオチだ。
「起きろ!」
誓也は一気に素直を覆っていた毛布を剥いだ。
毛布のなくなったベッドの上には、ブラジャーとパンツのみを着た素直の姿がある。
「なにアメリカンな寝方してんだ、あんた?さっさと起きろ」
毛布を剥いだことにより、本能的に違和感を覚えた素直は、そのまま目を覚ました。
「うう…せい、や…?」
「起きろ。早くしないと祈先輩のフライパン起こしがかかるぞ」
「うう…」
まだ、覚醒されたばかりの能は、“フライパン起こし”が嫌なのか、必死で眠気と格闘している。
そのままベッドの上に座った素直は、段々と能を活性化させていった。
そして、あることに気付く。
「誓也」
「あ?」
「出てって!!」
そう言われると、誓也は一気に部屋から追い返された。
バシンと大きな音を立ててドアを閉めた素直は、自分が下着のみの姿であることに気付いたからだ。
「はあ…だったら最初から起きろよ…」
これも、いつものこと。
誓也は幼馴染だからそれほど気にならないが、素直はそれなりに気にしているようだった。
素直が制服に着替え終えて、朝ごはんをトースト一枚食べると、誓也、素直、祈の三人は学校へ
猛スピードで向かった。
登校時間は八時半まで、素直の家から学校へは徒歩二十分程度。
三人が家から出たのはすでに八時を十分ほどオーバーしていた。
「やっぱり、もっと朝早くに起こしにいったほうがいいようですね!」
走りながらサボり魔である誓也と素直に、祈はそんなことを言い出した。
「それだけは勘弁して下さい!俺の身が持ちません!」
「じゃあせめて、小野さん!もっと早く起きてください!」
「今はそれどころじゃないですよ!祈先輩」
今日も、騒々しいが平和な日常が始まろうとしていた。
登校時間終了のチャイムが鳴り響く学校。
何とか間に合った三人は、それぞれの教室へと向かう。
誓也のクラスは四クラス中の二組であり、一組の素直とは別の教室だ。
「間にあった…」
自分の机で項垂れる誓也に一人、呆れたような顔で見慣れた女子生徒がやってきた。
「また遅刻ギリギリね。瀧口先輩に申し訳ないと思わないの?そろそろ自粛して欲しいったら…」
腕を組んで俺の前に立ちはだかったこの女は、日向真心。
クラスのムードメーカー的な存在で、無駄に元気な俺の友人…悪友か?
ちなみに小学校からクラスは、一回も別になったことがないという腐れ縁の中である。
「うるせぇよ…素直に言え、そういうことは」
「素直もいつからあんな怠け者になったんだか…幼馴染のあんたに」
真心はいつも、なんでも誓也の所為にする。
今回の遅刻にしても、一番の問題は素直の寝坊であるのに、真心は誓也に嫌味を言う。
まったく何なんだ。何かと自分に絡んでくる真心に誓也は若干、疑問を抱く時がある。
嫌われている、ということはないと思うが、好かれている…とも違うような、違わないような。
ふと真心の行動の経緯が気になって、誓也はぼんやりと彼女を見つめていた。
「な、何よ!」
すると、それに気付いた真心は顔を少しだけ赤らめて、そっぽを向いて自分の席へ戻っていった。
六時間目の授業が終わった放課後。
チャイムの鳴る校内で、誓也はというと自分の机で寝ていた。
学校には来るものの、祈の目の届かないところでは居眠りや授業をサボるなどの行為を続ける誓也である。
「誓也、起きなさいよ!掃除の邪魔でしょ?」
寝息を立てて一向に目覚めない誓也に対し、真心は朝に素直を起こす誓也のように、彼を起こそうとした。
「誓也っ!!」
誓也の耳元で大声を張り上げても、彼は起きない。
一体、どうしたら学校でこんなに熟睡できるのか、割と神経質な真心には理解できない。
いつの間にか、呆れてものも言えなくなった真心と、すやすやと眠る誓也の前に一人の女性が立っていた。
「誓也くん…起きて?」
長身で美人顔の女性は誓也の耳元に近づき、囁くような声で言った。
すると誓也は寝ぼけているように呻きながら、ゆっくりと背中を伸ばしていく。
「……」
それを見た真心は誓也を容易く起こしたその女性に、目を細めながら礼を言った。
「ありがとうございます…歩美先輩」
歩美と呼ばれた女性は、ぽけぽけとした笑顔を浮かべ、真心の礼に答えた。
水原歩美。成績優秀、容姿端麗な学校の生徒会長である。ただし美術はちょっと苦手。
「あ…歩美姉さん?…どうも」
目が冴えてきた誓也は歩美と真心の存在に気付いた。
「おはよう、誓也くん。一緒に帰りましょう、愛ちゃんも一緒なんだけど」
「はあ…」
「わ、私も!途中まで一緒に帰る!」
真心はなぜかムキになったようにそういうと、“廊下で待ってる”と言い残して教室から出て行った。
「相変わらず変な奴だな…」
誓也は心底、不思議そうにそう呟くと、歩美はくすくすと笑って真心が出て行った廊下を見た。
「そう?可愛いじゃない、真心ちゃん」
「はあ…?」
しかしその言葉の意図が、誓也には分からず、取りあえず頷いた。
歩美は誓也にとって、お姉さん的な存在である。
隣家に住んでいるということもあって、昔はよく近場の公園で一緒に遊んでもらった。
愛という二つ下の妹も今年、この高校に入学し、今も三人で下校することが多い。
「あ、誓也くん!待ってました~」
歩美と一緒に廊下へ行くと、真心と愛が待っていた。
真心はそっぽを向きながら、愛は手を振りながら、二人を迎える。
「お前もいたのか、真心」
「さっき一緒に帰るっていったじゃない!」
「…そうだっけか?」
会話が一方通行で、真心は人の話を聞いていない誓也に怒声を上げた。
「怒らない、怒らない、愛ちゃんが怯えてるでしょう?」
真心の怒声に驚き、今にも泣き出しそうな愛を、姉の歩美が気遣う。
「ご、ごめん…」
愛の怯えた顔に、さすがの真心も罪悪感を覚え謝罪した。
学校の校門を出ると、清々しい夕方の空気が誓也たちを包んだ。
真夏といえども、この田舎島の気温はさほど高くなく、平均二十六、七度前後で風も気持ちいい。
「うう~ん…気持ちいい~」
「涼しいねぇ~!」
天然姉妹の歩美と愛は、両手を伸ばし空気を大きく吸った。
すると、愛ははっと何かを思い出したらしい。
「ねぇ、お姉ちゃん。今年の夏祭り、何処でやるんだっけ?」
この島の夏祭りは、他の地方の本州とは違い七月の一日から三日にかけて行われる。
今日は、六月末日。夏祭りは明日であった。年度により開催する場所が違うのも特徴である。
「星山神社よ。誓也くん達も行くんでしょ?」
正直、誓也は行く気がなかった。
去年は屋台の焼きそば目当てで素直と一緒に見て回ったが、今年は屋台よりも家で寝ていたい気分だった。
「え…いや、俺は――」
「行きます!今年、新しい浴衣を買ったので」
祭りに行かないという旨を歩美に伝えようとしたが、真心が思っていた以上にこの話題に喰いついてきたので、
誓也の言葉が続かなかった。
「まあ、新しい浴衣!?いいわねぇ~私たちも来年は新しいのを買いましょうか?」
女子はこういう会話をよくする。誓也のことなどそっちのけで一気に三人は盛り上がっていた。
浴衣の会話に花が咲き、帰り道を歩く。
「あ、ここでお別れですね」
しかし真心と帰り道が分かれてしまい、会話はここで終了となった。
すると姉妹は思い出したかのように後ろを振り返った。
振り返った先には、会話についていけず、放置されていた誓也がいた。
歩美は分が悪そうに、愛はそうだというように誓也に近づく。
「誓也くんもお祭り行こうよ!」
「ああ?いや、俺は…」
「行こう、行こう!」
愛の曇りのない笑顔に誘われ、誓也は今年も夏祭りに行くしかないと、降参したように頷いた。