胆試し。
修学旅行の初日、その夜は肝試しをすることになっていた。宿泊施設からそう遠くない場所に墓地がある。そこは比較的広い敷地で、真ん中の一本道を挟むように墓石が並んでいる。墓は周りを木々に取り囲まれていた。入り口は狭く、植物の葉がアーチを描くように覆いかぶさっている。
「じゃ順番にいってくれ」
「はーい」
墓の入り口より離れたところは広場があって、そこで生徒達は待たされていた。
「次は6番と8番だ」
ランダムに呼ばれた番号をもとに、男女一組を形成する。俺はらっきーなことに、相手は以前から思いを寄せていた愛ちゃんとペアを組むことになった。
先生に呼ばれて僕と愛ちゃんは入り口までやってくる。
「なんか怖いね……」
「余裕余裕」
実は俺も怖い、だが、彼女の手前怖いなどと死んでもいえない。
精一杯虚勢を張って、
「じゃ行こうか」
「うん」
俺達は林の中にあるアーチをくぐって墓地に潜入した。
いきなり、人工的な火の玉が視界の端を行き来している。
「きゃ~~! 」
「大丈夫大丈夫」
墓石の向こうから延びた竹竿。
月光を受けて閃く釣り糸。
粗野な仕掛けを見てると、怖いというより情けなくなる。
「きゃ~~!」
それでも愛ちゃんはかなりびびっていて、俺の右腕にしがみついてくる。
役得というのはこのことをいうのだ。
飛んで来たコンニャクをひらりと避けながらほくそ笑む。
墓場を半ばほど過ぎた頃、左の墓地群の隙間から白装束の女性が飛び出してきた。
「うお!」
「きゃーー! 」
「こえぇ」
幾分冷めた目で見ていたが、お愛想程度のリアクションだけは忘れない。
先生達も大変なんだ。
こんな薄暗い場所で蚊に刺されながら……ん?
「きゃ~あの幽霊手招きしてるよ」
「あ、あぁ」
白装束の女がおいでおいでをしながら、意味ありげに墓と墓の隙間に滑り込んでいく。彼女が入った辺りを透かし見ると、細い通路みたいなものがあって、左側の墓の後ろへと回りこんでいるようだった。特別なコースでも用意しているのだろうか。
「行ってみよう」
「えぇ」
「楽しまなきゃ!」
「う、うん……」
愛ちゃんに努めて明るい声をかけてなだめ透かし了解を得る。
わき道に俺が先頭に立って切り込み、後ろ手はしっかりと愛ちゃんの手と結ばれている。
握り返してくる柔らかい感触に幸せを感じる。
俺って変態チック?
気がつくと白装束の幽霊は消えていた。
そして、何か妙だった。
このわき道に入りこんだ瞬間、耳の中の気圧が変わったような感覚を覚えたのだ。よく高い山から車で坂を下っていると、気圧さで耳が聞こえにくくなるあれに似ている。
「あ、あれ? おかしいよ、今入ってきたところが」
僕は彼女に言われて振り返ると、墓地群の寒々とした佇まいが消えていた。
いや、そればかりではない。
周りを見渡すと、まるでどこかの山中にでも紛れ込んだような風景。
細い道の両側には切り立った山の斜面があるのだ。
「ここ、どこ? 」
「さ、さぁ……」
「さぁってどうなってんのよ!」
彼女が急に声を張り上げて、僕の胸倉を掴んできた。
パニックになっているらしいって、俺もパニック!
「と、とりあえず、この細い道の先に行ってみるしかないよ」
「そ、そんな」
「だって、後ろも行き止まりだし、前に進むしか」
「う、うん」
愛ちゃんが落ち着くのを待って、
「深呼吸、深呼吸~」
二人で一度大きく息を吸って、胸の空気を全部搾り出すまで吐く。
俺は夜気の肌寒さにジャージのあわせを内に絞り込んだ
なんでこんなに寒いんだ
「変な場所だな……」
「うん、墓地広いたって、もう大分歩いているのにおかしいよ」
肝試しのコースは墓の入り口から真っ直ぐ歩いて出口をでるだけのはずだった。わき道に特別コースを作ったとしても、もうとっくに墓地を抜けているはずだ。
なにより、人の気配がまるでしない。
先に出口に達した他の連中のざわめきが聞こえてもいい頃なのに、辺りはうっそりと静まり返っている。薄闇の中には冬枯れしたような裸の木立がまばらに見えるだけだ。
「ここって既に墓地からはみでて、全然違うところ歩いてるんじゃ……? 」
「かもしれない……」
俺と愛ちゃんは蟻のはいでる隙間がないほど密着していたが、快感をむさぼる余裕はなかった。
歩くたびに、この場所の異様さを認識させられる。墓地にいたときは、真っ暗闇ではあったけど、ここでは周りのありとあらゆるものが灰色がかっていた。
セピア色の写真の中には入れたらこんな世界が広がっているに違いない。
「あ、あれはなんだろ」
「石仏みたいだね」
しばらく寄り添うように歩いていると、道の端っこにひっそりとお地蔵様が佇んでらっしゃる。誰かがお参りにくるのか、その傍にはお供え物のお菓子が置いてあった。
グ○○のスナック系のお菓子だ。
「誰か人いないかな、このままじゃ私達遭難しちゃうよ」
遭難で住めばいいが……
俺はもっと不吉な事態を想像していた。
だが、口には出せない。まだ確証がなかった。
「あ、みて、小さな小屋みたいなのがある」
「え……民家かな」
「行ってみようよ」
木板の古びた引き戸を手の甲で叩いてみる。
「返事がないね」
「おかしいな」
蔀戸の隙間から白い煙のようなものが漏れている。
中では人の気配や物音がしていた。
「開けますよ~」
「お邪魔します、こんな夜遅く……」
丁寧に断りをいれながら、戸を開けてみる。
「あ、誰だ、お前ら」
「こ、ここへ何しに来たんだ」
中に入ると、土間をあがったところに数人の人影が見えた。
みんな俺達と同じようなジャージを着ている。
「同じ学校の生徒? 」
「あんたら誰だ」
「俺達は捕まっているんだ」
質問を投げかけると、一様に彼らは脅えた顔でそう答えた。
俺は彼らをよく観察してみる。
ぼろい床に並んで座っているが、みんな手を後ろに回している。
「ちょっとあがりますね」
俺は土足で奥へ踏み込むと彼らの後ろに回りこんで確認する。
やはり……
「愛ちゃん、この子ら、太い縄で縛られているよ」
「ど、どういうこと? 」
愛ちゃんが目を白黒させて不安な声をあげた。
と、その時だった。
縛られている坊主頭の男子が目を剥いて叫んだのは。
「お前ら逃げろ! あいつが帰ってくる前に! 」
「な、なんだよ、いきなり」
「山姥が走る音聞こえねぇのかよ」
山姥、はて、どこかで聞いた様な。
俺は外に出て周囲の音に気を払った。
ズズン、ズズン……
どこか遠くでバッファローの群れが走っているような地鳴りが聞こえる。
「早く逃げろ」
「さあ、俺達にかまわずに」
「そんなこと……」
周囲の脅えきった顔を見ていると、だんだん俺も怖くなってきていた。
愛ちゃんは彼等の手前、気遣う素振りを見せるが体は正直だ。
片っ方の足が戸外に出ている。
「よし! 」
煮え切らない俺達を見かねてか、縛られた生徒の一人が立ち上がった。
どうやら、自力で紐を解いたらしい。
五分刈りの黒髪が勇ましく見える、精悍な顔立ちの少年だ。
「付いて来い! 」
逡巡している俺達の裾を彼は引っ張り無理やり戸外へ連れ出した。
俺達は無情にもあの家にいた他の名もしれぬ生徒達を置きざりにして、先導してくれる少年の後に付き従った。
「貴方名前は? 」
「隼人」
「俺、秋人」
「愛です」
相手が下の名前を述べるので、それに俺達も倣って名乗りを済ませる。
「あの子たちはいいの? 」
「大丈夫だ」
隼人はにべもなく言い切った。
何が大丈夫なのかは分からない。
だが、その断言には、反論を許さない迫力みたいなものがあった。
「ちょ、はや」
彼は木々の妨害をもろともせず、合間を走り抜ける。
少し目を離したら、見失いそうな勢いだ。
「きやがった……」
彼の鬼気迫る声を聞いて、俺達も背後を顧みる。
黒い影がすぐ後ろに迫ってきていた。
「あれなんなの? 」
「山姥だよ」
「うわああ」
俺はもう一度振り返って見ると、すぐ後ろにその化け物はいた。
話している間に距離を詰められていた。
なんて足が早いんだ。
皺くちゃの老婆の顔がにやりと俺に笑いかける。
「気持ち悪りぃ」
薄墨色の小柄な体に似合わず、手足や腕の筋肉が異常に盛り上がっている。
婆さんなんて生易しいものじゃない、これはまさしく妖怪。
四つんばいではしるその姿は背筋が凍るほど気味が悪い。
「きゃああ」
俺達の動揺の間隙をぬって甲高い悲鳴が薄暗い山道に響いた。
山姥はいつの間にか愛ちゃんのお尻にしがみついていた。
「おい、離れろ! 」
俺は呆然としてその様子を見ていたが、隼人は臆せず行動に移っていた。愛ちゃんから山姥を引き離しにかかっている。遅れて俺もそれに加わる。だが、山姥は小柄な体に似合わず、恐るべき力を秘めていて二人がかりでも剥がせそうににない。
「仕方ない! 」
そのうち、隼人は何を思ったか愛ちゃんの足を払い、横から体当たりをした。愛ちゃんが横倒しに地面に接触する前にその間に体をわりこませ、衝撃だけは自分が引き受ける。
「さぁ、秋人、山姥を! 」
「おう」
俺は急激な展開に気後れしながらも、修羅場にあるせいか不思議と彼の意図を汲んですばやく動いていた。
すかさず、横倒しになった愛ちゃんの尻にしがみつく山姥に渾身の蹴りを放った。
「このこのこのー! 離れろ! 」
踏んで踏んで踏みまくる!
隼人も立ち上がって蹴りは倍増。
調子に乗って蹴りまくっていると、山姥がその足を掴んで俺を強引に引き倒した。
「助けて~」
「このやろ~ 」
それでも俺は負けなかった。
蹴りがダメなら、拳を打ち付けるのみだ。
周りの土や草花が飛び散るほどの大乱闘。
無我夢中で山姥を叩いていたはずだったが……
「――おい、どうした?」
「え? 」
気がつくと、俺は数人の先生達に囲まれていた。
すぐ横には衣服を乱した愛ちゃんが涙で顔をぐしゃぐしゃにして手足をばたばたさせている。
一体何が?
この後俺達は先生にこっぴどく叱られた。
状況は一目瞭然。
弁解の余地はなかった。
後に彼女とは付き合うことになるのだが、
このときのことは、たぶん狸か狐に化かされたのだろうってことで落ち着いた。