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滑落する運命 第二話(完結)


 天気は快晴であった。風はほとんど吹いていなかった。列車には十分な燃料が積んであったし、スタッフはベテランばかりであった。乗客の大多数は口数少なく、静かにこの旅の結末を待ち望んでいた。恐るべき予言のことを思いだして騒ぎだす乗客もなかった。列車は遅滞なく途中駅を通過していく。不吉な予兆など、どこにも見当たらなかった。キリング氏は自らの勝利を確信し、上機嫌だった。新聞など、時に嘘を吐くものだ。マスコミとて人の子であり、巨額の金が動けば、捏造記事などいくらでも量産される。彼らは常に、大企業や政治の側に膝を折る存在なのだ。自分だけは、決して騙されまいぞ。


 彼はこれまでの経験により、そうした事情を十分に知り尽くしていた。『常に平静にしていることが、幸運を呼び寄せる最大の秘訣さ』彼は駅のスタッフから渡された例の不気味な新聞をもう一度開いてみた。そこには、この列車事故の犠牲者は百十二人、生還者はなし。午前十一時二十分にランカンの谷間に転落すると書いてあった。


「その新聞を開かないでくれ、何が起こるかは、皆知っているのだから!」


 突然、乗客の中からそのような声が上がった。その車両の乗客たちは間もなく事故が起こることを確実視していたし、多くの乗客の態度は、未だに生き残るつもりでいるキリング氏を嘲るようになっていった。彼らはこの運命の列車が、自分たちを天国まで運んでくれることを信じて疑わなかった。子供たちも老人も多くいたが、皆が皆、何らかの事情により、その不幸な結末を待ち望んでいたのだ。キリング氏は呆れてものも言えなかった。彼は席を立って歩いて移動し、列車の先頭で運転をしている運転手に話しかけた。


「この列車には何の不備もない。スタッフは皆ベテランだし優秀だ。それでも、もう間もなく、谷間に転落する不幸が起きると信じて疑わない人が多くいる。いったい、どんな理由でこの列車は事故を起こすのかね?」


「それならばお答えします。ひと月ほど前、この先のランカンの谷間に身投げをした哀れな女性がいました。彼女は生まれつき顔に大きなあざがあり、それを理由にして、長年付き合っていた恋人に振られてしまったのです。それが自殺の最大の理由でした。彼女が死亡してから、このランカン付近の山岳地帯で、恨めしそうに佇む彼女の霊魂を見たという証言が多く聞かれるようになりました。実を言えば、私は幽霊というものをひどく苦手にしております。その理由は述べるつもりはありません。しかし、その女性の幽霊が目の前に出れば、私はきっと手元を狂わせるでしょう。そうなれば、列車は予定通り谷間へと転落することになります。ここから谷の底まではおそらく百二十メートルはあります。その新聞に書いてある通り、生存者はいないでしょう。私も貴方もこれから同じ運命に直面することになります」


 車掌はそのように簡単な説明をした。しかし、キリング氏は幽霊の存在というものを、未来の予知よりもさらに信じてはいなかった。あんなものは愚かな人間たちが生み出した虚構であると。車掌の話を聞いて、ますます、この旅が幼稚なお芝居に見えてきた。そうしているうちに、ランカンの谷間の絶景が近づいてきた。木製の線路が軋むような音が聴こえてきた。乗客たちはそれを待ち望んでいたかのように騒ぎ出した。感極まって列車の横壁を叩きだす者、立ち上がって窓の外へ身を乗り出そうとする者、大声で天国への祈りを捧げる者など様々だった。この事態を恐れたり、悲しむ者の姿を見つけることは困難だった。この場を狂気が支配していた。


「うるさい、静かにしろ!」


 キリング氏は耐え切れなくなり、さすがにそんな大声を上げた。しかし、彼が動揺すればするほど、乗客たちはそれを望み、楽しそうに手を叩くのだった。やがて、列車はランカンの谷間へと進入した。乗客たちの絶叫は極限に達した。高価なワインを開けて一気に飲み干す者もいた。窓から鞄や財布など一切を投げ捨てる者も現れた。左前方の座席にいるチーズを頬張る若者の顔は悪魔のように見えてきた。キリング氏は彼らが手を叩くのをやめさせようと、さらに大声で牽制した。しかし、彼の怒りはまるで功を奏さなかった。乗客たちの全員が先頭に集まってきて、大笑いしながらキリング氏の方を指さした。


「ほら、ご覧なさい。ついにその時が来ましたよ!」


 車掌はそう叫んだ。列車の前方方向には、確かに黒衣をまとった暗い女性の姿が立ち塞がっていた。無数の青白い腕が列車を招き寄せているかのような錯覚にも囚われた。キリング氏はそれを見て思わず息を呑んだ。彼のような人でさえ、最期には選択を誤ったと思ったのかもしれない。今からでも、この電車から抜け出したいと考えたのかもしれない。


「今さら隠すこともないでしょう。あの女を無残に捨てたのは、この私なんですよ! 今は後悔しています! 貴方もこの列車を選んだ以上、私と同じように責任を取らなければならない!」


 車掌はほとんど嬉しそうにそう叫ぶと、そのまま発狂し、頭を抑えながらハンドルを大きく切った。列車は線路から外れ、大音響とともに暗き谷の底へと転落していった。乗客の遺体の多くは窓から乱暴に投げ出された。鮮血が辺りに飛び散った。その残骸はあの新聞に掲載されていた写真の通りであった。これは説明するまでもないことだが、不思議な未来の新聞に記載してあった通り、この列車の乗客は百十二人であり、その中に生存者はいなかった。


『パリスの大新聞社フォーク紙の翌日の記事より

 昨日の午前十一時ニ十分頃、オーヴィエ発パリス行き列車がランカンの谷間付近にて線路から外れ、谷底へと転落した。車体は見る影もなく大破した。乗員乗客合わせて百十二人、現地での捜索と事故調査は始まったばかりだが、生存者はいない模様。我が国の歴史上、類を見ない大事故であり、事故原因の究明が待たれている。以下はオーヴィエ駅でこの列車事故を知った人々の談話である


「私は妊婦です。午前十時五十分発の列車の二等車に乗り込んで発車を待っていました。ところが、午前十時四十分頃になり、急に悪寒と眩暈を感じるようになり、駅員に相談したところ、この列車移動を一時諦めて、すぐに病院に向かうよう指示を受けました。私は担架に乗せられ列車を降りました。直後、パリス列車は堂々と発車し、私はその様子をホームからしばらく見ていました。何の予感も感じませんでした。しかし、まさか、あんな事故が起こるなんて……」


「私はパリスの運輸会社の会社員です。昨日の午前十時五十分発のパリス行きに乗るために、タクシーでオーヴィエの駅に向かいました。しかし、道路が混雑していたため、駅のホームに到着したのは発車の三分ほど前でした。ええ、その通り、車内はかなり混雑していたように感じました。どのみち、パリスでの会議には、まだ少し間がありました。ここは慌てて乗らずに次の列車に乗ることに決めました。五十分発の列車が駅から発車するところを、ホームから見守りました。いえ、不吉な予感など少しも感じませんでした。乗客もスタッフもいつも通り落ち着いていたように感じました。私のようにあの列車に乗り損ねた人が、ホームにはかなりおりました。あの列車が大事故を起こしたですって……? まさか、そんなことが……」』


 最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。本作の他にも、鏡の向こう側の世界や逃れられない宿命を描いた短編をいくつか公開しております。もしよろしければ、別の物語の扉も叩いていただけたなら幸いです。

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