第43話 氷海の鮫
「きゃああああっ!」
レイラは悲鳴を上げる。
自分たちの乗った小さな氷山は、どんどん海に流されていく。
向こうの氷原に見えるモデル事務所の撮影隊。もう小さくなっている。
「なんで流されるの? しっかり安定した氷原の上じゃなかったの?」
敏腕エリート刑事のレイラも、突如降って湧いたサバイバル状態に、混乱気味。
「大地を蔽う氷床の縁が、海にせり出していたんです。その氷のプレートは思ったより薄かったようです。だから、振動で簡単に割れて、流されたんです」
カオリは落ち着いている。いつもの夢見心地な表情を変えない。
「それって……で、どうなるのかな。私たちの塗った温油、確か効き目は30分だよね。もう塗ってから10分以上経っちゃったけど。効き目が切れたら、どうなるんだろう」
「氷点下でこの姿ですから」
カオリは、ブラジャーとショーツ、尻尾にミュールだけの姿を示して、
「20分、いや、10分が限界だと思います」
「うわあっ!」
時間切れまで、そんなにない。ものすごく現実的のリミット。
「どうすればいいんだろう」
レイラが撮影用下着の中に仕込んだあれこれの刑事の秘密道具も、この場では役に立たない。
「救援を待ちましょう」
と、カオリ。何でもないという顔をしている。
「事務所の人が、エアバスで、救助に来てくれるはずです」
「そっか。すぐ来てくれるかな」
「時間はかかるでしょうね」
カオリ、また、平然と。
「今のプラズマ逆流放射直撃で、空の電磁場が不安定になっています。すぐにエアバスを飛ばすことができないでしょう。空の状態が安定するまで、飛べません。どのくらい時間がかかるか、それは私にもわかりません」
「なにそれ! もう完全に終わりじゃない!」
時間切れ。氷の死神が、すぐ近くで、おいでおいでをしている。
「いやーっ!」
レイラはカオリを抱きしめる。まだ温油の効果で体はポカポカとしているが、寒気がする。体の芯まで震える。
このまま氷海の上で凍死だなんて!
「あのーー」
カオリが、何かいいかけた。
その時。
ドン、 ドン、
と、小氷山が、揺れる。
「今度は、なに?」
と、レイラ。どんな悪党相手にも決して怯まない宇宙警察の凄腕刑事も、大自然の罠には、すっかり打ちのめされ恐怖ししていた。
ドン、 ドン、
不気味な、ぶつかる音。その度に揺れる。小氷山に、水面下から何かがぶつかってきているようだ。
「な、なによ」
レイラ、青ざめる。
バシャアッ!
突然、ものすごい水しぶきが上がった。
そして。
跳ね上がった。
海から。
巨大な魚。レイラのすぐ目の前を。
なんなの、このサイズ。でかい。大きすぎる。
魚? 小型のエアカーくらいの大きさ。
魚というより、もはや魚竜?
海面から大きな水しぶきを立てて、これ見よがしに宙に跳ねた魚竜。頭が巨大だ。全身の3分の1が頭。大きな丸い不気味な目で、レイラをにらむ。
ジャッパーン!
また、派手な水しぶきを上げて、海に飛び込んだ。
レイラは、へたり込んだ。しっかりとカオリを抱きしめたまま。
「なんなの? あれ」
ドン、 ドン、
まただ。浮かぶ小氷山が大きく揺れる。
「あ、ひょっとして」
レイラは、気づいた。
「これ、何かがぶつかって揺れてるんだよね。今のでっかい頭の魚竜が、海の下からぶつかってきてるってことかな?」
「はい、そうだと思います」
カオリが言った。
「あれは、頭突き鮫です。攻撃性凶暴性を高める特殊進化に人工合成をした巨大鮫です。人間を攻撃する性質があります。小型の船や筏など、人間が乗っているものを見つけ、海中から頭突きで体当たりして壊し、海に投げ出された人間を、頑丈な顎と牙で噛み砕くのです」
「なにそれ。なんでそんなものを開発したの? 危ないじゃない! 変なの開発しちゃったとしても、すぐ駆除するべきなんじゃないの?」
「レジャー狩猟用なのです。狩人というのは、本当に危険な敵じゃないと、気分が高揚しないんだそうです。だから、わざと凶暴で攻撃的な獣を開発して放しているんです。この海に乗り出す人は、厳重な装備をして行くので、ほとんど事故は起きません」
「えええっ!」
レイラ、悲痛な叫び。
「今、私たち、下着だけで漂流してるんだけど。装備も何もなしで。狩猟なんて無理。そんな危険な海だったの? ありえないよ! このままこの氷山がぶっ壊されて海に投げ出されたら、頭突き鮫に、氷の海。もう、100%助からないじゃない!」
目の前が真っ暗になるレイラ。
ドン、 ドン、
冷たく、容赦のない振動。
浮かぶ小氷山が大きく揺れる。




