竜牙君のことで、気になることがあってね
氷堂と葵、玲奈の三人は景虎と別行動になった後、必死に地上まで走り続けていた。
すでに配信機材はOFFにしている。とにかく全力で逃げることに集中していた。
「二人とも、大丈夫か?」
「は、はい!」
「もち、大丈夫だけど」
葵の返事は明瞭であったが、玲奈の返答は何か含みがある。
「景虎君のことを気にしているのかい?」
「……アイツ、無茶なところあるから」
玲奈はこれまで、景虎がどういう男であるかを分かっているつもりだった。事実、大学時代の彼を一番知っているのは彼女である。
ここ一ヶ月と少しで驚くほどレベルが上がっているとしても、根っこの部分は変わっていないと思っている。
だからこそ、あの巨大な悪魔を前にして、向かっていく彼をどうしても引き止めたかった。でも、景虎が意外と頑固な性格であることも知っている。
「彼はどう説得してもあの先に向かっただろう。腕づくで引っ張ろうとしても無理だ。しかし、きっと君が心配していることにはならないと、僕は信じている」
「どうして?」
玲奈の声は珍しく静かだった。景虎が殺されるのではないか、という心配が膨らむ彼女の胸に、氷堂の声は軽く感じられる。
「ああいう目をした探索者と、僕は何度も会っているんだ。そういう人たちはみんな、今も元気にダンジョンに潜っているよ。どんな危険が目の前にあってもね。しかも彼は……ソロじゃないと、そう言ってたじゃないか」
このような説明に意味がないことは、氷堂も分かっている。しかし、地上に出るまでは彼女を励まさなくてはならない。
「景虎さん……私は、きっと大丈夫だと思います」
黒い死の煙が追いかけてくる通路を、必死に走りながら葵は呟いた。それは氷堂と玲奈に向けた言葉ではなく、自分に言い聞かせているようでもあった。
「きっと帰ってきます、きっと」
玲奈も葵も、心の奥では不安でたまらない。リーダーとして今何を伝えるべきか、それを考えながら氷堂は、二人を支える言葉を伝え続けた。
すでにモンスターがいなくなっていた階層は、予想よりも早く登り続けることができた。
長い時間走り続け、ようやく息を切らしながらダンジョンから出た三人は、すでに公園から人がいなくなっている光景を目にした。
しばらく歩くと、公園を出たあたりでバリケードが設置されており、警察やダンジョン庁の職員にダンジョン組合員、記者や探索者などが離れた場所でひしめいていた。
「どうやらみんな避難はできているらしい。あと十人、ダンジョンには残っているが。それは景虎君に……」
言いかけた時、スマートフォンの着信音が響いた。手に取ってみると、ダンジョンとモンスター研究の第一人者たる正鬼博士からであった。
「もしもし、氷堂です」
『氷堂君! 無事かね?』
「ええ、僕らは……」
『このような時にすまない。竜牙君のことで、気になることがあってね』
「……なんでしょうか」
声を伏せながら、あまり人のいない場所に移動し耳を澄ます。
『彼が雑談配信などで、たまに見せていたゴーグルは知っているね。あのゴーグルには必ず、額当てが付属している。その額当てがどうにも気になったので、拡大してみたりしていろいろと調べてみたんだが……奇妙な文字が彫られている』
「奇妙な文字……」
『うむ。その文字に何が書かれているのかは、まだ分からない。だがあの種類の文字は、そもそも我々の文明には存在しない。それだけは確信している』
氷堂の顔に緊張が走った。身近に目にしていたあの額当てには、確かに奇妙な文字が小さく彫られていた。
「それはつまり……」
『恐らく、一致しているものとしては、ダンジョンから獲得できる物品だろう。つまりワシが思うには、あのゴーグルに付属している額当てはダンジョンで誰かが持ち帰ったか、あるいは……流れ着いたか。スピアー・ランザムのように』
スピアー・ランザムとは、ダンジョンが世界に現れて以来、最も多く探索を行ったアメリカ人である。
しかしある時彼は、ダンジョン探索中に失踪した。多くの人々が彼が死んだと信じて疑わなかった。だがなんと二年後に、彼は突然地上に戻ってきたのである。
その時、彼は【ここではない世界】に迷い込んでいたと、新聞やメディア、知人に熱く語り続けていたが、誰も信じる者はいなかった。
だが時が経つにつれ、本当ではないかと信じる者達も増えてきたのだ。まず彼の【ここではない世界】の説明は、あまりに流暢で具体的で、嘘を言っているようには聞こえない。
さらには二年間しか失踪していなかったにも関わらず、二十代であった彼は明らかに中年を超えた風貌に変化していた。
スピアーには虚言癖があり、身体上の変化もダンジョンで生き延びたストレスによるものではないかと、否定する意見が多数ではあった。
だが、それでも彼の話を本気で信じる者、または信じたい者も近年増えてきている。
「そういえば、博士はスピアー論を支持していましたね」
『否定派には嫌な話かな。しかし考えてもみてくれ。ダンジョンそのものが、今の所ワシらにとっては幻想的だ。そもそもなぜダンジョンが生まれたかさえ、人類は解明できていないだろうに』
「そのとおりですね」
『また何か分かったら知らせるよ。それと……本人に会わせてくれるという話は、期待してもいいのかな?』
「今度改めて相談してみますが、彼は気さくな男ですから、引き受けてくれると思いますよ」
その後少しだけ会話をした後、氷堂は携帯をしまった。彼は本気で景虎が戻って来れると信じている。
(一体この後、彼は僕らに何を見せてくれるのだろうか)
葵と玲奈のところに戻ってみると、二人は真剣な眼差しでスマートフォンを見つめていた。景虎の配信を視聴しているのだ。
ニュースは闇竜の件で溢れかえっている。そして誰もがこぞって、カゲチャンネルの配信にログインしていた。
驚くほどに同接数が膨れ上がっていることを、景虎はまだ知らない。
◇
「アイ、お前に一言いっておく。女子高生を好きな男はロリコンではない」
彼らは深層のさらに下、深淵と呼ばれる層通路内にいた。ノエル有栖川の乾ききった声が響いている。イケメンライバーのオーラが抜けきっていた。
「ロリコンに決まってるでしょ。きっしょ」
アイは吐き捨てるように答えた。有栖川は疲労が蓄積しているせいか、ぼうっとした喋り方に変わっている。他の面々も明らかに疲れきっていた。
チーム袋小路はあれからというもの、悲惨な目に遭い続けていた。一時はジャーマから逃げきったものの、ダンジョンブレイカーズには追いつけずにいる。
先ほどまではなんとか走り続けていれたが、それも限界に達しており、みんな老人のようなおぼつかない足取りで進むしかなくなっている。
しかも、まだ闇竜ジャーマの霧に影響されていないとはいえ、充分に強大な力を持つモンスター達から逃げ続けることで、確実に力をすり減らしている。
本来ならばチーム袋小路は、ここに至るまでに引き返すべきであった。しかし、道宗とアイ、有栖川はなんとしても進行度ランキングにおいては一位を獲得したかったのである。
「お前達、ここまでよく耐えたぞ。この道宗がいるからには、目的は必ずや達成される。安心しろ」
荷物持ちと補助係の二名は、到底この発言に同意できなかった。しかし少しでも意見を伝えるとすぐに怒り出してしまうので、言いたいことが言えない。
「あー! ってかうちのチャンネルにゴミみてえなコメントあるんだけど。こいつら全員通報しよっかな」
アイは普段の猫を被った声色が消え去り、完全に素に戻っていた。一連の醜態を全て配信で晒してしまい、多くの視聴者が幻滅と怒りの気持ちをコメントしていく。
ダンジョンブレイカーズに対する態度があまりにも失礼だったことも、反感を買う一因であった。
:逃げてばっかりで進行してるのってどうなんですか?
:アイにガッカリした
:何が通報だよ。真っ当な批判だろ
:カノンちゃん達を捕まえるとか言ってなかった?
:こんなキツい人だったの
:補助係(?)の人にキツく当たりすぎやろ
:姫、落ち着いて!
:これで一位になられてもな……
:悲惨すぎる探索配信
:帰ったほうがいいと思う、わりとガチで
:このままだと全滅するんじゃ
:ホラー映画か何かですかこれ?
:↑いいえ、ギャグ映画です
:あ、なんか来てね?
アイは普段から荒い人使いをしていることも配信に映ってしまい、イメージ低下が避けられずにいる。
実は今現在、彼女はSNS上で配信を切り抜かれて叩かれており、炎上が始まっていた。
しかし、同接数は普段よりずっと跳ね上がってはいる。実はそれぞれの配信において百万を超える数値を叩き出しており、この結果に道宗は大いに満足していた。
「やはり、俺という男が参加したことが大きいな。この伝説の——」
「ぴぎええ!?」
「おお!? どうした、アイ!」
突然奇声を発しながら肩を叩いてきたアイに驚く道宗だったが、彼女の視線を追っていくと、とんでもない何かを見つけた。
「やべえ! やべえ! やべえ! やべえ!」
同じくして挙動不審に叫び出すノエル有栖川。視聴者からすれば彼のほうがヤバい。
「何がヤバいんだ? ……あ、ああ! お前ら、走れーーーーー!」




