第43話 もう一人の歌姫
桜田さんと小春の出会いは突然だったけれど、二人が仲良くなれそうで何よりだ。
そして教会の前で小春と別れた後、僕は桜田さんを駅まで送るために彼女と一緒に住宅街の中を歩いていた。
「砂川君にとって、小春さんって可愛いですか?」
「まぁ、それなりにはね」
「朱音ちゃんはとってもワガママなので、あやすのが大変なんです……」
〝微笑みのメドゥーサ〟こと桜田鈴音の妹、〝微笑みの魔女〟という異名を持つ朱音は、学校ではいかにも優等生って雰囲気の人だけど、双子の姉に対してはワガママを言っているというのも、それはそれで可愛らしいと思う。
まぁ、僕はそんな彼女に嫌われちゃってるけどね。これでもかというぐらい。
「小春さんも、あの教会に来られたりするんですか?」
「ううん、あまり。前を通りがかることは多いけど、あの教会に通ってるのは僕ぐらいだよ」
「砂川君は、どうしてあの教会がお好きなんですか?」
直接そう問われると、僕が正直に答えるのは非常に難しい。僕があの教会で時間を潰している理由は色々あるからだ。
神父や牧師がいるわけでもなく、何の宗派なのかさえわからないし、ミサや何かのイベントが開かれるわけでもない寂れた教会なんかに近寄る人は少ない。定期的に敷地内の花壇とか草木を手入れしているけれど、もう建物自体が古くて、錆びた門も相まって心霊スポットみたいな雰囲気だし。
でも、あの教会の中は全然雰囲気が違う。
「僕は、あの教会のステンドグラスが好きなんだ」
聖堂の真正面、カラフルな色合いのステンドグラスには、きっとキリスト教の偉い人が描かれているんだけど、どれが誰なのかは僕にはあまりわからない。
「夕方になるとね、外からステンドグラスに光が差し込んで、まるでそこが現実とは思えないような、幻想的な雰囲気に包まれるんだよ。
それこそ、空から天使が舞い降りてきそうな光なんだ」
あの寂れた教会を訪れる人が少ないから、僕はあの景色を一人で堪能できる。だからこそ、あの場所では天使と対話できるような気がしてしまうんだ。
つい調子に乗って変な話をしてしまったけれど、隣を歩いていた桜田さんが興味津々という様子で口を開いた。
「確かに、私が最初に入った時にもそう感じちゃいました。何かのお告げのために、天使が現れそうな感じがしますよね。天国へと誘ってくれそうな……」
あの現場を目撃した僕にとっては、最早桜田さんが天使と相違なかったけどね。
けれど、僕があの教会のステンドグラスを見て抱く感想は、ちょっと違う。
「でも、その天使は本当に天国に誘ってくれるかわからないよ」
「ど、どういうことですか?」
「天使は誰が見ても美しく見えるだろうけれど、本当に僕達にとって良い存在かわからないじゃないか。質素なことばかり要求されても楽しくないからね。対して悪魔は、僕達を堕落させるかもしれないけれど、僕達の欲望に忠実な行いを否定しようとはしないからね。
もしかしたら、そこに現れる天使は、一見優しいように見えて実は僕達を地獄に落とそうとしていて、僕達の背後にいるかもしれない悪魔の方が、一見怖いように見えて実は僕達を天国に導いてくれるかもしれないよ」
と、僕が柄にもなく感傷に浸っていると、駅前の市街地が近づいてきて周囲の光に照らされた桜田さんが、ふと呟いた。
「君は最低の天使で、最高の悪魔……」
桜田さんが神妙な面持ちで呟いた言葉の意味を、僕は理解することが出来た。
それは、僕がよく知る、とあるバンドの代表曲だったからだ。だからこそ、僕は驚かされる。
「桜田さん、|CURTAIN CALLのことも知ってるの?」
CURTAIN CALL、通称テンコルは、最近ここら辺で話題の高校生バンドだ。近くのライブハウスでよくライブをしているけれど、毎度ライブハウスを満員にしてしまう程の人気である。
でもあくまでライブハウスによく通っている音楽好きとかバンドマン界隈で有名というだけで、全国的に知れ渡っているわけじゃない。多分、Not Equalの方が知っている人が多いと思う。MyTubeの再生回数もそんなに伸びていないし。
まぁ。カーテンコール自体が、ノットイコールの影響を受けて結成されたバンドなのだ。通称も似てるし。
すると、桜田さんは少し興奮した様子で口を開いた。
「私、テンコルのことも大好きなんですよ。特に、MyTubeで投稿された『君は最低の天使で、最高の悪魔』は毎日のように聴いてますし。
私が砂川君とバンドを組みたいと思い立ったのは、ノンコルだけじゃなくて、テンコルの存在も大きいんです。ボーカルの方の歌声が、本当にもう凄くて」
……そうだったのか。それは意外な事実だ。
まさか、テンコルも桜田さんに影響を与えていただなんて。
「テンコルのことを知ってるなんて、桜田さんは本当に音楽が好きなんだね」
「それは砂川君もじゃないですか。もしかして、テンコルのライブも見に行かれたんですか?」
「う~ん、あまり機会がなくてね。でも曲はよく聴いてるよ」
「お好きなんですか?」
「ノンコルには及ばないけどね」
桜田さんと話しながら歩いていると、とうとう駅まで辿り着いてしまった。そのまま改札で桜田さんと別れようと思っていたけれど、駅前の掲示板の前を通りがかったところで、桜田さんは足を止めて掲示板に貼られたチラシを凝視していた。
僕も掲示板の方に目をやると、そこには丁度テンコルのライブを知らせるチラシが貼られていた。
「歌姫……」
テンコルのチラシを見ながら、桜田さんはそう呟いた。チラシにはライブの様子を写した画像もあって、バンドのセンターにはボーカル、黒猫の仮面を被った金髪の女の子がマイクを握っていた。
りんりんごこと桜田さんほど有名じゃないけれど、テンコルのボーカルの女の子もかなり歌が上手くて、界隈では歌姫と呼ばれている。
「桜田さんのライバルだね」
「い、いえっ、私は全然及ばないですよ、この方には」
カバー曲が毎度のように数百万再生される歌姫が何を言ってるんだか。
いや、そんな桜田さんは、人前では緊張して歌えないという弱点がある。そういう点では、テンコルの歌姫の方が場馴れしているだろう。知名度ではりんりんごに遠く及ばないけれど。
「あの、砂川君。このライブ、一緒に行ってみませんか?」
「あぁごめん、桜田さん。その日は予定が入っちゃってる。星歌とか誘えば喜んでついてくると思うよ」
「残念です……」
幸いなことにテンコルが拠点にしているライブハウスも近場だから、チケットさえ取れたら楽にライブを見に行ける。最近は結構チケットを入手するのも大変らしいけれど。
それにしても、桜田さんも結構テンコルのことが好きみたいだ。
「私、やっぱりテンコルの『君は最低の天使で、最高の悪魔』が好きなんです」
テンコルのライブを知らせるチラシにも、デカデカと強調するようにその曲名が載っている。なんて中二臭い曲名だろう。
でも、桜田さんがその曲を好きになる理由は、僕にもなんとなくわかる。
「それは、失恋ソングだから?」
「はい、そうです」
テンコルのデビュー曲にして代表曲、『君は最低の天使で、最高の悪魔』、通称きさてんは、ジャンルとしては失恋ソングに分類されるだろう。離れ離れになった愛しい人との思い出を憎たらしいほどに表現している。
「私も個人的に歌ってみたんですけど、どうも自分の歌声に納得がいかないんです。それをあんな綺麗に、かつ辛そうに歌えるテンコルのボーカルさんは、とても凄いと思います。
なので、是非ともお会いしてみたいですね。テンコルのボーカル、カレンさんと。どういうお気持ちで、あの曲を歌っているのか……」
この物語には、もう一人の歌姫がいる。
CURTAIN CALLのボーカル、カレン。
残念ながら、彼女は桜田さんと一緒だ。
本当の恋も経験したことなければ、勿論失恋したこともない。
だから彼女もまた、桜田さんと同じように、恋と失恋というものに飢えているのだ。
だからこそ、カレンもまた──桜田さんと同じように、失恋を望んでいる。
どうして、僕がそんなことを知っているかって?
さぁ、どうしてだろうね。
幕間とかをちょこっと挟んで、第二章に入ります。




