第3話 歌姫、りんりんご
微笑みのメドゥーサこと、転校生の桜田鈴音と偶然教会で出会った日の翌日、僕はいつも通り登校して教室へと向かう。
今日は石化された犠牲者はいないみたいだ。いや、石化されている生徒が当たり前のように存在する日常はおかしいね。
「いや~なんで朝っぱらから汗ビショビショにならねぇといけないんだよ! 暑すぎだろ!」
と、教室の隅で自分のシャツを掴んでパタパタと仰ぎながら暑苦しく憤っている男子は、僕の幼馴染である加治柊真。坊主頭だけどイケメン若手俳優かのような整った顔立ちと爽やかな雰囲気で、しかも野球部のエースでコミュ力も抜群。
幼馴染の僕から見ても、柊真は眩しすぎるぐらいの人気者だ。僕はそんな彼に声をかけざるを得ない状況にあった、なぜなら彼が僕の机を占領していたからだ。
「ほら、心頭滅却すればこれからの酷暑も乗り越えられるって、吾野っちも言ってたでしょ」
「成程な。一日分遊びまくったゲームのセーブを忘れて電源を切った時のことを思い出せば……ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
「今どきのゲームなら、大体オートセーブついてるでしょ」
柊真と違って僕はクラスメイトにすら殆ど名前を覚えられていない日陰者だけど、僕には柊真と幼馴染という超強力なコネがある。僕はそのコネのおかげで、これまでの学校生活は極限まで交友関係を狭めて、なおかつ変に孤立しないよう、陰キャなりに不自由なく、目立つことなくひっそりと過ごしてきたのだ。
すると柊真は、なおもノートをうちわ代わりに扇ぎながら言う。
「てゆーか瀬那、お前鞄持ったまま何してるんだ? 早く座れよ、もうすぐ吾野っちが来るぜ?」
「君が僕の席に座ってるから座れないんだよ」
「だってお前の席、日陰でチョー涼しいじゃん。お化けでも出るんじゃね?」
「僕の席を訳あり物件にするんじゃない。いいからどくんだ、ここは日陰者の特等席なんだから!」
「いや~ん」
教室の校庭側の後ろの席は、外に大きな木が生えているから日中でも日陰になっている。僕みたいな陰キャにはお似合いの席だ☆
はぁ、虚しい。
無理矢理柊真をどかして僕が自分の席で支度をしていると、他の友人達とワイワイ盛り上がっている柊真達の話が耳に入ってきた。
「なぁなぁ、昨日のりんりんごの曲、聴いたか?」
「聴いた聴いた。やっぱり、りんりんごの歌声って可愛いよな~。顔出ししてないのが残念だけど」
最近巷で話題の人気歌い手、『りんりんご』。動画投稿サイトであるMyTubeでアニソンやボカロ曲、さらには歌謡曲まで幅広いジャンルの名曲をカバーしていて、再生回数が百万を超えることもしばしば。
彼女の天使のように美しく見事な歌声を評して、彼女を『歌姫』と呼ぶファンも少なくない。
「いや、絶対りんりんごは可愛いって! 俺が保証する!」
「柊真が保証しても意味ねーだろ!」
りんりんごの歌声の虜になってしまった熱狂的なファンが何故かウチのクラスに集まっていて、僕の幼馴染である柊真もその一人である。野球部の練習中にりんりんごのカバー曲を大音量で流して、先生にこっぴどく叱られたこともあるし、野球部を応援するための横断幕に『うぃ♡らぶ♡りんりんご』って書こうとしてたし。
「一度で良いから会ってみたいよな~。握手は恐れ多いけどサイン貰いたいし、デートでカラオケ行ってデュエットしたい」
「大分欲張りだろ、その願い」
「同じ学校じゃなくてもいいから、りんりんごと運命的な出会いを果たして一目惚れしたいぜ~」
「柊真ならワンチャンありそうだよな」
「でも俺達なんかに、そんなラブコメみたいな青春は来ないんだろうな……」
「やめろよ現実に戻すの」
りんりんごが公開しているプロフィールは、十六歳の高校二年生というだけ。他にSNSもやっていないから何も情報が無く、歌声以外はベールに包まれてしまっているのだ。
しかし同年代の子があんな魅力的な歌声を出すことが出来るなんて素直に尊敬するし、かくいう僕も彼女の歌声を毎日聞いているぐらいにはりんりんごの大ファンである。
まぁ、僕は……昨日のりんりんごの動画が公開される前に、あの歌声を聞いてしまったけれど。
後ろの席に、まだ桜田さんはいなかった。桜田さんは僕より早く登校していることもあれば、遅刻こそしたことはないけどギリギリの時間に登校することもあって、登校時間は結構不規則だ。
そんな桜田さんの席をチラッと見た後、僕は窓の外に生えている大きな木を眺めていた。
『……にょ、にょおーん!?』
昨日の一件があったから桜田さんと少し顔を合わせづらかったから丁度良かった。
今思い返してみても、あの桜田さんの変な驚き方がやっぱり面白い。
そしていつも通りイヤホンを耳に差してりんりんごのカバー曲を聴こうとした時──突然、僕は背後から邪悪な気配を感じた。
まずい、奴が来る──そう気づいたときには既に遅く、僕は背後から両肩をガシッと力強く掴まれていた。
「せーなー! おっはよー!」
元気な声で挨拶しながら僕の体を勢いよく揺さぶる、ゆるふわなカールがかかった長い茶髪の女子は新井星歌。柊真と同じく、僕の幼馴染の一人だ。
「昨日のりんりんごのカバー聴いたー!? もーマジでエモかったよねー!」
朝っぱらから暑苦しいほど元気の良い星歌は、今も僕の体を激しく揺さぶり続けながら言う。
「ねぇ星歌! 揺さぶるのはやめろって言ってるだろ! 揺さぶり症候群で僕死んじゃうよ!?」
「大丈夫、その時は私が鎮魂歌を歌って瀬那を天国へ導いてあげるから!」
いや、死んだら大丈夫もクソもないんだよ。
「ちなみにどんな鎮魂歌を歌うの?」
「ウィ~ウィッシュアメリクリッスマ~ス~」
「サンタを死神だと思ってる?」
星歌はとにかく歌うことが大好きで、暇があればクラスメイトと一緒によくカラオケに行っては歌いまくっている。昔は僕もよく誘われて彼女の歌を聞くのを楽しんでいたけれど、最近はそういう機会も減ってきていた。
だって、今の僕にとっては彼女も近づきがたい存在なのだから。
星歌も僕にとっては眩しすぎる存在で、いつの頃からか、持ち前の明るさでクラスのアイドルのような人気者になっていた。小学生の頃はそうでもなかったのに、段々と彼女は段々遠くへ離れていったように感じる。
桜田鈴音らが転校してきてからは若干息を潜めているけれど、やはり未だに星歌に想いを寄せる男子も少なくない。
お世辞抜きに可愛らしい星歌が、いつもは目立つことのない僕に絡んでくる度にクラスの男子達からの僕への好感度が下がってしまうから、割と勘弁して欲しいところはある。でも、僕が彼女の明るさに助けられたことだって何度もあるから文句も言えない。
「そういえばさ、瀬那って口から卵産める?」
「朝から怖い話やめて?」
「いや、多分私の夢だと思うんだけど、事実関係をはっきりさせておきたかったんだよね。 だって瀬那、口から産卵しそうじゃん」
「僕のどこをどう見て星歌はそう思ったの? もう十年ぐらいの仲だよね?」
「じゃあやっぱりお尻から?」
「もしかして星歌って僕をペットの魚とか爬虫類だと思ってる?」
星歌はよく自分から誰かに話しかけて、マシンガンのごとくベラベラと喋るけれど、こんな風に中身が空っぽなことだらけだ。とりあえず僕は哺乳類のはずだけど。
なんて星歌ととりとめのない話をしていると、妙に教室の中が静かだということに気づいた。
それもそのはず、微笑みのメドゥーサこと桜田鈴音が登校してきたのだ。今日も彼女の笑顔で石化の魔法をかけられたクラスメイト達が見事に石化する中、桜田さんはニコニコと微笑みながら僕の後ろの席へやって来た。
「おはよう、桜田さん」
そして、僕はいつも通り桜田さんに挨拶する。
「お、おはようございます、砂川君」
桜田さんはいつものように笑顔で挨拶を返してきたけれど、いつもと違ってその笑顔がぎこちなく感じられた。
『こ、このことは忘れてくださーい!』
やっぱり、桜田さんは昨日のことで動揺しているのだろうか。それでも桜田さんの笑顔は、僕の眠気を吹き飛ばすには十分な破壊力だったけれど。
それに、色々聞きたいことはあるけれど、昨日の桜田さんの反応を見るに人前で触れられたくないみたいだし、そもそも僕からその話題を振る度胸もなかった。
「おっはよー、鈴音ちゃん!」
そして僕の席の側にいた星歌も桜田さんに挨拶をする。すると桜田さんは星歌の方を向いた。
「おはようございます、星歌さん」
いつものようにとびきりの笑顔を作って、星歌に石化の魔法をかけようとしたけれど──。
「もー、鈴音ちゃんったら今日も笑顔がかわうぃ~ね~」
クラスメイトの女子ですら石化されてしまう魔法をかけられても、星歌は平気そうに桜田さんの頬をぷにぷにと小突いていた。
多分、星歌は神話の英雄になれる素質があると思う。
僕はそんな光景を眺めながら、いつもと変わらない日常にホッと安心する反面……桜田さんの秘密を暴きたいとも、興味を抱いてしまっていた。
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