第38話 もう一度、憧れへ
僕はまた、いつもの教会にいた。相変わらず誰もいないけれど、ちゃんと電気は通っていて、段々と暑さがうざったくなってきた今日このごろでも、冷房を点けると落ち着く空間になる。
ステンドグラスから差し込む夕日を浴びながら目を閉じて、なんとなく瞑想してみる。
瞑想したところで、何かが解決するわけでもないのに。
「どうかしたの?」
目を開けると、ふわっとしたボブヘアーの黒髪で、両サイドの髪に紫色のリボンを着け、そして黒と紫を基調としたゴスロリファッションのクールな雰囲気な少女が、僕の目の前の長椅子に乗って、僕の顔を覗き込んでいた。
「ちょっと考え事をね」
「今日のおかずは何にしようかなって、そう考えていたの?」
「僕は麻婆茄子の気分かなぁ」
「なるほどね。今日の瀬那はチャイナ服の気分、と」
なんでだろう、会話が噛み合ってない。僕は中華料理の話をしているはずなのに、どうしてチャイナ服が急に出てきたんだろう。
まぁそんなことはどうでもいいとして、僕はわざとらしく大きな溜息をついた。
「なんだかさ、記憶に残っている良い思い出って、どういうわけか美化しちゃいがちだなぁって感じるよ」
僕はまだ十六年とちょっとしか人生経験を積んでいないから、今までに見てきた世界はまだまだ狭いけれど、それでもたくさんの、何度でも夢に見たいぐらい良い思い出と、二度と思い出したくない悪い思い出がある。
そして時たま、ふとしたことをきっかけに過去の良い思い出を振り返ろうとすると、あの頃は良かったなぁ、楽しかったなぁといつも思ってしまうんだよね。
「瀬那って、そんな美化出来るほど良い思い出なんてあるの?」
僕がちょっと感傷的になっているというのに、こいつはそんな雰囲気をぶち壊すことを言ってくる。
「僕にだってあるよ、それくらい」
「例えば?」
「そうだね……近いものだと、高校に入学して、バンドを結成した時かな」
高校に入学してすぐ、星歌達と軽音楽部を立ち上げて、僕達のバンドが誕生した時。
今思えば、昔から知っていた幼馴染達が別々の楽器に触れていたのは奇跡的だったかもしれない。星歌だけは初心者だったけれど、それでも一応バンドとしての体は成していたはずだ。
これから、皆ともっと一緒の時間を過ごして、例え結果は出なくても、それはきっと、輝かしい青春の一ページとして残る……皆がそう思っていたに違いない。
でも、もう僕達のバンドなんてものは存在しない。
「もう解散したのに、まだそんな夢を見ているの?」
彼女は、僕を嘲るようにクスッと微笑んで言う。
バンドを結成して一年どころか、半年も経たない内に、解散せざるをえなくなったのだ。
いや……星歌だけは諦めていなかったけれど。
「一体、どこの誰のせいだと思ってるんだか」
僕は呆れるように天井を見上げて、また大きな溜息をついた。すると彼女はわざわざ席を立って、真っ白な天井を見つめていた僕の視界に入ってきて、また僕の顔を覗き込んで口を開く。
「それは、瀬那にとって本当に良い思い出?」
彼女は僕をからかうように笑いながらそんなことを言う。
まるで、僕の心の奥底まで見え透いているかのように。
「瀬那にとっては、思い出したくもない思い出なんじゃないの?」
本当に、嫌な奴だ。
「瀬那がここに来たのは、昔の思い出が恋しくなったから?」
僕は目を閉じ、彼女の声だけを耳にいれる。
「君に教えるつもりはないよ。でも、決心はついた」
「へぇ。またバンドを?」
「うん。僕は……りんりんごの背中を追いかけてみたい」
僕は今、中々に特殊な環境に置かれている。まぁ僕が選んだ道でもあるけれど。
今、MyTubeで人気上昇中の歌い手、りんりんごである桜田さんの失恋という経験のために交際しているけれど、そんな桜田さんが、自分がボーカルをやってもいいと言っているのだ。
彼女のファンである僕としては、魅力的過ぎる提案だ。
例え、過去にどんなことがあろうとも。
「かつて、君やNot Equalのことを追いかけていた時のようにね」
僕は彼女にそう吐き捨てて、逃げるように教会を去ったのだった。
◇
「おっはよー!」
今日は桜田さんと一緒に登校できなかったけれど、朝は彼女の暑苦しい挨拶を聞かないと学校に来た気分がしない。
「せーなー! 昨日のりんりんごのショート聴いたー!?」
星歌はいきなり僕の両肩を力強くがっしりと掴むと、これでもかというぐらい揺らし始める。
「最近のりんりんご、なんだかやる気MAXって感じだけど、あんなヤバいショートなんて見せられたら、今度の動画もマジヤバそーだよねー!」
昨日、りんりんごこと桜田さんは、今度投稿予定の歌ってみた動画のショート版を投稿した。何でも、僕と交際を始めてからインスピレーションが湧いてくるというか、並々ならぬやる気に満ち溢れているらしく、一度に数本分も収録することも増えてきたらしい。
曲がりなりにも、一応僕は彼氏役として最低限の働きは出来ているのだろうか。
だが、本題はそこじゃない。
「ねぇ、星歌」
「むん?」
僕は星歌の揺さぶりのせいで痛めつつある首を擦りながら、彼女の方を向いた。
「昼休み、大事な話があるから」
僕がそう言うと、星歌は何故か僕からソソソと離れて、あからさまに嫌そうな顔で口を開く。
「……え? 何? 今更告白とか?」
じゃあなんでそんな嫌そうな顔をするんだよ。僕から告白されるの、そんなに嫌か、おおん?
「じゃなくてさ。ちょっと話があるから、いつもの部室まで来てよ」
あの部室が良いだろうと僕は思っていたけれど、星歌はますます嫌そうな顔をする。
「……そこで何するつもりなの?」
はっ倒すぞ。
「またバンドを組みたいんだよ! 星歌はいつも僕を勧誘してたでしょ!」
「ホントにぃ?」
「だぁもう! そんなに嫌なら良いよ!」
「あぁ、ごめんってば瀬那。クラッカー用意しとくから!」
「いらないよそんなの!」
でも、星歌には申し訳ないけれど、僕が新しく結成したいバンドは、今までとは違う。
「ただ、僕を参加させたいなら、一つ条件がある」
「へ? もしかしてコーラスやりたいの? やめときなよ、瀬那って歌う才能は神様から与えられなかったんだから。今なら安物のAI音声でもマシな歌声してると思うよ」
「それは昔から知ってるからわざわざ言わなくていい!」
歌う才能なんてからっきしに僕からすれば、いとも簡単に人間が作った歌を綺麗に歌い上げる最近のAIすらも憎いほどだけど、そうじゃない。僕だってコーラスは恥ずかしいからやりたくないよ。
そして丁度その時、彼女が現れる。
「おはようございます、星歌さん」
僕の後から桜田さんが教室へやって来て、〝微笑みのメドゥーサ〟と恐れられる素敵な笑顔を見せてきた。油断すると僕も石化してしまいそうだけど、星歌はまるで平気そうに笑顔で挨拶を返していた。
なお、他のクラスの面々は石化しているけれど。
「鈴音ちゃん! 瀬那がバンド組んでくれるってさ!」
「そ、そうなんですか?」
桜田さんも驚きの表情で僕の方を見る。
昨日の帰り道の会話を思い返せば、昨日の今日で僕が突然やる気になっただなんて信じられないだろう。
「あ、そうだ星歌。さっき言った条件なんだけど……」
僕は、星歌もちゃんと歌が上手いことを知っている。
でも、彼女には敵わない。
「ボーカルは星歌じゃなくて、桜田さんだ」
「……んへぇ?」
なんて間抜けな声を出しながら、星歌はもう一度桜田さんの方を向く。
僕達のバンドのセンターに立つのは、りんりんごしかいないんだ。ただ、桜田さんの正体を知らない星歌にとっては、あまりにも意外過ぎるというか、とても信じられない話に違いない。
すると星歌は、教室の中をキョロキョロと見回した後、僕の耳に口を近づけてきて、そして呟いた。
「ねぇ、瀬那。私も一つ聞きたいんだけどさ」
そして、ここからが勝負だ。
「鈴音ちゃんと付き合ってるの?」
とうとう、この時が来た。
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